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2019巻頭言

 長年に亘って書き溜めてきた郵趣エッセーを集大成して、ブログをスタートすることになりました。
 この十数年来、切手収集家の団体・日本郵趣協会 ( 2011年4月1日から公益財団法人 ) の札幌中央支部に所属して、毎月の会報 「 郵趣・赤れんが 」 に欠かさず原稿を寄せてきました。それらを過去に遡って一括掲載するとともに、新たな作品をその都度、追加・更新してまいります。
 それにしても、ずいぶんなボリュームになりました。
 職場の部内誌 ( 北海道林務部 「 林 」。1952~2001 ) に寄せていたエッセーや会報の郵趣エッセーをまとめて2003年に自費出版しましたが、三百余頁の約3分の2は郵趣関係の作品が占めました。その部内誌もやがて廃刊となり、以降、書く場は会報のみとなりました。
 その後の作品を続編として二冊目の本にまとめるつもりでいましたが、区切りが付かぬままに分量は膨らむ一方で、いつしか出版は難しく感じられるようになりました。それが、今回のブログという手段によって 「 二冊目の出版 」 を実現しました。これは随時、追加・更新もできるという、出版にまさる願ったり叶ったりの方法でした。
 マテリアル ( 題材 ) は広い分野に亘っています。まずは作品一覧に目を通していただき、これはというものから適宜お読みいただければ幸甚です。
 なお、お気づきの点についてはコメント欄でご教示いただければ幸いです。
                                                                         2012年2月

                                     江戸っ子だってねェ。
                                     おう、神田の生まれよォ。いや、じいさんが神田。おやじが浅草で・・・。
                                     こちとら、江戸っ子の筈が今じゃ 「 蝦夷っ子 」 というわけでして。

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                              あの頃   昭和33年用年賀切手 「 犬はりこ 」 ( 東京の玩具 ) の渡辺版初日カバー。
                                     浅草局の初日風景印。 ( 昭和32年12月20日 )


利用に当たって

1 一覧表で見たい作品をクリックすると、その作品がすぐに表示されます。
  また、「 カテゴリー 」 を選択して国別に関連の作品を見ることもできます。
  なお、時に原稿のページに歪み ( 縦方向が詰まる ) が出ることがありますが、
  一旦他の月の原稿を開くなりすると、歪みが直ります。
  左上の矢印 (←) で一旦送り、(→) で戻すのが手軽な方法です。

2 画面を拡大すると文章が読みやすくなります。
  ツールバーの「表示」で倍率を選択。原稿は200%が読みやすい。
  これでリーフは実物とほぼ同じ大きさになります。
  ただし、原稿以外の部分は拡大すると段ズレを生じます。
  拡大した画面でクリックすると、二段階でさらに拡大されます。

3 面倒ですが印刷はページ単位で行います。
  印刷したいページにカーソルを合わせて左クリックすると、画像が一旦左側に寄って小さくなります。
  そこで 「 ファイル 」 から 「 印刷 」 をかけると、そのページが印刷されます。
  トップページの部分を印刷する場合には 「 印刷方向 」 を 「 横 」 にする必要があります。
  なお、印刷に便利なCD版 ( 文章は打ち出しで読みやすく、作品単位で連続印刷ができる ) を用意していますので、コメント欄からお申し込み下さい。

4 各ページの右下にある 「 Pagetop 」 でその月のトップページに戻ります。
  また、各月の一番後ろにある 《 前のページ ホーム 次のページ 》 を利用して、
  次の作品または前の作品を見ることができます。
  また、「 ホーム 」 でサイトのトップページに戻ります。

5 リンクは、関係項目をクリックするだけでリンク先のページが表示されます。

6 「 日本語の面白さ、日本語再発見 」 は字が小さいので、ブロックコピーして印刷いただくと読みやすいと思います。




札幌中央支部会報 「郵趣・赤れんが」掲載郵趣エッセー 2019年分 ー覧表

                         ※ タイトルをクリックするとその関連頁が開きます。
2019年 号数 タイトル
12月          
11月         
10月          
 9月         
 8月 265  ラズ・カバーなるもの     5頁
 7月 264  穿孔切手について   3頁
 6月 263  東京大空襲と関東防空演習記念印    5頁
 5月 262-1  元号の由来と命名  5頁
262-2  大正か昭和か。櫛型消印を巡って    2頁
 4月 261-1  「 下谷龍泉寺町 」 郵便局の消印  1頁
261-2  樋口一葉のこと    3頁
 3月 260  城郭建築の雄、名古屋城  3頁
 2月 259  ラブアン島の切手 ( 世界から消えた50のデッドカントリー )   4頁
 1月 258  最初期の風景印 「 熱海局 」  2頁
 *  二見郵便局の風景印  1頁


                              ※ 2018年分以前 ( ~2000年 ) の郵趣エッセー一覧は、「 写真日記 」 の次にあります。



1 コレクション コーナー

下の切手をクリックすると、それぞれのコンテンツが表示されます。

                        (1) コレクション・リーフ                (2) 新作リーフ

ハワイ数字_0001                ハワイ数字_0002
                             1859年                       1864年
                         ハワイ数字切手 1c               ハワイ数字切手 2c



2 千 島 関 係 資 料

下の地図をクリックすると、それぞれのコンテンツが表示されます。

                               千島郵便史                その他の千島リーフ

kunashiri1000.png             etorofu1000.png
                                   国後島                  択捉島





2(2) 台 湾 特 集

下の台湾地図をクリックすると、それぞれのコンテンツが表示されます。


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2(3) 全国郵趣大会2016in盛岡

下の大会資料をクリックすると、関係資料が表示されます。


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3(1) 北海道漢字同好会会報 「 啐啄 」 原稿

漢字の世界は奥深い。
漢字をいろいろな角度から眺めてみると、計り知れない奥深さが見えてくる。

下の “ 北海道漢字同好会の四つ葉のマーク ” をクリックするとコンテンツが表示されます。

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3(2) 「日本語の面白さ、日本語再発見」
(外国人のための日本語学習支援ボランティアの活動から)

下の“辞書”をクリックするとコンテンツが表示されます。

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4 過去の写真日記

(6) 2019年4月~

下の “ Diary ” をクリックすると最近の写真日記の月別一覧表が表示されます。


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(5) 2018年4月~2019年3月

下の “ Diary ” をクリックすると最近の写真日記の月別一覧表が表示されます。


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(4) 2017年4月~2018年3月

下の “ Diary ” をクリックすると最近の写真日記の月別一覧表が表示されます。


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(3) 2016年4月~2017年3月

下の“ Diary ”のアイコンをクリックすると最近の写真日記の月別一覧表が表示されます。


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(2) 2015年5月~2016年3月

下の“ストック・ブック ”をクリックすると最近の写真日記の月別一覧表が表示されます。


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(1) 2015年4月~2012年4月

下の“日記帳”をクリックすると過去の写真日記の月別一覧表が表示されます。

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5 豊かな日々のつれづれに
第一部 随筆集
第二部 郵趣エッセー集

下のアイコンをクリックすると目次が表示されます。

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                                                                   (画像はクリックすると拡大します)

写 真 日 記
                                ( 画面を125%に拡大してお読みください )

 8月19日(月)
 ラジオ体操の仲間にドイツ語の達人がいて ( それもその筈、ドイツで学位をとった最近退官した社会学の大学教員 )、8月14日に取り上げた第一次大戦の青島攻略にかかわるドイツ人の捕虜郵便に書かれた文面を読んでもらおうと話をしたら、当然この辺の事情は承知のことで、逆に 「 ファインデ ブリューダー 」( 敵が友になるとき 日本のドイツ人捕虜収容所 ) という、元ドイツ人捕虜の遺族へのインタビューと人道的扱いで有名となった徳島県の板東収容所への訪問で構成された取材番組のDVDを貸して貰った。

 ドイツの放送局製作のドイツ土産で、全篇ドイツ語で恐れ入ったが。
 YouTubeで 「 Feinde Brüder 」 を検索すると、紹介ビデオでその一端を伺うことができる。

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「 Feinde Brüder 」 のパッケージ。



 8月18日(日)
 今日の郵趣会で思いがけないニュースを教えてもらった。
 昨日の朝日の朝刊の 「 道内 」 欄に樋口季一郎の記念館開設の動きを伝える記事が載っているとのことであった。
 幸いにも朝日も取っているので、承知していて然るべきことであったが、政治にしろ事件にしろ、最近は見たくもない不愉快なニュースが多く、新聞を丹念に読むことがなくなった。それでは大事な記事も見落とすことになって、反省を要するところではある。

 記事は、『 北海道古民家再生協会の会員の一人がこの樋口季一郎に関心を持ち、協会に働きかけるとともに、樋口の孫に当たる音楽学者の樋口隆一氏の協力も得て、協会が現在宿泊施設として準備を進めている石狩市内の古民家に隣接する石蔵をあてることとした 』 ことを伝えている。

 教えてくれたのは以前例会の席で、所有する樋口季一郎のエンタイアを見せてくれた仲間の人で、私が樋口季一郎の存在を承知していて強い関心を寄せたことから、このエンタイアを譲ってくれたのだった。
 さっそくこのエンタイアを材料に、樋口季一郎の来歴、事績を2018年3月第248号に『第五方面軍司令官・樋口季一郎宛てのエンタイア』にまとめた。

 そこから引用すると、樋口季一郎 (1888 - 1970年) は、日本の陸軍軍人。兵庫県淡路島出身。最終階級は陸軍中将。広島県福山の歩兵第41連隊長、第三師団 ( 名古屋 ) 参謀長、ハルビン特務機関長、第九師団 ( 金沢 ) 師団長等を歴任し、最終役職は第五方面軍 ( 札幌 ) 司令官兼北部軍管区司令官。
 陸軍士官学校時代、東京外語学校でロシア語を学び、陸軍士官学校を優秀な成績で卒業、陸軍大学校を経て、ロシア語が堪能であることから卒業後すぐ1919年にウラジオストクに赴任。満州、ロシア方面部署を転々と勤務、1925年公使館駐在武官としてポーランドにも赴任している。

 昭和17年 札幌北部軍司令官。  樋口は札幌に着任する前の満州時代 ( ハルビン特務機関長 )、「 オトポール事件 」( ユダヤ人難民救出事件 ) で、日独の関係が足を引く中、ナチスの迫害から逃れてきたユダヤ人に人道的立場から保護の手を差し伸べ、満ソ国境の町オトポールで足止めされたユダヤ人の満州国への入国の道を切り開いたことで知られる。
 また、北部軍司令官在任中は (昭和17年8月~終戦)、アッツ島の玉砕を余儀なくされる一方でキスカ島の奇蹟の撤退を指揮し、敗戦後も北千島・占守島、樺太での対ソビエト軍の戦闘を指揮し、占守島の戦いではソ連の千島侵攻部隊に痛撃を与えている。

 いずれ記念館開館の暁には、「 ゆかりの品 」 としてこのエンタイアを寄贈しようと思っている。

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樋口季一郎の記念館開設の動きを伝える8月17日付け朝日新聞朝刊の記事。

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樋口ゆかりのエンタイア。札幌の昭和22年10月28日の消印。
札幌の知人から、樋口が戦後の一時期住まった小樽市朝里に宛てられた速達便。
2018年3月第248号 『 第五方面軍司令官・樋口季一郎宛てのエンタイア 』 の添付画像。



 8月16日(金)
 またまたヤフオクの出品から材料を借用する。
 昭和15年9月12日の城東局 ( 江東区大島 ) の消印のある 「 南京日本大使館 」 気付けの封書。
 裏面には9月20日付の南京の着印があり、廿十九年とあるのは民国年号で、辛亥革命によって成立した1912年の中華民国元年から数えて29年目の1940年、昭和なら15年。

 「 南京日本大使館 」 とあるが、正式には 「 南京日本総領事館 」 で大使館ではない。
 1940年のこの年に南京に樹立された親日政権の汪兆銘の国民政府 ( 中国国民党の反蒋介石のグループのリーダーとして、抗日を主張する蒋介石に対抗して、日本との和平を主張した。後に漢奸=売国奴として糾弾された ) との関係からすれば、南京の領事館は別格であったかも知れないが 「 大使館 」 ではなかった。

   戦前の中国には、当時の大陸進出を背景に、満州から蒙疆、中国沿岸部一帯の占領地を中心に多くの在外公館が開設されていた。
 その数を数えあげれば、中華民国 ( 蒙疆を含む ) には総本山たる北京の公使館を筆頭に、総領事館が21カ所 ( 南京はそのうちの一つ ) と領事館が11カ所、分館が6カ所で計39カ所。
 満州には総領事館が5カ所と領事館が12カ所、それに分館が18ヵ所もあった。
 このことについては、2011年10月第171号 「 在満州国日本領事館のマテリアル 」 を参照されたい。

 なお、差出人の住所の城東区は戦前の東京市35区時代の区で、戦後の東京都区部の23区への再編で、深川区と合わせて江東区となった。
このことについても、2017年11月第244号 『 明治の外信絵はがき 「 東京府下北豊島郡滝野川 」 』 の中で触れています。

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昭和15年9月12日の城東局 ( 江東区大島 ) の消印のある 「 南京日本大使館 」 宛ての封書。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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その裏面。
9月20日付の南京の着印。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 8月15日(木)
 今日は終戦記念日。
 この日が来るたびにいつも思う。
 終戦の決断を、一年、いやせめて半年でも早めていたらと。

 そうすれば、8月6日の広島。9日の長崎の原爆投下もなく、
 9日のソ連参戦による満州開拓民の逃避行の悲劇もなく、
 戦後のシベリアの抑留もなく、
 遡って、4~6月の沖縄戦の悲劇もなく、
 3月10日の東京大空襲も免れた。

 ところで、イーベイの日本関係の出品に図のようなツェッペリン・カバーがあった。
 右肩の赤印に、「 グラーフ・ツェッペリン、世界一周初飛行、東京1929年 」 の文字が刻まれている。
 グラーフ・ツェッペリンLZ127は世界一周飛行の途次、日本に飛来しており、この時の飛行に搭載された郵便物の一つと言うことになる。
 東京神田淡路町の医療器具卸しの会社・後藤風雲堂からニューヨークに宛てられたもの。TOKYOの欧文消印の日付は1929年8月21日。

 後藤風雲堂は明治19年に後藤節蔵氏 ( 明治16年東京大学薬学科卒業 ) により東京神田に設立され、明治23年にドイツのヒルシマン電気より最初のX線装置を輸入、明治41年、ヒルマン社、ライニーゲル社のX線装置の独占販売権締結、大正2年シーメンス社のX線装置販売開始し、大正7年には東京電機工業を設立し、国産のX線や医療器械の製造を開始するなどしている。

 このときのグラーフ・ツェッペリンの世界一周飛行は、米東部、ニューヨークに近いレイクハーストを8月8日に出発し、
大西洋を横切ってツェッペリン号の故郷であるドイツのフリードリヒスハーフェンで燃料を補給し、
広大なシベリア上空を1万1千キロ、4日と5時間をかけて無着陸飛行で横断して日本に立ち寄り ( 8月19日の早朝、北海道寿都町上空をかすめて日本列島を南下、着陸地霞ヶ浦を確認したのち、東京・横浜上空をデモ飛行して、霞ヶ浦に到着、滞在 )、
大正12年生まれの小学一年生だった父がこの時のツェッペリンを見たという。

日本を23日に出発して3日間かけて太平洋を横断し ( これは初の無着陸太平洋横断飛行で、リンドバーグの北太平洋横断飛行はその2年後の1931年であった )、
さらに米大陸を横断して8月29日に出発地のレイクハーストに戻ったがるもので、
全体の飛行距離は、3万1400キロメートル ( 1万9500マイル )、所用日数は21日であった。

 なお、このことについては、2001年10月第51号 「 マテリアルを俎上に (その2) ツェッペリン号訪日記念絵はがき 」 に書いています。

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世界一周飛行のグラーフ・ツェッペリン号に搭載された、東京からニューヨーク宛てのカバー。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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その裏面。
薄くて見えづらいが、左下に逆印でレイクハーストの8月29日の到着印と、
飛行船を象った中に 「 グラーフ・ツエッペリン 」 と記した抹消専用のファンシー・キャンセルが押してある。
画像をクリックして拡大すると見られます。



 8月14日(水)
 恰も人の褌で相撲を取るような恰好だが、ヤフオクに出品されている材料に取材して。
 第一次世界大戦の青島攻略に伴うドイツ兵捕虜4,700人 ( ついでながら、この日独戦争の10年ほど前に起こった日露戦争でのロシア人捕虜は8万人に上り、日本各地の29ケ所の収容所に収容された ) の収容のために日本各地に収容所が設置され、その関係マテリアル ( 各収容所から主に母国ドイツに宛てられた俘虜郵便 ) がよく出品される。
 有名な徳島の板東をはじめ、福岡の久留米、千葉の習志野のものなどをよく見かける。

 取り上げた捕虜郵便、まず附属画像の、裏面の万世橋にあった日露戦争の旅順港閉塞作戦の廣瀬中佐と杉野兵曹長の銅像の絵はがきが目に付いた。
 東京の絵はがきが使用されているとなると、ひょっとして。
 赤の楕円印に 「 俘虜郵便・検閲済・東京 」 とあって、「 浅草 」 の大正4年6月27日の日付印が押されている。
 なぜ捕虜郵便に浅草の消印が押されているのか。

 当初久留米を筆頭に、全国に当座の12ケ所の俘虜収容所が設置され、その一つとして東京・浅草の東本願寺 ( 現・東京都台東区西浅草1丁目5-5は、雷門の前の通りを西に国際通りに突き当たり、すぐの角を入って間もなくの所。かつての仁丹塔のあった裏手。当時としても繁華な浅草の一角 ) が当てられていたことによる。
 浅草に設置されていたのは大正3年11月11日から、翌4年の9月7日までの一年足らずで、施設の新設による統合で、千葉の習志野に写されたが、消印日付の大正4年6月27日はまさにこの期間に当たっている。

 なお、このことについては、2011年5月第166号 「 Lagerpost Bando ( 板東収容所郵便 ) マテリアル 」 に書いています。

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第一次大戦のドイツ兵捕虜の 「 俘虜郵便 」。
大正4年6月27日の浅草局の消印。
ドイツ、ニーダーザクセン州のハノーバー地区のレーアテ宛て。

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使われた絵はがきの裏面。
万世橋にあった日露戦争の旅順港閉塞作戦の廣瀬中佐と杉野兵曹長の銅像。
左手の尖り屋根は神田郵便局。



 8月12日(月)
 夏風邪を引いて、しばらく引きずっている。
 喉の痛みは治まったが熱っぽく、体調がすぐれないと何をするにも力が入らない。
 ラジオ体操もしばらく休んでいる。

    風邪を引く前に、前から温めていた地下鉄を材料にした原稿を書き上げた。当初はモスクワと東京の地下鉄の抱き合わせだったが、一つに収めるのは無理で、分割したら9,10月の二ヶ月分のストックができた。

 長く仕掛品のまま棚上げになっている 「 在イタリアのポーランド第二軍団 」 を仕上げてしまいたいものと、3月にJPSのポーランド部会に第二軍団について尋ねたところ、代表世話役から多くの関係資料をいただいたが、却って荷が重くなった。
 この課題、内容が多岐に亘り、広く深いときているのに、こちらはとことん付き合えるだけの力量を持ち合わせていない。
 それにしても、ポーランド郵趣は本当に奥深い。それを伝えられないのがもどかしい。

   簡単に言えば、ポーランド第二軍団は、スターリンの思惑の下にソ連で誕生した。
 その前段。ヒトラーのドイツとスターリンのソ連による独ソ不可侵条約の秘密議定書により、二大国はポーランドの分割に乗り出す ( 1939年9月1日にドイツが、続いて9月17日にソ連がポーランド領内に侵攻 ) 。その後、あろうことかドイツのソ連への侵攻 ( 1941年6月22日 ) で独ソ戦が始まると、スターリンは捕虜にしていたポーランドの将兵を対独戦の戦力としての活用を目論み、ポーランド人も憎きドイツと戦うことを望んだことから、取り敢えずの利害が一致して、ソ連内でポーランド軍が創設された。

 しかしその間のソ連の対応に不審を抱いた ( 捕虜となった多くのポーランド将校のその後の足取りが不明となり、その後に 「 カチンの森事件 」 としてソ連側による大量虐殺が発覚する ) アンデルス将軍は、赤軍の下ではなく、米英軍と共に西部戦線で戦うことを決意し、1942年2月にウズベキスタンを経由し、8月にイランを通過して、9月までに11万4千人がイラクへ移動して第二軍団が結成された。このあと、第二軍団は連合軍の一部として、1943年12月から44年3月に掛けて地中海中央軍の構成員としてイタリア戦線に加わり、5月のモンテカシーノの戦いで勇名を馳せる。

 断片の話になるが。
 イーベイには、本当にありとあらゆる貴重なものが出品される。
 全く専門的な話になるが、ソ連内でのポーランド軍の創設に伴ってポーランド中央野戦郵便局と各野戦局が開設され、中央野戦郵便局から1942年8月18日に発行された切手がある。「 Dojdziemy 」( 我らは戻る ) と記された戦意を鼓舞する象徴的な切手。
 3×2の小さなシート構成でテートベッシュで印刷 ( 上三列と下三列が向き合って逆さに印刷 ) されたもの。そのうちの二枚に記念印らしきものが押されている。(図1)
 3,017枚製造され、中央野戦局は20日に出発したため、ソ連国内では263枚、さらに滞在したイラン・イラク・インドで128枚が販売されたとの記録がある。
 図2にカタログの写真。
 また、同時に偶然、シート ( プルーフ=試作かと注書き ) が出品されていたので図3にその画像を掲げておく。

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図1  「 1942 DOJDZIEMY POLISH ARMY IN THE SOVIET UNION TETE - BECHE USED 」として出品された
「 ソ連におけるポーランド軍のDOJDZIEMY切手 」 のテートベッシュのペア。
中央にポーランドのシンボル・白鷲を背景に行軍する兵士。
 その下に「DOJDZIEMY」の文字。
左側に二頭の白熊に雪と氷の風景とその下に「1941-1942」。
右側はツンドラとオーロラ。

32poland.jpg
図2 関係の専門型録に掲載された 「 DOJDZIEMY切手 」 のシート。
目打ちは印刷らしい。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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図3 「 POLAND 1942 Fi #1 ANDERS ARMY IN USSR SHEET OF 6 PROOF? ANNULATE? 」( プルーフかと注書き )
として出品された 「 DOJDZIEMY切手 」 のシート。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 8月9日(金)
 今日は、長崎市へあの忌まわしい原子爆弾が投下されて74年目。
 広島は朝の8時15分。長崎は午前11時02分であった。

 全国を巡回する夏期巡回ラジオ体操の会場を話題に取り上げると言っても、一般的すぎて話題の対象にはなりずらいところも当然出てくる。
 それで、必ずしも毎回の材料にはならない。
 そんな中で、今日の秋田県 「 にかほ市 」 は、何がと言ってひらがなが気になる。
 ひらがな・カタカナ地名は平成の大合併に伴って、特に新設合併によって多くが誕生したが、行司役の行政にとかくの不見識があって、却って常識的な住民の反発を招いた。
 「 にかほ市 」 は秋田県の南西部、日本海に面した山形県との県境に位置する市で、 2005年 (平成17年) の由利郡内3町 ( 仁賀保町、金浦町、象潟町 ) が新設合併により発足している。
 仁賀保の名は中世からの古名。

 ひらがな・カタカナの市町村は平成の大合併以降、全国各地に多い。
 ざっと数えて30市、20町村。
 北海道では幌泉郡えりも町 ( もと幌泉。昭和45年の町名変更時、「 襟裳 」 の漢字は難しく 「 えりも町 」 と改称 )、日高郡新ひだか町 ( 新日高 ) や久遠郡せたな町 ( 瀬棚 )、勇払郡むかわ町 ( 鵡川 ) はいずれも元の構成町村との区別が意識された。

 とりわけ、外国人の進出による国際化が著しい羊蹄山の麓のリゾート地、ニセコ町は、昭和39年に狩太町 ( もと、マッ・カリ・ベツ・ブト=後ろを・回る・川・の口 ) からニセコ町 ( ニセイ=「 両岸が崖で切り立った渓谷 」 が語源 ) と改称したが、狩太のブト ( 「 太 」 と当て字 ) は川の合流点を指す言葉で、空知太、当別太、江別太など各地に多い。

 1959年 (昭和34年) に青森県で大湊町と田名部町が合体して 「 大湊田名部市 」 ができたが、長い名前が嫌われたか、1年も経たずに 「 むつ市 」 と改称され、これが日本で最初のひらがなの市の誕生となった。

 茨城県で隣接する 「 つくば市 」( 1987年の筑波郡の3町1村の合併で発足 ) と 、「 つくばみらい市 」( 2006年に筑波郡の2町村の合併による ) も紛らわしい。
 東京都の 「 あきる野市 」( 1995年、秋川市と五日市町の合併で誕生 ) も、古来より 「 秋留 」「 阿伎留 」 などの地名のあったところだが、交ぜ書きの奇妙な名前には違和感がある。

 カタカナ名で思いつくのが1970年に発生した 「 コザ暴動 」 のあったコザ市 ( 旧・胡差市 )。
 コザ暴動はアメリカ施政権下のコザ市 ( 現・沖縄市 ) で、アメリカ軍人の起こした交通事故に端を発した、アメリカ軍車両および施設に対する焼き討ち事件。背景に米施政下での抑圧、人権侵害に対する沖縄人の不満があった。
 その後、コザ市は1974年に隣の美里村と合併し沖縄市となり、消滅した。

仁賀保
仁賀保郵便局の風景印。使用開始1978年8月10日。
仁賀保公園のレンゲツツジと鳥海山。

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1965年発行のニセコ積丹小樽海岸国定公園郵便切手の初日カバー。



 8月6日(火)
 今日、8月6日は 『 広島原爆忌 』『 広島原爆の日 』。
 「 原爆記念日 」 では余りに無神経で、「 原爆の日 」 に変わっている。
 8月9日にもまた 『 長崎原爆の日 』 がやってくる。

 図は、昭和49年12月10日に使用を開始した広島西郵便局の風景印の初日印。
 原爆ドームと、その向かいの平和記念公園にある 「 原爆の子の像 」 が描かれている。
  「 原爆の子の像 」 は、像のモデル佐々木禎子 ( 原爆による白血病で死去 ) の同級生らによる募金運動により1958年 (昭和33年) 5月5日に設置された像で、シンボルになった折り鶴を捧げ持っている。
 広島市内の郵便局で、原爆ドームを描いた風景印は多いが、この広島西郵便局のものは一番シリアスに見える。

 話題はもう一つ。
 いつもの夏期巡回ラジオ体操の今日の会場のこと。
 地名は漢字好きには恰好の勉強材料で、辞書作りの上でも地名の存在は欠かせない。
 それには、全国の地名を細大漏らさず収録している国土地理院の 「 国土行政区画総覧 」 の存在があり、コンピュータ化に対応した一万種類を超えるJIS漢字 ( 第一水準~第四水準 ) のデータベースの作成に、そこにある数十万件の地名に使われた漢字が拾い上げられている。

 今朝の夏期巡回ラジオ体操会場の石川県羽咋市 ( はくい-し。能登半島の西側の付け根の部分 ) は、珍しい漢字を使った地名の一つとしてある。
  「 咋 」 の字は、「 昨日 」 などの一般的な 「 昨 」( 日偏 ) の字ではなく、よく見ると 「 口偏 」 になっている。口部の5画 (「 乍 」 で 「 咋 」 を探し出すと、JIS第一水準に分類された漢字で、音のサク ( 漢音 ) とシャク ( 呉音 ) が示され、意味は ① 舌鼓を打って物を食べる ② 舌打ちして褒める ( 中国式 ) ③ ざわざわと喧しく喋る、とある。
  「 漢字源 」( 藤堂明保の漢和辞典。学研 ) の 「 難読 」 に逆引きはなく、「 羽咋 」 が 「 羽 」 のところに載っている。

 ここでも羽咋郵便局の風景印を。
 何とUFOが登場している。
 羽咋は 「 UFO神話の町 」 として知られ、その出現は江戸時代に遡り、当時はその 「 空飛ぶ円盤 」 を、シンバルのような仏具の名である 「 そうはちぼん 」 と呼んでいたという。

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原爆ドームを描いた広島西郵便局の風景印の初日印。

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羽咋郵便局の風景印。
気多神社と妙成寺に、なぎさドライブウエイとUFO。

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仏具の 「 そうはちぼん 」 の図。



 8月5日(月)
 先日貰ってきた北海道開発協会 ( 北海道開発局の外郭団体 ) の広報誌の表紙にラワンブキが写っている。
 本州方面の人で知る人は少ないだろうから、珍しい光景をお伝えしておく。
 ご覧のとおり、驚くほど太くて背丈も高い。
 アキタブキ ( キク科フキ属の多年草 ) の一種で、秋田にもこのような大きなフキがあるらしいが。

 ラワンブキは北海道十勝管内の足寄町 ( シンガーソングライター・松山千春の出身地 ) の螺湾川 ( らわんがわ ) に沿って自生するアキタブキで、ここのものは特に大きく、高さ2 - 3m、茎の直径が10cmに達し、「 螺湾(らわん)ブキ 」 の名で北海道遺産に指定されている。
 かつては高さ4mに及ぶものもあり、馬に乗ったままその下をくぐることもできたという。
 ラワンと聞いて、かつては南洋材のラワンを想像したが、螺湾はアイヌ語の 「 ラ・アン。ベツ=低い・所にある・川 」 あるいは 「 ラ・アン・ベツ=葛の・ある・川 」 と解釈されている。
 ラワンブキは見た目に反して実際はやわらかく食用になり、さまざまに用いられる。
 この存在を初めて知ったのは、40年も前の足寄への出張の折のことだった。

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北海道開発協会の広報誌の表紙を飾ったラワンブキ。

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その太さが実感される中記事の写真。



 8月4日(日)
   また夏期巡回ラジオ体操会場の話題。
 今日の会場は群馬県甘楽町(かんらまち)。
 これも初めて聞く地名。

 フリー百科事典 『 ウィキペディア(Wikipedia) 』 によれば、甘楽町は、群馬県の西南部、甘楽郡に属する町。
 群馬県の西南部を流れる鏑川南岸の町。中心地区の小幡は、もと小幡藩の城下町で、国指定名勝の楽山園、名水百選の雄川堰がある。昭和中期ごろまで養蚕が盛んであったが、昭和後期から平成にかけて野菜・果樹の生産量が増加し、キウイフルーツの特産地となっている。
 1959年 (昭和34年) 小幡町・福島町の東南部 ( 西北部は富岡市に合併 )・新屋村が合併し、甘楽町となる。
 今年、町発足60周年。
 平成の大合併と呼ばれる全国規模の市町村合併ブーム期には、甘楽町も近隣にある富岡市、妙義町との1市2町合併を検討していたが、2004年に行った住民投票の結果、合併反対が多数を占めたため、当時の町長が民意を尊重するという方針をとり、議会もこれを承認した。このため、甘楽町は合併の枠組みからはずれ、自立の道を選択した。

