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2019巻頭言

 長年に亘って書き溜めてきた郵趣エッセーを集大成して、ブログをスタートすることになりました。
 この十数年来、切手収集家の団体・日本郵趣協会 ( 2011年4月1日から公益財団法人 ) の札幌中央支部に所属して、毎月の会報 「 郵趣・赤れんが 」 に欠かさず原稿を寄せてきました。それらを過去に遡って一括掲載するとともに、新たな作品をその都度、追加・更新してまいります。
 それにしても、ずいぶんなボリュームになりました。
 職場の部内誌 ( 北海道林務部 「 林 」。1952~2001 ) に寄せていたエッセーや会報の郵趣エッセーをまとめて2003年に自費出版しましたが、三百余頁の約3分の2は郵趣関係の作品が占めました。その部内誌もやがて廃刊となり、以降、書く場は会報のみとなりました。
 その後の作品を続編として二冊目の本にまとめるつもりでいましたが、区切りが付かぬままに分量は膨らむ一方で、いつしか出版は難しく感じられるようになりました。それが、今回のブログという手段によって 「 二冊目の出版 」 を実現しました。これは随時、追加・更新もできるという、出版にまさる願ったり叶ったりの方法でした。
 マテリアル ( 題材 ) は広い分野に亘っています。まずは作品一覧に目を通していただき、これはというものから適宜お読みいただければ幸甚です。
 なお、お気づきの点についてはコメント欄でご教示いただければ幸いです。
                                                                         2012年2月

                                     江戸っ子だってねェ。
                                     おう、神田の生まれよォ。いや、じいさんが神田。おやじが浅草で・・・。
                                     こちとら、江戸っ子の筈が今じゃ 「 蝦夷っ子 」 というわけでして。

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                              あの頃   昭和33年用年賀切手 「 犬はりこ 」 ( 東京の玩具 ) の渡辺版初日カバー。
                                     浅草局の初日風景印。 ( 昭和32年12月20日 )


利用に当たって

1 一覧表で見たい作品をクリックすると、その作品がすぐに表示されます。
  また、「 カテゴリー 」 を選択して国別に関連の作品を見ることもできます。
  なお、時に原稿のページに歪み ( 縦方向が詰まる ) が出ることがありますが、
  一旦他の月の原稿を開くなりすると、歪みが直ります。
  左上の矢印 (←) で一旦送り、(→) で戻すのが手軽な方法です。

2 画面を拡大すると文章が読みやすくなります。
  ツールバーの「表示」で倍率を選択。原稿は200%が読みやすい。
  これでリーフは実物とほぼ同じ大きさになります。
  ただし、原稿以外の部分は拡大すると段ズレを生じます。
  拡大した画面でクリックすると、二段階でさらに拡大されます。

3 面倒ですが印刷はページ単位で行います。
  印刷したいページにカーソルを合わせて左クリックすると、画像が一旦左側に寄って小さくなります。
  そこで 「 ファイル 」 から 「 印刷 」 をかけると、そのページが印刷されます。
  トップページの部分を印刷する場合には 「 印刷方向 」 を 「 横 」 にする必要があります。
  なお、印刷に便利なCD版 ( 文章は打ち出しで読みやすく、作品単位で連続印刷ができる ) を用意していますので、コメント欄からお申し込み下さい。

4 各ページの右下にある 「 Pagetop 」 でその月のトップページに戻ります。
  また、各月の一番後ろにある 《 前のページ ホーム 次のページ 》 を利用して、
  次の作品または前の作品を見ることができます。
  また、「 ホーム 」 でサイトのトップページに戻ります。

5 リンクは、関係項目をクリックするだけでリンク先のページが表示されます。

6 「 日本語の面白さ、日本語再発見 」 は字が小さいので、ブロックコピーして印刷いただくと読みやすいと思います。




札幌中央支部会報 「郵趣・赤れんが」掲載郵趣エッセー 2019年分 ー覧表

                         ※ タイトルをクリックするとその関連頁が開きます。
2019年 号数 タイトル
12月          
11月         
10月          
 9月         
 8月          
 7月         
 6月          
 5月         
 4月 261-1  「 下谷龍泉寺町 」 郵便局の消印  1頁
261-2  樋口一葉のこと    3頁
 3月 260  城郭建築の雄、名古屋城  3頁
 2月 259  ラブアン島の切手 ( 世界から消えた50のデッドカントリー )   4頁
 1月 258  最初期の風景印 「 熱海局 」  2頁
 *  二見郵便局の風景印  1頁


                              ※ 2018年分以前 ( ~2000年 ) の郵趣エッセー一覧は、「 写真日記 」 の次にあります。



1 コレクション コーナー

下の切手をクリックすると、それぞれのコンテンツが表示されます。

                        (1) コレクション・リーフ                (2) 新作リーフ

ハワイ数字_0001                ハワイ数字_0002
                             1859年                       1864年
                         ハワイ数字切手 1c               ハワイ数字切手 2c



2 千 島 関 係 資 料

下の地図をクリックすると、それぞれのコンテンツが表示されます。

                               千島郵便史                その他の千島リーフ

kunashiri1000.png             etorofu1000.png
                                   国後島                  択捉島





2(2) 台 湾 特 集

下の台湾地図をクリックすると、それぞれのコンテンツが表示されます。


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2(3) 全国郵趣大会2016in盛岡

下の大会資料をクリックすると、関係資料が表示されます。


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3(1) 北海道漢字同好会会報 「 啐啄 」 原稿

漢字の世界は奥深い。
漢字をいろいろな角度から眺めてみると、計り知れない奥深さが見えてくる。

下の “ 北海道漢字同好会の四つ葉のマーク ” をクリックするとコンテンツが表示されます。

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3(2) 「日本語の面白さ、日本語再発見」
(外国人のための日本語学習支援ボランティアの活動から)

下の“辞書”をクリックするとコンテンツが表示されます。

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4 過去の写真日記

(5) 2018年4月~

下の “ Diary ” をクリックすると最近の写真日記の月別一覧表が表示されます。


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(4) 2017年4月~2018年3月

下の “ Diary ” をクリックすると最近の写真日記の月別一覧表が表示されます。


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(3) 2016年4月~2017年3月

下の“ Diary ”のアイコンをクリックすると最近の写真日記の月別一覧表が表示されます。


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(2) 2015年5月~2016年3月

下の“ストック・ブック ”をクリックすると最近の写真日記の月別一覧表が表示されます。


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(1) 2015年4月~2012年4月

下の“日記帳”をクリックすると過去の写真日記の月別一覧表が表示されます。

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5 豊かな日々のつれづれに
第一部 随筆集
第二部 郵趣エッセー集

下のアイコンをクリックすると目次が表示されます。

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                                                                   (画像はクリックすると拡大します)

写 真 日 記
                                ( 画面を125%に拡大してお読みください )

 4月24日(水)
 先日の円山動物園の熱帯植物園の中で鳴禽類 ( めいきんるい ) という言葉を初めて知った。
 スズメ目スズメ亜目の別称で、その大きな特徴は音声器官である鳴管が発達していることで、この仲間はよく囀る。
 いろいろな点から,鳥類のなかではいちばん進化の進んだグループと考えられている。
 スズメ目は現生鳥類種およそ 1万種の半分以上を占め,従来は大きく分けて鳴禽亜目、タイランチョウ亜目、コトドリ亜目、ヒロハシ亜目の四つの分類群が設けられていた。
 このうち鳴禽亜目の鳥を鳴禽類といい、今日のスズメ亜目にあたる。
 スズメ目は今日では二つの亜目に統合されている。スズメ亜目以外の鳥はタイランチョウ亜目に分類され、非鳴禽類と呼ばれる。
 タイランチョウ亜目はほとんどの種が中南米に分布し,スズメ亜目は世界中に分布している。

 そして、各動物舎に掲げられた表示で、動物分類を改めて意識させられた。
 動物の分類で 「 ~の仲間 」 と大括りにするには 「 目 」(もく) の単位で考えればおおよそ実感と一致する。
 そして、動物は対語が意識される。
 牛馬、犬猫、狐狸・・・。ゾウとキリンにも一対的な感覚がある。
 ライオンは食肉目ネコ科。オオカミは食肉目イヌ科。
 ゾウは長鼻目ゾウ科。キリンは偶蹄目キリン科。

 牛馬は動物分類の象徴的な存在で、共に四肢の先端に蹄 ( ひづめ ) を持つ動物をその特徴から二分し、従来は 「 奇蹄目 」「 偶蹄目 」 の名があったが、今日は 「 ウマ目 」「 ウシ目 」 に言い換えられている。
 従来の 「 食肉目 」 が 「 ネコ目 」 とされ、イヌ・ネコをネコで代表させてしまったように、他の分類項目を含め、こうした平易を旨とした安易な名称の変更は、却って分類の特徴を見失わせ、惑わす結果になっている。
 「 霊長目ヒト科 」 のゴリラ、オラウータン、チンパンジーたちも、「 霊長目 」 が 「 サル目 」 となって格が下がった。
 何より 「 霊長目ヒト科 」 の 「 人(ヒト) 」 が「 サル目ヒト科 」 では何かおかしい。
 「 奇蹄目 」=「 ウマ目 」 は中指を肢端の中心線が通っていることがこのグループを定義付ける特徴で、各脚の指の数は、代表する名称ともなっている馬では1本、サイでは3本、バクでは前脚が4本、後脚が3本となっている。つまりその名称は蹄が奇数になっていることに基づく。
 これに対して、「 偶蹄目 」=「 ウシ目 」 では、その名の由来となった2つ ( 偶数 ) に割れた蹄が特徴で、これは第3指と第4指 ( 中指と薬指 ) が変化したもの。
 第3指が体重を支える重心軸となるウマ目と異なり、ウシ目は第3指と第4指の二本が重心軸であるため、このような蹄の構造となる。
 ややこしいことに、その後の遺伝子分類の進化で、似ても似つかぬ牛と鯨が近しい関係とされ、今日ではこれを合わせた新たな分類名称の 「 鯨偶蹄目 」=「 クジラウシ目 」 が誕生している。

 以下、思いつくままに。
 ライオン、トラは食肉目ネコ科ヒョウ属。
 クマは食肉目クマ科。「 食肉目 」=「 ネコ目 」の名称変更は誤解を招く。
 イタチは食肉目イタチ科。
 テンもカワウソも同じく食肉目イタチ科。
 鰭脚類 ( ききゃく=ひれあし ) のアザラシも食肉目アザラシ科。
 リスは、齧歯 ( げっし ) 目リス科。せっかくの 「 齧歯( げっし=囓る歯 )目 」が 「 ネズミ目 」 では違和感がある。
 モモンガも齧歯目リス科モモンガ族。
 ムササビは齧歯目リス科ムササビ属だが、北海道には分布しない。
 エゾシカは偶蹄目が鯨偶蹄目になって、そのシカ科。
 ブタも偶蹄目 → 鯨偶蹄目イノシシ科。
 カバも偶蹄目 → 鯨偶蹄目カバ科。
 ジャイアントパンダは ( 食肉目クマ科 ) はいないがレッサーパンダ ( 食肉目レッサーパンダ科 ) がいる。
 有袋類のカンガルーは双前歯目 ( そうぜんし-もく=カンガルー目 ) カンガルー科。
 「 双前歯 」 は下顎の切歯 ( 門歯 ) が左右に1本ずつ ( 二本 ) あることに由来する。

 動物の切手は数多あるが、私にとって動物切手といえば1953年にハンガリーで航空切手として発行された懐かしい10種類の 「 森の動物 」。
 その実逓カバーを掲げておきます。

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1953年のハンガリーの動物切手10種完貼りのブダペストからパリ宛ての実逓カバー。
消印は1954年12月23日。 ( 85% )



 4月23日(火)
 昨日、道南の松前で桜の開花宣言があり、いよいよ桜前線が津軽海峡を越えて北海道に 到達した。
 そして昨日、近くへ出かけたついでに久しぶりで円山動物園に寄ってきた。
 駐車場は時間でなく入れば一律700円。
 そのかわりこちらは例の特権でロハとは有難い。

 暇に任せて2時間半掛けて、およその隅々まで見てきた。
 立派なゾウ舎ができたのはいいが、余りに立派すぎて動物と疎遠な印象を受けてしまう。
 これに限らず、どの施設もいつのまにか立派すぎる施設に作り替えられて、いわゆる箱物 ( ハコモノ ) だらけになっていて、見渡せば疎外感極まる眺めになっていた。
 冬の厳しい北海道での飼育には、冬期間の屋内収容の場所が必要なのは分かるが、こんあハコモノだらけではなかった昔は、どうしていたのだろう。

 円山動物園といえば、しばらく不在になっていたゾウが再び見られるようになったのが話題となっている。
 円山動物園のゾウは、1953年から2007年まで 「 花子 」 がいて、1961年から2006年までの 「 リリー 」 と相次いでいなくなって、しばらく不在のままだった。
 それが、日本とミャンマー連邦共和国の国交樹立60周年を記念して、ミャンマーからアジアゾウ4頭が寄贈されることになって、ミャンマーから空輸により輸送され ( 空輸とは驚く )、11月30日に円山動物園に無事到着した、とのことであった。
 これに合わせて昨年9月に新しいゾウ舎が完成し、この3月12日にオープンした。
 ただし、国内最大級の規模で建設費約30億円とは気張りすぎで、張り切りすぎが却って最新式の監獄のような施設となって疎外感を生んでいるのは皮肉だ。
 おまけに、ミャンマーからアジアゾウがやけに小さく感じられた。
 身近に感じられたもとの展示の様子が懐かしい。温かみの感じられないこんな疎遠な施設で、距離を置いてゾウを見なければならない今の子どもたちが可哀想に思える。
 当事者にはそうした視点は眼中にないようだ。

 今、ポプラやカツラの木がうっすらと緑を帯びはじめて、周囲の山は新芽の赤で 「 春もみじ 」。春一番に咲くコブシが見事。桜のつぼみはまだ固い。

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入園券。こちらはロハだが。

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園内地図。中央奧にゾウ舎。
( 画像をクリックすると拡大します )

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手前にシロクマ舎。このさらに手前には別に広大なシロクマのヤードがある。
中央奧に熱帯雨林館。その後方に札幌中心部のビル群が見える。

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コブシの花。



 4月21日(日)
 昨日20日、お年玉年賀はがきのダブルチャンス賞の当せん番号が発表された。
 下6桁 ( 6桁しかないのだから、「 下6桁 」 はないだろう。フルの6桁だ ) の4本。つまり100万本に4本という呆れるような低い確率。
 それは、年末ジャンボの100万円並みに低い ( 組み番号の制約がないだけマシともいえるが )。
 とはいえ、ご丁寧に10,287本と細かい数字が謳われているが、当選はがきのうちでどれほどが引き替えられるものか。

 今日午前の郵趣会の例会で、ヤフオクの出品をウオッチしたいといったが、早速冷やかしに覗いてみると、早々ともう一件出品されている。
 当選商品の引き替えは明日からだから、まだ現物ではなく、『 平成31年年賀ダブルチャンス賞 ( 特別お年玉切手シート ) 当せんはがき 』。
 「 当たり番号の年賀はがき 」 という訳だ。

 賞品は新元号 「 令和 」 を記念した 「 特別お年玉切手シート 」 であるから、ようやく決まった 「 令和 」 の新元号が刻まれているのはいいが、前に指摘した 「 今 」 様の俗字が使われているのは、ヤレヤレこれまた神経の行き届かぬこと。
 「 シリアルナンバー付き 」 が収集癖をくすぐる。
 「 初物は高く付く 」 という教訓もものかは、気の早いのがもう10人もビットで食らいついている。
 高みの見物のヤジ馬としては、結果が見ものだ。

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シリアルナンバー付きの特別お年玉切手シート。



 4月19日(金)
 昨日、一昨日は25度を超える夏日を記録した所も出たくらいのポカポカ陽気の北海道だったが、一転して今日は、日射しはあるものの風が強く、寒い一日となった。
 そんな中を思い立って、札幌の北となりの町、当別町にある道の駅 「 北欧の風 道の駅とうべつ 」 に行ってきた。
 その点、我が家は札幌市内でも北東の、当別方面へ行くには恰好の場所にある。
 伏古拓北通りを 「 サッポロさとらんど 」 をかすめて真っ直ぐ北へ向かい、生振(おやふる)近くで国道337号の 「 当別バイパス 」 に突き当たって右折すれば、目指す道の駅「 北欧の風 道の駅とうべつ」はそのさきにある。ここまで10キロ足らずの道のり。
 「 曲がり真っ直ぐ 」( 道なりに行って )で、曲がるのはここのただ一ヵ所だけ。
 一昨年の9月にオープンしたこの道の駅は、斬新な道の駅の一つ。
 所在地の 「 当別町当別太 」 は、当別 ( トーベツ=沼の川 )、当別太 ( トーベツ・ブト=当別川と石狩川との合流点 ) の意。
 「 ブト 」 の付く地名は道内各地に多い ( 川の合流点は何処にもあるから )。今をときめくニセコ町が、旧名 「 狩太 」( かりぶと。マッ・カリ・ベツ・ブト=( 山の )後ろを・回る・川・の合流口 ) だった。
 また難読地名の 「 生振 」( おやふる ) の 「 フル 」 は丘で、海岸砂丘の名残りがある。

 道の駅 「 北欧の風 道の駅とうべつ 」 の 「 北欧の風 」 との名は、当別町とスウェーデンのレクサンドが姉妹都市であることや、町内で1983年 ( 昭和58年 ) にスウェーデンヒルズが開発されているなど、スウェーデンとの縁が深いことにちなむ。
 構造材に大断面集成材を使用した大きな三角屋根の大規模木造建築。
 目当ての野菜売り場はさすがにまだ早く、それでも間もなく25日にはオープンする。

 帰りは、正面の丘にスウェーデンヒルズが見えて、誘われるように、約30年ぶりで寄ってきた。
 北欧風住宅地、スウェーデンヒルズ内に日本とスウェーデンとの国際交流の拠点となる 「 スウェーデン交流センター 」 があり、ガラス工芸品や木工芸品などの展示販売も行われているが、残念ながらこの日は臨時休業の張り紙でクローズであった。

 なお、6月に行われる夏至祭には会場として賑わうという。

 スウェーデンヒルズのモデルハウスを見学してきたが、金額もさることながら、さすがにため息の出るような機能美の素晴らしさであった。
 スウェーデンヒルズは紙器のトーモクの住宅事業部門が北国の高機能住宅・スウェーデン住宅を導入した住宅モデル地区。初期の中央から、東のイーストタウン、現在進行中のウエストタウンを含め、すでに450戸が集積しているという。そのユニークな町並みの形成に目を見張る。住民の生活のことや別荘としての利用の割合などを聞き忘れた。

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道の駅 「 北欧の風 道の駅とうべつ 」 の外観。

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大規模木造建築の内部。フードコートになっている。

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スウェーデンヒルズの町並み。



 4月18日(木)
 トリスタン・ダ・クーニャの切手の話で 「 小国に共通する外貨獲得手段としての切手 」 のことに触れた。
 このことについて、以前に書いた記憶があって、確認のために探したがすぐには見つからなかった。ときにサイト内検索機能があったら、と思うことがある。
 改めて腰を据えて探してみたら見つかった。
 「 ミニ国家と切手発行 」 として、2009年9月の第146号に書いている。
 改めて読み返してみると、ミニ国家の定義と類型区分、存立基盤、国土面積比較など、多方面でよく調べている。

 バチカンは52 haの札幌競馬場よりさらに一回り小さく、モナコが目黒区 (14.70㎢) とほぼ等しいことなどに触れ、われわれ切手愛好家にとって馴染みのミニ国家・モナコやサンマリノなどでこんな表を作っている。

   ミニ国家       人口     面積        設定196ヶ国・地域の面積順位
  バチカン          800人     0.44㎢     196位
  モナコ           3.2万人     2㎢      195位
  サンマリノ         3 万人      61㎢     192位
  リヒテンシュタイン    3.3万人    160㎢    191位
  マルタ          39.7万人    316㎢    187位
  アンドラ          7万人      468㎢    180位


 さらに、切手の観点からは、ちょうどトリスタン・ダ・クーニャのように、『 属領も一国家の単位と見なしたリスト 』( 大まかに言えば、切手発行国として数える )、にも触れている。
 仏領のギアナ、ニューカレドニア、仏領南極地域、ポリネシア、レユニオン、グアドループ、ワリス・フツナ、サンピエール・ミクロン・・・ 。
 ニュージーランドの提携国家・クック諸島及びトケラウ諸島。
 英領のフォークランド諸島、南ジョージア島・南サンドウィッチ諸島、マン島、タークス・カイコス諸島、セントヘレナ、ケイマン諸島、ヴァージン諸島、ジャージー、アンギラモントセラト、ガーンジー、バミューダ諸島、ピトケアン諸島 、ジブラルタル・・・。
 これらの地域は、それぞれに独自の切手を発行している。
 セントヘレナは挙げているが、トリスタン・ダ・クーニャには失礼した。

 関係切手の選択は悩ましいが、古典的なミニ国家の例でモナコから、レーニエ大公とグレースケリーの結婚記念の1リーフと、トリスタン・ダ・クーニャと同列の属領の例として同じ英領のフォークランド諸島の1リーフを挙げておきます。

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モナコで1956年に発行されたレーニエ大公とグレースケリーの結婚記念の
8種組みの切手のうちの1リーフ。印刷調整用の大きな耳紙が付いている。( 原寸 )

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1956年に発行されたフォークランド諸島の 「 大西洋横断探検 」 加刷切手の4種と、
公式記念カバーを使用した実逓便のリーフ。( 原寸 )



 4月17日(水)
 NHK BSプレミアムで、大西洋の絶海の孤島でありながら多くの住民が住む英国自治領のトリスタン・ダ・クーニャを紹介した番組にたまたま巡りあって見た。
 タイトル、『 プレミアムカフェ 世界で一番“遠い”島~南大西洋 トリスタン・ダ・クーニャ~ 』 。 2019年4月16日(火) 午前9時00分 (100分) 。
 2011年に初回放送されたもので、縁あって文学座の俳優・粟野史浩が取材のリポーターを務めている。

 「 トリスタン・ダ・クーニャ 」 と聞いて、これをわずかに知る日本人のうちの多くが切手愛好家と言うことになるだろう。あるいは、僅かにロブスターが縁でここに関心を寄せたという人もあるかも知れない。
 ともあれ、日本とは遙か離れた外交上もまず縁の薄い存在です。

 まず、南大西洋の南緯南緯37度、西経12度に位置するトリスタン・ダ・クーニャ島が、タイトルに 「 世界で一番“遠い”島 」 とあるとおり、どれくらい遠いかというと。
 唯一近代社会と結ばれているアフリカの南端、南アフリカのケープタウンから、船で9日。この船、おまけに年に10航海しかないという。距離、2,800キロ。
 あるいは、この島の北方にあるセントヘレナ島からも2,100キロ。南米のリオデジャネイロからは3,400キロあるという。

 改めてトリスタンダクーニャ島は、小豆島ほどの火山島。1961年には全島民264名が避難する噴火もあった ( 噴火の収まった二年後には大半の住民が帰島を選択 )。
 1506年、ポルトガルの探検家トリスタン・ダ・クーニャによって発見され、島の名称は、この探検家に因む。
 1643年、オランダ東インド会社の船 の乗組員によって島への最初の上陸が記録された。
 その後、喜望峰回りでヨーロッパとインド洋を往復する船や、大西洋を横断しようとする船によって、この島は補給地・避難港として利用された。

 19世紀初め以来、その後わずかずつ定住者が現れ、やがてコミュニティも形成された。
 1938年、この島は英領セントヘレナに所属することとなった。

 電力、水道は確保されているが、生活物資は総てケープタウンからの船に頼る。
 小中学校の28人の生徒もいる。
 番組が、産業はロブスターの漁獲と切手と紹介しているとおり、ここでも小国に共通する外貨獲得手段としての切手の発売がある。
 郵便は外界とを結ぶ貴重な存在だが、インターネットも使われるようになり、扱う手紙の数は減ったという。

 行政上はイギリスの海外領土 「 セントヘレナ・アセンションおトリスタンダクーニャ 」 として、元首はイギリス女王であり、女王は総督を派遣し、セントヘレナに常駐する総督がトリスタンダクーニャ総督を兼任している。
 トリスタンダクーニャの切手は1952年から発行され、イギリスの海外領土として万国郵便連合に加盟しており、独立の郵便事業体としてエリザベス女王の肖像やシルエットが付けられた切手を発行している。製造はもちろんイギリス本国ではあるが。
 初期の名品、1960年の美しい 「 海の生物 」 の14種セットを掲げておきます。

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1960年にトリスタンダクーニャで発行された 「 海の生物 」 の14種セット。 ( 原寸 )
3 ペンスの切手に、イセエビのようなトリスタンダクーニャ名産のロブスター。



 4月16日(火)
 郵便趣味の会の先月の例会で入手したもの。
 入手したと言うほどの大したものではないが。
 オンピースだが、田沢3銭に押された日本橋局の消印があまりに鮮明だったもので。
 それで、東京は 「 にほんばし 」、大阪は 「 にっぽんばし 」 で、さてどちらかということが、とっさに頭をよぎった訳で。
 全国の局地名に精通している傍らの仲間に聞けば、即座に 「 東京です。大阪に日本橋と言う名の郵便局はありませんから 」。
 毎度のことで、「 8.11.2 」 の 「8」は大正か昭和か。
 3銭切手は大正なら旧毛紙、昭和なら新毛紙。
 そこで、時刻表示の 「 后4-8 」( 引受時間帯 ) に注目。
 大正8年を含む 「 大正2年~昭和5年 」 の櫛形印の時刻表示は、この時間帯では各地の中央郵便局のような一等局では 「4-5」から「7-8」 までの一時間刻み。
 二等局で 「4-6」「6-8」、三等局では 「3-6」「6-9」 となっており、一方、昭和8年を含む戦時中の混乱期を除く 「 昭和5年~18年。昭和24~25年 」までは全局 「4-8」 に統一となったいた。
 したがって、この消印は昭和8年のものということになる。

 東京・日本橋郵便局の来歴については、『 明治4年3月1日 ( 新暦換算:1871年4月20日 ) に近代郵便制度が始まった際、駅逓司 ( 現在の総務省、日本郵政、及び日本電信電話の源流の一つにあたる機関 ) と郵便役所 ( 東京中央郵便局の前身)が設置された地にあり、「 郵便発祥の地 」 を記念する石碑と銘板、および 「 日本近代郵便の父 」 として知られる前島密のブロンズ製胸像が設置されている。 』 とある。
 日本橋郵便局は、いわば日本の郵便局の原点であったのだ。
 今度折りを見て、一度足を運んでみることにしよう。

 ある関係サイトでの確認によれば、戦後の日本橋局の風景印はデザインを3回変更しており、それぞれの使用期間は1次が昭和26年から39年、2次が昭和39年から60年、3次が昭和60年から平成19年間までで、日本橋郵便局は民営化に伴い、郵便局から支店となって郵便局の位置づけが変わり、風景印も廃止の憂き目を見たらしい。
 まあ、どんな風になったのか、この目で確かめてみたい。

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昭和8年11月2日の東京・日本橋局の消印のオンピース。

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戦前の日本橋局の風景印。
昭和9年8月6日から配備。

nihonbashi-26.jpg nihonbashi-39.jpg 日本橋_0002
戦後に三度変わった日本橋局の風景印。左から1~3次。



 4月15日(追加)
 今朝の雨で庭の花が一気に開いた。
 まずクロッカス。

 それから、紫の星形が一面に広がるチオノドクサ。
 チオノドグサ(Chionodoxa)はヒヤシンス科チオノドクサ属の植物。
 和名のように聞こえるが(まして「毒草」を連想してしまう)、学名Chionodoxaの日本語読みである。
 和名ユキドケユリ。雪が解けると一番に咲き出すこの花に相応しい。
 この紫の他に白やピンクのものがある。
 それからピンクのシラー。 シラーもこの他に白や青、紫のものがある。

 去年の秋に植えておいたキバナカタクリの葉が出てきた。楽しみだ。
 キバナカタクリはアメリカやカナダの山地に自生するカタクリで、日本には園芸用として入ってきたもので、別名セイヨウカタクリ。
 黄色のきれいな花だが、楚々とした日本のカタクリに比べると大型で全く別ものとの印象を受ける。