 甘楽町には、小幡(おばた)郵便局 、甘楽秋畑、新屋、福島の4つの郵便局があるが、 唯一小幡局のみ風景印を置いている。

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甘楽町・小幡郵便局の風景印。
小幡地区の古い町並みと秋畑の大椿。



 8月3日(追加)
 昨日バス停で風に漂っているフワフワした綿毛のような不思議なものを見付けて、その正体が何であるのか気になった。
 豊平公園の緑のセンターのついでの用事の一つはこの正体を確かめることだった。ところがその方面の専門知識を持つと言っても張り付いている相談員が何でも分かるという訳でもなく、答えは出なかった。
 ただ、こちらはポプラの綿毛のことが頭にあって、漠然と木に由来するものと考えていたが、草の種かも知れないという一言がヒントになった。
 そう、言われてみればいかにも草の種らしい。
 なるほどタンポポの綿毛が連想されるが、タンポポの落下傘様のものと違って、あたかもウニの刺のように小さいタネから直径4センチほどの四方八方に細い綿毛を伸ばしている。

 いつも有難く、また感心するが、インターネットの情報量は凄い。
 「 ケサランパサラン 」( 江戸時代以降の民間伝承上の謎の生物とされる物体で、白粉をエサにして増殖するとの説もある ) を連想してこれを検索のキーワードにして検索してみると、誰も考えることは同じで、すぐにアザミの種の綿毛と判明し、これを見かけたバス停の周りを捜してみると、予想通りその近くでまさに供給源のアザミの花を見付けた。
 それにしても自然のものと思えないほどの繊細な綿毛だ。

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自然のものと思えないほどの繊細なアザミの種の綿毛。

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供給源のアザミ。

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アザミの綿毛のタネが風で飛び立つ。



 8月3日(土)
 昨日のことになるが、先日のモクゲンジの話で、もう一個所承知していると書いた豊平公園 ( 1940年、帝室林野局 ( 戦後は札幌営林局 ) の北海道林業試験場として創設。その後、林業試験場北海道支場となり、1974年に庁舎が羊ヶ丘に移され、その跡地が現在の豊平公園となった。余談ながら、豊平はアイヌ語の 「 トイ・ピラ=崩れた・崖 」 の意 ) の緑のセンターにちょうど用事があって、ついでにそのモクゲンジを見てきた。

 二本並んだモクゲンジは遠目には黄色のかたまりで、今が盛りと見えたのだが、近づいてみるとピークは過ぎていて、花はだいぶこぼれて、すでにこの木に特徴的な袋状の実がかなり大きくなりかけていて、やはり7月の花だった。

 も一つついでに、去年9月の初めに見てきたレンゲショウマ ( 日本特産の1属1種の花。キンポウゲ科、レンゲショウマ属の多年草 ) を確認してきたが、丸いつぼみを付けて健在であった。
 何とこの珍しいレンゲショウマは、ラジオ体操の道すがら、隣の町内会のお宅にも一本見付けている。

 今日は町内会の夏祭り。  いつものラジオ体操の公園に模擬店が出て、夜は盆踊りもある。

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遠目には黄色のかたまりで、今が盛りと見えた二本のモクゲンジであったが。

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すでにこの木に特徴的な袋状の実がかなり大きくなりかけている。

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レンゲショウマが丸いつぼみを付けて健在であった。

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レンゲショウマ。花はまだ先のことだが。 ( 借用画像 )



 8月2日(金)
 また夏期巡回ラジオ体操会場の話題。
 今日の会場は栃木県下野市 ( しもつけし )。
 下野市は2006年 (平成18年) に、宇都宮線 ( JR東日本の東北本線のうち、東京駅から栃木県の黒磯駅までの区間の愛称 ) 沿線の栃木県南部の河内郡南河内町と下都賀郡国分寺町、同・石橋町の3町の合併により新しい市として発足している。
 下野はもともと栃木の旧国名だから、同県の 「 さくら市 」( 栃木県の中部に位置する市。2005年に塩谷郡氏家町・喜連川町が新設合併して誕生した正体不明の命名 ) などに比べれば、土地の見当が付くだけマシではあるが。

 ところで、下野は栃木県、隣の群馬県が上野 ( こうずけ。赤穂事件の仇・吉良上野介は上野の地とは無縁のようである ) で、二つ合わせて両毛 ( りょうもう。両毛線が栃木県小山市の小山駅から群馬県前橋市の新前橋駅までを結ぶ ) の名があるが、この両毛は、上毛野国 ( かみつけのくに=上野国、現在の群馬県 ) と下毛野国 ( しもつけのくに=下野国、現在の栃木県 ) の二つの呼び名に由来している。

 困ったときのワンポイントは風景印で、下野小金井郵便局 ( 旧・下都賀郡国分寺町 ) のものを掲げておく。
 地元の史跡・下野国分寺跡は、奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、下野国国分寺の寺院跡にあたる。

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下野小金井郵便局 ( 旧・下都賀郡国分寺町 ) の風景印。
「 史跡・下野国分寺跡 」 の碑と日光連山の遠望を描く。


 8月1日(木)
 今日から8月。
 8月の原稿は 「 ラズ・カバーなるもの 」。
 表題からして怪しい。

 太平洋戦争中の日本軍占領下の香港で、ポルトガル人の切手商ヘンリー・ダ・ラズによって ( スパイの嫌疑を掛けられ拷問を受けるなどの苦労を伴って ) 作成されたもので、ユニオン航空会社の航空封筒に昭和切手を多貼りして、香港の12局の消印をそれぞれに依頼押ししたもので、膨大な数が存在する ( 総数2万5千とも ) 。これらはラズ・カバーと呼ばれ、その制作や真贋 ( 戦後に、時代を遡って作成されたものも含め ) について、さまざまな疑問や話題を提供してきた。
 12局のうち、残すは難関の 「 九龍城 」 と 「 湾仔 ( ワンチャイ )」 の二局。

 今日の夏期巡回ラジオ体操の会場は北海道の網走だった。
 網走は思い出深いところ。初めての地方の赴任地で、2年半を過ごした。
 網走と言えば昭和35年に発行された網走国定公園の切手があり、その初日カバーを掲げておく。
 使用された風景印は、昭和25年7月15日~昭和62年9月30日まで使用された古いタイプの風景印で、北見郷土館 ( 現・網走市立郷土博物館。1936年竣工。昭和天皇が昭和29年の北海道巡幸の際に訪れている )、オホーツク文化のモヨロ式土器、知床半島が描かれている。

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九龍局の昭和18年3月18日の日付印を押したラズ・カバー。 ( 原寸 )
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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網走国定公園切手の初日カバー。 ( 原寸 )
涛沸 ( とうふつ ) 湖畔の原生花園のエゾスカシユリと藻琴山。



 7月31日(水)
 7月最後のこの日の夏期巡回ラジオ体操の会場は青森県の三戸町 ( さんのへまち ) だった。
 有名な八戸 ( はちのへ ) などとともに不思議な地名だ。
 『 岩手と青森にある 「 戸(へ) 」 のつく地名について 』( 「 レファレンス協同データベース 」) というサイトがある。
 これによれば、「 戸(へ) 」 のつく地名の由来には 『「 蝦夷 」 に対する防衛施設 ( 木戸・関所・城柵 ) の類にかかわる 』 という説など諸説あって定まらないらしいが、「 昔、そこに家のあった戸数による 」 と言うのはありそうでなかった ( 札幌に八軒や二十四軒の地名がある )。

 「 戸(へ) 」 のつく地名は岩手県と青森県に一戸~九戸まで揃っていて、四戸 ( 八戸市櫛引と言う説 ) 以外は、現在も市町村名として、一戸町、二戸市、九戸村が岩手県に、三戸町、五戸町、六戸町、七戸町、八戸市は青森県に立地している。

 また、二戸、六戸、九戸という市町村名は近年までは存在せず、六戸村 ( 現在、六戸町 ) は明治に、九戸村は昭和30年、旧・二戸市は昭和47年に誕生している。

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一戸~九戸の場所。



 7月30日(火)
 もう遅いか、今年は見られなかったか、と思って出かけてみたら、ちょうどよい時期だった。
 北海道には珍しいモクゲンジの木の花。
 他では豊平公園に知るのみ。百合が原公園にも一本欲しい。

 北丘珠の曹洞宗・峯光寺 ( 札幌市東区北丘珠4条1丁目17−1。グーグルマップ参照 ) のモクゲンジの木。
 10年ほど前にこの木を初めて見たときは、遠くからこの木全体が黄色の塊に見えた。時期のタイミングもさることながら、樹勢が衰えたのではないかと心配する。

 モクゲンジの話題は一昨年の当欄8月6日の日記にも書いている。それによると、モクゲンジの盛りは8月10日頃か。
 以下に、この時の解説を引用する。
 『 モクゲンジはムクロジ科の中国原産の植物とのことだが、日本では本州から九州の日本海側の海岸に分布しており、自然分布なのか意見の分かれるところという。比較的珍しい樹木だが、山口県の牛島は島全体がこの木に覆われているという。
 本州での花期は6月中旬から7月初旬。
 英名の 「 Golden rain tree 」 は、花が咲ききったあとに金色の雨が降るようにはらはらと散るこの木の特徴を捉えている。
 葉がセンダンの葉に似るので 「 センダンボダイジュ 」 とも呼ばれる。
 本来の菩提樹とは全く別の植物だが、硬い種子は数珠に利用され ( 数珠にできるような大きさではないが )、寺院にも好んで植えられることから、菩提樹の名前がつけられたという。果実は3室の袋状で、各室に1、2個の種子ができる。 』

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北丘珠の峯光寺入口にあるモクゲンジの木。
円錐花序の小さな黄色い花を多数咲かせる。

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房状のモクゲンジの花。

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モクゲンジの花。黄色の中心部は鮮やかなオレンジ。


 今日はもう一つ。ノラニンジン ( 野良人参 )のこと。
 以前は意識しなかったが、この10年急に増えだしたように感ずる。昔は全然気にならなかった。それで、近年渡来して急に増えだした外来植物ではないかと勝手に考えたが、昭和の初期に牧野富太郎博士によって見出され、現在では日本全土で見られるとあり、特に北海道では普通に見られるとあるが、以前はこの花に記憶はない。
 また、手許の 「 学生版。牧野日本植物図鑑 」 にも載っていない。

 英語では 「 アン女王のレース 」 の名がある。
ヨーロッパ、南西アジアの温帯地域を原産のセリ科の植物で、北米およびオーストラリアに帰化した。
 ニンジンはこのノラニンジンから生まれた栽培品種と聞くがにわかに信じがたい。

 傘を広げたような傘形花序で多数の白花をつける。花序の柄は10~30本もあるというが今度よく観察してみよう。
 この花に特徴的で面白いのが、傘形花序の中央にポツンと一つ黒いもの、暗紫色の小花が付いていることで、付いていない花もあるが、これが何なのか知りたいと思うが、解説したものに巡り会えず、謎だ。
 小さな虫が留まっているように見せて、別の虫を誘き寄せる役目 ( 虫媒花として ) をしているともいうが。
 ノラニンジンは膝丈くらいの低い高さで生えている所、腰の高さくらいの所、あるいは胸丈や背丈を超えるほどに伸びたものもあり、背丈がまちまちであるのも不思議に思える。

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ノラニンジンの群生。

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ノラニンジンの傘形花序の中央にポツンと一つある暗紫色の謎の小花。左の花。



 7月29日(月)
 今日の夏期巡回ラジオ体操の会場、福島県の桑折町は県の最北部、宮城県との県境の町。  桑折町の 「 こおりまち 」 は、ちょっくら読めない難読地名。
 愛用の漢和辞典、藤堂明保の 「 漢字源 」( 学研 ) は、各親字の解説の最後に 「 難読 」 として難読地名を載せている。
 それで 「 桑 」 のところにも以下の難読地名が示されている。

 いきなり熟字訓で 「 桑港 」( サンフランシスコ ) ときた。
 古い人なら知っている 「 桑港のチャイナタウン 」。
 続きで 「 桑方西斯哥 」。これもサンフランシスコだが、中国では 「 聖弗朗西斯 」 の字を当てている。「 聖 」 は簡体字の 「 経の旁 」( 経の右側の 「 又に土 」) と書いているが、「 聖 」 はサン、すなわち聖なる 「 セント=Saint 」 の意訳。あとは音の当てはめ(音訳)。

 1996年に中国とサンマリノのジョイント発行 ( 共同発行。 切手に 「 中聖聯合発行 」 の文字 ) の切手が発行されている。
 サンマリノもサンジェゴもセントルイスも皆サンフランシスコと同じ 「 セント=Saint 」 が語源だから同じく頭に 「 聖 」 の字が使われている。

 余談だが、サンフランシスコを旧金山とも書いたのは、1849年に起こったカリフォルニア・ゴールドラッシュにちなんだ名称で、当初この地方に労働者としてきた中国人たちはサンフランシスコを 「 金山 」 と呼んだが、後にオーストラリア・ビクトリア州など他の地域でもゴールドラッシュが起きるとサンフランシスコは 「 旧金山 」 と呼ばれるようになった。

 熟字訓はともあれ、他に桑原(かはら)、桑崎(かざき。静岡県富士市)、桑納(かんのう。千葉県八千代市)、桑林(くわぶろ。岡山県真庭市)、そしてもちろん「 桑折 」 も掲げられている。
 桑原(かはら)の桑崎(かざき)の 「 か 」 の音は、字音仮名遣いの 「 か 」 と 「 くゎ 」の混同からきているのではないか。

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1996年に中国で発行された中国とサンマリノのジョイント発行 ( 共同発行 ) の切手。
右側の切手の下に簡体字で 「 聖馬力諾 」( サンマリノ ) の城堡 ( 城塞 ) と書かれている。
( 画像をクリックすると拡大します )



 7月28日(日)
 いつも一週間はかかる台湾宛の書留便が、今回はたったの4日で届いた。
 通関が早かったのが要因のようだ。多くのケースを扱っている相手の台湾の人によれば、時々きまぐれに早く着くことがあるという。

 元横綱審議委員の内館牧子さんがこんな本を書いている。
 『 カネを積まれても使いたくない日本語 』( 朝日新書 )。
 「 乱れ 」 以上に、根性のねじ曲がってしまった昨今の日本語のことを書いている。

 目次で見ておくと、
 第一章は 「 ら抜き言葉 」 について。「 さ入れ言葉 」 というのもあるが。
 第二章 「 過剰なへり下り 」 の1は 「 ~させて頂く 」
 2  「 ヘンな敬語 」 でたくさんの事例を挙げ ( その筆頭に 「 さんと様 」)
 以下 「 犯罪者への敬語 」( ひょっとして、おかしな言葉を使っている御仁は、尊敬語を丁寧語くらいの感覚で受け止めているのではないか )、「 歴史上の人物への敬語 」( これは自分を上品に見せる意識がそうさせているのではないか )、「 教え子に敬語 」( 身内と外部、内と外の関係が分かっていない。それよりその向こうの親を意識しているのか )・・・
 3で 「 市民権を得た新語 」( どれも低俗なスラングの類であるが )

 第三章で1 「 あいまいにぼかす 」(「 かな 」「 みたいな 」「 とか 」「 かも 」 など続々 )
    「ある意味」「ある部分」などは、「 断定せずにぼかす 」 というよりは、旨く説明ができないために、横着に説明の省略に使っている節がある。
 そして、この係助詞の 「 は 」(「 が 」 と 「 は 」 の違いなどとして、日本語教室などで 「 格助詞 」 の感覚でその違いを教えたりしているが )、その限定的な働きが断定を避けるぼかしの気分で使われている )
 何となく周りの 「 流行 」 に染まって、自覚しないままにこの手の 「 は 」 を使っている人の何と多いことか。分別盛りの年齢層でも見事に染まってこの 「 は 」 を多用しているのは、滑稽ですらある。
 そつない受け答えで優等生と見える大リーグに行った大谷選手の話にも、この手の 「 は 」 が多いのが耳に触る。彼のためにも一言釘を刺して遣りたい。
 「 と思う 」 と 「 とは思う 」 はどう違うのか。余計な 「 は 」 の意味を問いたい。
 「 気はする 」 でなく 「 気がする 」「 気がします 」 と言わんかい。野球解説者などにこの手の歯切れの悪いのが多い。
 3 「ジョークめかして逃げる 」(「 ~だったりして 」)
 4 「 同意を促す 」(「 ~じゃないですか 」)
 5 「 何にでもくっつける 」(「 的 」 を代表に掲げているが 「 スピード感 」 などの 「 感 」 に胡散臭いのが氾濫している。本来、的や感は、「 革新-的 」 や 「 存在-感 」 のように漢語に付く接尾辞なのだが、節操なく何にでもくっつけている )

 第四章 「 ヘンな言葉 」 ではまた、いろいろな事例が挙げられている。
 「 そうなんですね 」。本来、「 そうなんですか 」 と、知らなかったことに感動をもって答えた言葉が、「 か 」 が疑いの言葉に聞こえるのを嫌ってか、同意の相づちの間投助詞 「 ね 」 に置き換えている。
 従来は「人」と言っていたところを 「 方(かた)」 という。下手すると犯罪者にまで「方」と言っている。
 「 大丈夫ですか?」。なんでも大丈夫で済ませる最近の悪いクセ。「 OK? 」 に置き換えて聞けば腹も立たなくなったが。
 「 よろしいですか 」。どうよろしいのか分からない。
 「( 袋に入れ ) てもいいですか 」。親切にやってくれることにいちいちお伺いを立てる必要はない。

 それにしても、胸クソ悪くなる言葉をよく観察し、よく書き留めたものだ。
 そして、読ませたい人間は読みもせず、読まなくても百も承知の人間が読んでいる。

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内館牧子 『 カネを積まれても使いたくない日本語 』( 朝日新書 )



 7月27日(土)
 夏休み中のラジオ体操はあちらの町内会とこちらを一日置きに出ることにして、今日は地元の町内会での初日であった。
 開催が危ぶまれた雨の中、子どもらを.中心に50人近くが集まるとは、大したものです。
 これで巡回ラジオ体操の地方が雨だったどうなるのかとふと考えたが、どこも体育館などの雨天時の室内会場を用意している。

 このところ夏期巡回ラジオ体操は九州での開催が続いたが、今日の会場は北海道、宗谷管内中頓別町だった。
 「 中頓別町110年・町制施行70周年記念 」 の開催と銘打っている。会場探し、会場の決定はそんなところにあるのかも知れない。

  国鉄旧天北線 ( 宗谷本線は音威子府 (おといねっぷ) で日本海へ出る宗谷本線とオホーツク海に出る天北線に分かれていた ) の町で、東隣はオホーツク海に面した浜頓別町。
 頓別はアイヌ語の頓別川 ( トー・ウン・ベツ=沼のある川 ) に由来する。

 宗谷本線は大正15年 (1926年) 9月に全通。
 天北線が全通した1922年 (大正11年) 段階ではこちらが宗谷本線であった。( 図参照 )
 天北線は国鉄の分割民営化で1989年 (平成元年) に廃止され、分割民営化の帰結として、今また宗谷本線自体が存続の岐路に立たされている。
 分割民営化前の最盛期には4,000Kmあったという北海道の鉄道は、今は2,500kmにまで減り、今後も 「 維持困難 」 としての不採算路線切り捨てで、半減が心配されている。

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1922年 (大正11年) の宗谷本線全通の記念印。
この段階の宗谷本線は、中頓別~オホーツク海経由~稚内までのルートであった。

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切符形の記念印部分のアップ。



 7月26日(金)
 昨日、中島公園にある北海道文学館で開催中の特別展 「( 弥次さん喜多さんとたどる江戸の旅 ) 歌川広重ふたつの東海道五十三次 ( 保永堂版×丸清版 )」 に行ってきた。
 保永堂 ( ほえいどう ) と丸清 ( まるせい ) は浮世絵の版元。

 タイトルから、出かける前の心づもりでは、歌川広重の有名な東海道五十三次 ( 実は、馴染みの永谷園のカードや、文通週間の切手に取り上げられたものは保永堂版のもの ) の原画をもとに、それぞれに製作を請け負った二つの版元が制作 ( 彫りと刷り ) したものを並べて、出来映えを比較・考察した展覧会だろうくらいに、浅はかにも考えていたのだが、それはとんでもない間違いであることを知った。
 因みに、歌川広重 (1797- 1858年) は、本名・安藤重右衛門。かつては安藤広重の名も聞いたが本来は本姓・安藤と号の広重の組み合わせはない。

 学芸員 ( 案内の人で、学芸員ではなかったが、取り敢えずのことは訊けそうなので、それで済ませてしまったのだが ) の話によれば、保永堂版と丸清版が二つ並べられた展示のとおり、有名な保永堂版 ( 一般的に馴染みの ) と丸清版とでは、そもそも原画自体が全く異なるもので、これを見る限り歌川広重の東海道五十三次は、二種類あると言うことになる。
 ところが更に驚くことには、案内の話では、歌川広重の東海道五十三次は他にも版元が二十もあり、別に二十の東海道五十三次が存在するというのだが、これはにわかに信じがたい。それならば、別の図柄の五十三次の各宿がそれぞれに二十種類もあることになって、総数55×20の東海道五十三次が存在することになってしまう。確認の用あり。

 残念だったことには、会期は6月18日から8月18日だが、前期・後期で総入れ替え ( 前期は日本橋から28番目の見附宿まで、後期は29宿・浜松宿から京師まで ) になっていたのを知る。
 当初しっかり確認もせずに、いい加減に見ていた報いだ。

 中で、39番目の宿場である池鯉鮒 ( ちりふ=ちりゅう。現在は愛知県の 「 知立 」) を知る。この歳まで、よくも知らずにいたものだ。
 ここの御手洗池という池が禁漁とされたために、鯉や鮒が多くいたことに由来するとのこと。
 なお、旧仮名遣いによる字音語の 「りふ」 は 「立」、「粒」 で、現代仮名遣いでは同じの 「りゅう」 でも、「 流・留・柳・硫 」 などは 「りう」 とされており、その理屈が未だに分からない。

 肝心な二つの版の比較を 「 庄野 」( 45番目の宿場。現在は三重県鈴鹿市 ) を例に掲げておく。
 庄野の重ね刷りの過程が展示されていて、改めて緻密な作業過程に驚く。
 その12枚の版木によって刷りを重ねていく手順は、先ず版全体の輪郭を置き、次に遠く薄墨色に風に靡く竹林、その手前に灰色の竹林、さらに葉の形も見える手前の竹、番傘や蓑の茶色、褌の青、道のうす青、落款の赤、最後に全体に降る雨の細い線を掛けるというもの。それがぴたっと収まるその技量の見事さに舌を巻く。

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北海道文学館の特別展 「 歌川広重ふたつの東海道五十三次 」 観覧券。

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「 庄野 」 といえばこの保永堂版。

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2002年の国際文通週間の切手になった保永堂版の庄野。

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馴染みのない丸清版の 「 庄野 」。あまりの違いに驚く。



 7月25日(木)
 今日の夏期巡回ラジオ体操の会場は九州、鹿児島県の南さつま市だった。
 南さつま市は、鹿児島県の大隅と薩摩の両半島のうち、西側の薩摩半島の西岸に位置する。
平成の大合併で、2005年に一帯の加世田市・笠沙町・大浦町・坊津町・金峰町の一市四町による新設合併で誕生している。例によってのかな混じりは気にくわないが、失礼ながら中核の加世田市となったところで、場所が思い浮かぶところではなかったが。

 隣接する知覧の特攻基地とともに、最後の特攻隊の出撃地、万世飛行場があり、知覧ほどではないにしろ、ここから201 人の特攻隊員が沖縄に向けて出撃している。(知覧からの出撃者は436名)
 万世飛行場は知覧飛行場だけでは足りず、急遽造成されたもので、使用期間が短かったことなどから知名度が低い。

 また、何より銘記されるべきは、鑑真の上陸地 ( 南さつま市の坊津に位置する秋目浦 ) がここにあると言うこと。天平勝宝5年 (西暦753年) のことだった。
 鑑真 (688 - 763年) は奈良時代の帰化僧。渡日を志して何回も難破に遭い、盲目になってようやく日本に辿り着き、ここに上陸した。当時坊津の名声は高く、日本にいくつかある良港の一つであった。
 このとき、帰国する四艘の遣唐使船のうち鑑真の乗った第二船は、沖縄には、6日後の21日に到着、半月滞在し、屋久島に向かい、10日後に屋久島を出帆、22日午後、薩摩半島西南の 「 阿多那秋妻屋浦 」 に到着している。しかし、阿倍仲麻呂の乗った第一船は、ベトナムに漂着し、仲麻呂は、三年掛け「長安」へ戻ったが、その後ついに日本に帰ることはなかった。
 鑑真と言えば唐招提寺を連想するが、鑑真ゆかりの唐招提寺は鑑真が天平宝字3年 (759年)、新田部親王 ( 天武天皇第7皇子 ) の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたものである。

 ところで、相変わらずの ( 選挙の度に、ロシア革命前夜のナロードニキ運動を連想してしまう。農奴制の下で苦しんでいる農民自身が社会の仕組みを理解できず、啓蒙運動も農民には伝わらなかった ) 参議院選挙の翌日、気晴らしに、うやむやの内に幕引きとなった 「 加計学園 」 にかかわる 「 国家戦略特区 」 を題材に取り上げた映画 『 新聞記者 』 を見てきた。官邸直属の内閣府という組織のいかがわしさを知らされたという収穫。

 主人公の女性記者に韓国のシム・ウンギョン ( 沈恩敬 )、内閣特別調査室に務める若き官僚役に松阪桃李。筋はともあれ、長期安定政権こそこの国には必要との信念を抱く田中哲司が演じた内閣参事官の次の言葉が印象に残った。
 『 嘘か本当かを決めるのは国民である ( 真実はどうであれ、情報操作の如何によって納得する )』、『 この国の民主主義は形だけでいい 』。
 情報操作や不都合な真実の隠蔽をやましいどころか、使命感をもって誇りとも感じているらしい人物が国の中枢で指揮棒を振るっている。恐ろしいことです。

 2014年4月に安倍内閣の下で、国家公務員制度改革の名の下に設置された 「 内閣人事局 」 が、行政の公務員人事への介入の道を開き、政府の意のままになる 「 忖度できるロボット幹部 」 を生んでいる。

 拙速主義の杜撰な政策は、今日の新聞のニュースにも、またぞろ内閣府が所管する 「 企業主導型保育事業 」 で助成金の詐欺事件を招いている。( 予算の消化、事業を急ぐあまりの甘い審査、制度設計の杜撰さが指摘されている )

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1980年に中国で発行された 「 鑑真和上像帰国巡回展 」 の三枚セット。
この年、中国で開催された唐招提寺の鑑真和上像の展覧会を記念したもの。
( 鑑真が亡くなった後、弟子の忍基よって作られた我が国最古の肖像彫刻とされる )
8分 揚州の記念堂
8分 鑑真和上像
60分 日本への渡航船 ( 遣唐使船 )

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映画 『 新聞記者 』 のポスター。



 7月24日(水)
 今日の夏期巡回ラジオ体操の会場は山梨県の甲府。
 甲府の思い出は昭和49年のことだったか。
 昭和59年だったかにも近くの勝沼に泊まった記憶がある。

 ところで、夏期巡回ラジオ体操は 夏休み期間の7月20日から8月31日までの43日間、全国43会場で開催されるから、基本的には47都道府県のほとんどに行き渡る勘定だが、実施予定地の一覧を見ると必ずしもそうでなく、北海道は広いと言うこともあってか、3個所 ( 中頓別町、網走市、蘭越町 ) が予定されている。東京も3個所あり、それ以外は残りの各県での開催となっており、予定されていないところが8県ある。

 こう書いてくると、昔の算数の応用問題(鶴亀算、流水算、通過算、植木算、年齢算・・・)が思い出され、問題にしてみたくなる。
 「 ・・・、開催が予定されていない県は何県あるか 」。
 式にすれば、47-( 43-2×2 )=8。
 2×2は東京都と北海道のダブリ分を引いている。

 先日の第三日曜日の郵趣会の定例会で、来月8月分の原稿 ( 265の香港の題材 「 ラズ・カバーなるもの 」) を渡してきたが、ストックを払ったので、取り敢えず仕掛品の「地下鉄物語(モスクワの地下鉄、東京の地下鉄)」を完成しなければならない。
 場合によっては(1)モスクワの地下鉄、(2)東京の地下鉄に分ける必要があるかも知れない。

 ソ連時代に、地下宮殿と称される荘厳な駅を持つモスクワの地下鉄を描いた切手が何回も繰り返し発行されている。その中から一番好きな1935 年の地下鉄完成記念の4枚組みのものを掲げておく。
 サイズを違えて作られた20コペイカ切手に、駅の広大な空間が見て取れる。

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1935 年に発行されたソ連時代のモスクワの地下鉄完成記念の4枚組みの切手。( 150% )
各切手に 「 МЕТРО 」 とあるのは 「 メトロ 」 で地下鉄。
( 画像をクリックすると拡大します )



 7月23日(火)
 札幌は雨が心配される空模様。
 そんな中、今日もラジオ体操に行ってきた。
 今日の夏期巡回ラジオ体操の会場は佐賀県の上峰町とのこと。失礼ながら、初めて聞く町名だ。
 平成の大合併でだいぶ市町村の数が減ったといっても、まだまだ全国には知らない町がたくさんある。おまけに、合併で誕生した市町村の名は往々にして苦し紛れの突拍子もない名が多く、何より伝統の地域名を無視して、何処にあるのか見当も付かないという名は問題だ。
 今年の夏期巡回ラジオ体操の開催会場はすでに全日程が公表されている。

 上峰町 ( かみみねちょう ) は、佐賀県の東部にある町。
 町の北部には平安時代末期の武勇・源為朝が鎮西八郎と称して九州を平定する際、城を築いた 「 鎮西山 」 があるという。
 源為朝(みなもと の ためとも)は、平安時代末期の武将。源為義の八男。源頼朝、義経兄弟の叔父にあたる。
 身長2mを超える巨体のうえ気性が荒く、また剛弓の使い手で、剛勇無双を謳われた。生まれつき乱暴者で父の為義に持て余され、九州に追放されたが手下を集めて暴れまわり、一帯を制覇して鎮西八郎を名乗る。
 「 鎮西 」 は 「 西海道 」( 現在の九州地方 ) の別名。