 家のすぐ脇を流れる川幅8m程の伏籠川に、遡上してきたコイを今年初めて認めた。
 いつもこんな時期から上り初めていたのか。
 昔、「 乗っ込み 」( 魚が産卵期に深い所から浅い所へ移動する現象 ) と称する産卵に遡上してくるフナを目当てに、子どもの頃、父親に連れられて毎年、未だ寒さの残る春先に東京から茨城の潮来方面に出かけていた時期があった。それを思い出す。

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クロッカス、チオノドクサ、クリスマスローズものぞいている。

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チオノドクサ。

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ピンクのシラー。

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キバナカタクリの斑入りの葉が出てきた。



 4月15日(月)
 切手趣味の雑誌 「 郵趣 」 とともに、定期購読で毎月送られてくる 「 スタンプマガジン 」( 発行元の郵趣サービス社によれば 「 切手情報と販売カタログの切手ホビー誌 」) の5月号が届いた。
 パラパラと見ていって目に留まったのが、今年がメンデレーフの元素周期律表の発見から150年を記念した切手がいくつかの国から発行されているという記事だった。

 そこで、まず 「 メンデレーフ 」 をググってその英語表記 「 Mendeleev 」 を確認し、今度はこれを検索キーワードとしてeBayで関連の切手を探してみる。
 すると、数え切れないほどにあることあること。

 そして真っ先に眼に飛び込んできたのが、今から50年前、「 元素周期律表の発見から100年 」 を記念して1969年に発行された、メンデレーフを描いた小型シートで、久しぶりに開いたソ連の小型シートのアルバムから引っ張り出した。

 なお、国際連合総会は2019年を 「 国際周期表年 」 と定め、UNESCOをその推進機関として各種のイベントの開催や周知活動を進めている。

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1969年6月20日 ( モスクワの初日印 ) に 「 元素周期律表の発見から100年 」 を記念して、
当時のソ連から発行された、メンデレーフを描いた小型シート。( 原寸 )
「СТОЛЕТИЕ ПЕРИОДИЧЕСКОГО ЗАКОНА」=周期律の世紀
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 4月14日(日)
 その後、追加でeBayに登場した4月6日に次ぐ 「 臨時北部南西諸島 」 関係の二通。
 多くの目をかすめて、あわよくばと自分に都合良く幸運を期待したが、そこはさすがに、そうは問屋が卸してくれない。
 頑張れる範囲を超えたので降参。あとは眼福 ( 目の保養 ) に画像を拝借。

 文教部長・奥田愛正 ( おくだ あいしょう ) は明治36年の生まれ。
 大正12年 3月 鹿児島県立大島中学校卒業。
 大正14年 3月 東京高等師範学校 ( 後の東京教育大学~筑波大学 ) 教員養成所入学。
         三重県立志摩水産学校~鹿児島県立大島中学校に奉職。
 昭和21年12月 大島中学校校長
 昭和24年 6月 臨時北部南西諸島政庁文教部長
 昭和25年11月 奄美群島政府文教部長
昭和27年 4月 琉球政府文教局長 ( 琉球大学理事兼任 )
昭和42~50年 鹿児島県議会議員を2期務めた。


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臨時北部南西諸島政庁・奥田文教部長宛て。久志小中学校 ( 奄美大島・宇検村 )。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )
消印の日付は、1950年3月4日。

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臨時北部南西諸島政庁・文教部長宛て。笠利村立第二中学校。
笠利村 ( かさりむら ) は、鹿児島県奄美大島北東部にあった村。
1961年町制施行・笠利町。
2006年 名瀬市、住用村と合併し奄美市。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します ) 。
消印の日付は、1950年5月7日。



 4月12日(金)
 今度はマリエンヴェルダーの切手。
 マリエンヴェルダーとは聞かない名だが。

 マリエンヴェルダーは、1815年から1945年までドイツ・プロイセン州の一地域( 行政管区 )、西プロイセンの首都であったところで、ベルリンの北40kmに位置する。
 ドイツは第一次大戦に敗れ、ベルリン条約で数々の制裁を科せられたが、この地方は1920年から1922年まで連合国間の委員会の下に置かれた。
 周辺地域とともにポーランドへの譲渡が検討されたが、ここでは住民投票の結果、ドイツへの帰属が選択された。
 1920年に発行された14枚セットの二組で、一つは上部に 「 Commission Interalliee 」( 欧州委員会 )、もう一つは 「 Prebiscite 」( 国民投票 ) と記されている。
 この切手は、外国の切手に初めて日章旗が描かれた第一号の切手である。

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1920年のマリエンヴェルダーの 「 Commission Interalliee 」( 欧州委員会 ) 版。 ( 120% )

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「 Prebiscite 」( 国民投票 ) 版の一枚。
。 ( 300% ) 右上に日章旗が見えるが、日の丸の直径が小さい。
なぜ日章旗となれば、日本が戦勝連合国の一員であったから。



 4月11日(木)
 いま徐々に収集品を市場に戻している。
 蒐集家の責務として、各自の厖大な収集品の始末は自分でつける必要がある。
 切手収集を趣味としてきた者の大方に共通する悩みが引き継ぐ者のいないことだ。
 親子と雖も自分の趣味を無理矢理押しつける訳にも行かず、とはいいながら、これまで情熱とともに注ぎ込んできた収集品は裏を返せばしさんでもあり、むざむざゴミにする訳にも行かぬ。
 幸いこれまでに中国その他の貴重品並びに値がさのものは、あらかた市場に戻したが、全体量はさほど減っていない。
 駄物は論外にしても、概してその足は遅い。

 長年親しんできたこの趣味について、台湾では切手趣味の良いところを、次の熟語で見事に言い表している。
 中国語では切手収集を 「 集郵 」 という。
 それを、「 集郵四益 」 として、「 怡情( いじょう )」、「 益智 」、「 儲財 」、「 会友 」 の四つを挙げている。
 すなわち、「 心を楽しませ 」「 知識が増え 」「 財産にもなり 」「 友にも出会う 」 であり、まさに切手収集の効用を見事に言い当てている。

 また持論で、切手はアーモンドグリコと同じで 「 一粒で二度おいしい 」 といっている。
 すなわち、買って集めて楽しんだ後に、また売る楽しみも味わえる。よく言うところの 「 飲んで、食って、パー ( 楽しんでそれっきり )」 ではなく、まさに 「 切手趣味は二度おいしい 」( 二度楽しめる )。

 今回市場に戻したのが 「 チェコスロバキア共和国亡命政府 」 が発行した小型シート。
 手許にあったのは、15年間くらいか。
 リーフの説明を以下にそのまま写しておく。

 『 1940年、第二次世界大戦勃発にともない、ドイツに国土を蹂躙されたチェコスロバキア共和国は、逃れたロンドンでベネシュを首班とする亡命政府を樹立した。
 その亡命政府が1943年にロンドンで開催したチェコスロバキア切手展を記念して発行した小型シート。
 1943年11月、チェコスロバキアの独立25周年を記念したチェコスロバキア切手展が亡命政権の後援により、グロブナープレイスで多くの政府関係者が出席して開催された。
 一番上の切手には、第一次世界大戦のときにチェコスロバキアの独立のために戦った人びと、( 左から ) エドヴァルド・ベネシュ、トマーシュ・マサリクとステファニク将軍の三人が描かれている。マサリクは第一次世界大戦の終結とともに独立を達成した共和国の最初の大統領となった。 』 

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1943年に亡命先のロンドンで開催された、チェコスロバキア独立25周年を記念した切手展に、
「 チェコスロバキア共和国亡命政府 」 が発行した小型シート。 ( 90% )
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 4月10日(水)
 再び 「 環球華郵研究 」 から。
 先に触れた方邦雄氏の 「 日治時期之“ 臺灣第一 ” ( 日本統治時代の“ 台湾のナンバーワン ” )」 で、「 台湾一の大型最新式灯台 」 が取り上げられている。

 切手の世界では有名なオーロワンピ ( 鵞鸞鼻: ガランピ ) 灯台のことで、その説明に加えて日本統治時代に発行されたオーロワンピ灯台を描いた3種の切手を挙げている。
 説明には、『 開港以前の台湾では、僅かな時代遅れの灯台があるだけで、これらは航行を誘導するには心許ないものであった。清の咸豊10年 (1860年) 第二次アヘン戦争 ( アロー号事件を発端として起こったイギリス・フランス連合軍による中国侵攻戦争 ) の結果、台湾は開港通商を余儀なくされ、条約中 「 商船の安全確保 」 が規定され、台湾にようやく大型の最新式灯台が出現した。はじめは皆小型であったが、光緒9年 (1883年) に至って、大型の最新式の 「 鵞鸞鼻灯台 」 が出現した。

 台湾最南端の鵞鸞鼻岬では船舶の座礁沈没事件が頻繁に起こり、外国政府から清朝政府にたびたび灯台設置の要求が出され、清朝は各国の要求に応えるため、7万両の資金と、イギリス人技師を招き、光緒7年 (1881年) に着工、光緒9年 (1883年) 3月24日、鵞鸞鼻灯台が落成し使用を開始した。

 鵞鸞鼻灯台は海面から55mの高台にあり、塔は4層あり、原住民の侵入を防止するため、特殊な鉄製の塔で、要塞としての構えで、砲台を備え、城壁には銃眼を備え、周囲には濠をめぐらして、兵士を常駐させる、世界で唯一無二の武装灯台であった。
 照射光は10秒間隔で点滅し、光度は2,600燭光、照射距離は20kmに及び、「 東亜の光 」 と呼ばれた。 』

 清国は撤退時 ( 1895年、日本への台湾割譲 ) に、この灯台を破壊したが1898年に日本政府により再建された。しかし、太平洋戦争でアメリカ軍の空襲により再度破壊され、現在の灯台は戦後に再建されたものである。
 このバシー海峡を臨む憧れの白亜の灯台を、昨年の3月27日に訪れてきた。

 戦前、帝国最南端の地であったこの鵞鸞鼻岬を描いた切手が3種発行されている。
一 オーロワンピ灯台が描かれた第1次昭和切手の6銭 ( 昭和14年6月1日発行 )。
二 第2次昭和切手の凹版40銭切手 ( 昭和17年10月1日発行 )。6銭の原版が使われている。
三 第2次昭和切手の凸版40銭切手( 昭和19年2月17日発行 )。凸版は微細な表現ができず、灯台が給水塔のように見える。また、背景の雲もない。

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オーロワンピ灯台を描いた3種。左から、6銭、凹版40銭、凸版40銭。

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凸版40銭の 「 内閣印刷局製造 」 銘版つき10枚ブロック。 ( 原寸 )
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 4月8日(月)
 先日、注文した本が届いた。
 ジャパン・スタンプ商会の 「 即売 」 のコーナーに見付けた「 環球華郵研究 」 の最初の 「 第一期 」( 2015年10月 )。
 見事な装丁だ。

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「 第一期 」 の 「 環球華郵研究 」。


 台湾で出版された 「 環球華郵研究 ( Global research institute for Sino-Philately )」( 中国切手収集のためのグローバルな研究所 )。
 中文、英文併記でも、「 研究 」 と 「 institute 」 とあって悩ましい。
 英文が無ければ、「 全世界中国郵便研究 」 と受け止めそうなところだが。
 「 環球華郵研究 」 は、すでに直近で 「 第六期 」( 2019年2月26日 ) まで発行されている。
 苦労して、台湾から取り寄せた 「 臺湾清代・日治時代舊地名郵戳考 (1888-1945)」 も販売されている。
 「 環球華郵研究 」 の 「 第一期 」 の約20篇の作品には、中島八十一氏の 「 新疆省初期の郵便物 」、稲葉良一氏の 「 南満州鉄道の鉄道郵便印 」、福井和雄氏の 「 日本・台湾間の航空鵜郵便 」 と、日本人三氏の 「 研究 」( 作品 ) も掲載されており、中文、英文に、この部分の日本文も加わっている。

 ところで、先日の台湾の会で、横書きの文章の句読点が話題になった。台湾でもパソコンでの文書作成や、横書きの出版物の増加で、横書きで書かれたものが身近になってきた。
 そして気がついたのが、台湾の横書きの文章の句読点「、」( ただし、「,」)と「。」が、文字間の中央に打たれていることで、「 環球華郵研究 」 でもその実例を見ることができる ( 日本文の部分の点は「、」だが、「 台湾式 」 で文字間の中央に打たれている )。

   その例として、「 環球華郵研究 」 の中で目を引かれた方邦雄氏 ( 台湾の人だが、「 Fang Bang-Hsiung 」 の他に、わざわざ 「 Ho Kunio 」 と謳っているのは、その命名とともに、日本への思い入れがあるものと見られる ) の 「 日治時期之“臺灣第一”( 日本統治時代の“台湾の第一号” )」 の、「 台湾の風景印の第一号 」 の160頁を掲げておく。

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台湾の横書きの文章の句読点、「,」と「。」は、文字の中央に打たれている。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )


 左下の各文で、句読点が文字の中央に打たれていることに注目。
 併せて、左上の 「 日本統治時代の風景印 ( 使用局 ) の分布 」 および右上の 「 台北 」 局の風景印の使用例に使われたルイス・カバーにも注目。
 なお、「 国際水路郵件 」 は 「 船便 」 のこと。

 ここで、改めて日本での横書きにおける句読点のこと。
 関係の記述から、以下引用。
 句読点は表記法上は 「 くぎり符号 」 と呼ばれるものの一種で、昭和21年文部省国語調査室作成の 「 くぎり符号の使ひ方(案)」 にまで遡るが、横書きの表記法については昭和25年文部省編による 「 国語の書き表し方 」 の中に言及がある。
 それによると、『 (横書きの) くぎり符号の使い方は、縦書きの場合と同じである。ただし、横書きの場合は「、」を用いず、「,」を用いる 』 とされている。
 一般的には、パソコンの打ち出しでも「、」だが、台湾では「,」(コンマ)が使われている。

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中島八十一氏の 「 新疆省初期の郵便物 」 の冒頭部分の日文、中文比較。
日本文の句読点も台湾式に 「,」と「。」 が、文字の中央に打たれている。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )


 最近の学生は横書きで句読点は,(コンマ)と.(ピリオド)を使うのが一般的(?) になっていると聞くが、そんな仕様になっているパソコンもあるのだろうか。
 確かに、最近では「.」を用いる本や雑誌も少なからず出版されているという。
 まず、縦書きは「、」および「。」。
 横書きも「、」と「。」で、「、」には「,」もありだが、いくら横書きでも日本文に「,」と「.」はないでしょう。


 4月6日(追加)
 ウクライナから落札品が届いた。
 3月26日 09:13の現地での発送から11日かかっている。
 書留の追跡番号で 「 国際郵便追跡 」 サービスによる足跡を辿ってみると、
 27日17:56 首都キエフの国際交換局に到着。
 28日21:44 国際交換局から発送。
 あとは飛行機でひとっ飛びと思いきや、これから意外に日数を要しており
 日本の国際交換局である川崎東郵便局に到着したのは、4月2日の18:43 で丸5日かかっている。どこをどうして来たものやら。
 それから、川崎東郵便局での通関手続を経て、
 4日03:00 に、川崎東郵便局から発送。
 5日 13:27、丘珠郵便局に到着。
 そして今日、6日に丘珠郵便局から届けられたという訳です。

 因みに国際交換局とは、国際郵便物の発着の窓口業務を行う郵便局のことで、それぞれの国に設置され、輸出税関・輸入税関等の手続きを経たのち、出発便の航空機に搭載したり、到着便の国内仕分けを行っている。
 海外から国際郵便で到着した荷物は、東京国際郵便局や川崎東郵便局などの国際交換局を経由して届けられている。

 図は中国で1953年8月1日付け ( 建軍節 ) で発行された 「 軍人切手 」 と呼ばれるもので、陸海空軍用の3種があり、軍人向けの無料郵便用に配給されたが、実際には使用されなかった。
 その理由は明らかにされていないが、恐らく思うに、中国も大軍を送り込んでいた3年間に亘る朝鮮戦争が、この直前の1953年7月27日の休戦協定 ( 国連軍と中朝連合軍による朝鮮戦争休戦協定 ) で終結したためではないか。

 使用が中止されたにもかかわらず、どうしたことか陸軍用と海軍用の一部が市場に出回り、海軍用は殆ど確認されていない。
 ここに掲げたのはその希少品のレプリカ。

 なお、中国の建軍節 ( 建軍記念日 ) は、1927年8月1日の 「 南昌蜂起 」( 武装をもって国民党に反抗した最初の戦い ) に由来しており、この切手にも見られる 「 八一 」 の文字は軍旗にも記されて中国人民解放軍のシンボルとなっている。

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中国の1953年の 「 軍人切手 」 3種のレプリカ。左から、陸・空・海軍用。 ( 原寸 )
( 画像をクリックすると拡大します )



 4月6日(土)
 表の宛名書きに 「 臨時北部南西諸島 知事中江実孝殿 」。
 裏面には差し出し側の名が 「 與論村役場 」( 与論島 ) と記されている。
 消印が不鮮明だが、以下のことから時期は1946年10月~1953年末まで。
 何かの封筒を再利用したもので、裏面の上部に 「 昭和19年4月1日以降有效 」 と記されている。

 南西諸島は、九州南端から台湾北部に連なる島々の総称で、大隅諸島 ( 種子島、屋久島 )、吐噶喇(トカラ)列島、奄美群島、沖縄諸島、宮古列島、八重山列島と区分された島嶼群で構成されるが、狭義には吐噶喇(トカラ)列島と奄美群島を合わせた、ここで言う 「 北部南西諸島 」( 鹿児島県 ) と、沖縄諸島、宮古列島、八重山列島を合わせた沖縄県( 明治12年に廃藩置県により琉球藩廃止。沖縄県設置)とに区分される。

 「 臨時北部南西諸島政庁 」 は、戦後沖縄とともにアメリカ軍占領下の奄美群島およびトカラ列島に設置された行政機構で、1946年10月3日に設置された。
 臨時北部南西諸島政庁知事には鹿児島県大島支庁長の豊島至が任命された。
 アメリカ軍は奄美群島を 「 Northern Ryukyu( 北部琉球又は北琉球 )」 と呼称したが、中江実孝 ( 豊島の急死により1946年9月に就任 ) をはじめとする早期の日本復帰を望んでいた奄美側はこの名称から、沖縄県と一体にされ復帰が大幅に遅れる事を危惧し、日本語名称から 「 琉球 」 の文字を排除した ( 当初アメリカは琉球を、日本から分離独立させることも計画していた)。

 沖縄は1972年に 「 祖国復帰 」 するまで、その後も長くアメリカの施政権下にあったが、1952年の平和条約による日本の主権回復を機に、アメリカは、基地が少なく復帰運動の激しい奄美群島の統治を諦め、1952年にトカラ列島が、残りの奄美群島も翌1953年に日本に返還された。

 このことについては他の材料で、2016年5月の第226号 『 臨時北部南西諸島政庁の設置から奄美群島復帰まで 』 として書いている。

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戦後間もなく、アメリカ軍占領下の奄美群島およびトカラ列島に設置された行政機構
「 臨時北部南西諸島政庁 」 に関わるエンタイア。
( 画像をそれぞれクリックすると二段階で拡大します )



 4月4日(木)
 新元号の発表に伴って掲げられた 「 令和 」 の字。( 図1 )
 麗々しく掲げたはいいが、誰が書いたものやら、折角の晴れの舞台にあまり上手な字とは言えないが。
 それはともかく、筆字のことだからこれも「許容」の範囲なのかも知れないが、子どもじゃあるまいし 「 止め・跳ね・払い 」 をとやかく言うつもりはないが、「 点 」 と 「 跳ね 」 に異義あり。

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図1 新元号の発表に掲げられた 「 令和 」 の字。

 「 令 」 の字音のこと、漢音の 「 レイ 」 と呉音の 「 リョウ 」 については昨日ふれた。
 今日は字体のこと。
 日本の常用漢字 ( 小学4年配当の教育漢字 ) の字体は 「 令 」 とされており、漢和辞典では 『 「今」の字に点を打つ字 』 は俗字とされている。( 図2 )
 ところが、漢字の本家、中国の簡体字 ( 図3。中国の新華字典 ) はともかく、旧字が使用されている台湾 ( 図4。教育部標準字体 「 標準國語辭典 」) でも、日本で俗字とされているこの字体が 「 本字 」 とされている。

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図2 漢和辞典では 『 「今」の字に点を打つ字 』 は俗字とされている。

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図3 中国の中国の 「 新華字典 」 の「 令 」。

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図4 台湾の 「 標準國語辭典 」の「 令 」。

 書体の例を示す。 左から、ゴシック体、明朝体、教科書体、楷書体、行書体、草書体。(図5)
 何、教科書には俗字とされている 「 教科書体 」 が使われているのか。
 また、『 常用漢字表 』 による 「 明朝体と筆写の楷書との関係について 」 示す。( 図6 )

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図5 書体の例を示す。 左から、ゴシック体、明朝体、教科書体、楷書体、行書体、草書体。

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図6 「 明朝体と筆写の楷書との関係について 」

 「 令 」 が漢字の一部として使われる 「 鈴木 」 の 「 鈴 」 の字について、銀行だか郵便局で書き字で一般的な 『 「今」の字に点を打つ字 』 を書いたら書き直させられたとかで、鈴木さんが憤慨していた。
 目に余る、最近の子供の名前に見る 「 デタラメ読み 」 が横行する一方で、許容を知らぬ半可通の石頭が困る。
 因みに 「 鈴 」 の字音は、漢音の 「 レイ 」、呉音の 「 リョウ 」、唐音の 「 リン 」 で三音そろい踏み。


 4月3日(水)
 近くの 「 百合が原公園 緑のセンター 」 の大温室に行ってきた。
 外は風が冷たいが、温室はツバキの仲間が咲き競い、真っ先に春を告げるフクジュソウとミモザ ( ギンヨウ(銀葉)アカシア。オーストラリア原産 ) の花が満開で大勢の人が訪れている。
 さすがにまだ外では、スノードロップとクリスマスローズを見るくらい。
 フキノトウが顔をのぞかせている。

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「 百合が原公園 緑のセンター 」 入口。

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入口の大株のシンビジューム

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大温室の入口

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いろいろなツバキが咲き競う。

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中央の大きなミモザの金平糖のような黄色い花が満開。

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ミモザの花のアップ画像。

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フクジュソウ

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フキノトウ

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スノードロップ

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黄色いクリスマスローズ。



 4月2日(火)
 大いに話題を賑わせた末に、元号が 「 令和 」 に決まった。
 平成のときと同じで、多少の違和感は慣れるまでの話で、慣れてしまえばどうということもなくなるのだろうが、漢音の 「 れい 」 の音はやはり固い感じ。典故に基づく音の縛りから 「 れい 」 と読むのは仕方がないとしても、音だけの話なら呉音の 「 りょう 」 の方が柔らかい感じで、「 りょうわ 」 の響きなら好ましいのに。
 「 令 」 はやはり 「 勅令 」 だの 「 軍令 」 だのの 「 お達し 」 の意味合が第一義に思い浮かぶ。
 「 良い 」 という意味での 「 令夫人 」「 令妹 」 といった敬称に用いられる例もある。
 「 県令 」 などという場合は 「 おさ(長) 」 の意味。
 漢和辞典に見る熟語は 「 律令 」「 令外(りょうげ)」 以外は殆ど 「 れい 」 と読むものだが、「 れいわ 」 の音はどうも据わりが悪く、「 りょうわ 」 に軍配を上げたい。

 「 令和 」 の意味がどうしたら政府発表が言う 「 人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ 」 になるのかこじつけがましく、首を捻るが。
 海外メデイアは、BBCが、令和の 「 令 」 の字は 「 order(秩序) 」 や 「 command(命令) 」、「 和 」 の字は 「 peace(平和) 」や 「 harmony(ハーモニー) 」 を意味する、と書いているが、そんなところが字義からの通り相場だろう。

 「 令和 」 の出典は、これまでの一貫とした漢籍から脱して、初めて日本の最古の歌集 『 万葉集 』 の 「 梅花 (うめのはな)の歌 」 三十二首の序文にあるという。

 関係部分の一節は 『 初春令月、氣淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。 』
 『 初春の令月にして、気、淑 (よ) く、風、和 (やわら) ぎ、梅は鏡前 (きょうぜん) の粉 (こ) を披 (ひら) き、蘭は珮後 (はいご) の香 (こう) を薫 (かお) らす。 』( 初春の良き月(「令月」)、空気は澄み、風は穏やかで、梅は女性が鏡の前で白粉の蓋を開けた時のように花開き、蘭(香草の総称)は、通り過ぎた女性の匂い袋の残り香のように漂っている。 )

 大本の出典はやはり中国の張衡の 『 帰田賦 』 「 於是、仲春令月、時和氣淸、原隰鬱茂、百草滋榮 」 にあるという。( 結局は万葉集ではないではないか )
 因みに、各年号の命名の由来を確認しておくと、
 「 明治 」 が、『 易経 』 の 「 聖南面而聴天下、嚮明而治 」( 「 聖人が南を向いて政治を行えば、天下は明るい方向に向かって治まる 」) を出典とし、
 「 大正 」 も、『 易経 』 の 「 大亨以正、天之道也」( 「すべてとどこおりなく順調に運び、正しさを得る 」)、
 「 昭和 」 が、『 書経 』 の 「 百姓昭明、協和万邦 」( 「 国民の平和と世界の共存共栄を願う 」)、
 「 平成 」 が、『 書経 』 の 「 地平天成」と、『 史記 』 の 「 内平外成 」( 「 天地、内外ともに平和が達成される 」) と各々が明確であるのに対し、「令和」は通例の出典とも典拠とも言い難い。

 各界の有識者から意見を聞く 「 元号に関する懇談会 」 のメンバーの中に漢字・漢文学方面の専門家がいないのは、うるさいのは排除しておいて、原案をあっさり通すためのメンバー構成のようで胡散臭い。

 ところで、留萌管内の小平町 ( おびらちょう ) に明治の開拓期に入植した奈良県出身の農場主が出身地の古名を取って 「 寧楽(なら)農場 」 と名付け、地域名としても名を残した。
 「 寧楽 」 は 「 なら(奈良)」 で、万葉集に有名な 「 あをによし 寧楽 (なら) の京師 (みやこ) は咲く花の 薫 (にほ) ふがごとく 今盛りなり 」 がある。
 ワンポイントには講談社文庫の万葉集を。「 原文付全訳注 」 が素晴らしい。
 中西進は驚異の万葉学者。

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中西進の万葉集。



 4月1日(月)
 4月になりました。
 今年の札幌は雪解けが早く、道路はすっかり雪から解放されて、ようやく春の到来です。
 2月に三浦半島で待望の河津桜を見てきましたが、流石に札幌の桜は連休時期を待たねばなりません。

   今月の原稿をアップしました。
 東京の故郷の家の近くにあるゆかりの 「 下谷龍泉寺町 」 郵便局の消印をもとに、現在の 「 台東竜泉 」 局の来歴を記した 『「 下谷龍泉寺町 」 郵便局の消印 』 と、これを機に、書きかけだったものをまとめた、樋口一葉との縁を綴った 『 樋口一葉のこと 』 の二本の合わせ技です。

 「 下谷龍泉寺町 」 郵便局 ( 現・「 台東竜泉 」 郵便局 ) の来歴に、『 1904年 (明治37年) 3月15日に開局し、1945年 (昭和20年) 4月30日に廃局となり、1958年 (昭和33年) 10月1日に 「 台東竜泉寺局 」 が開局し、1968年 (昭和43年) 5月1日に 「 現・台東竜泉 」 に改称されている。 』
 そして『1945年(昭和20年)4月30日の下谷龍泉寺町局の廃局は、この辺一帯がで灰燼に帰したことによるのもだろう。』 と書いている。  3月10日の東京大空襲の日を控えた2~3月の上京の時に訪れた 「 すみだ郷土文化資料館 」( 墨田区 ) の企画展で、改めて東京大空襲の悲惨さを知り、被害の惨状に憤りを覚えた。
 当時の本所区と向島区を合わせた墨田区は戦死者の数とともに焦土となった割合が一番高かった地域で、本所区の焼失区域は実に96%、向島区は56%で、二つの区を合わせた現・墨田区の約70%以上が焼失している。
 このことについて、次号のために 『 東京大空襲と関東防空演習記念印 』 を書いている。