 ところで、ラジオ体操の空を見上げていつも思うのだが、広島の原爆のあの日の朝のラジオ体操はどうだったのか。すでに戦時下で中止になっていたものやら ( ラジオ体操は昭和3年から始まっている )。
 いや、戦時中は 『 国民精神総動員 』 の号令下、中止どころか却って国威を高める場ともされたというから、あの8月6日の朝の原爆投下の1時間半前の広島でもラジオ体操は行われていたのだろう。
 それを思うと切ない。

 話変わって、昨日届いたフランスからの封筒。
 そこにQRコードの付いた切手様のものが貼られている。メータースランプか、はたまた自動販売機による印字切手か。関係の専門部会の人にでも聞いてみなければ。

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フランスから届いた封筒。そこにQRコードの付いた切手様のものが貼られている。 ( 原寸 )

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QRコードの付いた切手様のもの。メータースランプか、はたまた自動販売機による印字切手か。
黄色い紙飛行機が3つ描かれている。 ( 150% )
( 画像をクリックすると拡大します )



 7月22日(月)
 今日の夏期巡回ラジオ体操の会場は福岡県の田川市であった。
 期間中の全日程が一覧が発表されている。

 田川市は福岡県の中央部、筑豊地方を構成する自治体の一つで、かつて筑豊最大の炭都で、炭坑節発祥の地としても知られる。
 五木寛之の小説 「 青春の門 」 ゆかりの地でもあり、また 「 明治日本の産業革命遺産 ( 製鉄・製鋼、造船、石炭産業 )」 として、2015年に世界遺産リストに登録された。

 そして思い出されるのが、山本作兵衛 (1892 - 1984年) の絵である。
 山本作兵衛は、福岡県出身の炭鉱労働者であり炭鉱記録画家であった。
 そして、その炭鉱画は日本で初めてユネスコ記憶遺産 ( 世界の記憶 ) の登録を受けた。
 どこで、何の機会に入手したものか、珍しく書き付けがないが、手許に図録 「 炭鉱 (やま) の語り部。山本作兵衛の世界 」( 584の物語 ) がある。
 この図録、田川市石炭・歴史博物館が所蔵する炭鉱記録画548点を全て収めている。
 絵には克明な説明も添えられていて、まさに大変な 「 記憶遺産 」 を目の当たりにする。
 せめて、表紙と裏表紙でその片鱗に触れていただく。

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図録 「 炭鉱 (やま) の語り部。山本作兵衛の世界 」( 584の物語 ) 表紙。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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同、裏表紙。



 7月21日(日)
 本州方面では夏休みの夏期巡回ラジオ体操( 夏休み期間の7月20日から8月31日までの43日間、全国43会場において開催 )も始まった。
 今日の会場は何と沖縄県の南大東村( みなみだいとうそん ) とのことで、夏期巡回は日替わりメニューで全国各地を巡るから、これだけでも当分話題に事欠かない。

 南大東村のある南大東島は、沖縄本島の東、約400kmに位置する大東諸島の本島。
 1900年 (明治33年) に八丈島からの移民により有人島となった。
 南大東島は隆起サンゴ礁の石灰岩でできている島で、島内には多くの鍾乳洞があるという。
 南大東郵便局の風景印を借用画像で示す。使用開始は近年のようだが確認できない。  北大東郵便局のものも合わせて引用しておく。

 今日は第三日曜日恒例の郵趣会 ( 日本郵趣協会札幌中央支部 ) の例会で、すでに張り付けている今月の原稿 「 穿孔切手について 」 を解説してきました。
 改めて読み直しても、横浜正金銀行や近年の銀行合併の推移など、参考となる関連事項が盛り込まれている。

 あまりに私事で憚るが ( ブログは固より私的な存在なのだが )、昨日は漢字の会の発表 (「 漢詩を歌う 」 のタイトルで講演 ) で、一仕事を終えてほっとしたところです。

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左の南大東郵便局の風景印 ( 星野洞と磯釣り風景を描く ) と
北大東郵便局の風景印 ( 北泉洞とこの島だけに自生するヒメタニワタリ )。( 借用画像 )( 150% )



 7月20日(土)
 今日のラジオ体操は、いつになく子どもたちが7、8人参加しており、気がつけば夏休みも近い。訊けば、夏休みは来週の金曜日からだという。

   内地は今日から夏休みが始まり ( 北海道の夏休みは本州方面と比べて期間が短く、札幌市は7月26日-8月19日)、ラジオ体操も 「 夏期巡回ラジオ体操 」 が始まった。
 巡回ラジオ体操・みんなの体操会には、「 夏期巡回 」( 夏休み期間の7月20日から8月31日までの43日間、全国43会場において開催 ) と 「 特別巡回 」( 夏期巡回の期間を除く4月から10月までの日曜日や祝日を中心に、全国10会場程度で開催されている ) がある。

 今日の会場は墨田区の錦糸町駅に近い錦糸公園で、1,400人が集まったという。
 錦糸公園と聞くと、多大な人命を奪った1945年3月10日の東京大空襲で、この錦糸公園はその犠牲者の最大の仮埋葬地となったところで、1万3000体あまり ( 1万2895体という数字がある ) が仮埋葬されたということを知る人は多くない。
 集まった子どもたちにこの話をしたら、どんな思いをするだろうか。衝撃的な話だが伝える必要があり、避けて通る話ではない。

 ラジオ体操は昭和3年のラジオでの放送に始まり、昨年で90年の歴史を刻んだ。
 ラジオ体操は切手にも登場している。
 2000年発行の 「 20世紀デザイン切手 」 第5集の中の一枚。
   20世紀は1901年 (明治34年) からで、その第1集から始まって、その第5集は昭和の始まる昭和2年から昭和3年の出来事から取材している。

 昭和の始まりは当然昭和元年ではあるが、大正天皇の崩御が1926年 (大正15年) 12月25日で、昭和元年はこの日から僅か一週間でしかなかった。
 その第5集に昭和3年のラジオ体操開始が出来事として取り上げられている。
 解説によれば、『 昭和天皇ご即位の大礼事業の一つとして、逓信省簡易保険局が国民の健康維持・増進を図るために制定した 「 国民保健体操 」 のラジオ体操が、日本放送協会の協力を得て、1923年 (昭和3年) 11月1日に始まったもの。ラジオでの放送に加え、映画・レコードの制作や全国各地での講演会の開催などの普及活動が行われたことで、国民的体操として定着し、現在この体操は 「 ラジオ体操 」の名で親しまれている。 』 とある。

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ラジオ体操の切手。2000年発行の 「 20世紀デザイン切手 」 第5集の中の一枚。 ( 200% )
( 画像をクリックすると拡大します )



 7月19日(金)
 今日届いた郵便物二つ。
 一つはイギリスからの国際郵便。
 中身相応のコンパクトなカバーで、サイズは15×8.9mm。イギリスの扱いは知らないが、日本の国内郵便物扱いの最小サイズ14×9mmとほぼ同じサイズになっている。

 普通航空郵便で、消印は読めないが向こうの投函日が7月13日であったから、今日19日はきっちり一週間で早い。そこへ行くとアメリカは遅くて2~3週間も掛かるのはどうした訳か。

 貼られた切手は、1.05ポンドと各ペンス単位の計3枚50ペンスで、計1.55ポンド(約200円)。日本からなら110円でいく。日本の国際郵便料金は安いと思う。
 イギリスは1971年に1ポンドを100ペンスとする十進法を導入 ( 伝統のシリングの単位は消えた ) し、1973年の欧州経済共同体=EC加盟後、1993年の欧州連合=EUの発足、2002年に現金通貨としてのユーロ発足後も、独自通貨のポンドを維持してきた。

 発信人の住所の記載はないが、そのグランタウン=オン=スペイは英国スコットランド北部の町。ハイランド地方を流れるスペイ川の中流域に位置する。18世紀に領主のジェームズ=グラント卿により建設され、ジョージアン様式の建物が立ち並ぶ。町の歴史を紹介するグランタウン博物館がある。釣りの名所としても知られる。

 もう一つは国内からのもので、何気なく京都 「 伏見下鳥羽 」 局の風景印が押してあって洒落ている。風景印図鑑によれば、デザインは 『 城南宮本殿と曲水の宴を描く 』 とある。
 これからは、こちらも地元の風景印を使うことにしよう。

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イギリスからのカバー。 ( 原寸 )
住所の記載なし。1.05ポンド切手と、合計50ペンスの3枚の切手を貼付。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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京都 「 伏見下鳥羽 」 局の風景印。 ( 原寸 )
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 7月17日(水)
 コンビニで、気まぐれにはるか昔以来買った記憶のない月刊誌 「 PHP 」 を買ってきた。
 No 855 号で、月刊誌であるから、何と70年も続いている勘定になる。

 その存在を知ったのは、信州大学を受験したときの松本の受験宿で一緒になった、都立北園高校出身の同じ受験生であったが、その 「 信奉者 」 で熱心に勧めてきた。彼はその後合格したようで ( 何で知ったのだろうか )、同じ部屋のもう一人は甲府一高生で彼は私と同じく不合格であったらしい ( これも何で知ったのだったか )。

 そのPHPの今月の特集は 「 毎日をおもしろくする小さな習慣 」 で、取り敢えず読んだ俳優・伊東四朗の楽天主義と言った心構えに共感した。そして、こんな事も言っている。
 『 記憶力を鍛えるために、円周率は千桁まで言えるようにしていますし、アメリカの州だって、五十州全部言える。飛行機に長時間乗ったときは、百人一首を全て覚えたこともありましたね。 』

 因みにこれを発行している(株)PHP研究所は、パナソニック株式会社の創業者である松下幸之助によって創設され、出版事業を主体に行っている出版社。
 「 PHP 」 とは、「 Peace and Happiness through Prosperity 」( 繁栄によって平和と幸福を ) の頭文字をとった語で、「 物心両面の繁栄により、平和と幸福を実現していく 」 という松下幸之助の願いのもと、1946年 (昭和21年) 11月に創設された。
 翌1947年 (昭和22年) 4月に月刊誌 『 PHP 』 を創刊した。( 以上、Wikipediaによる )

 病院の待合室で見る同じような編集の 「 ラジオ深夜便 」 ( NHKのラジオで放送されている同名の深夜放送番組のテキスト ) もいい。

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PHPの今月号(8月号)。



 7月16日(火)
 昨日、NHK総合テレビで北海道150年記念ドラマ 「 永遠のニシパ - 北海道と名付けた男 松浦武四郎 」 が放送された。先月には北海道限定で先行して放送されており、昨日はその全国放送であった。
 松本潤の主演で、深田恭子演じるアイヌの娘との悲恋物語を交え、1時間半の限られた時間に松浦武四郎を巡るさまざまなエピソードが要領よく盛り込まれて、うまくまとめ上げられていた。
 見逃した向きには、NHKオンデマンド ( 需要に応じたサービス ) という、NHKで放送された番組が見たいときにいつでも見られるという便利なサービスがある。

 中に、ヴァサイェガ渉 ( ジャニーズJr. ) が演じた市助 ( イチニカ ) も、番組の中で登場した 「 近世蝦夷人物誌 」 の中に記されている。
 「 近世蝦夷人物誌 」 は武四郎が和人の横暴とアイヌの受難を多くのアイヌの人物像を通じて記録したもので、1857年に函館奉行に提出されたが幕府の禁忌に触れて出版が許されず、世に出たのは松浦の死後20年以上たった明治45 (1912) 年になってのことであった。

 「 近世蝦夷人物誌 」 は更科源蔵の翻訳による 「 アイヌ人物誌 」( 平凡社ライブラリー 423 ) として読むことができるが、更科は 「 解説 」 のはじめでこの本のことを 『 蝦夷といわれたアイヌ民族が、どのような立場におかれ、どのような仕打ちを受けていたか、彼の数十巻にのぼる旅日記にも、それらがきびしく批評され告発されている。・・・そのヒューマニストとしての本質をまとめたのがこの「近世蝦夷人物誌」であるといえよう 』。
 そこには、豪勇、孝子、烈女、酋長・・・の百人にも及ぶ人物について、その見事な生き様が特記すべき事柄とともに描かれている。

 ドラマの中でも描かれた象徴的な場面、原稿を書き終えた武四郎が見た夢 「 富貴を極める役人達が贅を尽くした宴会の最中、一陣の風が吹くと、料理はアイヌの人肉に、盃には生き血に変わり、周囲でアイヌの亡霊が見下ろしている 」 は、この本の巻末に出ている。

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近世蝦夷人物誌の解説版、「 アイヌ人物誌 」( 平凡社ライブラリー 423 )
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 7月15日(月)
 今日は 「 海の日 」 として国民の祝日の一つとなっているが、祝日化される前は 「 海の記念日 」 という記念日であった。
  「 海の日 」 は平成7年の制定で翌年から施行され、制定当初は 「 海の記念日 」 を踏襲した7月20日だったが、平成15年の祝日法改正により、7月の第3月曜日となった。

 海の記念日は、1876年 (明治9年)、明治天皇の東北地方巡幸の際、それまでの軍艦ではなく灯台視察船 「 明治丸 」 によって航海をし、7月20日に無事横浜港に入港して、横浜御用邸伊勢山離宮へ帰着したことにちなみ、1941年 (昭和16年) に制定された。
 明治丸はその後、東京商船学校 ( 現・東京海洋大学 ) の練習船として使用され、現在は東京海洋大学越中島キャンパスに保存されている。

 明治天皇の東北地方巡幸に伴う 「 明治丸 」 の北海道への来航 ( この時の来道は東北地方巡幸の帰路、7月16日の函館上陸、18日の離函の僅か三日であったが ) については、2004年12月第89号 『 明治天皇の函館上陸記念碑 』 の中でその経緯に触れており、また2016年3月第224号 『 東京商船学校練習船月島丸 』 でも再び引用して触れている。
    「 海の記念日 」 の由来となった明治丸の誕生については、明治初頭、洋式灯台の普及に伴って、その測量やメンテナンスのために新鋭の 「 灯台巡視船 」 が必要となったため、日本政府はイギリスの造船所に本船を発注した。1874年に竣工し 「 明治丸 」 と命名された本船は、翌1875年に横浜港に到着し、灯台巡視船の任に就いた。
 「 明治丸 」 は、当時の日本国内における最優秀船であったため、通常の灯台見回り業務の他にも様々な活動を行い、御召し船としても用いられた

 後進の就役により、「 明治丸 」 は1897年に商船学校 ( 現・東京海洋大学 ) に貸与、移管され、係留練習船として操帆訓練などに用いられた。
 1901年に現在の東京海洋大学・越中島キャンパスに移動し、1923年の関東大震災や1945年の東京大空襲の際には罹災者の収容に当たっている。

 1954年に老朽化のため練習船の任務を解除された後も1975年頃までは結索実習などに船内が使われ、1978年には船として初めて国の重要文化財に指定され、2015年の大規模修復工事を経て、今日では傍らの明治丸海事ミュージアムとともに、曜日限定で一般公開されている。

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東京海洋大学・越中島キャンパスに陸上保存されている明治丸。



 7月13日(土)
 アイヌ語関係のことを書いていて、北海道博物館でアイヌ語地名関係の特別展が開催されていることを思い出して出かけていった。
  「 アイヌ語地名と北海道 」( 7月6日~9月23日 )。
 北海道博物館は札幌市の郊外、野幌森林公園の一角にあって、ここまで来るともう札幌市とは思えない。
 このところ珍しく野幌森林公園にクマが出没しており、博物館の入口のドアにも注意を呼びかける張り紙が貼られていた。

 今回の特別展の開催に当たっては、多くの関係団体や個人による展示・企画また構成の実行委委員会が組織され、準備作業が行われている。
 また、地名の記された多くの実測地図とその製作に携わった人たちの野帳、著作など中心とした資料が、道内 ( 北海道博物館、北大図書館、道立文書間、函館中央図書館など ) は固よりこれらを所蔵する多くの関係機関 ( 東京国立博物館、千葉県佐原伊能忠敬記念館、東京。立川の国文学研究資料館など ) の協力の下に集められ、貴重な資料が一堂に会することになった。

 中でも、アイヌ語地名研究に大きな足跡を残した山田秀三の調査記録に圧倒され、また昭和11年の昭和天皇の来道に際して製作され天覧に供されたという吉田初三郎による大きな屏風仕立ての北海道鳥瞰図 ( 北海道博物館蔵 ) が圧巻であった。
 開催期間中に多くの講演会も予定されており、いくつかを選んで足を運びたい。

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北海道博物館の特別展 「 アイヌ語地名と北海道 」 無料入場記念券。

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縦2メートル、横6メートルの巨大な屏風に仕立てられた北海道鳥瞰図。
とてもその迫力は伝えられないが。
( 画像をクリックすると拡大します )



 7月10日(水)
 いま札幌はラベンダーの季節を迎えている。

 毎朝、向こう隣の町内会のラジオ体操会に出かけている。
 そして、頼まれて毎週話題提供のB5一枚の資料を提供している。
 昨日配ったのがその7になる 『 表札のような 「 石敢當 」』というタイトルの一文だった。
 冒頭の部分を引用すると、
 『 ラジオ体操の道すがら、珍しい名の表札に気がついた。
 「 石敢當 」 とあって、先ず何と読むお宅かと首を捻った。
 ところがこれは表札ではなく、魔除けのお呪 ( まじな ) いであるということを知った。 』

 調べてみると、中国から伝わって沖縄で定着している風習で、沖縄県では 「 いしがんどう 」、鹿児島県にも少ないながら存在していて、こちらでは 「 せっかんとう 」 と呼ばれている。
 そもそも石敢當が沖縄で丁字路や三叉路に設置されるのは、直進する性質を持つ魔物 ( マジムン ) が、丁字路や三叉路で突き当たってその家に侵入するものと信じられていて、そのため、丁字路や三叉路などの突き当たりに石敢當を設け、魔物の侵入を防ぐ魔よけとするのだといい、魔物は石敢當に当たると砕け散るとされる。
 転じて今では車避けの意味合いが強いのではないだろうか。
 ラジオ体操の道すがら見付けた三叉路のお宅は、沖縄との縁があってこれを知り、札幌では珍しいこの 「 石敢當 」 を掲げるようになったものと思われる。

 「 石敢當 」 の 「 敢 」 を 「 あえて 」 と読んで、どうも意味が通じかねると中国人留学生に教えを請うと 『 泰山の石には、勇気と能力 ( 敢 ) があって、悪魔と対抗する ( 当=阻 )』 との答えが返ってきた。
 今のような標札ではなく、本来は御利益のある聖山・泰山の石を据えていたようだ。

 「 石敢當 」 の話を伝えると、ラジオ体操会の仲間の人が、これとは別に珍しい苗字を知っているというので、今朝、ラジオ体操の帰りに案内して貰った。
 「 岨 」 という一字の苗字。これは初めてお目に掛かる。「 嶮岨 」 の 「 岨 」 だが、苗字としての読み方は分からない。
 「 名字由来net 」 という便利なサイトで調べて見ると 「 岨 」 の読みは 「 そわ、いしやま、くき、そう、そね、そば 」 といろいろあって、こればかりはご当人に訊いてみなければ分からない。全国順位 21,059位、全国人数 およそ210人とある。
 因みに 「 且 」 を旁に持つ漢字はいろいろあるが、租税の 「 租 」、祖先の 「 祖 」、阻害の 「 阻 」、組織の 「 組 」 、おまけに 「 荻生徂徠 」 の 「 徂 」 もあり、音はみな 「 そ 」 だが、訓になると難しい。

 偶然通りがかった近所の人に尋ねてみるとうまい具合に親戚とのことで、 「 がけ 」 という読みであると聞くことができた。
 おまけに、示されている以外の読みときている。また 「 山の墓 」 の意味との言い伝えもあるとのことだったが、こちらは辞書でも確認できなかった。
 漢和辞典には 「 岨 」 は ① いしやま ② けわしい の二つの意味だけが示されている。

 三段構えになるが、「 石敢當 」 の話を書いたあとで、ラジオ体操の道すがら、これまた珍しい苗字を見付けていて、これをもとに次の一作 「(8)苗字の話 」 を書き上げていたところだが、その苗字というのが 「 帆加利 」( ほかり ) さんで、こちらは全国順位 92,854位、全国人数およそ10人 と、「 岨 」 さんに輪を掛けてさらに珍しい。

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 いま札幌はラベンダーの季節を迎えている。 ラベンダーの大きな株。

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石敢當の標示のある三叉路の家 ( 正面 )

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表札のような 「 石敢當 」 の標示。

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「 岨 」( がけ ) さんの表札。

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「 帆加利 」( ほかり ) さんの表札。



 7月7日(日)
 今日は七夕でした。
 札幌の七夕は旧暦で8月なので実感がありませんが、今日の札幌は晴れ渡って、牽牛と織女の二人が年に一度の逢瀬を楽しむことができたようで何よりでした。
 余談ながら、道南の一部を除いて竹のない北海道では七夕飾りに柳の枝を使います。

 この欄をしばらくご無沙汰してしまいました。
 東京から戻って、ようやく今回の東京の記録をまとめて 「1 コレクション コーナー」の「(2)新作リーフ」の「53 19年6月 東京日記 (2019年6月)」に張り付けたところです。
 今回のハイライトは広島遠征で、広島平和記念碑 ( 原爆ドーム ) と厳島神社の二つの世界遺産に触れることになりました。

 この間にまず、12日が締め切りの漢字の会の作問コンテスト応募 (「 日本語で呼称される様々な色について 」) の作業を急ぐ必要があり、次に20日に迫った会員発表 (「 漢詩を歌う 」) のパワーポイント画像の整理と原稿の仕上げが急がれ、これをひとまず片付けたところで、早速 「 東京日記 」 のまとめに取りかかったという訳で、こちらの欄には手が回りませんでした。

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間近に見た原爆ドーム。



 7月2日(火)
 昨日1日に東京から戻って、もう7月。
 今回も広島への遠征 ( 原爆ドーム・平和記念館、安芸の宮島の厳島神社と二つの世界遺産をいっぺんに見てきた旅 ) をはじめ、潮来の十二橋めぐり、三浦半島など、一日とて無駄なく過ごした12日間でした。
    あとから 「 東京日記 」 に足跡をまとめます。

 慌てて、7月の原稿を貼り付けます。
 「 穿孔切手について 」。
 冒頭に書いているとおり、昔のストックブックに見付けた穿孔切手を題材にしたものです。
 この題材で、間口も広いが奥も深いという切手の世界をつくづく感じます。

 試みにイーベイで 「 Perfin 」( 穿孔切手 ) を検索すると数限りなくヒットして、外国でも盛んに行われていた ( いや現役であるかも知れない ) ことを知る。
 「 Japan 」 で絞り込んでも相当数がヒットして、国内で捜すより効率がいい。
 「 日本記号入り切手カタログ 」 を片手に、珍しいものを捜す楽しみもできた。

 穿孔切手の例を一つ選ぶならこれ。
 旧中国 ( 清代~中華民国時代 ) の限省加刷切手の新省 ( 新疆地方 ) 貼用切手 ( 各種の普通切手に 「 限新省貼用 」 と加刷 ) に 「 公文貼用 」 と穿孔されたものがある。
限省加刷切手は、中国各地で軍閥の抗争が繰り返され、全国的に統一した通貨や経済基盤を持つことができなかった時期に、都市部と地方の通貨価値に大きな差が生じ、地域間での為替差損益による不正使用を防止するために、使用を地域限定にするための地方名を入れる加刷を行った。

   この 「 公文貼用 」 切手は、1915年から1940年まで北京の郵政総局で穿孔して迪化局 ( てきか。中国新疆ウイグル自治区の主都ウルムチの漢名 ) に支給され使用された。

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「 公文貼用 」 と穿孔された切手の表裏。( ジャンク3分の 「 限新省貼用 」 切手に穿孔 ) ( 200% )



 6月19日(水)
 明日から上京してしばらく留守にします。
 このところ来訪者数の低迷が残念なところではありますが、あくまでも第一義は自らの研鑽であって、結果は付随して出てくるものと心得て、「 倦まず弛まず 」 続けてまいります。

 先日、珍しくコンビニで見付けて買った本。
 ビジュアル百科 「 天皇の歴史 」( 西東社 )。
 ハウツウ本の類だが読みやすく為になる。
 今回の上京のいい道連れになりそうです。

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ビジュアル百科 「 天皇の歴史 」( 西東社 )



 6月17日(月)
 昨日の例会は、年に一度のアイヌ語地名研究大会と重なってしまい、やむなく欠席しました。
 それで、欠席連絡に以下のメッセージを送りました。

 『 2月の上京の折は3月10日の東京大空襲の慰霊の日を控えた時期で、偶然訪れた 「 すみだ郷土文化資料館 」( 墨田区 ) では東京大空襲の企画展を開催中でした。
 当時の本所区と向島区を合わせた墨田区は戦死者の数、焦土となった割合ともに一番高かった地域で、本所区にあった父方の三代以前の戸籍はこのときに本所区役所とともに永久に失われました。
 ちょうどタイミングでNHKの連続テレビ小説 「 なつぞら 」 が始まりましたが、日本各地の空襲や戦死などで両親を失った、その主人公 「 なつ 」 と同じ12万3千人もの戦災孤児が生まれています。
 江別市の角山に終戦間際になって空襲を逃れた東京の世田谷からの一団が入植した地区があり、その地区は今も 「 世田谷 」 の名を残しています。
 このドラマに出てくる 「 なつ 」 の幼なじみの山田天陽のモデルとなった、あの絶筆となった描きかけの馬の絵で有名な神田日勝も、戦時疎開で東京市板橋区練馬 ( 現・東京都練馬区練馬 ) から鹿追町へ疎開した人でした。
 20日から7月1日までまた上京します。
 前回の上京でうっかりした、江東区に常設の 「 東京大空襲・戦災資料センター 」 にも寄ってくるつもりです。
 なお、4頁の ( 追記2 ) の5行目の 「 戦災者北海道集団機能計画 」 の 「 機能 」 は 「 帰農 」 の誤りですので訂正願います。以上、よろ しくお伝えください。     木 村 』 

 アイグン条約のアイグン ( 愛琿 ) の、アムール川を挟んだ対岸のブラゴベシチェンスクに触れたところで、ロシア極東共和国のリーフからブラゴベシチェンスク版の関係部分を切り取ってアップします。

 ロシア極東共和国は、1920年3月7日、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国のソビエト政権が日本のシベリア出兵に対峙すべく緩衝的に設けた政略的に設けた、短命に終わった特異な国家で1922年11月19日まで存在した。
 なお、このことについては、ホルダー 「 5 豊かな日々のつれづれに 」。「 郵便趣味の楽しみ(その五) 極東共和国について 」。185 ~190頁をご覧ください。

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ロシア極東共和国で1921年に発行された、ブラゴベシチェンスク版の5種セットの切手。 ( 原寸 )
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 6月13日(木)
 プロ野球にそう執着はないが、地元のチーム ( 北海道日本ハムファイターズ ) というだけで何となく応援する気になるのは何かにつけても共通する単純な心理で、それでも応援のモチベーションになるのだから、まんざら捨てたものでもない。
 ファイターズはこのところ好調で、目下開催中のセパ交流戦で6勝2敗でトップに立っている。
 そして昨日の広島戦では、金足農林のエースだった吉田輝星のプロ初の先発登場で球場を湧かせ、吉田はめでたく1勝を挙げた。
 それはいい。ただ、「 輝星 」 の 「 こうせい 」 が最近の名前の勝手読みの一つになっていて気に入らない。
 「 輝 」 の音は 「 き 」 であって、「 輝 」 の字に 「 こう 」 の読みはない。
 似た字に 「 琿 」 の 「 こん 」 があり、これと混同したか。それでも琿は 「 こん 」 で 「 こう 」 ではない。
 「 琿 」 の部首は漢和辞典では 「 王 」 と 「 玉 」 の二通りで表示されているが、「 珍 」、「 琥珀 」、「 珊瑚 」、「 球 」、真珠の 「 珠 」 などに見るとおり、すべてギョク 「 玉 」 が由来であり、偏になるときは 「 王 」としているが、王の意味とは関係がない。よってうるさく言えば 「 たまへん 」 となるのだが、一般には見た目から 「 おうへん 」 で通用している。

 この 「 琿 」 の字、日本では馴染みがないが、吉林省の東端、朝鮮国境に近くに 「 琿春 」( こんしゅん ) があり、何より愛琿 ( あいぐん ) 条約の 「 琿 」 として承知されている字で、こちらは旁の 「 軍 」 の字に惑わされてか 「 ぐん 」 と呼び習わされている。
 なお、現在では本国中国では 「 愛琿 」 は 「 愛輝 」 と書き換えられている。
 「 愛琿 」 は現・黒竜江省黒河市で、関係部分の地図をアップして示す。
 黒竜江 ( アムール川 ) を挟んで、愛琿と向かい合うロシア側の町はブラゴヴェシチェンスク ( 布拉戈維申斯克 )。
 ここは1900年 (明治33年) の義和団事件の混乱に乗じて、ロシアがアムール川左岸 ( ロシア側 ) に認められていた中国人居留地を襲った黒竜江事件の舞台になった。

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黒竜江省黒河市 ( 愛輝=愛琿 ) と対岸のブラゴヴェシチェンスク ( 布拉戈維申斯克 ) および中ロ国境周辺の地図。



 6月10日(月)
 8日の当欄で書いた「 足底筋膜炎 」で大事を取って、昨日、一昨日とラジオ体操を休んだ。今日は三日ぶりで参加したが、往復は車にした。
 体操に出かけようという者が、距離があるとはいえ車とはおかしな話ではあるが。

 ひょんなことから、ラジオ体操の会で話題提供 ( 話すというのも何なので紙で配る ) することになって、昨日は次回の5作目になる 「 丘珠町周辺の川 」 を一気に書き上げた。
 2日の当欄で話題にしたキショウブの咲く 「 丘珠5号川 」 のことがきっかけになった。
 いつまで続くか分からないが、それなりの量になったら 「 ラジオ体操会の話題 」 とでもタイトルした新しいホルダーを作って、張り付けることにしたい。

 『 伏籠川は歴史的にも重要な河川で、旧札幌村の中央を貫流し、開拓時代には石狩と札幌本府 ( 開拓使本庁を含む札幌の中心 ) を結ぶ重要な水路 ( 大友堀の開削 ) となっていた。
 そしてその昔はこの伏籠川が豊平川の本流であったと聞いて驚くが、琴似川、篠路川を合わせて石狩川本流に流入する大河 ( サッポロペツ。札幌の語源 ) であった。それが、江戸の文化年間 ( 1800年代のはじめ ) に当時の豊平川に大氾濫が起こり、この時、近くを流れていた対雁川につながって、対雁川が本流になって ( 新札幌川 )、これに対して ( フシコサッポロペツ=古い札幌川 ) と呼ばれるようになった。

 本流から途切れた伏籠川は環状通東駅近くの大友公園などのメム ( 湧き水 ) を水源とする川になったが、その後に周辺工場の廃液が流れ込むようになり、順次上流から埋め立てられていったが、昭和43年に札幌中学校近くに伏籠川汚水処理場が完成し、清流が再び甦った。
 ところで、東西に走る丘珠空港通りを横切るように、いくつもの小さな川が南北に流れている。以下、順次見て行きたい。 』 として、
 丘珠空港通りに沿って、伏籠川、丘珠5号川と並行して流れる丘珠川、丘珠藤木川、苗穂川について触れた。

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今朝の伏籠川。
正面の山は藻岩山。
『 今はアシが伸びコウホネが茂り、やがてそれらの根株でコイたちが組んずほぐれつ
バシャバシャと飛沫を上げて賑やかに産卵の時期を迎える。 』
4月28日の写真と見比べてみてください。



 6月8日(土)
 昨日、久しぶりに北大植物園に行ってきた。
 左足の踵に10日ほど前から痛みがあり、庇って歩くのでは存分に見て回ることはできなかったが。
   帰ってからかかりつけの医者に見て貰ったら 「 足底筋膜炎 」( 最近負荷を掛けた覚えもないのだが ) とのことで、大したものではないが安静にとのことで、今朝のラジオ体操は見合わせた。

 調べてみると足底筋膜炎は、『 朝起きての数歩がとても痛いがそのうち軽くなってしまう、長い間座り急に歩き出すと痛む、かかとの骨の前方内側を押すととても痛いところがある、などが足底筋膜炎の特徴 』 とあって、まさに書かれたとおりの症状だ。
 『 刺激を避けて自然治癒を待つ 』 のが基本とのことで、下旬の上京を控えて、貰った湿布で養生に努めたい。

 北大植物園は札幌農学校教頭のクラークが、1877 (明治10) 年に開拓使に対し植物学の教育には植物園が必要であると進言したことにより開拓使によってつくられた博物館 ( 明治15年竣工 ) とともに植物園用地 ( 現在地 ) が札幌農学校に移管され、のちに初代園長となる宮部金吾が計画・設計し、1886 (明治19) 年に開園している。

 その北大植物園にまつわる古い絵はがき。
 キャプションに 「 東北帝国大学農科大学植物園及び博物館正門 」 とある。
 「 東北帝国大学農科大学 」 は北大の前身。札幌農学校が1907年 (明治40年) から東北帝国大学農科大学となり、1918年 (大正7年) に北海道帝国大学の移管となるまで続いた。

 入口に傘を差したりした袴姿の女学生と覚しき一団が写っている。
 残念ながらただの絵はがきで時期を特定する記載もない。
 これが郵便として使用されたものであれば、消印で時期が特定でき、貼付された切手も含めて郵趣的な価値を持つのだが。

 今回の植物園では、痛い足を引きずってゆるゆると歩き、それでも奧まったところはともかく、ひととおり回ってきた。
 入園料420円はいささか高め。昔は無料だったのに。
 また、外国人来園者も多く、高い入園料を取るくらいならただの切符でなく、記念になる入園券を発行したらいいのに。

 正門から入ってまず左手に行って温室を見てから高山植物園、ロックガーデンを見てバチラー記念館から博物館 ( 日本で唯一のエゾオオカミの雌雄の剥製を見る。明治12年と14年に現在の札幌市内 ( 白石、豊平 ) で捕獲されたもの。ニホンオオオカミから想像するよりはるかに大きい )、博物館で南極探検のタロの剥製と久しぶりに面会して、宮部金吾の記念館をかすめて、入口の管理棟の二階にある北方民族資料室 ( アイヌ民族関係史料を展示 ) を今回初めて見たが、イヨマンテ ( 熊送りの儀式 ) の貴重な記録映像が放映されていた。

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「 東北帝国大学農科大学植物園 」 の古い絵はがき。1907~1918年。 ( 125% )

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現在の北大植物園の正門。

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北大植物園のパンフレット。

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博物館 ( 正面にヒグマの剥製 ) と後方にバチラー記念館。
バチラー記念館はジョン・バチェラー ( イギリス人宣教師でアイヌの研究家 ) の自邸。
1940年に帰国するまで住んでいた。その後北大に寄贈され、植物園内に移築された。

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横に長く枝を張る千島のグイマツ ( シコタンマツ )。



 6月7日(金)
 今時期の札幌の季節の行事としてすっかり定着した 「 YOSAKOIソーラン祭り 」 が今年も始まっている。6月5日(水)~9日(日)。
 今年で第28回を迎えたYOSAKOIソーラン祭りは、「 YOSAKOIソーラン祭り公式サイト 」 によれば、『 高知県の 「 よさこい祭り 」 をルーツに、よさこい祭りの 「 鳴子 」 と北海道の民謡 「 ソーラン節 」 をミックスして1992年に札幌で誕生した 』 もの。
 チーム毎にオリジナルのそろいの衣装で、それぞれにソーラン節をアレンジした曲に合わせてそれぞれの会場で踊りを披露し、大通り会場のコースで審査の演舞を競う。
 YOSAKOIソーランに参加のルールは以下の二つ。
 ① 手に鳴子を持って踊ること。
 ② 曲にソーラン節のフレーズを入れること。
 それ以外は、踊り・曲・衣装などはチームの自由となっている。
 大音響や暴走族紛いの派手な衣装にはマユをしかめたくなるものもあるが。

 これが終わると、伝統の北海道神宮例祭 ( 札幌まつり ) がやってくる。
 現役時代の職場に、町の中心部を練り歩く神輿渡御のお囃子が聞こえてくると、アカシアの花とともに、いかにも季節を感じるのだった。

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爽やかな初夏の日射しを感じさせる昭和初期の札幌駅前通りの絵はがき。
札幌のシンボルのアカシア並木と左手前にグランドホテル ( 昭和9年建設 )。
右手前のビルは昭和10年建設の帝国生命、その奧は大同生命 ( 昭和8年建設 )。
大同生命ビルはこの後、昭和50年に第二世代のビルに立て替えられ、更に第三世代のビルが来年3月の完成を目指して目下建設中。



 6月5日(水)
 今朝のラジオ体操は休みにした。
 昨日の晩のアイヌ語の勉強会はヤケに眠かった。
 最近の寝不足気味に加えて、何の拍子かこのところ左足首に痛みがあり、そんなこんなで今日は休むことにした。

 それにしても、毎年5月の初めから10月終わりまで半年続けられる、向こう隣のこの町内会のラジオ体操は発足して30年になるといい、当初からのメンバーは30年この方、毎朝欠かさず参加してきたとなれば、大変な記録である。

 つい先日、思い出したように札幌龍谷高校 ( 中央区北4条西19丁目 ) 前のベニバナトチノキの並木を見に行ってきた。
 札幌龍谷高校 ( 札幌龍谷学園高等学校は、1963年開校のもと札幌女子高等学校。1995年に校名を変更し、男女共学となる ) の正面から真っ直ぐ西に伸びる道路 ( 北4条の西20丁目から西21丁目にかけて ) の両側に、ベニバナトチノキが盛りを迎えている。

 この場所にベニバナトチノキが植えられたのは、1982 (昭和57) 年のことで、地域の人々が環境保全のためにと札幌市に要請し、高さ2~3メートルの幼木を約60本、植えることになったものという。
 太いものでは一抱えもあり、胸あたりの高さで直径60cmほどにもなっている。
 ミツバチの蜜源にもなっていることだろう。

 記憶では5年前ほどにも訪れて、この写真日記にも書いていた筈なのだが、関係のホルダーで捜したが見あたらないのがミステリー。

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ベニバナトチノキの花。

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札幌龍谷高校前のベニバナトチノキ。

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札幌龍谷高校の正面から真っ直ぐ西に伸びる道路の両側に、ベニバナトチノキの並木。

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札幌龍谷高校前のベニバナトチノキの並木。正面に札幌龍谷高校。



 6月3日(月)
 戦前の朝鮮・開城 ( ケソン ) の風景印。
 戦前の朝鮮の風景印は京城、平壌ほかの主要都市に、仏国寺や金剛山などの観光地を合わせて約100局を数える。
 因みに、昔から朝鮮は朝鮮八道 ( 李氏朝鮮=朝鮮王朝が朝鮮半島に置いた8つの道=行政区画 ) といって八つの区域に分けられており、現在の韓国と北朝鮮の行政区画の基礎にもなっている。

  それは、韓国側の京畿道 ( キョンギド ) ソウルと仁川を除いた地域。道庁所在地は水原市。
  忠清道 ( チュンチョンド、北道・南道 ) 大田
  慶尚道 ( キョンサンド、北道・南道 ) 慶州、大邱、釜山
  全羅道 ( チョルラド、北道・南道 ) 光州
  以下、北朝鮮側。   江原道 ( カンウォンド ) 元山
  平安道 ( ピョンアンド、北道・南道 ) 平壌、新義州
  黄海道 ( ファンヘド ) 開城
  咸鏡道 ( ハムギョンド、北道・南道 ) 清津

 図案説明に『 儒臣鄭夢周が暗殺された善竹橋に碑閣と人参 』 とある。
 碑閣 ( ピガッ ) は碑を保護するために建てられた建物。
 開城局の風景印の使用初日は昭和6年10月20日であるので、この昭和7年1月13日の消印は約3ヶ月後の使用と言うことになる。

 開城市 ( ケソンし ) は、朝鮮民主主義人民共和国 ( 北朝鮮 ) 南部にある都市。高麗の王都として、また商業の中心として栄えた古都である。
 朝鮮八道では京畿道に属し、朝鮮半島の主要都市の中では、最も板門店に近い位置にあり、市域の東はそのまま軍事境界線になっている。
 開城市街地から、板門店までの距離は8km。典型的な城郭都市であり、歴史的に商都として知られ、市内には高麗時代の遺跡が多く残っている。
 市街地周囲は松嶽山 ( 海抜489m )、子男山など松の多い山に囲まれているので松都と呼ばれる事がある。
 韓国政府の協力により2000年代以降工業団地の建設が進み軽工業が盛んで韓国企業も多く進出した。しかし韓国との関係悪化により工業団地の生産が停止されるなど不安定な状況である。
 朝鮮人参 ( 高麗人参 ) の産地としても有名で、人参酒は北朝鮮の主要な輸出品となっている。

   儒学の最高教育機関であった 「 成均館 」 が残るほか、王建王陵、観音寺、高麗王宮の宮殿の基壇跡である満月台、開城南大門などがこの街の歴史的な見所であるが、この風景印にも描かれた、旧市街に架かる石橋の善竹橋は高麗に忠誠を尽くした学者・政治家の鄭夢周が李成桂 ( 李氏朝鮮の創始者にして初代国王。前高麗王朝に取って替わった ) 側の人物に暗殺された場所として名高い。

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戦前の朝鮮・開城 ( ケソン ) の風景印。
日付は使用開始から約3ヶ月後の昭和7年1月13日。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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朝鮮八道、区分地図。



 6月2日(日)
 ラジオ体操へ行く道すがら、この間中島公園で見たキショウブを見つけた。
 いつも通るコンクリート固めの小川だが、花はその短い開花時期に巡り会わないとその存在に気づかない。
 ここでは、秋にはホットドッグのような形をした蒲の穂を見かける。

 川の名を確認すると 「 丘珠5号川 」 と無粋な名前がついている。
 この辺りは住宅に囲まれて肩身を狭くしているが、これから下流は丘珠空港と丘珠空港緑地の境を流れ、そこではまた昔の自然河川の姿を取り戻している。

 「 いずれがアヤメ、カキツバタ 」 という。牡丹と芍薬もそうだが、アヤメとハナショウブ、カキツバタの区別が付かない。アヤメとショウブはどちらも漢字で書くと 「 菖蒲 」 でこれまたややこしい。
 そこでくやしいから、アヤメとショウブ、カキツバタの見分け方を調べてみた。

 まず、端午の節句の菖蒲湯に使うショウブは切り離して考える必要がある。
 中国では古来より、ショウブの形が刀に似ていること、邪気を祓うような爽やかな香りを持つことから、男子にとって縁起の良い植物とされ、家屋の外壁から張り出した軒 ( のき ) に吊るしたりした。これが日本にも伝わり、奈良時代から端午の節句に使われ始め、「 しょうぶ 」 の音から 「 尚武 」 の字も当てられ、軒先に魔除けとして吊るしたり、風呂に入れる習慣が伝えられてきた。ショウブ科ショウブ属 ( 旧来はサトイモ科に分類 ) の植物で、花を観賞するハナショウブ、アヤメやカキツバタなどのアヤメ科アヤメ属の植物とは、葉っぱが似ているために名前が混同されたが、花も全く異なり地味である。

 あとの問題になるのは 「 いずれがアヤメ ( 菖蒲 )、カキツバタ ( 杜若 )」 のアヤメとハナショウブ、カキツバタの区別で、以下のとおり。
 八紘学園や、いわゆる各地の 「 菖蒲園 」 にあるのがハナショウブ。色様々に花の種類も多いが、どれも 「 花弁の根元のところに黄色い目の形の模様 」 がある水辺の植物。
 カキツバタ ( 杜若 ) はあまり種類は多くないが、「 花弁の弁の元に白い目型の模様 」 があるのが特徴。
 アヤメの種類は多くないが 「 葉の模様や花びらに網目状の模様 」 の 「 文目 ( あやめ ) が語源となった。アヤメだけは他と異なり畑のような乾燥地で育つ。
 英語名、アイリスは西洋アヤメ。
 近年では乾燥に強く、色とりどりの花を咲かせるドイツアヤメ ( ジャーマンアイリス ) を身近によく目にするようになった。

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「 丘珠5号川 」 のキショウブ。

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キショウブの花。



 6月1日(土)
 今日から6月。
 6月の原稿は 「 東京大空襲と関東防空演習記念印 」。
 2月下旬から3月初めにかけての上京時、また巡ってくる3月10日の東京大空襲の日を控えて、一番大きな被害を出した墨田区 ( 当時の墨田区は戦死者の数とともに焦土となった割合が一番高かった地域で、本所区の焼失区域は実に96%、向島区は56%であった ) の 「 すみだ郷土文化資料館 」 で 、「 東京大空襲 」 の企画展 ( 2月23日~4月14日 )を開催中で、これに触発されて戻ってすぐにこの原稿にとりかかったのだった。
 ワンポイントに、早乙女勝元の「 写真版 東京大空襲の記録 」( 新潮文庫 ) を掲げておきます。

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早乙女勝元の 「 写真版東京大空襲の記録 」( 新潮文庫 )。



 5月31日(金)
 昨日触れたフィンランドのサウナの切手というのがこれ。
 1949年5月に発行されたフィンランドの赤十字募金の附加金付き切手。
 各切手の絵柄は、
 5m+2mは、サウナで体を叩くための白樺の枝を束ねている。
 9m+3mは、サウナに入る人。
 15m+5mは、田舎の浴場。
 30m+10m体を冷やすのに湖に飛び込む。
 凹版の立派な切手です。

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1949年5月に発行されたフィンランドの赤十字募金の附加金付き切手。
サウナにかかわる絵柄のセット。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 5月30日(水)
 先日24日に発行された日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念の10枚シート構成の切手10種。淡い色調の好ましい切手。最近のヒット作の一つに数えてもよい。
 絵柄と言い、雰囲気と言い、あちらの人のデザインで、同一デザインによるジョイント発行かと思ったが(それでは「日本」が出てこない)、フィンランドでは日本をテーマにした全く異なるデザインの切手が発行されている。

 まず、日本側の10種10枚シート。発行の説明によれば、デザインの作者は切手デザイナー中丸ひとみとある。
 タテ長で、収まりづらいので分割して掲載したが、上の二枚は、フィンランドのシンボル、ログハウスとフィンランドの代名詞にもなっているサウナ。昔発行されたサウナの切手がどこかにあったはず。
 そして、二・三段目に池のように描かれているのが「森と湖の国」フィンランドの湖だが、こればかりは雰囲気がちょっとずれる。
 ベリー摘みやキノコ狩りがあって、トナカイがいて、クマも出て、そして野外での食事。可愛らしい切手で、心和む。  

   一方、フィンランド側では日本を材料にした二枚連刷の切手が二種、10枚構成のシートで発行されているが、こちらは賑やかすぎてどうもいただけない。
 日本のイメージといえば、まずマンガであり、カラオケであり、寿司なのだそうだ。
 一見しただけでは分かりづらいが、マイクと海苔巻きと箸が見える。

 ところで、外交関係樹立とはどういうことか。国交樹立とどう違うのか。
 100年前の世界情勢。フィンランド絵はロシア革命に乗じて1917年にロシアからの独立を達成し、第一次世界大戦終結の1919年のパリ講和会議後、多くの独立国が誕生した。
 オーストリア 、チェコスロヴァキア、ハンガリー、ポーランド、バルト三国のエストニア、ラトビア、リトアニア、そして多民族国家としてのユーゴスラヴィア。
 そんな中で各国との 「 外交関係樹立 」 があったのあろう。

 フィンランドと言えば、ムーミンが誕生した国、カレワラ ( フィンランドの民族叙事詩 )、サーメのヨイク、ベリウスの 『 フィンランディア 』、そして戦後いち早く1952年にヘルシンキオリンピックの開催された国であるのだが。

 最近のフィンランドに関する話題と言えば、核廃棄物の最終処分場 「 オンカロ 」( フィンランド語で 「 洞窟 」 の意 ) 建設のことだった。
 世界で最も費用がかかり、使用期間も最長となる、複数のトンネルで構成されるこの永久処分場は、フィンランド西岸のオルキルオト島に建設される。  原発にはその運転に伴って発生する核廃棄物の保管・処理の方法が問題になっているが、現状はどこも地上の一時的な保管施設に貯蔵しており、オンカロは永久に廃棄物を埋める、初の最終処分場となる。
 2020年から、5500トンの廃棄物を地下420メートル超に埋める。安定した岩盤の上に万全の体制で臨むとはいえ、相手は「魔物」。そもそも、これを必要とする以前の原発の問題がある。

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日本・フィンランド外交関係樹立100周年記念の10枚シート構成の切手10種。
( それぞれの画像をクリックすると二段階で拡大します )

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フィンランド側で発行された、日本を材料にした連刷の切手二種。
フィンランドの切手の国名は英語と フィンランド語 ( SUOMI ) の二言語で表示されている 。
台紙からはがしてそのまま貼れる、セルフ糊タイプのシール切手。

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 5月29日(水)
 昨年の12月以来5ヶ月ぶりで、札幌コンサートホールKitaraのクラシックコンサートに行ってきた。札幌交響楽団の演奏。
 中島公園は新緑に溢れ、ポプラの綿毛が舞い、池の岸にはキショウブが盛りで、流れ込む小川にカモのヒナが可愛い。
 6時に近いが、真っ暗だった冬の道とは大違いでまだ昼間の延長で明るく、同じ時間とは思えない。

 受付で招待券と引き替えに座席指定券をもらうと、何と2列2番。「 いの一番 」 ではないが、たくさんのブロックに分かれているものの、前方であるに違いない。
 このコンサートホールの造りは、中二階が入り組んだような嬉しくなるような複雑な構造になっていて、ようやく辿り着いた席は期待通りの 「 特等席 」 で、ステージを取り巻くように作られた観客席の、オーケストラのすぐ後ろの席で、まるでロマンスシートだが、残念ながらその場面ではなかった。
 オーケストラを間近に見下ろす席でスコアーが覗けるようによく見える。何よりもこの席はオーケストラの後ろとあって、この日の新進気鋭の若い指揮者を、いつもの後ろ姿でなく、指揮する姿の表情、手の動きを正面から間近に見ることができたのは初めての経験であった。何と自信に満ちた指揮ぶりであったことか。
 ドボルザークの 「 スラブ舞曲 」 はよかったが、ブラームスの交響曲4番は退屈した。

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P2-2の 「 特等席 」 は、中央のステージの向こう側の右手隅の最前列部分。

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キショウブの画像。

カモの親子
カモの親子。



 5月28日(火)
 ラトビアの首都リガから今日届いた落札品の送られてきたカバー。
 最近の切手(細かい字で、2016,17,18年とそれぞれに記されている)がいろいろ貼られている中に、北方圏の国らしくスノードロップの描かれたものがあった。
 スノードロップが描かれた切手は初めて見た。
 スノードロップは春を告げるシンボルとして北海道でも馴染みの花。もう半月も前に終了してしまった。
 右上に睡蓮の切手があるが、睡蓮は南国のイメージで、ラトビアとは違和感があるが。

Rの書留ラベルの他に、わざわざ 「 Prioritaire 」( プリオリテ=優先 ) という青いラベルが貼ってあるが、どんな意味合いか。書留だから優先的に扱えとでも。さらにAは航空便を意味しているのだろうか。
 因みに9日で到着している。

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ラトビアからのエアメール。( 原寸 )

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スノードロップが描かれた切手。



 5月27日(月)
 整理や捜し物をしていると思わぬご褒美に与ることがある。
 今日の話題はこれ。
 1947年にルーマニアで発行された社会救済基金のための寄附金付き切手 ( 5,000レイに5,000レイの寄附金が附加されているが、今日の価格は安い ) の驚くほど小さな小型シート( 52mm×36mm )。
 これ以上小さくしようがないと言うことからして、おそらく 「 世界最小の 」 ものと言ってもよいだろう。( いや事実、世界最小とされている )

 もう一つ、小さな小型シートとしては、こちらは 「 世界最初の 」 小型シートとされている、ルクセンブルクで1923年にエリザベス王女の生誕を祝って発行された小型シートがある。
 通常、郵便では利用されない10フランの高額切手1枚が収めらたもので、これは高い。今日カタログで1,000ドル、市場価格で500ドルもする。( 借用画像 )  このあと、色違い(黒)で切手が追いかけて発行されているが、こちらも同額の高額面の切手だが、こちらの方は安い。

 逆に大きな小型シートもあるわけで、このことについては2007年9月第122号に『 大きな大きな小型シート ( ドイツ民主共和国誕生15周年記念小型シート )』 に書いていますのでご覧ください。

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1947年にルーマニアで発行された世界一小さな小型シート。 ( 原寸 )
( 画像をクリックすると拡大します )

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1923年にルクセンブルクで発行された世界で最初の小型シート。 ( 原寸 )

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小型シートに追いかけて発行された、同じデザインの色違いの切手。 ( 原寸 )
( 画像をクリックすると拡大します )



 5月26日(日)
 ラジオ体操で見る空の地上に近い部分が黄ばんで見える。
 黄砂ではないかと「北海道のPM2.5予報と黄砂情報」で確認してみると、北海道央(札幌)の今日 ( 5月26日 ) は、意外にPM2.5が 「 多い 」 で、黄砂は 「 少ない 」 になっている。黄砂ならまだしも、PM2.5はいただけない。

 今日も快晴で、爽やかな朝風が吹いている。
 朝にいつも風を感じるのは、何か理由がありそうだと ( 海風や陸風に類するものがあるのかしらんと )「 朝風のメカニズム 」 で確認してみたが、そんなものはないらしく、それらしいサイトには巡り会えなかった。ただ 「 夕風 」 という言葉がセットで載っていた。

 ためしにヤフオクで 「 ブルートレイン 」 を検索してみたら、ちょうど 『 ブルートレイン寝台特急 「 あさかぜ 」 最終運行記念カバー 東京駅ー下関駅 』 というのが出品されていた。 画像を拝借させていただきます。
 東京駅-下関駅、2005年2月28日~3月1日。
 東京駅の真向かいの東京中央郵便局と下関郵便局との共同製作であったか。

 「 あさかぜ 」 は、1956年から2005年まで東京駅 - 下関駅・博多駅間を東海道本線・山陽本線・鹿児島本線経由で運行していた日本国有鉄道( 国鉄 )・JRの寝台特別急行列車だったが、何とも爽やかな名称であった。

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ブルートレイン寝台特急「あさかぜ」最終運行記念カバー 東京駅ー下関駅)。
( 借用画像で不鮮明だが、画像をクリックすると二段階で拡大します )



 5月24日(金)
 隣の町中から流れてくる伏籠川の水は意外にきれいで、コイばかりでなく小魚も群れて豊かだ。
 ラジオ体操へ行く道の今の季節は花の洪水だ。
 ライラックやチューリップは盛りを過ぎ、ハナズオウ ( 花蘇芳 ) も満開を過ぎた。
 伝統の蘇芳 ( すおう ) 色は少し紫がかった暗赤色で、花からではなく木の芯材を煎じて色素をとる。

 変わって様々な色のツツジが今を盛りと咲き誇っている。
 白や赤、濃いピンクにオレンジや黄色、こんなに色彩豊かな花も珍しい。
 スズラン、ナルコユリ、各種のオダマキも伸びてきた。
 オダマキの漢字は 「 苧環 」 と書く。
 熟字訓の恰好の問題だ。

 ツツジは漢字で 「 躑躅 」 と書くが、東大王の最近の漢字オセロの出題は、タネが尽きてきたか、少しヨレてきている。
 先日の問題でも、キャベツ ( 甘藍 )、パイナップル ( 鳳梨 )、バナナ ( 甘蕉。中国語では香蕉の方が一般的 )、アーモンド ( 扁桃、中国語では杏仁の方が一般的ではないか ) 辺りは従来から承知の範囲でまだしも、外来語を取り敢えず漢字に直してみたというくらいの、まだ十分にはこなれていない新手の熟字訓とも言うべき出題が増えてきている。

 萵苣の答をレタスとしていたが、 萵苣はレタスというよりチシャと答えたくなる。
 花椰菜 ( カリフラワー ) は中国語。
 青梗菜 ( チンゲンツァイ ) も単に中国語。
 カシスを 「 黒酸塊 」 としていたが 「 黑加侖 」 の方がピンと来るし、カカオの 「 加加阿 」 も 「 可可豆 」 の方がピンと来る。
 蕃石榴 ( パパイヤ ) はどこから引っ張ってきたものか。

 また、キムチの 「 沈菜 」 もどこから来ているのだろうか。韓国での漢字語なのか。中国語では 「 辛菜 」 とも聞いたが、「 泡菜 」 というのは発行して泡立つとでもいう意味か。

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ハナズオウの画像。ハナズオウは独特の色

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色とりどりのツツジ。

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大通会場のさっぽろライラックまつり (第61回。5/15(水)~26日(日) ) も間もなく終了で、ライラックは盛りを過ぎた。



 5月23日(木)
 ラジオ体操に出かけるとき、朝の空にまだ白い月が残っている。
 今日の月齢は18.2で、満月から下弦の月へと欠けていく途中の有明けの月。

 ラジオ体操の時に頼まれて、ちょっとした話を書くことになった。
 第一回目は会場にあるモンタナマツとコロラドトウヒ ( ともに外来種 ) をきっかけに 「 木の話 」 を書いた。
 松葉は二葉のイメージだが、五葉のゴヨウマツがあり、中には中国のシロマツのように三葉のものあることなど、木にまつわるもろもろの話を書いた。
 来週はちょうど下弦の月が中天に残るタイミングで 「 月の話 」 を用意した。
 いつまで続けられるか。

 手稲の山の雪が、殆ど消えた。
 手稲山の山裾をJR函館線が通っている。
 昔、手稲駅は軽川 ( がるかわ ) と言った。普通なら 「 かるかわ 」 あるいは 「 かるがわ 」 と読むところで、「 がるかわ 」 とはちょっと読めない。
 こちらはアイヌ語の語源でなく、「 涸れ川 」 の訛りという。

 一方、手稲はアイヌ語の 「 テイネ・ニタッ (teyne-nitat) 」( 濡れている・湿地 )、もしくは 「 テイネ・イ (teyne-i) 」( 濡れている・所 ) が語源とされ、いずれもかってこの辺りは手稲の山裾の低湿地であった。

 北方領土の択捉島にも手稲と同語源の天寧という地名があり、ここには郵便局もあった。
 天寧 ( てんねい ) は 「 テイネ・イ 」( 濡れている・もの=湿原 ) で手稲と同語源。
 ここには戦前旧陸軍が飛行場を設置したが、戦後ソ連に接収され、現在はロシア連邦軍のこの地域最大の軍用飛行場 ( 近年までブレヴェスニク空港として民間機の利用もあったが、現在は新設のイトゥルップ空港に移転した ) となっている。

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手稲の山の雪も殆ど消えた。

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択捉島にあった天寧郵便局の昭和15年3月9日の消印。 ( 200% )



 5月22日(水)
 隣の伏籠川の水はふだんは膝ほどもなく、4,50センチほどの大きなコイが背びれを覗かせて泳いでいる。
 ギャング針で引っかけようとした人も最近は見かけず、悪食のカラスが手を出すこともなく、トンビが狙うこともなく、天敵に脅かされることのない環境で、彼らはのびのびと泳いでいる。
 以前、何回かヒゴイを見かけたことがあったが、最近は見かけない。
 1991年のふるさと切手の新潟版に、ニシキゴイの美しい切手がある。

 昨日のアイヌ語地名研究会でテキストにした松浦武四郎の 「 十勝日誌 」 で、現在放映中のNHK大河ドラマ 「 なつぞら 」 の舞台となっている帯広のある 「 十勝 」 の名が、『 「 トカチ 」 の元の名称は 「 トカプ 」。「 トカプ 」 はアイヌ語の 「 乳 」 の意味で、十勝川の河口が二つに分かれ、海に注いでいるのを、二つの乳房から無限に乳を流がしているかに喩えて名づけられた 』 ということを知った。
「 なつぞら 」 の舞台は今週から東京に移ってしまったが。

 ラジオ体操に行く途中の道で、クロユリが見事に咲いているのを見つけた。
 いつものお宅の庭先だが、花が咲く前その存在に気がつかなかった。
 クロユリをアイヌ語ではアンラコロという。
 「 アンラコロの歌 」 という番組があったが、確認すると1972年のポーラテレビ小説での放送であった。

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1991年のふるさと切手・新潟版のニシキゴイの切手。

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見事に咲いているクロユリに巡り会った。

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クロユリの画像。



 5月20日(月)
 今日は午前中、札幌市内の南部にある札幌市中央図書館に用事で行ってきた。
 古い新聞の記事探し。マイクロフィルムのデータを呼び出してコピーしてもらうつもりでいたが、目当ての1984年の日経新聞の記事は縮刷版での対応であった。