 ところで、北海道は雪のシーズンに対応して、春と秋の年二回、冬タイヤの履き替え(これは多分 「 北海道言葉 」 でしょう。「 タイヤの交換 」 とでもいうのでしょうか ) という 「 作業 」( といっても、こちらはいつも横着して車屋に頼んでしまう口ですが ) を要します。
 「 秋は早めに、春はゆっくり 」 が鉄則です。
 去年は4月13日に夏タイヤに履き替えている。そろそろ段取りしてもよい頃だ。

 3月18日にも載せたところですが、先取りで、昭和8年に行われた関東防空演習の記念印 ( 横浜。昭和8年8月10日 ) を掲げておきます。上空を向いたラッパ状のものは敵機の爆音を捉える 「 聴音機 」 であるらしい。

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昭和8年に行われた関東防空演習の記念印 ( 横浜。昭和8年8月10日 ) ( 150% )



 3月30日(土)
 昨日から上映が始まった日露合作映画 「 ソローキンの見た桜 」 を見に行った。
 ところが迂闊にも調べずに同じ時間帯のつもりで出かけたところ、上映時間が変わっていて待つ時間も長く、パンフレットだけ購入して空振りで帰ってきた。
 映画は日を改めて出かけることにしよう。

 ところで、札幌で映画を見る環境は恵まれている。東京の岩波ホールや渋谷のユーロスペースに当たる、いわゆる名画座の存在としてシアターキノがあり ( 同じ蠍座が2014年で閉館したのは残念だった )、商業ベースの映画館でも比較的良質な映画が選択されている今回のディノスシネマやユナイテッド・シネマ ( 駐車料金がかからないのが有難い ) の存在がある一方で、札幌駅にあるシネマコンプレックスにはまず行くことはない。
 ただ、半世紀続いたという頼みのディノスシネマがこの6月に閉館するというのが辛い。
 最近、浅草からついに映画館が消えたというのも残念で、今ならコンプレックス方式とデジタル化でいくらでも対応が可能と思われるのだが、むざむざと撤退するのは惜しい。

 映画の方は、見ないで内容に触れるわけには行かないが、タイトルの 「 ソローキンの見た桜 」 はいかにも日本人好みの情緒的な命名で、そこはかとなく内容を伝える題名が良い。
 一方のロシア名 「 В плену у сакуры 」 の 「 桜の捕虜 」 は、桜の例えが日本なのか、それとも日本側の主人公の看護婦なのかはさておいても、あっけらかんとして情緒に欠ける。

 映画の事はさておき、明治37~38年の日露戦争によるロシア人捕虜は72,000人に及び、日本全国29ヵ所の収容所に収容された。
 後年、第一次世界大戦に伴う青島の攻略で捕虜になったドイツ将兵のことについて、2011年5月の第166号で 「 板東収容所郵便のマテリアル 」 として書いた。
 この時のドイツ人捕虜は約4,700人で、最終的に16ヵ所の俘虜収容所に収容されたが、 日露戦争でのロシア兵の捕虜が、この時とは桁違いの72,000人もあったとは驚く。
 またこの中には4,600 人以上のポーランド人が含まれており、その他にも大国ロシアの支配下でロシア軍兵士として徴発されたウクライナ人、タタール人、ユダヤ人、フィンランド人などの非ロシア人兵士が多く含まれていた。
 彼らは日本海海戦でのバルチック艦隊の敗北の報に狂喜し、快哉を叫んだ。「 敵の敵は友 」 である。

 青島のドイツ人捕虜の場合には徳島県の板東収容所が所長の松江豊寿陸軍歩兵中佐による寛容な待遇で有名になったが、日露戦争でのロシア人捕虜の場合にも期せずして、この映画の舞台となった同じ四国の松山収容所が、国のジュネーヴ条約遵守の方針もさることながら、所長の河野春庵陸軍騎兵大佐と松山の人びとの気風も後押しして、延べ6,000人、多い時には一度に4,000人ものロシア兵が人道的な環境の中で処遇された。
 ひょっとして、後の板東では松山のことが意識されていたのかも知れない。

 負傷兵が多く運び込まれた松山では、映画にも登場するワシリィ・ボイスマン大佐をはじめ98人が介護の甲斐無くこの地で命を落とし、「 ロシア人墓地 」 に手厚く葬られ、今も地元の人たちによる墓地供養と清掃活動が行われている。

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「 ソローキンの見た桜 」 の読み応えのあったパンフレットの表紙。



 3月29日(金)
 ところで2月8日の当欄で、ドイツとソ連の両大国に挟まれ、国土をたびたび蹂躙されたポーランドの歴史に触れるとともに、そのポーランドに関わって、長らく書きかけたままで店ざらしになっている 『 在イタリア、ポーランド第二軍団のマテリアル 』 に関わる小型シートを紹介した。
 内藤陽介氏が 「 事情のある国の切手ほど面白い 」 と指摘するように、当事国にとっては気の毒なことだが、ポーランドほど悲劇的な国もなく、波瀾万丈の歴史の中に含まれる多くの事柄が郵趣の展開を多様にしている。

 なかなかまとまりの付かない 「 第二軍団 」 に、JPSポーランド郵趣研究会の存在を思い出し、唐突で不躾ながら、第二軍団にまつわる資料があればと頼んでみた。
 すると、しばらくして、多方面に亘る望外の大量の資料を送っていただいて恐縮した。
 さすが、餅は餅屋に任せろと言う。

 英語は固より、ポーランド語など及びも付かず、拙い語学力を今さらながら残念に思うが、これらの中から改めてヒントを得て、なるべく早くに仕掛品を完成したい。
 ところで、第二軍団のマスコットになったヴォイテク熊のエピソードもあった。
 ヴォイテク(1942 - 1963年)は、第二次世界大戦中にポーランド軍で飼われたシリアヒグマ。連合軍における正式階級は伍長。「 兵隊クマ 」 としてモンテ・カッシーノの戦いにおいて、ヴォイテクは弾薬運搬作業に従事したことで知られる。
  「 ヴォイテク 」 はポーランドの一般的な男性名 「 ヴォイチェフ 」 の愛称形であるが、もとの 「 ヴォイチェフ 」 の原義は 「 戦士 」「 武人 」 であり、「 兵隊クマ 」 の名に相応しい。

 ヴォイテクは兵士たちとのレスリング遊びに興じ、挙手の敬礼を覚えて注目を集め、部隊のマスコットとなった。そのおかげでポーランド陸軍に正式に徴兵され、ポーランド第2軍団第2砲兵隊第22弾薬補給中隊に配属された。彼は部隊とともにイラクに移動し、シリア、パレスチナやエジプトを経由して、南イタリアに入った。輸送船で動物を運ぶことは禁じられていたため、アンデルス中将の計らいでヴォイテクに伍長の階級が与えられ、彼専用の軍籍番号と軍隊手帳が発行され、渡航が許可された。
 激戦地モンテ・カッシーノの戦いにおいては部隊の一員として弾薬を運び、足場の悪い山岳地帯で力を発揮した。

 モンテ・カッシーノ戦の終結後、ポーランド軍の司令部はヴォイテクの人気を認め、「砲弾を持つクマをかたどった紋章」を第22中隊の公式シンボルとすることを承認した。
 1945年に第二次世界大戦が終結すると、ソ連に支配されたポーランドへの帰国を望まず、イギリスへの亡命を希望する第2軍団の残存将兵とともにスコットランドのキャンプに送られ、1947年に部隊が解散した後はエディンバラ動物園で余生を過ごし、1963年に22歳で死んだ。

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2017年にポーランドで発行された兵隊クマ・ヴォイテクの切手。
絵柄は、砲弾を運ぶヴォイテクを描いた、ポーランド第2軍団第2砲兵隊
第22弾薬補給中隊の記念バッジ。

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兵隊クマ・ヴォイテク切手のFDC。


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ポーランド兵とともに写るヴォイテク(1942年)
Wikipedia「ヴォイテク (兵隊クマ)」からの借用画像。



 3月28日(木)
 元号の発表される日が近づいて、何かと元号が話題になり、関心を呼んでいる。
 政府は、平成に代わる新元号を4月1日の昼に発表する方向で調整に入ったという。
 そして、5月1日に 「 改元 」 として年号が変わる。

 改めて、元号の根拠は昭和54年の 「 元号法 」 による。
 背景として、大日本帝国憲法下においては、元号に関する規定は旧皇室典範第12条に明記されていたが、日本国憲法下においては、1947年 (昭和22年) に現皇室典範が制定されるに伴って条文が消失し、法的明文がなくなった。
 しかし、その後も元号は国会・政府・裁判所の公的文書、民間の新聞等で慣例的に使用されており、昭和天皇の高齢化と世論調査に基づいて、1979年 (昭和54年) の国会で 「 元号法 」 が成立した。

 本則は次の2項をもって構成される。第2項は一世一元の制と呼ばれる。
 第1項: 元号は、政令で定める。
 第2項: 元号は、皇位の継承があった場合に限り改める。
 よって今回の元号制定は、この 「 皇位の継承があった場合 」 として定められる。

 そもそも元号は中国で、前漢の武帝の時の一番最初の元号 「 建元 (けんげん)」 に始まり、清が滅亡するまで続いた。
 『 漢の武帝の天漢二年秋九月、騎都尉・李陵は歩卒五千を率い・・・ 』 で始まる中島敦の 「 李陵 」 の冒頭に、武帝の時代の年号の「天漢」が出てくる。

 日本ではこれに倣って、天皇を中心とする律令国家成立する645年の 「 大化 」 に始まった。以来、平成までその数 247。
 江戸時代までは事ある毎に随時変更が行われ、「 年号 」 の呼称が多く使われ、明治以降は一世一元の制が定着し、「 元号 」 が法的用語となった。

 手許の日本史年表の付録にある年号一覧で、「 天平感宝 」 など四文字の年号五つを含めた昭和までの年号を、頭の字で多い方から拾い上げると 「 天 」 のつくもの27、「 永 」 16、「 元 」 と 「 文 」 が15、「 寛 」 14、「 正 」 13、「 延 」「 嘉 」「 長 」 の11、「 康 」 の10回などとなっている。
 どさくさに紛れて忌まわしい 「 安 」( 過去に5回 ) など使われることのないように。

 「 年号 」 とは別に、西暦や我が国でかつて用いられた 「 紀元 」 の存在があって、このことについては2002年1月第54号 『 郵趣にまつわる年号の話とその関連マテリアル(その2)「 紀元2600年記念貯金シール 」「 檀紀年号 」』 と、2001年12月第53号 『 郵趣にまつわる年号の話とその関連マテリアル(その1)「 成紀年号 」「 主体年号 」』 に書いている。
 昭和15年 (1940年) の紀元2600年は、今年2019年は紀元2679年。
 1912年の辛亥革命による中華民国の誕生を紀元とする台湾の民国年号は今年、民国108年になる。

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昭和15年の紀元2600年記念のFDC ( 4種組みのうちの4銭切手使用 )。 ( 原寸 )



 3月24日(日)
 楽しみに見ている NHKの大河ドラマ 「 いだてん 」 が意外に不人気だという。そこで、「 いだてんの不人気 」 で検索したところ、低視聴率の原因などいろいろと話題を賑わしている。
 こちらからすれば意外と思いつつ、やはり 『 NHK大河 「 いだてん 」 に賛否大激論 「 超面白い 」 と絶賛から 「 たけしの志ん生残念 」 の声まで 』 とあるなど、賛否それぞれであるようだ。

 「 20世紀デザイン切手 」( 1999~2000年。全17集、切手合計170種 ) シリーズの17シートを収めたセットをこれまで何冊も入手して通信用に使ってきた。
 使ったあとの40頁ある専用のホルダーは、例の上京時の入場券だのパンフレットだのを整理するファイルとして重宝している。

   今回フト切り離した一枚を使おうとして初めて気がついた。
 前回に登場した入場行進の場面の写真ではないか。説明文に 「 ストックホルム五輪、三島弥彦と金栗四三 」 とある。
 「 五輪に初参加 」 とあるこの切手には国名のプラカードを掲げた ( 初回の入場行進では 「 NIPPON 」 とされていた ) 金栗四三が写り、三島弥彦は自身が捧げる日本国旗の陰に隠れて見えない。さらばと向こうの三島弥彦の側から撮れば、今度は金栗四三が旗に隠れて見えない。テレビでは、そんなドタバタを話題にしていた。

 「 20世紀デザイン切手 」 は第1集 (1901-09年) に始まり ( 改めては意外に思うが、当然ながら20世紀の始めは明治34年と言うことになる )、ストックホルム五輪は明治45年 (1912年) の出来事で第2集 (1910-13年) のシートに収められている。

 それにしても、「 20世紀デザイン切手 」 とは妙な言い回しだ。趣旨からすれば、20世紀にあった出来事をデザインにした切手なのだが、「 デザイン 」 の言葉がそぐわない。「 20世紀シリーズ 」 でよかろうものを。
 この切手、アメリカで発行された20世紀シリーズ 「 20世紀を讃える 」 をヒントにしているに違いない。
 20世紀シリーズは各15種構成のシートで、20世紀を10年毎に区切った10集 ( 切手150種 ) が1998年を通じて一挙に発行されたが、このことについては関連して、2017年1月第234号 『 世界の高層建築物の歴史 』 の中で触れている。

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「 20世紀デザイン切手 」 第2集にある、ストックホルム五輪初参加を取り上げた切手。(250%)

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「 20世紀デザイン切手 」 のホルダー。



 3月23日(土)
 いつになく早く雪解けが進み、春の到来を感じさせていたのだが、一夜明ければ銀世界に逆戻り。
 昨日も霰や雪交じりの風が吹いて寒い一日だった。
 とりわけ、オホーツクの紋別市では、降雪量が30センチに達したとは驚いた。