 まず途中、循環線になった札幌市電のタテに長い長方形の南側の短い一辺に沿った所にあった老舗のスープカレーの店が、しばらく来ていない間に無くなっていたのに気がついて、寂しかった。
 昭和51年の来道当時、今でこそ札幌を代表する料理となったスープカレーの店はここより他を知らなかった。

 中央図書館では入口横の展示室で思いがけず 「 北杜夫のどくとるマンボウ昆虫展 」 が開催されていて、じっくり見せてもらった。昆虫標本と北杜夫の本とまつわる資料が展示されていたのだが、何か唐突な感じがして、何をきっかけにした展示であるのかを図書館員に聞いてみた。
 「 どくとるマンボウ昆虫展 」 は日本昆虫協会の新部公亮氏が主体となって企画立案され、2008年より日本各地を巡って展示されているもので、今回の展示は先方からの呼びかけによる共同企画としての開催であるとのこと。晩年の北杜夫氏と新部氏とは家族ぐるみの深い交流があり、2011年10月に北杜夫氏が亡くなって以降も北氏への追悼の思いを込めて継続して開催されているものという。
 彼が亡くなったのをきっかけに書いた、2013年6月の第191号 「 北杜夫とファーブルと 」 があるので、ご覧ください。

 今回の中央図書館での用事は、漢字同好会の7月の会員発表のテーマをふと思いついて、その関連材料を求めて足を運んだもの。
 ここで詳細を明け透けにするのはまだ憚るが、書棚に 「 標音唐詩三百首 」( 大修館書店 ) と言う本がある。

 日本経済新聞の文化欄に載った、当時協和発酵の専務であった潮田保雄氏の記事をみて、唐代の詩に現代の曲を付けて歌うという台湾で制作された 『 詩楽飄香 』( 録音テープの付いた秩入りの豪華本 ) を是非入手したいと手紙を書いたところ、この高価であろう本を贈呈いただいた上に、あとから 『 ローマ字ピンインも必要と存じ 』 と 「 三百首 」 を送っていただいた。その本の裏表紙に書かれた入手の日付 「 1984年6月4日 」 が今回の記事探し手がかりだった。

 前月の5月の記事だろうという思惑は外れ、4月にもなく慌てたが、さんざ探した挙げ句にようやく見つけた 「 漢詩シャンソン歌声朗々 ( 曲にのった李白・杜甫、中国語で絶唱 )」 と題したその記事は、3月5日のものだった。

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 初版本と同じ姿の、私にとっての保存版の 「 どくとるマンボウ昆虫記 」。
 初版本とそっくり同じハードカバーのこの本だが、奥付けは昭和47年3月の46版となっており、いかに売れた本であったかが分かる。
 表紙の絵はイラストレーター佐々木侃司氏によるもの。

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「 標音 唐詩三百首 」( 大修館書店 )



 5月17日(金)
 5月7日に台湾で復活した高士神社 ( 屏東県牡丹郷 ) のことを紹介しました。
 知り合いに頼んでいたその御朱印が届いたので、改めてご紹介します。
 令和の初日印でなく、いわば平成のラストデー・カバーで、これもまた一興です。

 今年は庭のクマガイソウがつぼみを4つ付けた。
 それと去年植えたタイツリソウが花を付けている。
 タイツリソウの花はコマクサの花を思わせる。それもそのはず、ケシ科コマクサ属で近い種類だ。
 一緒に植えたキバナカタクリは未だ充実が足りないのか、今年は葉だけで花は付かなかった。
 イカリソウが盛り。ムスカリとスノーフレークは盛りをすぎて、スズランがつぼみを付けている。

 ライラックの季節を迎え、大通り公園ではライラックまつりが始まった。
 ライラックは外来のもので、北海道にも自生するハシドイがあるがこちらの花は白く、外来種は紫であったから 「 ムラサキハシドイ 」 と区別しているが、外来種にも白があり、ピンクのものもある。

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台湾で復活した高士神社の御朱印。( 85% )

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タイツリソウの花はコマクサの花を思わせる。

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イカリソウ。漢方では淫羊? ( いんようかく ) と言って強壮薬。

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クマガイソウがつぼみを4つ付けて、開きはじめた。

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クマガイソウの画像。



 5月16日(木)
 「 せたな・岩内地方の文化・歴史巡り 」の記録を書き上げてほっと一息。誰に頼まれた訳でもないのに、ご苦労なことです。
 今月から半年のラジオ体操が始まって、雨と不在の3日を除いて今日で13日目。
 毎日往復4千歩のオマケ付きで、お陰で日常生活で3~4千歩だったレベルに、毎日4千歩のゲタを履くことになって、万歩計のカウントは毎日黙っていても7~8千歩を確保をしている。
 ラジオ体操の予備運動でピアノの伴奏に合わせて首の運動がある。
 そのピアノの伴奏に使われる曲がいくつかあるが、今日は 『 吹け そよそよ吹け 春風よ、 吹け 春風吹け、柳の糸に 』 と歌うフォスターの 「 春風 」 だった。
 この運動のテンポには、四拍子のゆったりしたフォスターの曲がピッタリ合う。
 確認すると、中学では 「 主人は冷たい土の中に 」 として習っているが、「春風 」 は検定小学唱歌4年生 ( 昭和4年 ) で、古くから紹介されていた。
 スティーブン・フォスター (1826-64) は 「 アメリカ音楽の父 」 とされる作曲家・作詞家でペンシルベニア州ルイスヴィルに生まれ、38歳の若さでニューヨーク市で亡くなっるまでの20年間に約200曲を作曲している。
 明治以前の、江戸後期の人であった。
 多くはメロディの親しみやすい黒人歌、農園歌、ラブソングや郷愁歌で、我々の世代には教科書で馴染み深い存在であったが、今の教科書でも 「 健在 」 だろうか。

 フォスターの肖像を描いた絵はがきがあった。イギリス、バーミンガムに近いウォルヴァーハンプトン宛て。
 1938年8月22日のルイスヴィルの消印。略号のKYはケンタッキー。
 生誕のペンシルベニア州ルイスヴィルとは別に、ケンタッキーにもルイスヴィルがあって、何か絡めていたのか。
 宛名面には 「 ケンタッキーの我が家 ( オールド・ケンタッキー・ホーム )」 の歌詞が印刷されている。

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絵はがきのフォスターの肖像。

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宛名面には 「 ケンタッキーの我が家 」 の歌詞。



 5月15日(水)
今回の「 せたな・岩内地方の文化・歴史巡り 」での見聞をまとめて、「 1 コレクション・コーナー 」の「(2) 新作リーフ 」のホルダーに「52 19年5月 せたな・岩内地方の文化・歴史巡り」として張り付けましたのでご覧ください。

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「 せたな・岩内地方の文化・歴史巡り 」 のコース。



 5月14日(火)
 10-11日の一泊旅行 「 せたな・岩内地方の文化・歴史巡り 」 に絡んでもう一つ。
 二日目は、まず前日に積み残した瀬棚の三本杉岩が並ぶ三杉トンネル入口にある 「 アレウト号遭難慰霊碑 」 を見に行った。
 アレウト号の遭難については2004年11月の第88号 「 ウラジオストク物語 」 の中で触れている。
 その材料になったのが、東京・浅草から「 露領ウラジオストク ( 浦塩斯徳 )」 宛ての絵はがき ( 裏面には 「 相州湯ケ原温泉場見附ノ松 」 の白黒写真 ) で、大正3年7月29日の浅草の消印が押されており、「 WLADIVOSTOCK SIBERIA 」のゴム印も押されている。

 第88号 「 ウラジオストク物語 」 では、これについて『あて名にある 「 アウレツスカヤ街は 」、ウラジオストクの駅前広場からまっすぐ北に伸びているとおりで、その名は北海道と縁の深い軍艦 「 アレウト号 」 に由来する 』 と書いているが、肝心のその由来の意味が書かれておらず今となっては残念だ。

 なお、「 北海道と縁の深い軍艦アレウト号 」 については、以下のように書いている。
 『 1877年 (明治10年) 11月。ニコラエフスクから間宮海峡を抜けてウラジオストクに向かっていたアレウト号は暴風に遭遇して漂流し、瀬田町の海岸に漂着して座礁した。
 セルゲイ・クラシェニンコフ船長以下62人の乗組員は全員無事救助されたが、収容のため派遣された汽船・函館丸には全員が収容できず、士官2名と水兵13名は瀬棚町に残留して冬を越した。
 翌年4月、収容のエルマーク号が到着した折、残留乗組員を乗せて道号に向かったボートが転覆して、12名 ( アレウト号の6名とエルマーク号の6名 ) の犠牲者を出すという悲劇に見舞われた。1972年に事故ゆかりの海岸に 「 露国軍艦アレウト号遭難慰霊碑 」 が建立された。 』
 この時、当時の町長がソ連政府からモスクワに招待され感謝の勲章を贈られている。
 なお、「 アレウト 」 の名は、アリューシャン列島に居住する 「 アリュート 」 族と同義。

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東京・浅草から「 露領ウラジオストク ( 浦塩斯徳 )」 に宛てられた大正3年の絵はがき。

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瀬棚の三本杉岩のトンネル入口にある 「 アレウト号遭難慰霊碑 」。



 5月13日(月)
 今回の10-11日の一泊旅行 「 せたな・岩内地方の文化・歴史巡り 」 の記録を間もなく書き上げたら、ここではなく、東京日記と同じく 「 コレクションコーナー 」 に張り付けようと思います。その前段の露払い。

 瀬棚での見学先の一つ、荻野吟子資料展示室は 「 せたな町生涯学習センター 」 の中にあるが、ここは元の瀬棚商業高等学校の校舎だったところで、昨年10月に図書館と郷土館を移転・入居させるとともに、新たに荻野吟子資料展示室、旧国鉄瀬棚線の資料展示室、旧瀬棚商業高等学校資料展示室を開設したという。

 旧国鉄瀬棚線は函館本線国縫駅と瀬棚を結んで渡島半島を横断する約50キロの鉄道で、 1929年 (昭和4年) から1932年 (昭和7年) 11月1日にかけて全通したが、国鉄分割民営化直前の1987年(昭和62年)3月16日に全線廃止となった。
 瀬棚線開通記念の記念印もある筈だが、残念ながら手持ちはなく、代わりに、函館市の五稜郭駅から江差駅までの80キロを結んでいた江差線の全通記念の記念印を掲げておく。全線開通1936年 (昭和11年) 11月10日。民営化後の2014年5月12日 ( 木古内 - 江差間 ) 2016年3月26日 ( 五稜郭 - 木古内間 ) で全廃。

 なお、瀬棚でのもう一つの見学先、ロシア軍艦アレウト号の遭難慰霊碑にまつわる話を、はるか昔の原稿になりますが、2004年11月第88号の 『 ウラジオストク物語 』 の中で触れていますのでご覧ください。

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瀬棚線ではなかったが、隣の江差線の全通記念の記念印。開通は瀬棚線の方が早かった。 ( 160% )
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 5月12日(日)
 今年も今月初めから向こう隣の町内会でラジオ体操が始まって毎朝参加している。
 ラジオ体操といえば夏休みと相場が決まっているが、札幌市内ではこの町内会と同様にいくつかのヵ所でこのような長期のラジオ体操が行われているという。

 今日は今年初めての巡回ラジオ体操 ( 夏休み期間中に全国43会場で開催される 「 夏期巡回ラジオ体操会 」 の他に、夏期巡回の期間を除く日曜・祝日を中心に行われる 「 特別巡回ラジオ体操会 」 がある ) で、北海道内の北斗市での開催とのことだった。
 北斗市は函館の西隣から北側にかけての自治体 ( 西の上磯町と北の大野町の合併で誕生 ) で、北海道新幹線の駅 ( 函館北斗 ) が開設されている。

 10-11日と一泊旅行で道南方面に行ってきた。
 このことについては、追ってご紹介するが、その前に今回の見学ヵ所の一つ、岩内町の郷土資料館での話を先に書いておきます。
 この郷土資料館での展示資料の一つに、戦前の各年代の尋常小学校の教科書の復刻版が展示されていて訪問者に人気だそうだが、ちょうど先日紹介した萩野貞樹氏の 「 旧かなを楽しむ 」 からのイモヅルで、同氏の 「 感動を教えてくれた国語教科書 」( 徳間書店 ) を読んでいただところで、すぐの出会いに驚いた。

 この本、各時代の尋常小学校の教科書を取り上げてその特徴を述べ ( 愛称で括る )、併せてその中からいくつかの作品を紹介するという型式を採っている。
 その見出しで各時代を要約しておく。
・ 明治期の 「 検定教科書 」( 明治19年~36年 )
・ 「 イエスシ読本 」( 第一期国定。明治37年~42年 ) 始めの単語、イスのイ、枝のエ、雀のス、石のシから。
・ 「 ハタタコ読本 」( 第二期国定。明治43年~大正6年 ) 始めの単語 「 ハタ。ハト・マメ、タコ・コマ 」 から。
・ 「 ハナハト読本 」( 第三期国定。大正7年~昭和7年 )「 ハナ。ミノ・カサ・カラカサ。ハト・マメ・マス 」 から。
・ 「 サクラ読本 」( 第四期国定。昭和8年~15年 )「 サイタ・サイタ・サクラ・ガ・サイタ 」 から。
・ 「 アサヒ読本 」( 第五期国定。昭和16年~20年 )「 アカイ・アカイ・アサヒ・アサヒ 」 から。
・ 「 いいこ読本 」( 第六期国定。昭和22年~24年 )「 一 みんな いい こ 」「 おはなを かざる、みんな いい こ。 」

 使用期間は各々が比較的短く、親の時代には教科書を世代の違いの目安にしていた。
 父は 「 ハナハト読本 」 の時代で、「 塙保己一 」 の話をしていたのはこの教科書を踏まえてのことだった。「 雪舟 」 の話をしていたのも高学年での 「 サクラ読本 」 にあった話だ。

 私が 「 サクラ読本 」 にあった 「 呉鳳 」 の話 ( 台湾で蕃族の首狩りの風習を止めさせようと自らを犠牲にして諭した清朝支配の時代の通訳の話 ) を知っていたのは、この教科書の話を踏まえた何か別の本で見ていたからだろう。

 そして、ここには載っていないが、その後の昭和31年小学校入学当時の初めて手にした教科書は 「 しろ・しろ。こい・こい 」 であった。この世代が浪人時代に予備校の講師が論語にかけて 「 子路、子路。来い、来い 」( 子路は孔門十哲の一人。孔子は直情径行な子路を叱りつつも愛し、目をかけた ) とやって受けていたのを覚えている。

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萩野貞樹氏の 「 感動を教えてくれた国語教科書 」( 徳間書店 )。



 5月10日(金)
 樺太の話が発展して、アラスカの話に及んだ。
 アラスカは、1867年にアメリカ合衆国とロシア帝国の両政府間で行われた取引で、720万USドル ( 2016年現在の貨幣価値で1億2300万ドル ) でロシアからアメリカに売却された。決して安い値段ではないが、その後の50年で金や石油の埋蔵資源がもたらした利益はその100倍にもなったという。

 ロシア人は18世紀末から、毛皮獣の狩猟や交易のため 「 露米会社 」 を設立し北米大陸の太平洋岸一帯に進出しており、一部はカリフォルニア州にまで達していた。
 その後クリミア戦争 ( 1853~56年 ) による負担や、毛皮獣の枯渇が進み、アラスカの植民地経営が行き詰まったことで手放すに至った。

 ところで図のシートはアメリカで2000 年に発行されたアメリカ国旗の変遷を辿るもので、興味深い。
 「 The Stars and Stripes 」 を 「 星条旗 」 とはうまく訳したもので、筆頭に掲げられた赤の縞模様のものは、独立当初の13州を表しており、赤の7本の帯とその間の6本の白い帯で13になる。
 星条旗は、当初から踏襲する赤の帯と、青い枠の中に州の数を星で表した今日のスタイルが確立されてから、州の数が増えるに従ってその星の数を増やしてきた。

 今日の1960年制定の50州仕立ての国旗は6×5+5×4の配列でうまく50を収めており、その前の1912年制定以来長く使われてきた48州仕立ての国旗も、48を8×6でピタリと収めている。
 1960年に50州仕立てで改められたのは、前年の1959年にアラスカ州とハワイ州が相次いで準州から州に昇格したことによるもので、2州、すなわち二つの星が追加された。

 アメリカがハワイ王国を蹂躙して併合したのははるか1898年のことであり、その感覚 からすれば、ハワイが最後の50番目の州として定められたのが1960年と遅かったことに驚く。

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アメリカで2000 年に発行されたアメリカ国旗の変遷を辿る切手のシート。 ( 80% )。
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裏面には改訂のいわれが記されている。 ( 80% )。
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 5月8日(水)
 昨日はアイヌ語地名研究会の部会 「 アイヌ文化を読む会 」 で、引き続きバチラー ( 1854~1944年。英国の宣教師・アイヌ研究家。明治10年(1877)来日。64年間、アイヌへの伝道と教育・医療に尽くした ) の著作の学習だったが、今回の樺太アイヌにかかわる話はピウスツキ ( ブロニスワフ・ピウスツキ。1866 ? 1918年。ポーランドの文化人類学者、社会主義活動家。1918年に独立したポーランド共和国の初代国家元首ユゼフ・ピウスツキの兄 ) の著作からの引用であったらしい。
 ピウスツキの蝋管蓄音機で記録した64本の蝋管 ( 筒状のアナログ音源 ) がポーランドに残されていて、1983年に北海道大学に貸与されたことで話題になった。
 現存する蝋管には、最古の樺太アイヌ語の音声が残されている。

 ピウスツキは、アレクサンドル3世暗殺計画に連座した廉でサハリン ( 樺太 ) へ流刑となったが、その後原住民の子供たちへ 「 識字学校 」 を作るなど原住民との交流を深め、アイヌとウィルタ ( オロッコ ) の多くの記録を残した。樺太アイヌの娘を娶り、一男一女をもうけ、二人の子どもは第二次世界大戦後、北海道に移住して、彼らの子孫が現在も日本で生活している。

   「 樺太アイヌ 」 とはいうものの、実際には樺太全域に居住していたわけではなく、特に樺太南部に集中して居住していた。それは樺太アイヌの祖先が先住民 ( オホーツク文化人=ニヴフ ) を押しのける形で北海道から樺太へ進出していったことによる。
 13世紀から近代に至るまで、樺太では樺太アイヌ、ウィルタ ( アイヌからの呼称はオロッコ )、ニヴフ ( ギリヤーク。アイヌからの呼称はスメレンクル ) の3民族が共存していた。

 いつもながらに藤村先生の話は縦横無尽だ。
 話のあとで、前から気になっていた 「 北海道アイヌ 」( 千島アイヌの存在も含めて ) と「 樺太アイヌ 」 の違いを言葉や風習から大括りにするとどうなるかと尋ねてみたところ、「 北海道アイヌ 」 が日本文化の影響を受けているのに対して、「 樺太アイヌ 」 はアムール河流域の諸民族と交易 ( 山丹交易 ) を通じて大陸からの中国文化の影響を受けているとの指摘は改めて気づかされたことであった。

 樺太アイヌと言えば、日露の狭間で翻弄された歴史がある。
 まず、1875年 (明治8年) の 「 千島・樺太交換条約 」 に伴い北海道への移住を強いられたこと。当時の南樺太に在住していた先住民族は、アイヌを主体に2372人だったが、そのうち108戸841人の樺太アイヌが宗谷へと移住した。
 そして翌1876年 (明治9年)、には対雁 ( ついしかり。現在の江別市 ) への再移住で苛酷な環境変化への対応を迫られ、その後コレラと天然痘により多くの犠牲者を出した。
 なお、千島アイヌについても、1884年 (明治17年) に占守島や幌筵島、及び中部千島の羅処和島に居住していた人々の色丹島への強制移住が行われている。

 それから30年を経て、日露戦争の結果、南樺太が日本領となった翌年、1906年 (明治39年) 8月、晴れて樺太アイヌの大多数は故郷へと帰還することとなったが、帰島した339名は来道者841人の半数以下に減少していた。 また帰った彼らは 「 復帰アイヌ 」 と差別を受けたという。
 そして1945年 (昭和20年) の敗戦、今度はソ連の支配から逃れて多くの樺太アイヌが北海道へと移住することになった。

樺太絵はがき
樺太を描いたエンボス絵はがき。右上に、日露戦争凱旋観兵式記念の3銭切手に
「 明治卅七八年戦役陸軍凱旋観兵式 」 の記念印。
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 5月8日(水)
 昨日地元の丘珠郵便局に行ったついでに、話題の新元号による風景印をもらってきた。 「 1.5.7 」 の日付。
 丘珠郵便局もカレンダー通りの10連休で、新元号の初日印という訳にはゆかなかった。
 そういえば、丘珠郵便局の開局時にもらった風景印があった筈と探した探した。
 結局絵柄の入った目当ての記念台紙は見つからなかったが、「 丘珠郵便局開局 」 と丘珠局の風景印を押した 「 9.9.29 」 の開局初日印を押印したものが出てきた。
 この年は春の移動で根室に転勤となって不在。相棒を拝み倒したお陰の産物。
 平成9年と令和元年では計算しようがないが、今年は平成31年でもあるから31-9で22年前のことになる。
 ついでながら、令和から西暦を導く新たな換算係数は18になる。
 1+18=19 ( 下二桁を出す。ゆえに2019年 )。因みに、明治は67、大正は11、昭和は25,そして平成が88だった。

 丘珠局の風景印の意匠は、東区のマスコット・キャラクターのタッピー ( 地元名産のタマネギをモチーフにしている ) と、札幌市のスポーツ交流施設 「 つどーむ 」( 「 集う 」 と 「 ドーム 」 をかけている)、そして丘珠空港の飛行機。

 丘珠空港は陸上自衛隊丘珠駐屯地の飛行場であり、民間機との共用で丘珠空港と通称される。
 ジェット化およびそのための滑走路の延長は騒音被害を懸念する地元住民の反対で阻止され ( 1997年=平成9年 )、いまだにプロペラ機で長閑だ。
 また、通常は自衛隊機のジェット機の配備もなく騒音を免れているが、毎年8月に行われている札幌航空ページェント ( 航空ショウ ) での軍用機の爆音は凄まじく、沖縄の米軍基地の騒音を思い知らされる。

 タッピーについて(札幌市東区民ホームページから)。
 東区を代表する農産物・タマネギの妖精。
 区制施行20周年を記念して、平成4年度に公募の中から選定されたのち、翌年の愛称募集で、「タマネギ」と「ハッピー」を組み合わせて付けられた 「タッピー」に決定した。
 Q&Aから。
 ( 質問 ) タッピーは男の子ですか?女の子ですか?
   ( 回答 ) タッピーは妖精なので、性別はありません。
 ( 質問 ) タッピーが持っているステッキのようなものは何ですか?
   ( 回答 ) 「 ネギぼうず 」 と言われるタマネギの花です。

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新元号の日付 「 1.5.7 」 による地元の丘珠郵便局の風景印。
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22年前の丘珠郵便局開局記念の 「 9.9.29 」 の初日印と風景印。
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東区のマスコット・キャラクターのタッピー



 5月7日(火)
 台湾の知り合いからメールが届いて、つい最近、台湾で戦後初の神前結婚式が行われたという。
 詳しい経緯は聞き漏らしたが、神社という存在に興味を持っていて、特異な存在のこの神社=高士神社と縁があるらしい。

 高士神社は、台湾最南端のガランピ灯台のある恒春半島 ( こうしゅんはんとう ) を含む屏東県の牡丹郷 ( 旧高雄州恒春郡蕃地クスクス社 ) にある神社で、別名クスクス神社。台湾原住民族の分布図から見ると、パイワン ( 排湾族 ) の領域らしい。
 日本統治時代の台湾では、1901年 (明治34年)、台北に台湾神社が建てられたのを始めとして各地に神社が設置されたが、Wikipediaによれば、高士神社は1939年 (昭和14年) にクスクス祠として鎮座され天照皇大神としていたが、現在は 「 髙士佛戦沒之霊神 」 を祭神としている。
 大戦中に村から日本兵として出征したものが、「 生きて帰ってこれなかったらこの神社で会おう 」 と約束を交わすなど靖国神社的な性格が見られたことによる。

 戦後、廃社となり、社殿も取り壊されたが、2015年 (平成27年)、住民からの要望を受け、日台親善を進める日本李登輝友の会の会員でもある神職の佐藤健一により再興されたもので、2016年には日本人の寄付により鳥居が奉納された。
 知り合いはこの時、何かのきっかけで、この神社と縁ができたらしい。
 聞けばいま流行の御朱印がここでも発給されているらしい。
 今度頼んで送ってもらおう。

牡丹郷
高士神社のある場所。屏東県牡丹郷。

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つい最近、高士神社で行われた戦後初の台湾での神前結婚式。
添付写真が小さくて。



 5月6日(月)
 連休もいよいよ最後で、昨日は勉強の息抜きにと留学生を誘って札幌郊外の滝野すずらん公園に行ってきた。
 石山通りを行って、藻岩山の山麓に沿った道から左手の支笏湖方面へ入る道をうっかりして、そのまま定山渓方面に進んでしまい、途中で気が付いて石山方面に曲がり、間違えたついでに、通りかかった石山軟石の採掘場の跡を公園に整備した石山緑地に寄った。  それから支笏湖方面への道に戻り、札幌芸術の森美術館の前を過ぎて、左手に折れて道道341号真駒内御料札幌線に入る。
 アシリベツの滝口にある古い商店に立ち寄る。
 目の前の滝口に降りる道が、滝野すずらん公園の敷地として整備されたためにフェンスで囲まれてしまい、商売にも影響したろう。
 とば口の渓流口から入り、すぐの駐車場からまずアシリベツの滝まで往復する。途中のヤマメの釣り堀は連休の親子連れで大賑わいだ。

 駐車場に戻り、中央口の駐車場に移動して、中央口から入園し、冬はゲレンデ、春から秋にかけてはさまざまな季節の花で彩られるカントリーガーデンの斜面を登って、大きなロッジ風のカントリーハウスで昼食をとる。
 自然植物園のシラネアオイの 「 春の野の花まつり 」 が5月11~19日、カントリーガーデンの 「 チューリップすずらんフェスタ 」 が5月18日~6月9日と、いずれもこれから。  周辺のニリンソウやカタクリは盛りを過ぎて、ちょうどゴールデンウイークの時期はあいにく花の端境期なのだそうだ。
 それでも、随所にサクラとキタコブシが見られ、黄色のスイセンが見事だった。
 帰りはまだ時間を残していたので、ちょうど帰り道にある西岡公園 ( 旧西岡水源池の木道のある水辺の公園 ) にも寄ったが、ここではミズバショウが見られ、欲張りな一日となった。おかげで、万歩計は1万9千歩をカウントした。

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アシリベツの滝。右の大きなのが雄滝、左に小さな女滝。

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釣り堀の賑わい

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国営滝野すずらん丘陵公園、園内図。
右下隅にアシリベツ ( 厚別 ) の滝。

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キタコブシが満開。
斜面にいっぱい広がった黄色のスイセン。

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西岡水源池のミズバショウ。



 5月5日(日)
 ヤフオクにこんなのが出品されていた。
 樺太はもう卒業で興味を引かれたが見送った。
 樺太の大泊から東京の現在の北区田端に送られた菊3銭貼りの明治42年のエンタイア。  宛名の記載は 「 東京府下田端 」 だが、一瞬戸惑った。
 「 府 」 が 「 斉 」 のようで、その次の品のような点三つにも首を捻った。
 それが 「 府下 」 と気づくまで少し手間取った。
 点三つは 「 下 」 の草体で、刀三つの 「 州 」 の草体はよく見かけてきたが、点三つの下の記憶はない。

 大泊 ( おおどまり、現コルサコフ ) は稚泊航路 ( ちはく航路。稚内-大泊 ) が北海道とを結ぶ樺太の玄関で、日本領有当初には樺太庁 ( 後に豊原に移転 ) が置かれ、豊原を凌ぐ人口第一の町であった。
 樺太・大泊の消印の日付は明治42年11月10日。着印は、武蔵・巣鴨42年11月17日。

 なお、旧東京府 ( 現東京都 ) の東部には現在の東京都区部 ( 東京23区 ) に相当する東京市が1889年 ( 明治22年 ) に開設されているが ( ~昭和18年 )、このエンタイヤの明治42年の段階では田端を含む北豊島郡滝野川村はまだ東京市には含まれず ( 昭和7年に編入 )、「 東京府下 」 の存在であった。
 ちょうど東京市の変遷 ( 東京市は15区で発足、昭和7年に隣接5郡を新たに20区に分けて編入して東京市は35区になった ) について、2017年11月第244号 『 明治の外信絵はがき 「 東京府下北豊島郡滝野川 」 』 で詳しく触れています。

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樺太の大泊から東京・田端に送られた菊3銭貼りの明治42年のエンタイア。

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樺太・大泊の消印の日付は明治42年11月10日。着印は、武蔵・巣鴨42年11月17日。



 5月4日(土)
 一昨日、行方不明になっていたアメリカからの郵便が、一ヶ月以上も経ってからようやく届いた。
 今どき普通であれば地球の裏側からでも半月もあれば届くところ。
 アメリカは意外に概して日にちがかかる国ではあるが。

 落札品を送ってきたもので、3週間を過ぎた頃から相手に到着の遅い旨を伝え、情況次第では返金という場面だった。
 一ヶ月近く経っても届かなければ郵便事故を疑い、まず届かないものと諦めていたところで、届いたのは信じられないことだった。
 どこをどう旅をして、どこでどう道草を食っていたものか。
 これで書留にしておれば追跡番号で照会して足取りを追えたところだが。
 普通便と書留便では扱いの条件が変わって日数も変わったかも知れないが。

 国際郵便の場合、地元で投函 ( 3月27日、ミズーリ州のブライトン ) されてから向こうの国際交換局に着き、そこで仕分けされて国外に発送され、日本の国際交換局に着いて、そこで通関手続きに何日かかかり、今度は国際交換局から国内各地に送り出される流れなのだが、今回の場合にはどこで滞留していたものか。
 心配を掛けた相手に、早速 「 奇跡的に 」 無事届き、返金の用のなくなった旨を伝えると、「 good news 」 に 「 happy 」 の返事が返ってきた。

 切手は書状基本料金29セント時代 ( 1991.3~1994.10 ) の末期、1994年10月発行の 「 海の驚異 」 4連刷のうちの一枚の「 ダイバーと舵輪 」 と、44セント時代の2009年のクリスマス切手4連刷のうちのトナカイを描いた一枚。
 ともに25年前と、10年前の切手。