 そんな中を、札幌の東隣りにある江別市野幌地区の野幌公民館で開催中の 『 2019年 「 拓北農兵隊 北の世田谷物語 」 の昔と今〜展覧会 』( 3月19~24日 ) に行ってきた。
 札幌市内の雪解けは進んでいても、車で向かう途中の郊外に出れば、原野や畑はまだ雪で覆われている。

 今回の上京では3月10日の東京大空襲の日に近く、「 すみだ郷土文化資料館 」 の企画展で、改めて東京大空襲について考えさせられた。
 18日の当欄で書いたとおり、戦災地図のことや反軍・反権力を貫いた気骨の新聞人・桐生悠々の関東防空大演習批判などを併せ、『 東京大空襲と関東防空演習記念印 』( 仮題 ) を書き始めた矢先、野幌公民館でのこの企画展の開催を知り、出かけた訳だ。

 戦時中に空襲を逃れて東京の世田谷からの 「 移民 」 があったことや、これに由来する 「 世田谷 」 と名づけられた地区のあることは前にも聞いて承知はしていたが、今回のことで忘れかけていた意識を呼び覚まされた。

 「 戦災者北海道集団機能計画 」 に基づく東京からの移民集団の中に、江別市角山の世田谷地区へ、その地名の由来になった東京・世田谷の砧 ( きぬた ) から 「 拓北農兵隊 」 と名づけられた一団が入植した。
 彼らが北海道に渡ったのは終戦も間近の昭和20年7月。7月6日に上野駅を出発、9日に野幌駅に着いた。江別市は、その15日に空襲を受けている。

 毎度の杜撰な 「 国策 」 の一つで ( 満蒙開拓団や南米移民での国策の口車、権力の手先としての役人の無節操 )、謳い文句とは裏腹に用意されていた筈の家もなく、挙げ句に、札幌の札幌村を入植地とされた板橋からの別の一団では肝心な地元との調整が行われておらず、遠路をようやく辿り着いたところに 「 帰農 」 で与えられる筈の農地さえないという有様だった。
 今回の企画展のきっかけは、これを送り出した側の東京の世田谷区で開催された 『 新雪の時代―江別市世田谷の暮らしと文化 』 展 (「 北海道江別市に位置するもう一つの世田谷。作品や資料をとおして、北の世田谷を紹介する初の展覧会。2019年1月26日~3月10日 」) がきっかけだった。

 この時の展示の主役となった地元の酪農家で 「 農民画家 」 の山形トム氏 ( 11歳の時に世田谷から親に連れられて江別に移り住んだ)の6点の大きな油絵 ( 残念なことに私設の 「 北の世田谷美術館 」 が2015年の不慮の火災で全焼し、作品の多くが失われた ) が、今回の野幌公民館でも展示の中心となった。
 山形トム氏は東京の展覧会に娘さんや地元の 「 拓北農兵隊2世3世の会 」 のメンバーととともに参加して、85歳の高齢を押して 「 ギャラリートーク 」 も行ったとのことであった。

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野幌公民館の 『 2019年 「 拓北農兵隊 北の世田谷物語 」 の昔と今〜展覧会 』 のチラシ。

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野幌公民館までのルートと角山の世田谷地区。近いところにある。
走行距離は往復で20キロほど。

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山形トムさんの絵。会場に展示された家族や農耕馬、サイロなどを描いた大作の
借用できる画像がなく、やむを得ず可愛い羊の群れを描いた小品を載せておく。



 3月21日(木)春分の日
 長崎で今年一番の開花宣言が出たとのことで、桜前線がスタートした。
 東京でも靖国神社の桜がほころびかけたとか。

 アメリカのはがきのファイルにこんなものを見つけた。
 1992年4月に実施されたエルビス・プレスリーの切手デザインの人気投票はがき。
 宛名の住所、テネシー州メンフィスは自宅のあったところ。

 エルヴィス・アーロン・プレスリー ( 1935 - 77年。 42歳没 ) は、アメリカでかつて絶大な人気を誇ったロックンロール歌手で映画俳優。
 この投票結果に基づき、Aのデザインによる切手が、翌年・1993年の1月に 「 アメリカ音楽シリーズ 」 の第一次の10種のうちの最初の一枚として発行された。
 なお、「 アメリカ音楽シリーズ 」 は、その後も翌94年に13種、95 年に10種、96 年に8種、97年に12種 ( オペラ歌手 )、98 年に8種 ( フォークシンガー )、99年に12種 ( ハリウッドの作曲家 ) が発行されている。

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1992年4月に実施されたエルビス・プレスリーの切手デザインの人気投票はがき。( 原寸 )

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エルビス切手デザイン人気投票はがきの裏面。

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切手デザイン人気投票で選ばれ、1993年の1月に 「 アメリカ音楽シリーズ 」 の
最初の一枚として発行されたエルビス・プレスリーの切手。



 3月18日(月)
 先日の上京の折、「 すみだ郷土文化資料館 」 の企画展で、改めて東京大空襲の悲惨さを知り、被害の惨状に憤りを覚えた。
 今回寄るのをうっかりしたが、江東区に常設の 「 東京大空襲・戦災資料センター 」 があり、ここで 「 戦災地図 」 を入手できることを知って電話で依頼したところ、対応はスムーズで早速郵送いただいた。

Wikiprdiaによれば、「 東京大空襲・戦災資料センター 」 は 『 1970年に結成された 「 東京空襲を記録する会 」 は、第二次世界大戦中の1945年にアメリカ軍より東京下町地区を標的して行われた無差別空襲に関する資料を収集していた。会は収集した資料を公開するために 「 平和祈念館 」 という博物館を作る計画であったが、凍結されてしまったため、会と政治経済研究所が4000人近くから募金を集め、2002年3月9日にセンターが設立された。2007年3月には建物が増築された。』 とある。

  「 東京大空襲 」 は、第二次世界大戦末期にアメリカ軍により行われた、東京都区部に対する焼夷弾を用いた大規模な戦略爆撃の総称で ( その最大のものが、一晩で10万人が犠牲となった3月10日未明の大空襲であった )、日本各地に対する日本本土空襲、アメリカ軍による広島・長崎に対する原爆投下、沖縄戦と並んで、都市部を標的とした無差別爆撃によって、民間人に大きな被害を与えた。

 東京空襲の危うさについては、反軍・反権力を貫いた気骨の新聞人・桐生悠々 ( 1873-1941年 ) が、信濃毎日新聞の社説 「 関東防空大演習を嗤(わら)ふ 」 で、日本の都市防空の脆弱性を正確に指摘している。
「 関東防空大演習を嗤ふ 」 は、1933年 (昭和8年) 8月11日、折から東京市を中心とした関東一帯で行われた防空演習を批判して、同文中で悠々は、敵機の空襲があったならば木造家屋の多い東京は焦土化すること、被害規模は関東大震災に及ぶであろうこと ( 確かに関東大震災による死者・行方不明者約14万人に対し、最も大規模だった3月10日未明の東京大空襲だけでも死者数は約10万人に上った )、空襲は何度も繰り返されるであろうことなど、12年後の日本各都市の惨状をかなり正確に予言している。

 当時の日本が全体主義の下で軍・権力による抑圧があったにせよ、マスコミがこぞって権力へ盲従、迎合する中でも、こうして反戦の烽火を上げた存在があった。
 そのマスコミは、戦後はその反省の上に立って再出発した筈であったのだが、再び権力に屈した感のある最近のマスコミの不甲斐なさ、無節操を見て情けなく思う。

 「 東京大空襲・戦災資料センター 」で入手したと同様の 「 空襲日別戦災地図 」 と関東防空演習の郵便記念印 ( 8.8.10東京 ) を掲げておく。

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「 東京渡区部焼失区域図 」。
中央に二つ空いた空白の区域は皇居 (下) と上野公園 (上)

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関東防空演習記念印 ( 8.8.10 東京 )
高射砲の先に飛ぶのはなぜか旧式の複葉機。
( 画像をクリックすると拡大します )



 3月17日(日)
 北海道漢字同好会の年度末に発行される 「 啐啄 ( そつたく )」(「 啐啄 」 は禪宗において、今まさに悟りを得ようとしている弟子に、師匠がすかさず教示を与えて悟りの境地に導くことをいう。「 啄 」 は、親鳥が殻をつついて雛の出るのを助けること。何かをするのに絶好のタイミングを表す四字熟語 「 啐啄同時 」 が生まれた ) に、投稿していた文章がようやく活字になったので、ホルダーの3(1) 北海道漢字同好会会報 「 啐啄 」に張り付けました。

 北海道漢字同好会の趣向として昨年8月に行われた第二回目の作問コンテストにかかわるもので、『 第二回作問コンテストにかかわる 「 箱根八里 」 について 』( あとから若干書き足した ) と、これを踏まえて書いた 『 漢詩の詩型について 』( 文中の、『 作問コンテストの 「 箱根八里 」 で触れた李白の 『 蜀道難 』 という 「 雑言古詩 」( 雑体=長短句混在 ) がある。 』 と断っている ) の二篇です。


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「 蜀道難 」 の図。( 借用画像 )



 3月16日(土)
 昨日届いたスタンプマガジンでの三遊亭あほまろさん ( かつて札幌に存在したゲームソフト会社を創業した人物。札幌出身で今東京浅草に住み、曾て浅草の近くに育ち、今札幌に住む私とはお互い逆の境遇 ) の 「 溜め鉄っちゃんの自己満足ギャラリー 」 で意外なことを知った。
 こちらのブログの筆頭のプロフィールのところに昭和33年の 「 関門トンネン開通記念 」 の切手を掲げているのは、これは自分が初めて郵便局で買った記念切手という意味合いのものだが、期せずしてこのあほまろさんも今月号で門司港を話題にする中で、同様に 「 自分が初めて郵便局で買った記念切手 」 と記している。

 そして目を引いたのが、「 すでにこのとき関門トンネルはできていたのに,何で今頃になって記念切手が発売されるのだろうか 」という疑問。これはそれ以前に両親に連れられて鉄道で通った経験を踏まえる。
 世界初の海底トンネル 「 関門鉄道トンネル 」( 山陽本線 ) は、意外なことに戦時下の昭和17年7月1日に下り線が、次いで昭和19年8月8日に上り線が開通している。

 いつの間にか勝手に鉄道のトンネルと思い込んでいた昭和33年の 「 関門トンネン開通記念 」 は、掲げた初日カバーに見るとおり、人・車用 ( 二階建てと説明されている ) の第二の関門トンネルであったのだ。
 この第二の関門トンネルは国道2号のトンネル ( 海底トンネル ) で、山陽本線の同名のトンネル ( 関門鉄道トンネル ) と区別するために 「 関門国道トンネル 」 とも呼ばれる。

 余談ながら、「 鉄っちゃん 」 の表記はおかしい。「 鉄ちゃん 」 で 「 てっちゃん 」 と読む。 そういえば別海町が 「 べつかい 」 と読みを規定したが、これも発音の自然に逆らったおかしな話。ならば 「 別府 」 も 「 べつぷ 」 か。最近 「 緑化 」 を 「 りょくか 」 と誤解して読んでいる者がいる。「 りょくか 」で辞書を引いても 「 緑化 」 は出てこない。

 「 別海 」 の場合は、古くから 「 べつかい 」 と 「 べっかい 」 が混在していたが、1971年 (昭和46年) の町政施行を機に 「 べつかい 」 で統一された。しかし、実際のケースとの不都合もあり、2009年の町議会で当時の町長が 「 べつかい 」 と 「 べっかい 」 の双方の読み方を認めることとしたが、町の公的表記は引き続き 「 べつかい 」 とするとしている。

 「 べっかい 」「 べっぷ 」「 りょっか 」 などの促音化の法則。
 漢字二つが合わさって熟語になるケースでの促音化。
 その一つに『後半の語頭の発音が「カ行」のとき、前半の二音節目の 「 キ、ク、ツ、チ 」 が促音 ( つまる音 ) にかわる 』 例がある。
 ( キ ) 石灰(セキ+カイ→セッカイ)敵機(テキ+キ→テッキ)
 ( ク ) 六回(ロク+カイ→ロッカイ) 閣下(カク+カ→カッカ)卓見(タク+ケン→タッケン)学校(ガク+コウ→ガッコウ)楽器(ガク+キ→ガッキ) 楽観(ラク+カン→ラッカン)
 ( ツ ) 鉄筋(テツ+キン→テッキン)発見(ハツ+ケン→ハッケン)失血(シツ+ケツ→シッケツ)
 ( チ ) 日記(ニチ+キ→ニッキ)八階(ハチ+カイ→ハッカイ)

 そして、「 別海 」「 別府 」 のように、 後半の語頭の発音がp t k の前に来ると殆どの場合、促音になる。
 北方(ホク+ポウ→ホッポウ)六本(ロク+ポン→ロッポン)も同様。
 それぞれ、p の前で「 十本 」「 鉄板 」、tで 「 十点 」「 鉄塔 」、kの例で 「 十軒 」「 鉄筋 」「 北極 」。( 関係サイトから引用 )

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昭和33年の 「 関門トンネン開通記念 」 切手の初日カバー。( 原寸 )
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 3月15日(金)
 いまNHKの大河ドラマ「いだてん」を楽しみにしている。
 1912年にスウェーデンのストックホルムで開催された第5回目のオリンピックに日本が初めて参加したことにまつわる話。
 オリンピックと言えば、この時に発行されたオリンピック切手はなかったかと探してみたが、意外にこの時のオリンピック切手はスウェーデンでは発行されなかった。
 代わりにポスタースタンプと呼ばれる宣伝用のラベルが作成されていたので、まず掲げておく。
 横幅が5センチ近くもある大きなものだ。( 図1 )

 ところで、第一回の近代オリンピックは古代オリンピック ( 紀元前9世紀から紀元後4世紀にかけて長く行われたと聞いて驚く ) 発祥の地ギリシャのアテネで1896年に開催されている。何とこのとき、最初のオリンピック切手も発行されている。
 eBayを覗いてみると母国ギリシアから出品されたものがあり、図2がその12種セット。
 Buy It Now ( 即譲 ) US $3,500で、Make Offer ( 価格交渉 ) もあるがかなりの高額である。