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アメリカから一ヶ月もかかってようやく届いた郵便。 ( 原寸 )



 5月3日(金)
 「 旧かなを楽しむ 」 の中で、著者は現代の和歌・俳句に 「 ~している 」「 ~てある 」 などの補助動詞、形式動詞がやたら多いということに盛んに憤っている。
 名だたる歌人も厳しい指摘で片端からなで切りにされてタジタジです。
 それは、実質的な語義を失っているこの表現のために、短詩形の中で貴重な二字を費やすことの無駄と、新かなでは誤解を生じ易いという実質的な側面から問題にしている。

 このことは最近の話し言葉の中に 「 ~ています 」 とする表現の多いことにも通ずる。
 これは、英語の現在進行形 「 -ing 」 の影響ではないかと思われるが。
 言葉というものは一旦使い出すとそうせずにはおれないクセになるようで、完全に口癖のようにこの表現が定着してきている。
 テレビのインタビューに答えて、「 思います 」 というところを盛んに 「 思っています 」 と言っている。多くが完全に染まっている。

   気になるのが 「 は 」 という助詞。
 「 は 」 という助詞は、英語のbe動詞と同じ感覚で、日本語学習などでは主語を受ける格助詞のようなつもりで 「 は 」と「 が 」 の違いが強調されているが、「 は 」 は係助詞とされていて、そう単純なものではない。
 「 は 」 は 「 主題を提示する 」「 強調する 」「 限定し対比的に示す 」「 他と区別する 」 場合などに用いられるもの。
 ところがこの 「 は 」 が多くの自覚のない人によって盛んに使われ、互いに感染し合ってすっかり蔓延している。いい例が 「 と思う 」 を 「 とは思う 」 と言う余計なソレ。

 「 は 」 とくれば、後にはそれを限定している制約、条件的な断りが来るものだが、それもないのに 「 は 」 を使えば、腹に一物あるような、何か含みにしているような、歯に衣を着せたような、曖昧にはぐらかした中途半端なものに聞こえる。断定を避ける自信のなさが言葉の端に見え隠れしている。

 高島俊男さんではないが、いやな言葉、嫌いな言葉のオンパレードだ。
 安直な右へ倣いの流行。あたかも、悪貨は良貨を駆逐するとばかりに、自覚もないままに可笑しな言葉が持て囃されている。
 「 いただく 」 は本来目下の者が目上の者に対して用いる謙譲語なのだが、いつの間にか 「 食べる 」 の丁寧語にも転じてしまった。これなども自分を上品に見せたいがために使われているようで、いやらしい。
 「 結構 」 と言う言葉が口癖になっている者が多い。この語の語感は投げやりでぞんざいな印象を与える。「 かなり 」 なのか 「 それなりに 」 なのか。
 「 だいじょうぶ 」 も安直・安易な言葉で、クセが付いて何でもこの言葉で片付けようとする。横着の極みだ。
 「 ~かな 」。自分の意見・考えを述べる場面でもこれを付けて断定を避け、曖昧にしようとする。自分のことなのに 「 かな 」 などあり得ない。
 「 香ばしい 」。最近は本来の意味から外れて、食べ物の味に対してこの言葉が自覚もないままに、むやみに使われるようになった。
 本来この言葉は、ほんのりとこげたような良いにおいを表す形容詞で、乾煎りした珈琲やほうじ茶の香りを言うところで、あるいは醤油の焦げた匂い。それが単に 「 香りがよい、匂いがよい 」 ことに広がって、何でも香ばしいと言っていれば通用すると思っている。
 脂ジュウジュウの焼き肉も香ばしいでは感覚がズレている。

 それから、誰彼構わず 「 の方 」( かた ) というのは止めた方がいい。敬語の安売り。尊敬語は不特定多数を対象にしては使わない。過去の人間に対してもだ。
 最近は馬鹿丁寧な話しぶりが多いのが気になるところで、そんな気分を反映してか、さっきラジオの野球解説者が 「 おっしゃられる 」 と言っていた。二重敬語で、「 言う 」 の尊敬語 「 おっしゃる 」 にわざわざ尊敬の助動詞 「 られる 」 をくっつけて屋上に屋を架している。
 「 させていただく 」 式のへりくだり過ぎ、腰の引けた言葉もよく聞く。「 さ入れ言葉 」 の横行もそんな意識を反映している。
 何にでもお伺いをたてる 「 てもよろしいでしょうか 」 も止めたほうがいい。

高島
高島俊男さんの 「 お言葉ですが 」 シリーズの一冊。
このシリーズは共感しながらよく読んだ。



 5月2日(木)
 先日の琉球のクリスマスシールに続いて、リーフに整理した初期の中国と台湾のクリスマスシールを市場に戻しました。
 「 中国最初期クリスマスシール 1938-53年揃い 」 と 「 台湾最初期クリスマスシール 1954-63年揃い 」。
 中国の最初のクリスマスシールは1938年のもので、「 癆防 」( 結核予防 ) と書いてある。
 赤と緑は色盲検査のような配色。
 また、赤と緑は補色同士で目がチカチカしてしまう。 余りにも特異で何か意味でもあるのだろうか。

 台湾の方では1961年の4連刷に菊・竹・梅・蘭の四君子が描かれているのがいかにも漢民族らしい図柄で、4種の植物がもつ特長 ( 香り高いとか、常盤の緑とか、寒さに耐えて咲くとか ) が、まさに君子の特性と似ているとして、文人画の代表的な素材になった。春は蘭、夏は竹、秋は菊、冬は梅と、四季を通じての題材となる。

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「 癆防 」( 結核予防 ) = アンチ・チューバーキュロゥシス と書いてある。 ( 150% )

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中国最初期のクリスマスシール 1938-53年揃い。
( ダブルクリックで原寸に拡大します )

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1961年の4連刷には菊・竹・梅・蘭の四君子が描かれている。 ( 原寸 )
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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台湾最初期のクリスマスシール 1954-63年揃い。
( ダブルクリックで原寸に拡大します )



 5月1日( 追加の追加 )
 近くの桜並木のサクラが満開と聞いて見に行ってきた。
 このサクラは北海道に自生するエゾヤマザクラで、有名な静内の二十間道路の桜並木のサクラもこのエゾヤマザクラ。
 平地では周囲のソメイヨシノより少しばかり早めに咲くような気がする。山では遅くなるが。
 花の色はソメイヨシノより赤味が強い濃いピンクで、茶色の葉が一緒に出る。


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近所の桜並木のエゾヤマザクラが満開になった。



 5月1日 (追加)
 向こう隣の町内会で、今日から今シーズンのラジオ体操が始まった。10月末まで。
 雨マークが付いていて、初日の心配された雨も免れた。
 白いムスカリに出会った。記憶にないくらい久しぶり。途中の道には春の花がいっぱい。
 サクラ、ウメ、白いモクレン、黄色のレンギョウ。
 モクレンはどういう訳か白いのが先で紫のは遅い。

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珍しい白いムスカリ。



 5月1日(水)
 今日から5月。
 と言うよりも、今日から新元号 「 令和 」 元年が幕を開けた。
 昨日は平成の最終日で、テレビは平成天皇の退位式のニュースで持ちきりだった。
 引き継がれる三種の神器。
• 八咫鏡 ( やたのかがみ )
• 八尺瓊勾玉 ( やさかにのまがたま )
• 草那藝之大刀 ( くさなぎのたち ) または、草薙剣 ( くさなぎのつるぎ )
 読み問題でも難しく、まして書き問題ではお手上げ。

 ちょうど、漢字同好会で元号についての話をするのに急遽書き上げた原稿 「 元号の由来と命名 」 をそのまま今月の原稿とした次第。
また、飛び入りで 「 大正か昭和か。櫛型消印を巡って 」 も追加した。 先月の例会で話題になった消印による時代の判別 ( 大正か昭和か ) の手がかりについて書き起こしたもので、今年は1月、4月、5月と複数掲載が重なっている。

 「 年号 」 の話に絡めて昔の原稿から引用したこともあって、そのときの図版を二枚追加した。
 引用したのは、2001年12月第53号の『 郵趣にまつわる年号の話と、その関連マテリアル(その1)「成紀年号」「主体年号」 』 と、2002年1月第54号の『 郵趣にまつわる年号の話と、その関連マテリアル(その2)「紀元2600年記念貯金シール」「檀紀年号」 』 。
 ずいぶん昔の原稿になりますが、併せてこちらもお読みください。

 何でも用意できるのが切手の凄いところで、新天皇の皇太子時代の1993年のご成婚記念の小型シートを載せておきましょう。

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新天皇の皇太子時代の1993年のご成婚記念に発行された小型シート ( 原寸 )
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 4月29日(月)
 『 旧仮名を楽しむ 』( 萩野貞樹。リヨン社 )。
 確かに興味深く面白いが、とても楽しむまではいかない。
 副題に 「 和歌、俳句がもっと面白くなる 」 と謳っているとおり、著者は和歌、俳句をたしなむ者への心得を伝えるべく意図してまとめているようだ。
 読み進めている途中でもあり、固より全体の内容を括って伝えるのは難しいが、こちらとしては、そこここから得られる新しい知識と、目から鱗の思いを有難く感じている。
 それにしてもこれだけのものを書く萩野貞樹という人、どんな人物なのか。
 著者紹介には 「 昭和14年秋田県生まれ。一橋大学法学部卒。元産業能率大学教授 」 とある。併せて多くの著書が紹介されていて、題名から興味を惹かれるものがある。

 突然で断片的な話になるが、前に触れた 「 字音仮名遣い 」 について。
 ちょうちょう ( 蝶々 ) が旧かなの 「 てふてふ 」 と唯一対応しているものと単純に思いこんでいたが、これは字音仮名遣いの一つに過ぎず、「 新旧かなづかい便覧 」 で 「 ちょう 」 のところを見ると、対応する歴史的仮名遣い=旧かなづかいには、「 チヨウ 」「 チヤウ 」「 テウ 」「 テフ 」の四種類があり、以下の漢字がそれに対応している ( 中から主要なものを選んでいくつか挙げる )。
 「 チヨウ 」重、徴、澄、懲、寵
 「 チヤウ 」丁、庁、打、町、長、張、頂、腸・・・
 「 テウ 」 弔、兆、挑、鳥、朝、超、潮、調・・・
 「 テフ 」 帖、貼、牒、蝶、諜
 それぞれに 「 ジュウ 」 だとか 「 テイ 」 だとか 「 ジョウ 」 だとか他の音も持つ場合もあるが、どれも皆 「 チョウ 」 で共通している。しかし、これを四つに分ける拠り所が分からない。
 現代中国語の発音に照らすと、「 チョン 」「 チュン 」「 ディン 」「 チャオ」「ディアオ 」「 チャン 」 だのと今度は共通性さえ失われてしまって、いっそう解決にはならない。
 旧かなづかいで書き分ける 「 字音仮名遣い 」 の根拠は、古い時代の中国の発音の違い ( 中国音韻学 ) に基づくものだから、もはや 「 そうなっている 」 と受け止めるしかないものだ。

 戦前は子どもたちもこうした 「 字音仮名遣い 」 の使い分けをこなしていたのだろうか。とくに難解な 「 字音仮名遣い 」 の漢語は、より上級の高等学校までは一般的でないだろうから、大方はこの悩みと縁が薄かったかも知れないが。
 戦前の歴史的仮名遣いは、いわば学者レベルの教養を日常に課していた訳で、その負担はいかばかりであったか。

「 現代かなづかい 」 には問題点が多いという著者の指摘はともかく、日本語を学ぶ外国人が増加し、日本語が国際化しているとき、話し言葉はともかく、日本語学習に旧仮名遣いは大いに負担になったはずで、戦後の国語改革による 「 現代かなづかい 」 への転換は、今日からすればその功績はまことに重大であったと思われる。

 苦し紛れに便乗して、蝶の切手を多数貼ったカバーを。
 1953年にモザンビークで発行された20種セットの蝶切手の古典的名品から、低額面を中心にした4種9枚を貼った、ポルトガル領モザンビークのナンプラからカリフォルニアに宛てられた後貼り使用の1960年のカバー。
 長くポルトガルの支配の下にあり、1975年の独立後も公用語はポルトガル語が使われている。

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ポルトガル領モザンビークのナンプラからカリフォルニアに宛てられた、
1953年の蝶切手の後貼り使用の1960年のカバー。 ( 80% )
切手が几帳面に左右対称に貼ってある。



 4月28日(日)
 昨日の道内は季節外れの雪も降るなど寒い一日だったが、今日は暖かな良い天気になった。
 もうすぐ5月だが、コイノボリを揚げる農家も少なくなった。
 畑の中を通り、伏籠川に流れ込んでいる小川のふちにエゾエンゴサクの紫の花が咲いている。ここにはミズバショウやオオバナノエンレイソウもあったのだが、この20年くらいの間に消えてしまった。
 タマネギ畑の土越しが始まった。
 今日は日曜日だが、農家に大事なのは天気で曜日は関係ない。そして季節と天候。

 5月の原稿を先取りして、先日の漢字同好会で元号の話 (「 元号の由来と命名 」) をした。
 昔の元号 ( 明治以降の 「 一世一元 」)、というより 「 年号 」 は、新天皇の即位が改元の基本ではあったが、その他にも天変地異や疫病の流行などをきっかけに事ある毎に変えられてきた。その多くが地震であり、また噴火であり、津波であり、彗星の出現であり、そして深刻な飢饉の発生であった。

 江戸時代は総じて寒かった ( 14世紀から19世紀半ばは 「 小氷期 」 と呼ばれる )。隅田川が結氷したこともあったという。
 江戸時代には全国的な飢饉が 35回あったといわれる。中でも享保・天明・天保年間の「 江戸三大飢饉 」 は多くの餓死者を出した。いずれも冷夏が原因であった。
 いたずらに暑い昨今の気候を譲ってやりたかった。

 街中を流れる伏籠川の水は意外に驚くほどきれいだ。そんな川に今年も川下から上ってきた大きなコイがたくさん群れている。
 やがて川中のヨシが茂みになる頃、産卵の時期を迎えて川の中が騒がしくなる。
 土手にキツネが掘った穴を見つけた。
 日射しが強く、背中が暑くなる。歩けば汗ばむ。春風が心地良い。
 野球場で子ども野球の試合が行われていて、親たちも大勢が応援に駆けつけて賑やかだ。
 こんな光景を眺めると、「 緑のそよ風 」( 昭和23年NHKラジオ) の歌詞が思い出される。
 『 みどりのそよ風 いい日だね  ボールがぽんぽん ストライク
  打たせりゃ二塁の すべり込み  セーフだおでこの 汗をふく 』

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伏籠川の川上側、藻岩山とまだ雪を被った定山渓方面の山々。

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伏籠川の川下側の道。左手の川の向こうのパークゴルフ場もオープンして、カチンカチンと球を打つ音が聞こえてくる。
右手の桜の一団はうっすらと紅が差している。間もなく、5月の声を聞けば咲き始める。
 遠方にはまだ雪を被った暑寒別の山並み。



 4月27日(追加)
 そういえば、クリスマスシールのコレクションを 「 1 コレクション コーナー 」 の 「 (1) コレクション・リーフ 」 のホルダーに、「 48 クリスマスシール ( 複十字シール ) コレクション 」 として載せてありましたのでご覧ください。
 この琉球の無目打ち版も載せています。

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琉球の1960,61年のクリスマスシールの無目打ちペア。 ( 150% )



 4月27日(土)
 コレクションの一つを市場に戻した。
 戦後長くアメリカの施政権下にあった沖縄で発行されたクリスマスシール。
 時代背景を映して、「 琉球 」 の表示とともに 「 Greeting 」 と英語で表記されている。
 1952年から昭和47年の沖縄返還の前年の1971年のものまで20種。
 別に無目打ちのペアもあった。
 デザインの多くは沖縄の行事や風物に取材しているが、必ずしも統一性はない。
 各印面にあるとおり、いわゆる結核予防募金の複十字シールです。

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アメリカ施政権下の沖縄で、1952年から1971年に発行されたクリスマスシール。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 4月26日(金)
 いつものAmazonで本が届いた。
 『 旧かなを楽しむ 』( 萩野貞樹、リヨン社、平成15年 )。
 予想に違わず興味深く、読み進めてフト 「 そういえば、どこでこの本を知ったのだったか 」 と引っ掛かった。
 最近読んだ本に違いない。 となれば、枕辺の中にある。
 すぐに、見当が付いた。 高島俊男さんの本を読み返していたところで、すぐにその中に記述部分を見付けた。 ここからだった。だから本は連鎖を呼ぶ。
 最近の鉛筆片手に読む癖で、あとから見返すと気になったヵ所に傍線だのチェックだの書き込みが入っている。 お陰で、あとから見返して 「 問題の個所 」 が目に付く掛けになっている。

辞書代わりにこんなものも買い込んでいる。 『 新旧かなづかい便覧 』( 三省堂 )。
 上段に現代の言葉、中段にその歴史的仮名遣い、下段にこれに対応する漢字熟語の構成で、五十音順に配列されている。
何を例に挙げようか。
 「 しょうし 」。 これに対応する歴史的仮名遣いの言葉が 「 しようし 」「 しやうし 」「 せうし 」 と三つある。そして、それぞれにそう表記する関連の漢字熟語が示されている。
 「 しようし 」 証紙、頌詞
 「 しやうし 」 生死、将士、尚歯、賞詞
 「 せうし 」 小子、小史、小雑、少子、抄紙、笑止、焼死
ならば、彰士、正史、勝志、湘司などはいずれか。

 それぞれに対応する熟語がなぜこのように区別されるのかの理由の説明が欲しかった。
 おそらく、その背景には漢字音の 「 字音仮名遣い 」 の対応があるのだろう。
 一言付け加えてくれればよかったものを。

 『 旧かなを楽しむ 』 の筈がすぐに脱線して 『 新旧かなづかい便覧 』 の話になってしまったが。
 『 旧かなを楽しむ 』 については、読んでから追って改めて。

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『 旧かなを楽しむ 』( 萩野貞樹、リヨン社、平成15年 ) 表紙。
今回は、文字どおり表紙だけになってしまった。
当分楽しめそうだ。

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『 新旧かなづかい便覧 』( 三省堂 )。



 4月24日(水)
 先日の円山動物園の熱帯植物園の中で鳴禽類 ( めいきんるい ) という言葉を初めて知った。
 スズメ目スズメ亜目の別称で、その大きな特徴は音声器官である鳴管が発達していることで、この仲間はよく囀る。
 いろいろな点から,鳥類のなかではいちばん進化の進んだグループと考えられている。
 スズメ目は現生鳥類種およそ 1万種の半分以上を占め,従来は大きく分けて鳴禽亜目、タイランチョウ亜目、コトドリ亜目、ヒロハシ亜目の四つの分類群が設けられていた。
 このうち鳴禽亜目の鳥を鳴禽類といい、今日のスズメ亜目にあたる。
 スズメ目は今日では二つの亜目に統合されている。スズメ亜目以外の鳥はタイランチョウ亜目に分類され、非鳴禽類と呼ばれる。
 タイランチョウ亜目はほとんどの種が中南米に分布し,スズメ亜目は世界中に分布している。

 そして、各動物舎に掲げられた表示で、動物分類を改めて意識させられた。
 動物の分類で 「 ~の仲間 」 と大括りにするには 「 目 」(もく) の単位で考えればおおよそ実感と一致する。
 そして、動物は対語が意識される。
 牛馬、犬猫、狐狸・・・。ゾウとキリンにも一対的な感覚がある。
 ライオンは食肉目ネコ科。オオカミは食肉目イヌ科。
 ゾウは長鼻目ゾウ科。キリンは偶蹄目キリン科。

 牛馬は動物分類の象徴的な存在で、共に四肢の先端に蹄 ( ひづめ ) を持つ動物をその特徴から二分し、従来は 「 奇蹄目 」「 偶蹄目 」 の名があったが、今日は 「 ウマ目 」「 ウシ目 」 に言い換えられている。
 従来の 「 食肉目 」 が 「 ネコ目 」 とされ、イヌ・ネコをネコで代表させてしまったように、他の分類項目を含め、こうした平易を旨とした安易な名称の変更は、却って分類の特徴を見失わせ、惑わす結果になっている。
 「 霊長目ヒト科 」 のゴリラ、オラウータン、チンパンジーたちも、「 霊長目 」 が 「 サル目 」 となって格が下がった。
 何より 「 霊長目ヒト科 」 の 「 人(ヒト) 」 が「 サル目ヒト科 」 では何かおかしい。
 「 奇蹄目 」=「 ウマ目 」 は中指を肢端の中心線が通っていることがこのグループを定義付ける特徴で、各脚の指の数は、代表する名称ともなっている馬では1本、サイでは3本、バクでは前脚が4本、後脚が3本となっている。つまりその名称は蹄が奇数になっていることに基づく。
 これに対して、「 偶蹄目 」=「 ウシ目 」 では、その名の由来となった2つ ( 偶数 ) に割れた蹄が特徴で、これは第3指と第4指 ( 中指と薬指 ) が変化したもの。
 第3指が体重を支える重心軸となるウマ目と異なり、ウシ目は第3指と第4指の二本が重心軸であるため、このような蹄の構造となる。
 ややこしいことに、その後の遺伝子分類の進化で、似ても似つかぬ牛と鯨が近しい関係とされ、今日ではこれを合わせた新たな分類名称の 「 鯨偶蹄目 」=「 クジラウシ目 」 が誕生している。

 以下、思いつくままに。
 ライオン、トラは食肉目ネコ科ヒョウ属。
 クマは食肉目クマ科。「 食肉目 」=「 ネコ目 」の名称変更は誤解を招く。
 イタチは食肉目イタチ科。
 テンもカワウソも同じく食肉目イタチ科。
 鰭脚類 ( ききゃく=ひれあし ) のアザラシも食肉目アザラシ科。
 リスは、齧歯 ( げっし ) 目リス科。せっかくの 「 齧歯( げっし=囓る歯 )目 」が 「 ネズミ目 」 では違和感がある。
 モモンガも齧歯目リス科モモンガ族。
 ムササビは齧歯目リス科ムササビ属だが、北海道には分布しない。
 エゾシカは偶蹄目が鯨偶蹄目になって、そのシカ科。
 ブタも偶蹄目 → 鯨偶蹄目イノシシ科。
 カバも偶蹄目 → 鯨偶蹄目カバ科。
 ジャイアントパンダは ( 食肉目クマ科 ) はいないがレッサーパンダ ( 食肉目レッサーパンダ科 ) がいる。
 有袋類のカンガルーは双前歯目 ( そうぜんし-もく=カンガルー目 ) カンガルー科。
 「 双前歯 」 は下顎の切歯 ( 門歯 ) が左右に1本ずつ ( 二本 ) あることに由来する。

 動物の切手は数多あるが、私にとって動物切手といえば1953年にハンガリーで航空切手として発行された懐かしい10種類の 「 森の動物 」。
 その実逓カバーを掲げておきます。

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1953年のハンガリーの動物切手10種完貼りのブダペストからパリ宛ての実逓カバー。
消印は1954年12月23日。 ( 85% )



 4月23日(火)
 昨日、道南の松前で桜の開花宣言があり、いよいよ桜前線が津軽海峡を越えて北海道に 到達した。
 そして昨日、近くへ出かけたついでに久しぶりで円山動物園に寄ってきた。
 駐車場は時間でなく入れば一律700円。
 そのかわりこちらは例の特権でロハとは有難い。

 暇に任せて2時間半掛けて、およその隅々まで見てきた。
 立派なゾウ舎ができたのはいいが、余りに立派すぎて動物と疎遠な印象を受けてしまう。
 これに限らず、どの施設もいつのまにか立派すぎる施設に作り替えられて、いわゆる箱物 ( ハコモノ ) だらけになっていて、見渡せば疎外感極まる眺めになっていた。
 冬の厳しい北海道での飼育には、冬期間の屋内収容の場所が必要なのは分かるが、こんあハコモノだらけではなかった昔は、どうしていたのだろう。

 円山動物園といえば、しばらく不在になっていたゾウが再び見られるようになったのが話題となっている。
 円山動物園のゾウは、1953年から2007年まで 「 花子 」 がいて、1961年から2006年までの 「 リリー 」 と相次いでいなくなって、しばらく不在のままだった。
 それが、日本とミャンマー連邦共和国の国交樹立60周年を記念して、ミャンマーからアジアゾウ4頭が寄贈されることになって、ミャンマーから空輸により輸送され ( 空輸とは驚く )、11月30日に円山動物園に無事到着した、とのことであった。
 これに合わせて昨年9月に新しいゾウ舎が完成し、この3月12日にオープンした。
 ただし、国内最大級の規模で建設費約30億円とは気張りすぎで、張り切りすぎが却って最新式の監獄のような施設となって疎外感を生んでいるのは皮肉だ。
 おまけに、ミャンマーからアジアゾウがやけに小さく感じられた。
 身近に感じられたもとの展示の様子が懐かしい。温かみの感じられないこんな疎遠な施設で、距離を置いてゾウを見なければならない今の子どもたちが可哀想に思える。
 当事者にはそうした視点は眼中にないようだ。

 今、ポプラやカツラの木がうっすらと緑を帯びはじめて、周囲の山は新芽の赤で 「 春もみじ 」。春一番に咲くコブシが見事。桜のつぼみはまだ固い。

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入園券。こちらはロハだが。

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園内地図。中央奧にゾウ舎。
( 画像をクリックすると拡大します )

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手前にシロクマ舎。このさらに手前には別に広大なシロクマのヤードがある。
中央奧に熱帯雨林館。その後方に札幌中心部のビル群が見える。

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コブシの花。



 4月21日(日)
 昨日20日、お年玉年賀はがきのダブルチャンス賞の当せん番号が発表された。
 下6桁 ( 6桁しかないのだから、「 下6桁 」 はないだろう。フルの6桁だ ) の4本。つまり100万本に4本という呆れるような低い確率。
 それは、年末ジャンボの100万円並みに低い ( 組み番号の制約がないだけマシともいえるが )。
 とはいえ、ご丁寧に10,287本と細かい数字が謳われているが、当選はがきのうちでどれほどが引き替えられるものか。

 今日午前の郵趣会の例会で、ヤフオクの出品をウオッチしたいといったが、早速冷やかしに覗いてみると、早々ともう一件出品されている。
 当選商品の引き替えは明日からだから、まだ現物ではなく、『 平成31年年賀ダブルチャンス賞 ( 特別お年玉切手シート ) 当せんはがき 』。
 「 当たり番号の年賀はがき 」 という訳だ。

 賞品は新元号 「 令和 」 を記念した 「 特別お年玉切手シート 」 であるから、ようやく決まった 「 令和 」 の新元号が刻まれているのはいいが、前に指摘した 「 今 」 様の俗字が使われているのは、ヤレヤレこれまた神経の行き届かぬこと。
 「 シリアルナンバー付き 」 が収集癖をくすぐる。
 「 初物は高く付く 」 という教訓もものかは、気の早いのがもう10人もビットで食らいついている。
 高みの見物のヤジ馬としては、結果が見ものだ。

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シリアルナンバー付きの特別お年玉切手シート。



 4月19日(金)
 昨日、一昨日は25度を超える夏日を記録した所も出たくらいのポカポカ陽気の北海道だったが、一転して今日は、日射しはあるものの風が強く、寒い一日となった。
 そんな中を思い立って、札幌の北となりの町、当別町にある道の駅 「 北欧の風 道の駅とうべつ 」 に行ってきた。
 その点、我が家は札幌市内でも北東の、当別方面へ行くには恰好の場所にある。
 伏古拓北通りを 「 サッポロさとらんど 」 をかすめて真っ直ぐ北へ向かい、生振(おやふる)近くで国道337号の 「 当別バイパス 」 に突き当たって右折すれば、目指す道の駅「 北欧の風 道の駅とうべつ」はそのさきにある。ここまで10キロ足らずの道のり。
 「 曲がり真っ直ぐ 」( 道なりに行って )で、曲がるのはここのただ一ヵ所だけ。
 一昨年の9月にオープンしたこの道の駅は、斬新な道の駅の一つ。
 所在地の 「 当別町当別太 」 は、当別 ( トーベツ=沼の川 )、当別太 ( トーベツ・ブト=当別川と石狩川との合流点 ) の意。
 「 ブト 」 の付く地名は道内各地に多い ( 川の合流点は何処にもあるから )。今をときめくニセコ町が、旧名 「 狩太 」( かりぶと。マッ・カリ・ベツ・ブト=( 山の )後ろを・回る・川・の合流口 ) だった。
 また難読地名の 「 生振 」( おやふる ) の 「 フル 」 は丘で、海岸砂丘の名残りがある。

 道の駅 「 北欧の風 道の駅とうべつ 」 の 「 北欧の風 」 との名は、当別町とスウェーデンのレクサンドが姉妹都市であることや、町内で1983年 ( 昭和58年 ) にスウェーデンヒルズが開発されているなど、スウェーデンとの縁が深いことにちなむ。
 構造材に大断面集成材を使用した大きな三角屋根の大規模木造建築。
 目当ての野菜売り場はさすがにまだ早く、それでも間もなく25日にはオープンする。

 帰りは、正面の丘にスウェーデンヒルズが見えて、誘われるように、約30年ぶりで寄ってきた。
 北欧風住宅地、スウェーデンヒルズ内に日本とスウェーデンとの国際交流の拠点となる 「 スウェーデン交流センター 」 があり、ガラス工芸品や木工芸品などの展示販売も行われているが、残念ながらこの日は臨時休業の張り紙でクローズであった。

 なお、6月に行われる夏至祭には会場として賑わうという。

 スウェーデンヒルズのモデルハウスを見学してきたが、金額もさることながら、さすがにため息の出るような機能美の素晴らしさであった。
 スウェーデンヒルズは紙器のトーモクの住宅事業部門が北国の高機能住宅・スウェーデン住宅を導入した住宅モデル地区。初期の中央から、東のイーストタウン、現在進行中のウエストタウンを含め、すでに450戸が集積しているという。そのユニークな町並みの形成に目を見張る。住民の生活のことや別荘としての利用の割合などを聞き忘れた。

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道の駅 「 北欧の風 道の駅とうべつ 」 の外観。

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大規模木造建築の内部。フードコートになっている。

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スウェーデンヒルズの町並み。



 4月18日(木)
 トリスタン・ダ・クーニャの切手の話で 「 小国に共通する外貨獲得手段としての切手 」 のことに触れた。
 このことについて、以前に書いた記憶があって、確認のために探したがすぐには見つからなかった。ときにサイト内検索機能があったら、と思うことがある。
 改めて腰を据えて探してみたら見つかった。
 「 ミニ国家と切手発行 」 として、2009年9月の第146号に書いている。
 改めて読み返してみると、ミニ国家の定義と類型区分、存立基盤、国土面積比較など、多方面でよく調べている。