 オリンピックはその後、第2回が1900年にフランスのパリで、第3回が1904年にアメリカ合衆国のセントルイス、第4回が1908 年にイギリスのロンドンで開催されているが、どういう経緯か第3回と第4回の間の1906年にも再びアテネで特別大会が開催されており、この時にも14種大型セットでオリンピック切手が発行されている。( 図3 )
 こちらは使用済みでスタート値は低いが、未使用のものであれば1896年の第一回のものと同様に高価だ。

 オリンピック切手は今日収集の1ジャンルを形成しているが、意外なことにギリシャが発行したこの二回のオリンピックの記念切手を除いて、1920年に第7回の大会がベルギーのアントワープで開催されで3種セットの切手 ( 図4 ) が発行されるまで、オリンピックの記念切手は発行されていない。
 このアントワープ大会以降、オリンピックの記念切手は夏季五輪大会が開催されるたびに発行されるようになった。

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横幅が5センチ近くもある第5回ストックホルム大会記念のポスタースタンプ。( 原寸 )
( 以下の画像をクリックするとそれぞれが二段階で拡大します )

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図2 1896年にギリシャのアテネで開催された第1回の近代オリンピック記念
の切手12種セット。

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図3 1906年のアテネ特別大会のオリンピック切手14種の大型セット。

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図4 1920年の第7回アントワープ大会の記念にベルギーで発行された3種セット。



 3月14日(木)
 唐突ながら子規 (1867-1902年) の 「 墨汁一滴 」 を、根岸の子規庵の様子を思い出しながら、また先日の上野公園の東京文化会館の脇、摺鉢山古墳の北側にある野球場 ( 正岡子規記念球場 ) で野球に興じていた元気な頃の子規を想像しながら読んでいると、こんな一節に巡り会った。

 脊椎カリエスによる不自由な身に苦しんだ子規だっただけに、3月15日には 『 散歩の楽しみ、旅行の楽、能楽演劇を見る楽、寄席に行く楽、見せ物興行を見る楽、展覧会を見る楽、花見月見雪見等に行く楽、・・・。歩行の自由、座臥の自由、寝返りの自由、足を伸ばす自由、人を訪ふ自由、集会に臨む自由、厠に行く自由、書籍を捜索する自由・・・。総ての楽、総ての自由は尽く余の身より奪ひ去られて・・・』 とあり、その嘆きはいかばかりであったか。

 また、「 墨汁一滴 」 は日によって長短甚だしいが、3月21日の短い一文に 『 露伴の 「 二日物語 」 といふが出たから久しぶりで読んでみて、露伴がこんなまづい文章を作ったかと驚いた。それを世間では明治の名文だの修辞の妙を極めて居るだのと表して居る。各人批評の標準がそんなに違ふものであらうか。』 とあるのを見て、有名な五重塔の長々しいセンテンスに辟易してアレアレと思っていただけに、これを聞いて何か安心した。

 なお、「 墨汁一滴 」 は新聞 『 日本 』 に、明治34年の1月から7月にかけて164 回に亘って連載されたいわば日記様の随筆。
 ワンポイントに、文化人切手の昭和26年の正岡子規のFDCを載せておく。

 記された秋海棠 ( シュウカイドウ ) の三句。
  臥シテ見ル 秋海棠ノ 木末カナ
  秋海棠 朝顔ノ花ハ 飽キ易キ
  秋海棠ニ 向ケル病ノ 寐床カナ

 秋海棠はべゴニアの一種。別名・瓔珞草 ( ようらくそう ) は、花のぶら下がった様子を首飾りに喩えている。

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昭和26年の文化人切手、正岡子規のFDC。 ( 原寸 )
( 画像をクリックすると一回り拡大します )

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秋海棠の花。



 3月13日(水)
 今回アップした東京日記 ( 51 東京日記 2019年2-3月 ) の中で、2月23日の立教大学訪問で穴を空けていた部分がある。
 今年の立教大学100周年に因んで打って付けの材料があったと入手した 「 立教大学100周年 2019年用年賀エコーはがき 」 が届いたので、早速張り付けておいた ( 画像は大学の広報のものを借用した )。  次に掲げるもので、ロットで複数入手したので身近に何人かいる立教の関係者に進呈しようと思う。
 この 「 立教大学100周年 2019年用年賀エコーはがき 」 は池袋キャンパス100周年記念事業の一環として立教大学が昨年11月に今年のオリジナル年賀エコーはがきとして限定販売したもの。
 販売に当たっての大学の説明によれば 『 築地に開校した、生徒数名の小さな私塾は、1918年(大正7年)に池袋に移転。今では小学校から大学院までを擁する国内有数の私立一貫連携教育校として発展してきました。そして2018年度、池袋キャンパスは100周年を迎えました。  この間、池袋の街と歩むことができた数々の恩恵に感謝を込めて、記念年賀はがきを制作・限定販売します。』 とある。

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立教大学100周年 2019年用年賀エコーはがき (大学広報の借用画像 )。



 3月11日(月)
 今回の上京の記録を 「 東京日記 」 としてまとめました。
 「1コレクションコーナー」 の 「 (2)新作リーフ 」 を開いた 「51 東京日記 (2019年2-3月)」 です。
 写真や資料の貼り付けは下準備の段取りのお陰でスムーズに運びましたが、ボリュームあるだけにやはり時間がかかりました。

 東京の地元の千束神社が稲荷神社であったことを、初午の行事を通じて今頃になって知りました。
 それにしても駄洒落の 「 地口行灯 」 が面白い。
 足立区のサイトによれば、現在都内には吉田絵馬屋 (足立区千住)、大嶋屋 (荒川区南千住)、びら武 (北区滝野川)、国華堂 (練馬区貫井) の4軒の職人がいて、「 地口行灯 」 に使う江戸時代以来の駄洒落の 「 地口絵紙 」 を今日に伝えているとのこと。
 「 板きり娘 」 というのがあって、娘が鋸で板を切っている図。
 板きり娘> 着たきり娘> 着たきり雀> 舌切り雀で、「 舌切り雀 」 からの発想らしい。
 ともあれご覧ください。


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「 板きりむすめ 」( 舌切り雀 ) 娘が鋸で板を切っている図。



 3月7日(木)
 4日に東京から13日ぶりで戻りましたが、なかなかエンジンが掛からずにおりました。  今回の足跡 「 東京の記録 」 も遅れ馳せ、書き始めたところです。

 留守中に、カナダから落札品が届いていました。
 カナダ東部のオンタリオ州スカーバロー ( オンタリオ湖の北西岸、首都トロントの東隣 ) から。封筒の裏面には花の切手がびっしりと貼られていた。(図1)

 今月の原稿 「 城郭建築の雄、名古屋城 」 は出かける前にすでに張り付けていましたが、 その名古屋城について、あとから疑問が湧きました。
 金の鯱 ( しゃちほこ ) で有名な名古屋城は終戦の年の5月の空襲で天守閣を始め主要な建物は焼け落ちて、戦後再建されたもので歴史的建造物とはいいがたいのだが、三名城にも数え上げられて国の特別史跡にも指定されている。
 国宝、重要文化財、史跡名勝天然記念物等の指定要件がどのようになっているのか、これを機会に整理してみたいと思う。

 また世界遺産となっている沖縄の首里城も同じく終戦の年の沖縄戦で守礼の門をはじめ主要な建築物は破壊され焼失しているが、世界遺産登録は 『 琉球王国のグスク及び関連遺産群 』 であり、戦後再建された守礼の門や王宮の建造物はその対象となっていない。

 ところで、カナダからの落札品は懐かしい香港のラズ・カバー。九龍局と香港局の消印のものを多数落札することができた。(図2)
 ラズ・カバーはラズ氏によって日本占領下の香港で作成され、戦後のある時期から市場に大量に出回ったフィラテリックなカバーで、各種の昭和切手が賑やかに貼られ、香港の12局の消印が確認されている。
 かつて中国切手の研究に重要な役割を果たした中国切手研究会の機関誌 「 中國郵便史研究 」 の1996年6月の第46号にこの特集が組まれている。(図3)
 「 中國郵便史研究 」 は2014年10月発行分(162号)で廃刊となった。

 ラズ・カバーについては、「 中國郵便史研究 」 の特集などを参考に、追って何月号かで一作にまとめたいと思っています。

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図1 花の切手がびっしりと貼られたカナダからの封筒の裏面。

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図2 九龍局と香港局消印のラズ・カバー。 ( 原寸 )
( 画像をクリックするとそれぞれに拡大します )

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図3 「 中國郵便史研究 」 ラズ・カバー特集号の表紙 ( 1996年6月第46号 )。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 2月19日(火)
 明日から上京してしばらく留守にします。
 何をわざわざ冬枯れの寒い時期に出かけないでも、あと一ヶ月もすれは東京は桜もほころびかけるというのに。
 用事があるとはいえ調整もできたはずで、確かに時期の選定を誤りました。

 ちょうど月を跨ぐ恰好になりましたので、先取りで3月の原稿を早々と張り付けておきます。
 題して 『 城郭建築の雄、名古屋城 』。
 ちょうど名古屋の風景印が目立つ好ましいカバーを入手していたので、今回の材料に取り上げた。

 三名城というのがあって、将軍徳川家の居城であった江戸城は別格として、名城とされる上位三つを挙げたもので、一般に姫路城・名古屋城・大坂城を指し、また姫路城の代わりに熊本城が登場したりもしているが、戦災で焼け落ちている名古屋城・大坂城が数え挙げられているのには、歴史的・文化財的な価値の感覚とは別の観点が働いている。

 偶然ことだが、またしても発信人が何か因縁めいた 「 イザワ エイジ氏 で 、この人との関わりは2011年1月の第162号 『 八十余年ぶりの邂逅 』 および、2012年1月の第174号 『 その後のイザワ・エイジ氏 』 に書いていますので参照ください。

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2011年1月第162号 『 八十余年ぶりの邂逅 』 で取り上げた材料。
北海道大学正門 ( 上 : 大正12年 ) と北大構内・古川記念講堂 ( 下 : 大正14年 ) の絵はがき。
札幌時代のイザワ・エイジ氏ゆかりの材料。( 原寸 )
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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2012年1月第174号 『 その後のイザワ・エイジ氏 』 で取り上げた材料。
名古屋時代のイザワ・エイジ氏ゆかりの材料。
オランダ領東インド・ジャワ島スマラン宛ての外信書状 ( 昭和9年 )。 ( 原寸 )
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 2月16日(土)
 韓国映画 「 いつか家族に 」 での売血からの連想で 「 血液 」 とくれば、切手は何でもござれ。
 2000年にオーストリアで 「 血液型発見100年 」 を記念して発行された切手がある。
 注射針の先でプッと玉になった血液がモチーフに使われていて ( A, B, O, ABや100のゼロや 「 entdeckung der blutgruppen ( 血液群の発見 )」 のスペルのoやa, g, d, b, p などの丸い部分 )、色調といい、発想・構成といい、デザインが素晴らしい。

 「 ABO式血液型 」 は最も初期に発見された血液型分類で、1900年にオーストリア・ハンガリーのウィーン大学で病理学教室の助手をしていたカール・ラントシュタイナー( 1868年 - 1943年 ) の発見による。
 いわゆる血液型は、この最も一般的な 「 ABO式血液型 」 の他、「 Rh式血液型 」 などを含め、対象となる抗原によってその後多くの型が認められている。

 血液のことに関しては、血液製剤にかかわる 「 薬害エイズ事件 」 や集団予防接種における注射針や注射筒の使い回しによる 「 B型肝炎集団感染訴訟 」( 今日の 「 給付金等の支給 」 に尾を引いている ) が思い起こされる。
 過去の 「 不作為 」( 行政がやるべきことを怠った罪 ) や、今回の 「 勤労統計の不正問題 」 など、企業寄りの姿勢に終始し、国民の生活・健康を守るという最大の使命に毅然たる態度を示せない厚生省 ( 2001年から厚生労働省 ) の体質を変える覚悟が必要であり、業務の重要性からしても決して 「 二流官庁 」 であってはならない。

 政財官の腐れ縁 ( 財 ( 政治資金 ) > 政 ( 人事権の濫用。とくに内閣人事局による官邸の各省庁の幹部人事への介入、「 忖度 」 の誘発 ) > 官 ( 許認可権限 ) > 財、という三すくみの連環 ) を断つにはやはり要になる政治が清廉であることが何よりで、いまおかしな事が次々と起こっている元凶がお粗末で劣悪な政治にあることは間違いない。
 それはまたこんな悪循環 ( 家庭 ( 虐待 ) < 教育 ( 劣化 ) < 政治 ( 貧困 ) < 家庭 ( 民度の劣化 ) ) にも繋がっているようにも思える。


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2000年にオーストリアで発行された 「 血液型発見100年記念 」 の切手。



 2月15日(金)
 韓国映画 『 いつか家族に 』 を見てきた。
 事前にはっきりしたイメージは持たずに出かけたものだが、シリアスな、あるいはサスペンス作品の多い韓国映画としては珍しいタイプの映画との印象であった。
 原作は 『 中国の大ベストセラー作家、余華原作の 「 血を売る男 」』 で 『 待望の映画化 』 とあるが、中国の余華という作家は初耳だった。
 そういえば、中国の映画も目立った動きがなく、このところすっかりご無沙汰している。

 「 なぜ 」 と考えさせる意図で筋立てされたものとも思えず、単に観客にそういう疑問が生じるであろうことへの配慮を欠いたとしか思えない作りが随所で気になった。
 いちいち指摘する気にもなれないので具体には触れないが、その杜撰さは原作が悪いのか、それとも中国と韓国の習慣や社会背景の違いを踏まえて原作の意図をうまく生かせなかったシナリオのまずさに原因があったのか。
 原作は曲がりなりにも世界的に翻訳・出版されるという大きな反響があったものというから、原因は韓国に舞台を移し損なった後者にあるのだろう。
 周囲ですすり泣きの声も聞こえたが、そんなに感動する場面とも思えなかった。

 原作にあり、映画でもテーマとして登場する売血 ( ばいけつ=金を手に入れる手段として自らの血液を有償で採血させる行為 ) がかって日本でもあったことは実際に身近なこととして承知していた。
 確認すれば、日本では1950年代から1960年代半ばまで輸血用血液の大部分を民間血液銀行が供給していたが、その原料は売血で賄われていたのだという。売血を繰り返す者の不健康な血液を 「 黄色い血 」 という表現も耳にしていた。