 バチカンは52 haの札幌競馬場よりさらに一回り小さく、モナコが目黒区 (14.70㎢) とほぼ等しいことなどに触れ、われわれ切手愛好家にとって馴染みのミニ国家・モナコやサンマリノなどでこんな表を作っている。

   ミニ国家       人口     面積        設定196ヶ国・地域の面積順位
  バチカン          800人     0.44㎢     196位
  モナコ           3.2万人     2㎢      195位
  サンマリノ         3 万人      61㎢     192位
  リヒテンシュタイン    3.3万人    160㎢    191位
  マルタ          39.7万人    316㎢    187位
  アンドラ          7万人      468㎢    180位


 さらに、切手の観点からは、ちょうどトリスタン・ダ・クーニャのように、『 属領も一国家の単位と見なしたリスト 』( 大まかに言えば、切手発行国として数える )、にも触れている。
 仏領のギアナ、ニューカレドニア、仏領南極地域、ポリネシア、レユニオン、グアドループ、ワリス・フツナ、サンピエール・ミクロン・・・ 。
 ニュージーランドの提携国家・クック諸島及びトケラウ諸島。
 英領のフォークランド諸島、南ジョージア島・南サンドウィッチ諸島、マン島、タークス・カイコス諸島、セントヘレナ、ケイマン諸島、ヴァージン諸島、ジャージー、アンギラモントセラト、ガーンジー、バミューダ諸島、ピトケアン諸島 、ジブラルタル・・・。
 これらの地域は、それぞれに独自の切手を発行している。
 セントヘレナは挙げているが、トリスタン・ダ・クーニャには失礼した。

 関係切手の選択は悩ましいが、古典的なミニ国家の例でモナコから、レーニエ大公とグレースケリーの結婚記念の1リーフと、トリスタン・ダ・クーニャと同列の属領の例として同じ英領のフォークランド諸島の1リーフを挙げておきます。

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モナコで1956年に発行されたレーニエ大公とグレースケリーの結婚記念の
8種組みの切手のうちの1リーフ。印刷調整用の大きな耳紙が付いている。( 原寸 )

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1956年に発行されたフォークランド諸島の 「 大西洋横断探検 」 加刷切手の4種と、
公式記念カバーを使用した実逓便のリーフ。( 原寸 )



 4月17日(水)
 NHK BSプレミアムで、大西洋の絶海の孤島でありながら多くの住民が住む英国自治領のトリスタン・ダ・クーニャを紹介した番組にたまたま巡りあって見た。
 タイトル、『 プレミアムカフェ 世界で一番“遠い”島~南大西洋 トリスタン・ダ・クーニャ~ 』 。 2019年4月16日(火) 午前9時00分 (100分) 。
 2011年に初回放送されたもので、縁あって文学座の俳優・粟野史浩が取材のリポーターを務めている。

 「 トリスタン・ダ・クーニャ 」 と聞いて、これをわずかに知る日本人のうちの多くが切手愛好家と言うことになるだろう。あるいは、僅かにロブスターが縁でここに関心を寄せたという人もあるかも知れない。
 ともあれ、日本とは遙か離れた外交上もまず縁の薄い存在です。

 まず、南大西洋の南緯南緯37度、西経12度に位置するトリスタン・ダ・クーニャ島が、タイトルに 「 世界で一番“遠い”島 」 とあるとおり、どれくらい遠いかというと。
 唯一近代社会と結ばれているアフリカの南端、南アフリカのケープタウンから、船で9日。この船、おまけに年に10航海しかないという。距離、2,800キロ。
 あるいは、この島の北方にあるセントヘレナ島からも2,100キロ。南米のリオデジャネイロからは3,400キロあるという。

 改めてトリスタンダクーニャ島は、小豆島ほどの火山島。1961年には全島民264名が避難する噴火もあった ( 噴火の収まった二年後には大半の住民が帰島を選択 )。
 1506年、ポルトガルの探検家トリスタン・ダ・クーニャによって発見され、島の名称は、この探検家に因む。
 1643年、オランダ東インド会社の船 の乗組員によって島への最初の上陸が記録された。
 その後、喜望峰回りでヨーロッパとインド洋を往復する船や、大西洋を横断しようとする船によって、この島は補給地・避難港として利用された。

 19世紀初め以来、その後わずかずつ定住者が現れ、やがてコミュニティも形成された。
 1938年、この島は英領セントヘレナに所属することとなった。

 電力、水道は確保されているが、生活物資は総てケープタウンからの船に頼る。
 小中学校の28人の生徒もいる。
 番組が、産業はロブスターの漁獲と切手と紹介しているとおり、ここでも小国に共通する外貨獲得手段としての切手の発売がある。
 郵便は外界とを結ぶ貴重な存在だが、インターネットも使われるようになり、扱う手紙の数は減ったという。

 行政上はイギリスの海外領土 「 セントヘレナ・アセンションおトリスタンダクーニャ 」 として、元首はイギリス女王であり、女王は総督を派遣し、セントヘレナに常駐する総督がトリスタンダクーニャ総督を兼任している。
 トリスタンダクーニャの切手は1952年から発行され、イギリスの海外領土として万国郵便連合に加盟しており、独立の郵便事業体としてエリザベス女王の肖像やシルエットが付けられた切手を発行している。製造はもちろんイギリス本国ではあるが。
 初期の名品、1960年の美しい 「 海の生物 」 の14種セットを掲げておきます。

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1960年にトリスタンダクーニャで発行された 「 海の生物 」 の14種セット。 ( 原寸 )
3 ペンスの切手に、イセエビのようなトリスタンダクーニャ名産のロブスター。



 4月16日(火)
 郵便趣味の会の先月の例会で入手したもの。
 入手したと言うほどの大したものではないが。
 オンピースだが、田沢3銭に押された日本橋局の消印があまりに鮮明だったもので。
 それで、東京は 「 にほんばし 」、大阪は 「 にっぽんばし 」 で、さてどちらかということが、とっさに頭をよぎった訳で。
 全国の局地名に精通している傍らの仲間に聞けば、即座に 「 東京です。大阪に日本橋と言う名の郵便局はありませんから 」。
 毎度のことで、「 8.11.2 」 の 「8」は大正か昭和か。
 3銭切手は大正なら旧毛紙、昭和なら新毛紙。
 そこで、時刻表示の 「 后4-8 」( 引受時間帯 ) に注目。
 大正8年を含む 「 大正2年~昭和5年 」 の櫛形印の時刻表示は、この時間帯では各地の中央郵便局のような一等局では 「4-5」から「7-8」 までの一時間刻み。
 二等局で 「4-6」「6-8」、三等局では 「3-6」「6-9」 となっており、一方、昭和8年を含む戦時中の混乱期を除く 「 昭和5年~18年。昭和24~25年 」までは全局 「4-8」 に統一となったいた。
 したがって、この消印は昭和8年のものということになる。

 東京・日本橋郵便局の来歴については、『 明治4年3月1日 ( 新暦換算:1871年4月20日 ) に近代郵便制度が始まった際、駅逓司 ( 現在の総務省、日本郵政、及び日本電信電話の源流の一つにあたる機関 ) と郵便役所 ( 東京中央郵便局の前身)が設置された地にあり、「 郵便発祥の地 」 を記念する石碑と銘板、および 「 日本近代郵便の父 」 として知られる前島密のブロンズ製胸像が設置されている。 』 とある。
 日本橋郵便局は、いわば日本の郵便局の原点であったのだ。
 今度折りを見て、一度足を運んでみることにしよう。

 ある関係サイトでの確認によれば、戦後の日本橋局の風景印はデザインを3回変更しており、それぞれの使用期間は1次が昭和26年から39年、2次が昭和39年から60年、3次が昭和60年から平成19年間までで、日本橋郵便局は民営化に伴い、郵便局から支店となって郵便局の位置づけが変わり、風景印も廃止の憂き目を見たらしい。
 まあ、どんな風になったのか、この目で確かめてみたい。

日本橋_0003
昭和8年11月2日の東京・日本橋局の消印のオンピース。

日本橋_0001
戦前の日本橋局の風景印。
昭和9年8月6日から配備。

nihonbashi-26.jpg nihonbashi-39.jpg 日本橋_0002
戦後に三度変わった日本橋局の風景印。左から1~3次。



 4月15日(追加)
 今朝の雨で庭の花が一気に開いた。
 まずクロッカス。

 それから、紫の星形が一面に広がるチオノドクサ。
 チオノドグサ(Chionodoxa)はヒヤシンス科チオノドクサ属の植物。
 和名のように聞こえるが(まして「毒草」を連想してしまう)、学名Chionodoxaの日本語読みである。
 和名ユキドケユリ。雪が解けると一番に咲き出すこの花に相応しい。
 この紫の他に白やピンクのものがある。
 それからピンクのシラー。 シラーもこの他に白や青、紫のものがある。

 去年の秋に植えておいたキバナカタクリの葉が出てきた。楽しみだ。
 キバナカタクリはアメリカやカナダの山地に自生するカタクリで、日本には園芸用として入ってきたもので、別名セイヨウカタクリ。
 黄色のきれいな花だが、楚々とした日本のカタクリに比べると大型で全く別ものとの印象を受ける。

 家のすぐ脇を流れる川幅8m程の伏籠川に、遡上してきたコイを今年初めて認めた。
 いつもこんな時期から上り初めていたのか。
 昔、「 乗っ込み 」( 魚が産卵期に深い所から浅い所へ移動する現象 ) と称する産卵に遡上してくるフナを目当てに、子どもの頃、父親に連れられて毎年、未だ寒さの残る春先に東京から茨城の潮来方面に出かけていた時期があった。それを思い出す。

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クロッカス、チオノドクサ、クリスマスローズものぞいている。

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チオノドクサ。

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ピンクのシラー。

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キバナカタクリの斑入りの葉が出てきた。



 4月15日(月)
 切手趣味の雑誌 「 郵趣 」 とともに、定期購読で毎月送られてくる 「 スタンプマガジン 」( 発行元の郵趣サービス社によれば 「 切手情報と販売カタログの切手ホビー誌 」) の5月号が届いた。
 パラパラと見ていって目に留まったのが、今年がメンデレーフの元素周期律表の発見から150年を記念した切手がいくつかの国から発行されているという記事だった。

 そこで、まず 「 メンデレーフ 」 をググってその英語表記 「 Mendeleev 」 を確認し、今度はこれを検索キーワードとしてeBayで関連の切手を探してみる。
 すると、数え切れないほどにあることあること。

 そして真っ先に眼に飛び込んできたのが、今から50年前、「 元素周期律表の発見から100年 」 を記念して1969年に発行された、メンデレーフを描いた小型シートで、久しぶりに開いたソ連の小型シートのアルバムから引っ張り出した。

 なお、国際連合総会は2019年を 「 国際周期表年 」 と定め、UNESCOをその推進機関として各種のイベントの開催や周知活動を進めている。

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1969年6月20日 ( モスクワの初日印 ) に 「 元素周期律表の発見から100年 」 を記念して、
当時のソ連から発行された、メンデレーフを描いた小型シート。( 原寸 )
「СТОЛЕТИЕ ПЕРИОДИЧЕСКОГО ЗАКОНА」=周期律の世紀
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 4月14日(日)
 その後、追加でeBayに登場した4月6日に次ぐ 「 臨時北部南西諸島 」 関係の二通。
 多くの目をかすめて、あわよくばと自分に都合良く幸運を期待したが、そこはさすがに、そうは問屋が卸してくれない。
 頑張れる範囲を超えたので降参。あとは眼福 ( 目の保養 ) に画像を拝借。

 文教部長・奥田愛正 ( おくだ あいしょう ) は明治36年の生まれ。
 大正12年 3月 鹿児島県立大島中学校卒業。
 大正14年 3月 東京高等師範学校 ( 後の東京教育大学~筑波大学 ) 教員養成所入学。
         三重県立志摩水産学校~鹿児島県立大島中学校に奉職。
 昭和21年12月 大島中学校校長
 昭和24年 6月 臨時北部南西諸島政庁文教部長
 昭和25年11月 奄美群島政府文教部長
昭和27年 4月 琉球政府文教局長 ( 琉球大学理事兼任 )
昭和42~50年 鹿児島県議会議員を2期務めた。


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臨時北部南西諸島政庁・奥田文教部長宛て。久志小中学校 ( 奄美大島・宇検村 )。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )
消印の日付は、1950年3月4日。

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臨時北部南西諸島政庁・文教部長宛て。笠利村立第二中学校。
笠利村 ( かさりむら ) は、鹿児島県奄美大島北東部にあった村。
1961年町制施行・笠利町。
2006年 名瀬市、住用村と合併し奄美市。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します ) 。
消印の日付は、1950年5月7日。



 4月12日(金)
 今度はマリエンヴェルダーの切手。
 マリエンヴェルダーとは聞かない名だが。

 マリエンヴェルダーは、1815年から1945年までドイツ・プロイセン州の一地域( 行政管区 )、西プロイセンの首都であったところで、ベルリンの北40kmに位置する。
 ドイツは第一次大戦に敗れ、ベルリン条約で数々の制裁を科せられたが、この地方は1920年から1922年まで連合国間の委員会の下に置かれた。
 周辺地域とともにポーランドへの譲渡が検討されたが、ここでは住民投票の結果、ドイツへの帰属が選択された。
 1920年に発行された14枚セットの二組で、一つは上部に 「 Commission Interalliee 」( 欧州委員会 )、もう一つは 「 Prebiscite 」( 国民投票 ) と記されている。
 この切手は、外国の切手に初めて日章旗が描かれた第一号の切手である。

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1920年のマリエンヴェルダーの 「 Commission Interalliee 」( 欧州委員会 ) 版。 ( 120% )

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「 Prebiscite 」( 国民投票 ) 版の一枚。
。 ( 300% ) 右上に日章旗が見えるが、日の丸の直径が小さい。
なぜ日章旗となれば、日本が戦勝連合国の一員であったから。



 4月11日(木)
 いま徐々に収集品を市場に戻している。
 蒐集家の責務として、各自の厖大な収集品の始末は自分でつける必要がある。
 切手収集を趣味としてきた者の大方に共通する悩みが引き継ぐ者のいないことだ。
 親子と雖も自分の趣味を無理矢理押しつける訳にも行かず、とはいいながら、これまで情熱とともに注ぎ込んできた収集品は裏を返せばしさんでもあり、むざむざゴミにする訳にも行かぬ。
 幸いこれまでに中国その他の貴重品並びに値がさのものは、あらかた市場に戻したが、全体量はさほど減っていない。
 駄物は論外にしても、概してその足は遅い。

 長年親しんできたこの趣味について、台湾では切手趣味の良いところを、次の熟語で見事に言い表している。
 中国語では切手収集を 「 集郵 」 という。
 それを、「 集郵四益 」 として、「 怡情( いじょう )」、「 益智 」、「 儲財 」、「 会友 」 の四つを挙げている。
 すなわち、「 心を楽しませ 」「 知識が増え 」「 財産にもなり 」「 友にも出会う 」 であり、まさに切手収集の効用を見事に言い当てている。

 また持論で、切手はアーモンドグリコと同じで 「 一粒で二度おいしい 」 といっている。
 すなわち、買って集めて楽しんだ後に、また売る楽しみも味わえる。よく言うところの 「 飲んで、食って、パー ( 楽しんでそれっきり )」 ではなく、まさに 「 切手趣味は二度おいしい 」( 二度楽しめる )。

 今回市場に戻したのが 「 チェコスロバキア共和国亡命政府 」 が発行した小型シート。
 手許にあったのは、15年間くらいか。
 リーフの説明を以下にそのまま写しておく。

 『 1940年、第二次世界大戦勃発にともない、ドイツに国土を蹂躙されたチェコスロバキア共和国は、逃れたロンドンでベネシュを首班とする亡命政府を樹立した。
 その亡命政府が1943年にロンドンで開催したチェコスロバキア切手展を記念して発行した小型シート。
 1943年11月、チェコスロバキアの独立25周年を記念したチェコスロバキア切手展が亡命政権の後援により、グロブナープレイスで多くの政府関係者が出席して開催された。
 一番上の切手には、第一次世界大戦のときにチェコスロバキアの独立のために戦った人びと、( 左から ) エドヴァルド・ベネシュ、トマーシュ・マサリクとステファニク将軍の三人が描かれている。マサリクは第一次世界大戦の終結とともに独立を達成した共和国の最初の大統領となった。 』 

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1943年に亡命先のロンドンで開催された、チェコスロバキア独立25周年を記念した切手展に、
「 チェコスロバキア共和国亡命政府 」 が発行した小型シート。 ( 90% )
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 4月10日(水)
 再び 「 環球華郵研究 」 から。
 先に触れた方邦雄氏の 「 日治時期之“ 臺灣第一 ” ( 日本統治時代の“ 台湾のナンバーワン ” )」 で、「 台湾一の大型最新式灯台 」 が取り上げられている。

 切手の世界では有名なオーロワンピ ( 鵞鸞鼻: ガランピ ) 灯台のことで、その説明に加えて日本統治時代に発行されたオーロワンピ灯台を描いた3種の切手を挙げている。
 説明には、『 開港以前の台湾では、僅かな時代遅れの灯台があるだけで、これらは航行を誘導するには心許ないものであった。清の咸豊10年 (1860年) 第二次アヘン戦争 ( アロー号事件を発端として起こったイギリス・フランス連合軍による中国侵攻戦争 ) の結果、台湾は開港通商を余儀なくされ、条約中 「 商船の安全確保 」 が規定され、台湾にようやく大型の最新式灯台が出現した。はじめは皆小型であったが、光緒9年 (1883年) に至って、大型の最新式の 「 鵞鸞鼻灯台 」 が出現した。

 台湾最南端の鵞鸞鼻岬では船舶の座礁沈没事件が頻繁に起こり、外国政府から清朝政府にたびたび灯台設置の要求が出され、清朝は各国の要求に応えるため、7万両の資金と、イギリス人技師を招き、光緒7年 (1881年) に着工、光緒9年 (1883年) 3月24日、鵞鸞鼻灯台が落成し使用を開始した。

 鵞鸞鼻灯台は海面から55mの高台にあり、塔は4層あり、原住民の侵入を防止するため、特殊な鉄製の塔で、要塞としての構えで、砲台を備え、城壁には銃眼を備え、周囲には濠をめぐらして、兵士を常駐させる、世界で唯一無二の武装灯台であった。
 照射光は10秒間隔で点滅し、光度は2,600燭光、照射距離は20kmに及び、「 東亜の光 」 と呼ばれた。 』

 清国は撤退時 ( 1895年、日本への台湾割譲 ) に、この灯台を破壊したが1898年に日本政府により再建された。しかし、太平洋戦争でアメリカ軍の空襲により再度破壊され、現在の灯台は戦後に再建されたものである。
 このバシー海峡を臨む憧れの白亜の灯台を、昨年の3月27日に訪れてきた。

 戦前、帝国最南端の地であったこの鵞鸞鼻岬を描いた切手が3種発行されている。
一 オーロワンピ灯台が描かれた第1次昭和切手の6銭 ( 昭和14年6月1日発行 )。
二 第2次昭和切手の凹版40銭切手 ( 昭和17年10月1日発行 )。6銭の原版が使われている。
三 第2次昭和切手の凸版40銭切手( 昭和19年2月17日発行 )。凸版は微細な表現ができず、灯台が給水塔のように見える。また、背景の雲もない。

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オーロワンピ灯台を描いた3種。左から、6銭、凹版40銭、凸版40銭。

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凸版40銭の 「 内閣印刷局製造 」 銘版つき10枚ブロック。 ( 原寸 )
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 4月8日(月)
 先日、注文した本が届いた。
 ジャパン・スタンプ商会の 「 即売 」 のコーナーに見付けた「 環球華郵研究 」 の最初の 「 第一期 」( 2015年10月 )。
 見事な装丁だ。

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「 第一期 」 の 「 環球華郵研究 」。


 台湾で出版された 「 環球華郵研究 ( Global research institute for Sino-Philately )」( 中国切手収集のためのグローバルな研究所 )。
 中文、英文併記でも、「 研究 」 と 「 institute 」 とあって悩ましい。
 英文が無ければ、「 全世界中国郵便研究 」 と受け止めそうなところだが。
 「 環球華郵研究 」 は、すでに直近で 「 第六期 」( 2019年2月26日 ) まで発行されている。
 苦労して、台湾から取り寄せた 「 臺湾清代・日治時代舊地名郵戳考 (1888-1945)」 も販売されている。
 「 環球華郵研究 」 の 「 第一期 」 の約20篇の作品には、中島八十一氏の 「 新疆省初期の郵便物 」、稲葉良一氏の 「 南満州鉄道の鉄道郵便印 」、福井和雄氏の 「 日本・台湾間の航空鵜郵便 」 と、日本人三氏の 「 研究 」( 作品 ) も掲載されており、中文、英文に、この部分の日本文も加わっている。

 ところで、先日の台湾の会で、横書きの文章の句読点が話題になった。台湾でもパソコンでの文書作成や、横書きの出版物の増加で、横書きで書かれたものが身近になってきた。
 そして気がついたのが、台湾の横書きの文章の句読点「、」( ただし、「,」)と「。」が、文字間の中央に打たれていることで、「 環球華郵研究 」 でもその実例を見ることができる ( 日本文の部分の点は「、」だが、「 台湾式 」 で文字間の中央に打たれている )。

   その例として、「 環球華郵研究 」 の中で目を引かれた方邦雄氏 ( 台湾の人だが、「 Fang Bang-Hsiung 」 の他に、わざわざ 「 Ho Kunio 」 と謳っているのは、その命名とともに、日本への思い入れがあるものと見られる ) の 「 日治時期之“臺灣第一”( 日本統治時代の“台湾の第一号” )」 の、「 台湾の風景印の第一号 」 の160頁を掲げておく。

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台湾の横書きの文章の句読点、「,」と「。」は、文字の中央に打たれている。
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 左下の各文で、句読点が文字の中央に打たれていることに注目。
 併せて、左上の 「 日本統治時代の風景印 ( 使用局 ) の分布 」 および右上の 「 台北 」 局の風景印の使用例に使われたルイス・カバーにも注目。
 なお、「 国際水路郵件 」 は 「 船便 」 のこと。

 ここで、改めて日本での横書きにおける句読点のこと。
 関係の記述から、以下引用。
 句読点は表記法上は 「 くぎり符号 」 と呼ばれるものの一種で、昭和21年文部省国語調査室作成の 「 くぎり符号の使ひ方(案)」 にまで遡るが、横書きの表記法については昭和25年文部省編による 「 国語の書き表し方 」 の中に言及がある。
 それによると、『 (横書きの) くぎり符号の使い方は、縦書きの場合と同じである。ただし、横書きの場合は「、」を用いず、「,」を用いる 』 とされている。
 一般的には、パソコンの打ち出しでも「、」だが、台湾では「,」(コンマ)が使われている。

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中島八十一氏の 「 新疆省初期の郵便物 」 の冒頭部分の日文、中文比較。
日本文の句読点も台湾式に 「,」と「。」 が、文字の中央に打たれている。
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 最近の学生は横書きで句読点は,(コンマ)と.(ピリオド)を使うのが一般的(?) になっていると聞くが、そんな仕様になっているパソコンもあるのだろうか。
 確かに、最近では「.」を用いる本や雑誌も少なからず出版されているという。
 まず、縦書きは「、」および「。」。
 横書きも「、」と「。」で、「、」には「,」もありだが、いくら横書きでも日本文に「,」と「.」はないでしょう。


 4月6日(追加)
 ウクライナから落札品が届いた。
 3月26日 09:13の現地での発送から11日かかっている。
 書留の追跡番号で 「 国際郵便追跡 」 サービスによる足跡を辿ってみると、
 27日17:56 首都キエフの国際交換局に到着。
 28日21:44 国際交換局から発送。
 あとは飛行機でひとっ飛びと思いきや、これから意外に日数を要しており
 日本の国際交換局である川崎東郵便局に到着したのは、4月2日の18:43 で丸5日かかっている。どこをどうして来たものやら。
 それから、川崎東郵便局での通関手続を経て、
 4日03:00 に、川崎東郵便局から発送。
 5日 13:27、丘珠郵便局に到着。
 そして今日、6日に丘珠郵便局から届けられたという訳です。

 因みに国際交換局とは、国際郵便物の発着の窓口業務を行う郵便局のことで、それぞれの国に設置され、輸出税関・輸入税関等の手続きを経たのち、出発便の航空機に搭載したり、到着便の国内仕分けを行っている。
 海外から国際郵便で到着した荷物は、東京国際郵便局や川崎東郵便局などの国際交換局を経由して届けられている。

 図は中国で1953年8月1日付け ( 建軍節 ) で発行された 「 軍人切手 」 と呼ばれるもので、陸海空軍用の3種があり、軍人向けの無料郵便用に配給されたが、実際には使用されなかった。
 その理由は明らかにされていないが、恐らく思うに、中国も大軍を送り込んでいた3年間に亘る朝鮮戦争が、この直前の1953年7月27日の休戦協定 ( 国連軍と中朝連合軍による朝鮮戦争休戦協定 ) で終結したためではないか。

 使用が中止されたにもかかわらず、どうしたことか陸軍用と海軍用の一部が市場に出回り、海軍用は殆ど確認されていない。
 ここに掲げたのはその希少品のレプリカ。

 なお、中国の建軍節 ( 建軍記念日 ) は、1927年8月1日の 「 南昌蜂起 」( 武装をもって国民党に反抗した最初の戦い ) に由来しており、この切手にも見られる 「 八一 」 の文字は軍旗にも記されて中国人民解放軍のシンボルとなっている。

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中国の1953年の 「 軍人切手 」 3種のレプリカ。左から、陸・空・海軍用。 ( 原寸 )
( 画像をクリックすると拡大します )



 4月6日(土)
 表の宛名書きに 「 臨時北部南西諸島 知事中江実孝殿 」。
 裏面には差し出し側の名が 「 與論村役場 」( 与論島 ) と記されている。
 消印が不鮮明だが、以下のことから時期は1946年10月~1953年末まで。
 何かの封筒を再利用したもので、裏面の上部に 「 昭和19年4月1日以降有效 」 と記されている。

 南西諸島は、九州南端から台湾北部に連なる島々の総称で、大隅諸島 ( 種子島、屋久島 )、吐噶喇(トカラ)列島、奄美群島、沖縄諸島、宮古列島、八重山列島と区分された島嶼群で構成されるが、狭義には吐噶喇(トカラ)列島と奄美群島を合わせた、ここで言う 「 北部南西諸島 」( 鹿児島県 ) と、沖縄諸島、宮古列島、八重山列島を合わせた沖縄県( 明治12年に廃藩置県により琉球藩廃止。沖縄県設置)とに区分される。

 「 臨時北部南西諸島政庁 」 は、戦後沖縄とともにアメリカ軍占領下の奄美群島およびトカラ列島に設置された行政機構で、1946年10月3日に設置された。
 臨時北部南西諸島政庁知事には鹿児島県大島支庁長の豊島至が任命された。
 アメリカ軍は奄美群島を 「 Northern Ryukyu( 北部琉球又は北琉球 )」 と呼称したが、中江実孝 ( 豊島の急死により1946年9月に就任 ) をはじめとする早期の日本復帰を望んでいた奄美側はこの名称から、沖縄県と一体にされ復帰が大幅に遅れる事を危惧し、日本語名称から 「 琉球 」 の文字を排除した ( 当初アメリカは琉球を、日本から分離独立させることも計画していた)。

 沖縄は1972年に 「 祖国復帰 」 するまで、その後も長くアメリカの施政権下にあったが、1952年の平和条約による日本の主権回復を機に、アメリカは、基地が少なく復帰運動の激しい奄美群島の統治を諦め、1952年にトカラ列島が、残りの奄美群島も翌1953年に日本に返還された。

 このことについては他の材料で、2016年5月の第226号 『 臨時北部南西諸島政庁の設置から奄美群島復帰まで 』 として書いている。

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戦後間もなく、アメリカ軍占領下の奄美群島およびトカラ列島に設置された行政機構
「 臨時北部南西諸島政庁 」 に関わるエンタイア。
( 画像をそれぞれクリックすると二段階で拡大します )



 4月4日(木)
 新元号の発表に伴って掲げられた 「 令和 」 の字。( 図1 )
 麗々しく掲げたはいいが、誰が書いたものやら、折角の晴れの舞台にあまり上手な字とは言えないが。
 それはともかく、筆字のことだからこれも「許容」の範囲なのかも知れないが、子どもじゃあるまいし 「 止め・跳ね・払い 」 をとやかく言うつもりはないが、「 点 」 と 「 跳ね 」 に異義あり。

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図1 新元号の発表に掲げられた 「 令和 」 の字。

 「 令 」 の字音のこと、漢音の 「 レイ 」 と呉音の 「 リョウ 」 については昨日ふれた。
 今日は字体のこと。
 日本の常用漢字 ( 小学4年配当の教育漢字 ) の字体は 「 令 」 とされており、漢和辞典では 『 「今」の字に点を打つ字 』 は俗字とされている。( 図2 )
 ところが、漢字の本家、中国の簡体字 ( 図3。中国の新華字典 ) はともかく、旧字が使用されている台湾 ( 図4。教育部標準字体 「 標準國語辭典 」) でも、日本で俗字とされているこの字体が 「 本字 」 とされている。

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図2 漢和辞典では 『 「今」の字に点を打つ字 』 は俗字とされている。

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図3 中国の中国の 「 新華字典 」 の「 令 」。

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図4 台湾の 「 標準國語辭典 」の「 令 」。

 書体の例を示す。 左から、ゴシック体、明朝体、教科書体、楷書体、行書体、草書体。(図5)
 何、教科書には俗字とされている 「 教科書体 」 が使われているのか。
 また、『 常用漢字表 』 による 「 明朝体と筆写の楷書との関係について 」 示す。( 図6 )

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図5 書体の例を示す。 左から、ゴシック体、明朝体、教科書体、楷書体、行書体、草書体。

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図6 「 明朝体と筆写の楷書との関係について 」

 「 令 」 が漢字の一部として使われる 「 鈴木 」 の 「 鈴 」 の字について、銀行だか郵便局で書き字で一般的な 『 「今」の字に点を打つ字 』 を書いたら書き直させられたとかで、鈴木さんが憤慨していた。
 目に余る、最近の子供の名前に見る 「 デタラメ読み 」 が横行する一方で、許容を知らぬ半可通の石頭が困る。
 因みに 「 鈴 」 の字音は、漢音の 「 レイ 」、呉音の 「 リョウ 」、唐音の 「 リン 」 で三音そろい踏み。


 4月3日(水)
 近くの 「 百合が原公園 緑のセンター 」 の大温室に行ってきた。
 外は風が冷たいが、温室はツバキの仲間が咲き競い、真っ先に春を告げるフクジュソウとミモザ ( ギンヨウ(銀葉)アカシア。オーストラリア原産 ) の花が満開で大勢の人が訪れている。
 さすがにまだ外では、スノードロップとクリスマスローズを見るくらい。
 フキノトウが顔をのぞかせている。

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「 百合が原公園 緑のセンター 」 入口。

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入口の大株のシンビジューム

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大温室の入口

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いろいろなツバキが咲き競う。

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中央の大きなミモザの金平糖のような黄色い花が満開。

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ミモザの花のアップ画像。

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フクジュソウ

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フキノトウ

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スノードロップ

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黄色いクリスマスローズ。



 4月2日(火)
 大いに話題を賑わせた末に、元号が 「 令和 」 に決まった。
 平成のときと同じで、多少の違和感は慣れるまでの話で、慣れてしまえばどうということもなくなるのだろうが、漢音の 「 れい 」 の音はやはり固い感じ。典故に基づく音の縛りから 「 れい 」 と読むのは仕方がないとしても、音だけの話なら呉音の 「 りょう 」 の方が柔らかい感じで、「 りょうわ 」 の響きなら好ましいのに。
 「 令 」 はやはり 「 勅令 」 だの 「 軍令 」 だのの 「 お達し 」 の意味合が第一義に思い浮かぶ。
 「 良い 」 という意味での 「 令夫人 」「 令妹 」 といった敬称に用いられる例もある。
 「 県令 」 などという場合は 「 おさ(長) 」 の意味。
 漢和辞典に見る熟語は 「 律令 」「 令外(りょうげ)」 以外は殆ど 「 れい 」 と読むものだが、「 れいわ 」 の音はどうも据わりが悪く、「 りょうわ 」 に軍配を上げたい。

 「 令和 」 の意味がどうしたら政府発表が言う 「 人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ 」 になるのかこじつけがましく、首を捻るが。
 海外メデイアは、BBCが、令和の 「 令 」 の字は 「 order(秩序) 」 や 「 command(命令) 」、「 和 」 の字は 「 peace(平和) 」や 「 harmony(ハーモニー) 」 を意味する、と書いているが、そんなところが字義からの通り相場だろう。

 「 令和 」 の出典は、これまでの一貫とした漢籍から脱して、初めて日本の最古の歌集 『 万葉集 』 の 「 梅花 (うめのはな)の歌 」 三十二首の序文にあるという。

 関係部分の一節は 『 初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。 』
 『 初春の令月にして、気、淑 (よ) く、風、和 (やわら) ぎ、梅は鏡前 (きょうぜん) の粉 (こ) を披 (ひら) き、蘭は珮後 (はいご) の香 (こう) を薫 (かお) らす。 』( 初春の良き月(「令月」)、空気は澄み、風は穏やかで、梅は女性が鏡の前で白粉の蓋を開けた時のように花開き、蘭(香草の総称)は、通り過ぎた女性の匂い袋の残り香のように漂っている。 )

 大本の出典はやはり中国の張衡の 『 帰田賦 』 「 於是、仲春令月、時和氣淸、原隰鬱茂、百草滋榮 」 にあるという。( 結局は万葉集ではないではないか )
 因みに、各年号の命名の由来を確認しておくと、
 「 明治 」 が、『 易経 』 の 「 聖南面而聴天下、嚮明而治 」( 「 聖人が南を向いて政治を行えば、天下は明るい方向に向かって治まる 」) を出典とし、
 「 大正 」 も、『 易経 』 の 「 大亨以正、天之道也」( 「すべてとどこおりなく順調に運び、正しさを得る 」)、
 「 昭和 」 が、『 書経 』 の 「 百姓昭明、協和万邦 」( 「 国民の平和と世界の共存共栄を願う 」)、
 「 平成 」 が、『 書経 』 の 「 地平天成」と、『 史記 』 の 「 内平外成 」( 「 天地、内外ともに平和が達成される 」) と各々が明確であるのに対し、「令和」は通例の出典とも典拠とも言い難い。

 各界の有識者から意見を聞く 「 元号に関する懇談会 」 のメンバーの中に漢字・漢文学方面の専門家がいないのは、うるさいのは排除しておいて、原案をあっさり通すためのメンバー構成のようで胡散臭い。

 ところで、留萌管内の小平町 ( おびらちょう ) に明治の開拓期に入植した奈良県出身の農場主が出身地の古名を取って 「 寧楽(なら)農場 」 と名付け、地域名としても名を残した。
 「 寧楽 」 は 「 なら(奈良)」 で、万葉集に有名な 「 あをによし 寧楽 (なら) の京師 (みやこ) は咲く花の 薫 (にほ) ふがごとく 今盛りなり 」 がある。
 ワンポイントには講談社文庫の万葉集を。「 原文付全訳注 」 が素晴らしい。
 中西進は驚異の万葉学者。

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中西進の万葉集。



 4月1日(月)
 4月になりました。
 今年の札幌は雪解けが早く、道路はすっかり雪から解放されて、ようやく春の到来です。
 2月に三浦半島で待望の河津桜を見てきましたが、流石に札幌の桜は連休時期を待たねばなりません。

   今月の原稿をアップしました。
 東京の故郷の家の近くにあるゆかりの 「 下谷龍泉寺町 」 郵便局の消印をもとに、現在の 「 台東竜泉 」 局の来歴を記した 『「 下谷龍泉寺町 」 郵便局の消印 』 と、これを機に、書きかけだったものをまとめた、樋口一葉との縁を綴った 『 樋口一葉のこと 』 の二本の合わせ技です。

 「 下谷龍泉寺町 」 郵便局 ( 現・「 台東竜泉 」 郵便局 ) の来歴に、『 1904年 (明治37年) 3月15日に開局し、1945年 (昭和20年) 4月30日に廃局となり、1958年 (昭和33年) 10月1日に 「 台東竜泉寺局 」 が開局し、1968年 (昭和43年) 5月1日に 「 現・台東竜泉 」 に改称されている。 』
 そして『1945年(昭和20年)4月30日の下谷龍泉寺町局の廃局は、この辺一帯がで灰燼に帰したことによるのもだろう。』 と書いている。  3月10日の東京大空襲の日を控えた2~3月の上京の時に訪れた 「 すみだ郷土文化資料館 」( 墨田区 ) の企画展で、改めて東京大空襲の悲惨さを知り、被害の惨状に憤りを覚えた。
 当時の本所区と向島区を合わせた墨田区は戦死者の数とともに焦土となった割合が一番高かった地域で、本所区の焼失区域は実に96%、向島区は56%で、二つの区を合わせた現・墨田区の約70%以上が焼失している。
 このことについて、次号のために 『 東京大空襲と関東防空演習記念印 』 を書いている。

 ところで、北海道は雪のシーズンに対応して、春と秋の年二回、冬タイヤの履き替え(これは多分 「 北海道言葉 」 でしょう。「 タイヤの交換 」 とでもいうのでしょうか ) という 「 作業 」( といっても、こちらはいつも横着して車屋に頼んでしまう口ですが ) を要します。
 「 秋は早めに、春はゆっくり 」 が鉄則です。
 去年は4月13日に夏タイヤに履き替えている。そろそろ段取りしてもよい頃だ。

 3月18日にも載せたところですが、先取りで、昭和8年に行われた関東防空演習の記念印 ( 横浜。昭和8年8月10日 ) を掲げておきます。上空を向いたラッパ状のものは敵機の爆音を捉える 「 聴音機 」 であるらしい。

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昭和8年に行われた関東防空演習の記念印 ( 横浜。昭和8年8月10日 ) ( 150% )



 

2018年一覧表



札幌中央支部会報 「郵趣・赤れんが」掲載郵趣エッセー 2018年分 ー覧表

2018年 号数 タイトル
12月 257  郵便消印に見るアイヌ語地名(下)      5頁
11月 256  郵便消印に見るアイヌ語地名(上)   4頁
 10月 255  続・日本統治時代の台湾消印   5頁
 号外  ペニーの略号「d」やポンドの記号「£」などについて  2頁
 9月 254  金門島関係二題   4頁
 8月 253  終戦を挟んで ( 第二次昭和切手・大東亜共栄圏地図切手貼りのエンタイア )      4頁
 7月 252  台湾の捕虜収容所から米宛て捕虜郵便はがき  3頁
 6月 6月23日  アイヌ語地名研究大会講演 「 郵便消印に見るアイヌ語地名 」  11頁
251  東京・神田 万世橋のこと    3頁
 5月 250  金瓜石と金包里( 日本統治時代の台湾消印 )   4頁
 4月 249  北海道誕生150 年  4頁
 *  台湾国立故宮博物院南院開館記念切手の小型シート  2頁
 3月 248  第五方面軍司令官・樋口季一郎宛てのエンタイア  3頁
 *  有名なトルコの八角形切手のフルシート 2頁
 2月 247  札幌大通公園にまつわる話     5頁
 1月 246  愛国切手誕生の背景  4頁


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東京駅付近の高架鉄道 『 東京・神田 万世橋のこと ( 2018年6月第251号 ) 』

2017年一覧表



札幌中央支部会報 「郵趣・赤れんが」掲載郵趣エッセー 2017年分 ー覧表

2017年 号数 タイトル
12月 245  北戴河から 「 香港九龍沙田禾輋邨 」 宛てのカバー     2頁
11月 244  明治の外信絵はがき 「 東京府下北豊島郡滝野川 」  3頁
10月 243  日本の国技・相撲について(下)      4頁
 9月 242  日本の国技・相撲について(上)   4頁
 8月 241  終戦直前の旅順宛て封筒 ( 併せて 「 八紘一宇 」 について )     2頁
 7月 240  ハルビン・秋林公司本社からドイツ宛のカバー  3頁
 6月 239  家紋の話 ( 下 )      5頁
 5月 238  家紋の話 ( 上 )   5頁
 4月 237  対馬の話  3頁
 3月 236  戦前の台湾の絵封筒  2頁
 2月 235   ニュージーランド海軍巡洋艦ガンビアに係わるニセカバー   2頁
 1月 234  世界の高層建築物の歴史  5頁


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 北戴河から 「 香港九龍沙田禾輋邨 」 宛てのカバー ( 2017年12月第246号 )  

2016年~一覧表

       
2016年 号数 タイトル
12月 233  南洋群島トラック島碇泊、神戸高等商船学校練習船進徳丸乗組員宛て封  3頁
11月 232  戦後日本人引き揚げ者に対する大連電話局の通信事務封緘  2頁
10月 231   関連マテリアルから知る満蒙開拓団の悲劇 ~ 映画 「 望郷の鐘 」 と重ねて ~    5頁
09月 230(1)  胆振・壯渓珠(ソーケシュ)局の消印   1頁
230(2)  手彫り切手のオーソリティ、市田左右一氏ゆかりのカバー 2頁
08月 229  入札三題、初日カバーの話 4頁
07月 228  中華郵政史 5頁
06月 227  エベレスト、第三次イギリス遠征隊にかかわるシール 3頁
05月 226  臨時北部南西諸島政庁の設置から奄美群島復帰まで 5頁
04月 225  サザーランド切手について 6頁
03月 224  東京商船学校練習船月島丸  2頁
02月 223  テレジン収容所の小包切手    2頁
01月 222  カール・ルイスの新商売    4頁
2015年 号数 タイトル
12月 221  再び 「 日本統治時代の台湾消印 」 について (下)   6頁
11月 220  再び 「 日本統治時代の台湾消印 」 について (上)  6頁
10月 号外  港区赤坂のアメリカ大使館と横浜にあった総領事館  3頁
09月 218  ルイス・カバーについて(下)  7頁
08月 号外  台北駅の変遷  2頁
07月 216  ルイス・カバーについて(上)  8頁
06月 215  北海道消印・アイヌ語由来の地名  4頁
05月 214  清国宛てエンタイヤ3通  5頁
04月 213  洋画家・金子博信の絵はがき  3頁
03月 212  (続)有名人の関連アイテム ~ 横山大観 ~  5頁
02月 211  伊豆の南端、石廊崎の長津呂にまつわる話 ~ 特攻兵器「震洋」の基地があったところ ~  4頁
01月 210  大学関連マテリアル 8頁
2014年 号数 タイトル
12月 209  戦前の台湾の風景印 8頁
11月 208  有名人の関連アイテム  6頁
10月 207  紙ものコレクション( 印紙類 )   7頁
09月 206  砲艦ツツイラ号関係カバー二点  6頁
08月 205   誌上「なんでも鑑定団」  6頁
07月 204  佐久間ダム関係マテリアル(映画「東京原発」とからめて)   5頁
06月 203  1936年、白十字会クリスマス・シール帳の完本  4頁
05月 202  船内局印(SEA POST)/ 船旅の黄金時代(その3)  7頁
200号記念誌  200号記念誌に寄せて ( 100号から200号までの時間 ) 9頁
04月 201  船内局印(SEA POST)/ 船旅の黄金時代(その2)  7頁
03月 200  船内局印(SEA POST)/ 船旅の黄金時代(その1)  5頁
02月 199  1929年中国、パリ~東京間特別飛行の航空カバー(広州~上海)   4頁
01月 198  「北海道後志支庁忍路郡塩谷村」宛ての外信絵はがき二点   4頁
2013年 号数 タイトル
12月 197  水原明窓ゆかりの二点 5頁
11月 196  日本統治時代の台湾消印 10頁
10月 195  航空機の切手(特徴ある二機種について) 4頁
09月 194  富士山、よくぞ世界遺産に 6頁
08月 193  東京・わが心の故郷、ゆかりの二点  +「東京、わが街」(8頁) 5頁
07月 192  北朝鮮の出品にまつわるエピソード 6頁
06月 191  北杜夫とファーブルと 6頁
05月 190  明治の絵はがき「駅弁売り」の図 3頁
 逓信総合博物館の閉館 3頁
別冊  台北紀行(下) 15頁
04月 189  文革関係マテリアル三題 4頁
03月 188  燕京大学関連マテリアル 4頁
別冊  台北紀行(上)( 郵政博物館と?嶺街の切手商 ) 10頁
02月 187  切手に見られる言語と文字について(下) 4頁
01月 186  ミント・未使用・使用済み、その落差  6頁
2012年 号数 タイトル
12月 185  切手に見られる言語と文字について(中) 5頁
11月 184  中国の郵票冊、二点 4頁
10月 183  切手に見られる言語と文字について(上)  5頁
09月 182  三井物産のカバー二点 4頁
08月 181  ジャーマン・ステーツ(領邦国家郵政)とプリバート・ポスト(ドイツ民間郵便) 8頁
07月 180  1968年・北朝鮮「朝鮮民主主義人民共和国20周年記念」8種連刷 3頁
06月 179  関連マテリアルから偲ぶ「郵便友の会」(6頁)+「郵趣の楽しみ」(7頁) 13頁
05月 178  フライング・タイガース(飛虎隊)関連マテリアル 17頁
04月 177  「切手」は各国語で何という 6頁
03月 176  「北方四島」のタブの付いたボーガス 3頁
02月 175  チャールトン・ヘストン宛のファンレター 4頁
01月 174  その後のイザワ・エイジ氏 3頁
別冊  郵便以前「アイヌの郵便」 3頁
2011年 号数 タイトル
12月 173 大英帝国の版図が描かれたカナダの切手について 3頁
11月 172 ジョージ6世とその時代(英領植民地の「地誌シリーズ」) 7頁
10月 171 在満州国日本領事館のマテリアル 6頁
札幌オリンピック冬季大会の扉 1頁
2011「北海道郵趣大会in旭川」を記念して 1頁
09月 170 リビア、二つの首都 3頁
08月 169 オールド上海の建築物(下) 8頁
07月 168 オールド上海の建築物(上) 10頁
06月 167 ウォルデンブルグ収容所郵便(ポーランド) 8頁
05月 166 Lagerpost Bando(板東収容所郵便)マテリアル 3頁
04月 165 沖縄暫定切手 丸検印 1947-48(参考品) 3頁
03月 164 Red Period(赤の時代)~ アメリカ 1926-32 ~ 10頁
02月 163 インドの一番切手・シンド州切手とインド藩王国の切手 7頁
01月 162 八十余年ぶりの邂逅 4頁
2010年 号数 タイトル
12月 161 「花柳」の世界 6頁
別冊 台湾鉄路一周の旅(13頁+11リーフ) 24頁
11月 160 エスペラント関係マテリアル 6頁
10月 159 有名なシンデレラ、南モルッカ共和国の切手 8頁
09月 158 インドネシア独立時期のウィーン版の切手について 6頁
08月 157 中国人民志願軍兵士差し立てカバー二通 5頁
07月 156 朝鮮近代郵便史 6頁
新・国際返信切手券(第七様式)について 3頁
06月 155 「中国占領地域」の時代 (Ⅱ蒙疆編) 8頁
朝鮮戦争ソウル占領北朝鮮二重丸印加刷 1頁
別冊 ミニ切手展「世界各国から届いた美しい郵便物」の開催 2頁
05月 154 「中国占領地域」の時代 (Ⅰ華北編) 6頁
04月 153 一枚の絵はがきから(屯田兵について) 5頁
03月 152 リーフ解説・オランダ領東インド 5頁
02月 151 カリカチュア(風刺画) 6頁
01月 150 「御料林」「北海道模範林・公有林」のマテリアル 7頁
2009年   号数 タ イ ト ル
12月 149 一枚の絵はがきから(東京日日新聞ニッポン号の世界一周飛行) 3頁
リーフ解説 マニラ大聖堂 2頁
別冊 私の1リーフ 中国解放区の布票 1頁
私の1リーフ 戦後満州のソビエト軍票 1頁
号外 セントローレンス運河中央逆刷エラー 2頁
11月 148 一枚のはがきから(白系ロシア人にまつわる話)
~ 東京・神田の白系ロシア人の業者から、中国・青島の切手商あてのはがき ~
5頁
10月 147 一枚のはがきから(郵便配達員の殉難)
~ 併せてアイヌの郵便逓送人・吉良平治郎のこと ~
5頁
09月 146 ミニ国家と切手発行 7頁
巻頭コラム 九月、初秋の候となりました 1頁
参考資料 三船殉難事件 3頁
08月 145 リーフ解説・モンテカルロ自動車ラリー 4頁
07月 144 TWA世界一周便の就航記念カバー 7頁
1932年・ニューファンドランドの民間航空切手 1頁
06月 143 映画の中に題材あり(「ショアー」と「ヒットラーの贋札」から) 5頁
別冊付録 北海道立文書館に眠るエンタイア 5頁
05月 142 浅草凌雲閣(十二階)の絵葉書 5頁
04月 141 民信局と僑批局について 5頁
03月 140 中国の公用便「公文封」について 4頁
02月 139 ロンドン王立郵趣協会主催切手展のスーベニア 3頁
01月 138 旧制中学入試問題集から 7頁
2008年   号数 タ イ ト ル
12月 137 クリスマスシール(複十字シール) 3頁
これでも届いた??? 2頁
別冊 eBayにまつわる話 5頁
11月 136 タロとジロ、奇跡の生還(第一次~三次南極観測隊) 4頁
付録 多彩な船歴を全うした「宗谷」 4頁
10月 135 万国郵便連合(UPU)にかかわるマテリアル 4頁
09月 134 反共フランス義勇軍 4頁
号外 「税済」消印にかかわる後日談 4頁
08月 133 開道140年(北海道庁関連マテリアル) 6頁
07月 132 地震の話~中国・四川大地震から~ 6頁
06月 131 私の1リーフ 「私の好きな小型シート(8)」
「ウルグアイ・モンテビデオ切手展開催記念小型シート」
2頁
05月 130 スエズ運河国有化宣言記念切手初日カバー 4頁
04月 129 中国の特異な速達切手、「快逓郵票」について 3頁
03月 128 二人のボース 6頁
別冊資料 二人のボース「関連資料」 11頁
02月 127 フランスの香りパリの香り 4頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(7)」
「ソビエト切手発行25周年記念小型シート」
2頁
01月 126 ツール・ド・ポローニュ(ポーランドの自転車ロードレース) 3頁
私の1リーフ 「ワルシャワの人魚」 1頁
2007年   号数 タ イ ト ル
12月 125 米ソ合同探検隊のベーリング海峡横断 3頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(6)
「ベルギー、Orval修道院修復のための附加金付き小型シート」
1頁
11月 124 1970年・北朝鮮「朝鮮労働党第5回大会記念小型シート」を巡って ~ 4頁
10月 123 竹島問題(「 独島 」のマテリアルから) 4頁
09月 122 大きな大きな小型シート(ドイツ民主共和国誕生15周年記念小型シート) 3頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(5)」
「キプロスのボーイスカウト切手小型シート」
1頁
08月 121 古文書入門(挨拶状を材料として) 4頁
号外 二重丸印・利尻島局について 4頁
07月 120 1968年・北朝鮮「朝鮮人民軍創設20周年記念小型シート」(4P+資料1) 4頁+資料1
06月 119 書信往来 3頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(4)」
「ガボン、1970年航空切手のミニシート」
1頁
05月 118 私の1リーフ
「ウルグアイ/モンテビデオ~フロリダ間のFFC」
1頁
号外 あなたの誕生日は何曜日? 1頁
04月 117 ノー・モア・ヒロシマ ピース・フロム・ナガサキ 3頁
03月 116 硫黄島の戦い(Battle of Iwo Jima) 4頁+新聞2
別冊 ルーズベルトに与うる書 6頁
02月 115 私の1リーフ (エンタイヤを読む)
「満州国第二次航空切手39分一枚貼り」
1頁
01月 114 円形の切手 4頁
2006年   号数 タ イ ト ル
12月 113 私の1リーフ 「私の好きな小型シート(3)」
「キューバ・切手発行100年記念にAAMS大会加刷」
1頁
11月 112 遺愛女学校 3頁
私の1リーフ (2006年ビザなし交流から)
「北方領土択捉島からのカバー」
1頁
10月 111 (北海道会員大会展示記念)
私の1フレーム「中国解放区東北各区三題
3頁
09月 110 似ている(似通ったデザインの切手) 3頁
08月 109 バナナの話 3頁
07月 108 変形切手の原点、三角切手 4頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(2)」
(ルーマニアの正三角形シート)」
1頁
06月 107 ロングリレー/蒋介石誕生日記念印の押印20年 4頁
05月 106 記念印/東京アンソロジー 4頁
04月 105 南洋の話+資料 6頁
03月 104 私の1リーフ 「私の好きな小型シート」(ロシア十月革命40周年記念) 1頁
02月 103 ワルシャワ蜂起とポーランド亡命政権 4頁
01月 102 ウラジオストク反共政権発行「プリアムール加刷」記念貼りカバー 3頁
私の1リーフ 「ポツダム会談を伝える中国の宣伝ビラ」 1頁
2005年   号数 タ イ ト ル
12月 101 国際返信切手券 4頁
11月 100 ラトビアの地図切手について 4頁
100号記念誌 表紙+会報の名称「赤れんが」について 2頁
札幌ボタ印における手へんの「扎」について 1頁
私の1リーフ 「ロシア附加金付きミニチュア切手のフルシート」 2頁
10月 99 エルトゥールル号の遭難(日本とトルコ、友好交流の原点) 5頁
別冊資料 日本とトルコの関係史概説
山田寅次郎伝
エルトゥールル号事件のこと
6頁
09月 98 オーストラリア・シドニーとマダガスカル・ディエゴスアレスを結ぶもの(特殊潜航艇の話) 5頁
08月 97 北海道行政区画の変遷(「函館区」の時代について) 3頁
07月 96 1979年・ブルガリア「Philaserdica’79」 4頁
巻頭コラム いかに郵趣への理解を広げるか 1頁
06月 95 コロンビアの初期航空切手 3頁
05月 94 ロードス島異聞 3頁
04月 93 満州鉄道まぼろし旅行 5頁
03月 92 セラソップ・セトラックの謎 3頁
02月 91 タンヌツーバの切手 4頁
01月 90 一九七九年・香港中国切手展記念カード 6頁
2004年   号数 タ イ ト ル
12月 89 明治天皇の函館上陸記念碑 4頁
11月 88 ウラジオストク物語 4頁
「集郵」すなわち「益智」である 2頁
10月 87 函館大火(千島・択捉島別飛から函館大火を見舞う) 3頁
09月 86 誕生日へのこだわり 2頁
明治から大正へのサドル便 1頁
オークションから(函館ロシア領事館差立てのカバー) 2頁
08月 85 日の目を見なかった第1次及び2次昭和切手の原画 3頁
07月 84 有名人にかかわるマテリアル 3頁
06月 83 久米島切手のシートを巡って 3頁
05月 82 昆虫館へようこそ(蝶に関するマテリアル) 5頁
私の1リーフ 「ホワイトロシア」 1頁
04月 81 TABROMIKのラベル(ポーランドの民間航空切手) 3頁
03月 80 男爵コルヴィザール 2頁
02月 79 謝文東のドクロ切手について 3頁
01月 78 樺太の日露国境境界標について 3頁
2003年   号数 タ イ ト ル
12月 77 ハングルの勧め(ハングル表付き) 4頁
11月 76 小さな同志への手紙
(昭和18年、東郷4銭貼第四種郵便について)
3頁
10月 75 雁の便り 3頁
09月 74 偽物百科 3頁
08月 73 札幌村郷土記念館に展示された思いがけないマテリアル 3頁
私の1リーフ「ポルトガル植民地」 1頁
07月 72 シンデレラを紹介します 3頁
以下は「豊かな日々のつれづれに」に掲載
06月 71 古書目録の中に見つけた「附加金付アイヌ紀念切手発行願」 2頁
05月 70 国旗をテーマに 3頁
04月 69 エピルスの切手について 3頁
03月 68 昭和11年、北海道陸軍大演習 4頁
02月 67 シベリア出兵にかかわるチェコ軍団の切手について 3頁
01月 66 オオカミの乳を飲む双子の兄弟の不思議な像を描いた切手 3頁
2002年   号数 タ イ ト ル
12月 65 極東選手権競技大会について 3頁
私の1リーフ「エンタイアの裏側に注目」 1頁
11月 64 一通のカバーから(中国の水害にまつわる話) 3頁
10月 63 何がどうということもないのだが、多数貼りの魅力
(ニューギニアとサモアのカバー二点)
3頁
09月 62 手に入れたばっかり!最近のトビキリの入手品
(東京帝国大学附属樺太演習林)
3頁
08月 61 モーリシャス・ポストオフィス切手の記事に応えて 2頁
07月 60 マテリアルを俎上に その5
「漁師の日」記念の初日カバー
3頁
06月 59 マテリアルを俎上に その4
ブラジル1843年、牛の目
3頁
05月 58 マテリアルを俎上に その3
皇太子殿下北海道行啓紀念、下々方44-9-11
3頁
04月 57 FFCは一対のものである
日本航空・東京~札幌線深夜割引夜行便オーロラ号就航
2頁
03月 56 手に入れたばっかり!最近のトビキリの入手品
(千島択捉島年萌局留置・単冠湾碇泊農林省海洋調査船)
2頁
02月 55 中国切手研究会「これはいくら?」のコーナーから
(旅順バイリンガル偽カバーと中華民国大型公用封筒)
3頁
01月 54 郵趣にまつわる年号の話と、その関連マテリアル その2
「紀元2600年記念貯金シール」「檀紀年号」
3頁
2001年   号数 タ イ ト ル
12月 53 郵趣にまつわる年号の話と、その関連マテリアル その1
「成紀年号」「主体年号」
3頁
11月 52 千島関係マテリアル二題 3頁
10月 51 マテリアルを俎上に その2  ツェッペリン号訪日記念絵はがき 3頁
私の1リーフ「北大VS小樽商大」 1頁
09月 50 切手の図案と配色について 4頁
08月 49 映画「阿片戦争」における一場面
ペニーブラック誕生にまつわる秘話
3頁
07月 48 マテリアルを俎上に その1
ASDA(米国切手商協会)切手展のスーベニア・シート
3頁
06月 47 第一次昭和切手厳島30銭凹版切手の無目打について 2頁
05月 46 みせびらかしで失礼します その4
ロンドン国際切手展のスーベニア・シートについて
3頁
04月 45 みせびらかしで失礼します その3
帝政ロシア時代の地方切手「ゼムストーボ切手」
3頁
補足資料 4頁
03月 44 みせびらかしで失礼します その2
中国解放区・旅大区の「郵票彙編」について
3頁
別冊 別冊 独断・郵趣川柳批評 3頁
02月 43 みせびらかしで失礼します その1の(2)
中国解放区・安東第二版切手の裏面について
3頁
01月 42 トピックス(「3シリングバンコ」について) 2頁
会員紹介 1頁
2000年   号数 タ イ ト ル
12月 41 みせびらかしで失礼します その1の(1)
中国解放区・安東第二版切手の裏面について
2頁
11月 40 一寸一言(ちょっとひとこと)「深川一已」地名の由来 1頁
10月 39 郵趣に関するエッセーについて 2頁
09月 38 樺太「九春古丹・野戦局」の消印について 2頁
08月 37 「北見・利矢古丹」の消印について 2頁

ラズ・カバーなるもの

2019年8月第265号


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来場者数
プロフィール

 木村博海 (きむらひろみ)

Author: 木村博海 (きむらひろみ)


 1949年、東京都台東区生まれ。谷中三崎町で育ち、1956年竜泉寺町に移る。
 都立白鴎高等学校、宇都宮大学農学部林学科卒業。
 小学二年生の頃から切手収集を始める。初めて郵便局で買った思い出の一枚は「関門トンネル開通記念」。大学受験を控えて収集を中断。約20年の長いブランクを経て、1987年頃から収集を再開。
 深川木場(~晴海)の木材会社に2年勤務の後、昭和50年度東京大学農学部林政学教室研究生。
 1976年北海道庁入庁とともに渡道。主に林業畑を歩み、34年間勤務。うち地方では網走、帯広、根室、函館に各三年勤務。
 2010年3月、定年退職。この間、職場の部内誌に郵趣エッセーを含め、さまざまなエッセーを投稿。
 退職後は、外国人のための日本語学習支援ボランティア活動、郵趣活動。
 JPS札幌中央支部会員。北海道漢字同好会会員。アイヌ語地名研究会会員。
収集対象: ゼネラル。特に中国、ロシア、旧東欧など。
著書(自費出版): 「豊かな日々のつれづれに」(2003年4月)

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