 原作に対する読者の書評を多く載せているサイトがあってそれらの書評を覗いてみたがどれも浮ついた書きぶりのものが多く、それらから受ける印象で原作を読みたいとも思えない。
 あとでの確認、あるいは資料としてパンフレットを買うことが多いのだが、最終日で売り切れであったためか、異例で用意がなかったのか、珍しく売られていなかった。あってもパスだったろう。

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韓国映画 『 いつか家族に 』 のチラシ。



 2月11日(月) 建国記念の日
 2月2日の 「 穿孔切手 」 の続き。
 図の 「 YSB 」 と 「 正 」 はともに横浜正金銀行使用のもの。
 支店を含めて多くのタイプがある。

 株式会社横浜正金銀行 ( よこはましょうきんぎんこう、英称:Yokohama Specie Bank, Ltd.)は、かつて存在した日本の特殊銀行。通称・「 正金 」、「 YSB 」。
 1880年国立銀行条例 (1872年) に基づいて設立された貿易金融の専門銀行。
 外国為替システムが未確立だった当時、日本の不利益を軽減するよう現金 ( 正金 ) で貿易決済を行なうことを主な業務としていた。

 戦前は中国に進出、満州開発の中枢金融機関として活躍した。第2次世界大戦中は南方占領地域へ進出して業務を拡大したが、戦後在外資産の喪失、外国為替業務停止などのため46年 「 東京銀行 」 を設立して普通銀行として再発足。横浜正金銀行は閉鎖機関として 47年に業務清算。

 この間、銀行の再編はめまぐるしかった。
 1971年第一銀行と日本勧業銀行が合併し第一勧業銀行 ( 現、みずほ銀行、みずほコーポレート銀行 ) を設立したのをはじめとして、1990年 (平成2) 太陽神戸銀行と三井銀行が合併し太陽神戸三井銀行 ( のちに、さくら銀行と改称。現、三井住友銀行 )、1991年協和銀行と埼玉銀行が合併し協和埼玉銀行 ( のちに、あさひ銀行と改称。現、りそな銀行、埼玉りそな銀行 )、1996年には三菱銀行と東京銀行が合併し東京三菱銀行 ( のちに、三菱東京UFJ銀行となり、2018年三菱UFJ銀行と改称 ) となった。

 旧横浜正金銀行本店の建物は現在の神奈川県立歴史博物館の旧館部分で、1904 (明治37) 年7月に横浜正金銀行本店として建設され、国指定重要文化財・史跡に指定されている。
 外壁に石材を使用した煉瓦造りで地上3階地下1階建ての建物は、コリント式の重厚な石造彫刻の柱頭飾りをもつ大オーダーと、正面に据えられた巨大なドームが特徴で、ネオ・バロック様式とされる威厳ある外観を構成している。

 1923 (大正12) 年9月1日の関東大震災では、1階から3階までの内装と屋上のドームを焼失したが、震災後に復旧工事が行われ、戦後まで銀行として使用されていた。
 1967 (昭和42) 年に建物のシンボルであるドームを復元して神奈川県立博物館となり、1995 (平成7) 年からは神奈川県立歴史博物館にリニューアルして保存活用されている。

横浜正金銀行
横浜正金銀行の穿孔切手。
穿孔切手は本来は表側から穿孔されていて、裏側から見ると左右が反転するが、
右から二番目の 「 正 」 の字は珍しく裏側から穿孔されていて逆に裏側から普通に読み取れる。

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旧横浜正金銀行本店 ( 現・神奈川県立歴史博物館 )



 2月8日(金)
 映画 「 ナチス第三の男 」 でナチスの悪行とチェコの悲劇を見た。
 ハイドリッヒという恐ろしい男が生まれた以上に、ワイマール憲法下でヒトラーが合法的に政権を得たという事実ほど恐ろしいことはない。煽る人間の罪と、その尻馬に乗る大衆の無責任。
 狂気の男を崇め持ち上げた当時のドイツ国民の罪は重いが、愚かな政権担当者のやりたい放題に目覚めないどこかの国もまた目出度い。

 ところで、ドイツ・ソ連の両大国に挟まれたポーランドほど国土を蹂躙されてきた国はない。
 18世紀のポーランド・リトアニア共和国の領土が三度に亘って 周囲の3大国、ロシア帝国、プロイセン王国、ハプスブルク帝国 ( オーストリア ) に蚕食された、いわゆる 「 ポーランド分割 」 に加えて、1815年にはウィーン会議によるワルシャワ公国の解体があった ( 「 第四次ポーランド分割 」 )。
 第一次世界大戦後の1919年に独立を回復したものの、1939年の第二次世界大戦勃発時にナチス・ドイツとソビエト連邦による独ソ不可侵条約 ( 1939年8月 ) の秘密協定に基づく国家の消滅の悲劇 ( 「 第五次ポーランド分割 」 ) に見舞われている。

 そのポーランドに関わって、長らく書きかけたままに店ざらしになっているものに 『 在イタリア、ポーランド第二軍団のマテリアル 』 がある。
 完成度の追求は諦めて、もうそろそろ妥協してまとめたほうがよかろう。
 その前に関係のリーフを整理して、コレクションリーフに張り付ける作業をしようか。 そうすればまとめる意欲が高まるかも知れない。

 独ソ不可侵条約を破ったドイツの侵攻で独ソ戦がはじまるとソ連はポーランド亡命政府を承認し、ポーランド人捕虜を釈放してイランのイギリス軍に引き渡したため、亡命政府はこれを指揮下に収め、国外でポーランド第二軍団が結成される。
 亡命政府下のポーランド軍は英米軍と共にアフリカ戦線、ヨーロッパ西部戦線で戦った。

 ポーランド亡命政府が亡命先のロンドンで発行した切手については、2006年2月の第103号に 「 ワルシャワ蜂起とポーランド亡命政権 」 としてまとめている。
 この他に国外で発行されたものとして、ポーランド第二軍団によってイタリアで発行されたものがあり、そのうちの一つのリーフを掲げる。
 ポーランド軍の目覚ましい活躍で有名なイタリア戦線最大の激戦地、モンテ・カシーノの戦い ( 山上の修道院に立て籠もるドイツ軍との死闘 ) をはじめ、ポーランド第二軍団ゆかりの戦場が取り上げられ、何より第二軍団を率いたアンデルス将軍が描かれている。

・ モンテ・カッシーノ。1944年1月17日から5月19日 ( 最後の激戦5月11-18日 )
・ アンコーナの戦い。1944年6月16日から7月18日
・ ボローニャの戦い。1945年4月9日から21日
そして、アンツィオの戦い ( 1944年1月22日 - 6月5日 ) があった。

 アンツィオ上陸作戦からは、ダークダックスが歌った 「 アンジェリータ 」 が思い出される。
 記憶の断片にある歌詞、
 『 アンジェリータ 今も呼ぶよアンジェリータ
 アンジェリータ アンジェリータ
 われらつわものが敵前上陸
 われらが見たのは 血にまみれた子ども
 貝がらを握りしめて 泣いている女の子
 アンジェリータ 今も呼ぶよアンジェリータ
 アンジェリータ 』 は、改めて確認すると二三番の歌詞が混じり合っていた。

 連合軍がローマに近いアンツィオに敵前上陸をした時に、親とはぐれた少女を保護した。その子は部隊のマスコットとして可愛がられたのだが、数日後、兵士とともに敵の砲弾の犠牲になったという。この話が歌にされた。
 辛い実話であり、胸の詰まる歌詞だ。

 原曲はイタリアのロス・マルチェロスというボーカルグループが歌った 「 アンツィオのアンジェリータ 」。
 第15回NHK紅白歌合戦 ( 1964年12月31日 ) でダーク・ダックスが披露し、翌1965年 ( 昭和40年 ) の発売で大ヒットしたというが、そのあたりの記憶はない。

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ポーランド在イタリア第二軍団の1リーフ。 ( 75% )
イタリア戦線激戦地顕彰切手 4種と小型シート。

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イタリア戦線関係地図



 2月7日(木)
 先取りして日記を書いていると日記ではなくなり、肝心なその日の出来事が出番を逸する。
 2月3日が節分、翌4日は立春と暦の上では春の訪れを聞く。
 北海道は冬真っ盛りで、4日からさっぽろ雪まつりが始まった。
 追って日を選んで出かけてみよう。

 さて、4日の日にもまた映画に行ってきた。
 「 ナチス第三の男 」。
 前半では、そのラインハルト・ハイドリッヒという、チェコ人にとって、ユダヤ人にとって、いや人類にとって許し難い男が組織の中で権力を握ってのし上がる過程 ( このようなおぞましい人間が出来上がった環境とその過程 ) を描き、後半は、イギリス政府およびチェコスロバキア亡命政府が送りこんだチェコ人部隊とチェコ国内のレジスタンスの連携で暗殺を達成する ( と言っても彼等も犠牲になるのだが ) までの二つの主題を描いている。

 ラインハルト・ハイドリッヒという存在はこれまで知らなかったが、ヒトラー、ヒムラーに次ぐナチス第三の男として、ドイツの政治警察権力を一手に掌握し、ハインリヒ・ヒムラーに次ぐ親衛隊の実力者となり、ユダヤ人問題の最終的解決計画 ( ホロコースト=大量虐殺 ) の実質的な推進者となった血も凍る、冷酷無比な怪物として欧米ではその名を馳せた。
 ドイツによるチェコスロバキア占領の後、ハイドリッヒが西半分のチェコ地域の事実上のチェコ総督に任ぜられて以降のプラハでの統治、抵抗者への徹底した弾圧は現代チェコ史の再暗黒次期として記憶される。

 この男の暗殺の後、ヒトラーの命によって行われた報復の犠牲になったリディツェ村の虐殺 ( 成人男性200人は全員殺され、女性や子供は強制収容所へ送られ、住民のいなくなった村は更地にされた。このほか報復の犠牲者は 1,300人にも及んだ ) はナチズムへの敵愾心の象徴となった。

   なお、チェコスロバキア共和国亡命政府が発行した小型シートを載せておく。
 1940年、第二次世界大戦勃発にともない、ロンドンにベネシュを首班とするチェコスロバキア共和国亡命政府が成立した。
 その亡命政府が1943年にロンドンで開催したチェコスロバキア切手展を記念して発行した小型シート。
 1943年11月、チェコスロバキアの独立25周年を記念したチェコスロバキア切手展が亡命政権の後援により、グロブナープレイスで多くの政府関係者が出席して開催された。
 一番上の切手には、第一次世界大戦のときにチェコスロバキアの独立のために戦った、 ( 左から ) エドヴァルド・ベネシュ、トマーシュ・マサリクとステファニク将軍の三人が描かれている。マサリクは共和国の最初の大統領 ( 在任:1918年 - 1935年 ) となった。

 チェコスロバキアは、第一次世界大戦後の1918年に独立、第二次世界大戦後の1948年からは共産党の一党独裁制によるソ連型社会主義国となり、1960年から1989年まで、国名は 「 チェコスロバキア社会主義共和国 」。ソ連の崩壊により1992年に現在のチェコ共和国及びスロバキア共和国に分離した。

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映画 「 ナチス第三の男 」 のパンフレットの表紙。
「 HHhH 」 のモチーフは、原作となったローラン・ビネの小説 「 HHhH プラハ、1942年 」 による。
「 Himmlers Hirn heiβt Heydrich ( ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる )」 の頭文字をとったもの。

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チェコスロバキア共和国亡命政府が1943年にロンドンで開催したチェコスロバキア切手展を記念して発行した小型シート。 ( 90% )
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 2月5日(火)
 いろいろな物が出てくる。
 台湾・澎湖島消印の書状。
 日付は10年の8月9日で、田沢3銭は大正10年なのか昭和10年なのかが悩ましい。
 そこでC欄の時刻表示に着目する。
 「 前0-8 」 は内地のZ型と同じ時期のもので、昭和10年と判明する。

 それはともかく、裏面の差出人の記載に 「 大日本第三駆逐隊汐風 」 とある。
 乗組員の中身の文面から、第三駆逐隊の駆逐艦・汐風は澎湖島を基地に、対岸の中国方面のパトロールに当たっており、上陸することもあると書いている。
 夏の盛りで、澎湖島の暑さを 「 焦熱地獄 」 と表現している。

 ここに、旧海軍から海上自衛隊の艦艇まで、日本の軍艦全てを収録した貴重な資料となる本がある。「 聯合艦隊軍艦銘銘伝 」( 片桐大自著、光人社。昭和63年 ) 600余頁。
 「 全860余隻の栄光と悲劇 」 とあるとおり、艦名の由来、竣工から活躍、その最後 ( 多くが戦没 ) まで、各艦艇ごとにその来歴が印されている。

   著者略歴によれば、片桐大自は昭和2年長崎県生まれ。旧制五高理科に入学し造船将校を目指すも終戦。転じて東大文学部卒。出版社で国語教科書の編集に携わり、管理職を歴任ののちに独立。当時開催されていた漢字読み書き大会で一位を重ねた。著書多数。

 これによれば、駆逐艦・汐風は、峰風型の八番艦として大正10年に舞鶴工廠で竣工。
 太平洋戦争開戦時には空母の護衛に当たり、フィリピン、ジャワ、スマトラ、ビルマの攻略作戦に参加。
 昭和17年のアリューシャン作戦で、アッツ、キスカ方面にも出動。以降、長く南西方面艦隊で内地と台湾間の船団護衛に従事。
 終戦時まで生き残った数少ない艦の一つで、戦後は復員輸送に当たった。
 峰風型15隻のうちで戦没を免れたのは 「 沢風 」 と二隻だけであった。

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澎湖島郵便局の消印。昭和10年の8月9日。

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「 大日本第三駆逐隊汐風 」 乗組員の書状。
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「 聯合艦隊軍艦銘銘伝 」( 片桐大自著、光人社。昭和63年 )。
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 2月4日(月)
 昨日ウクライナから落札品が届いた。
 ウクライナ北西部のルーツクから。

 国際郵便追跡サービスによれば、1月15日に地元郵便局で 「 引受 」 、21日に首都キエフの 「 国際交換局に到着 」。国内でまず6日を要している。翌22日には 「 国際交換局から発送 」( 次は日本に向けた航空機に搭載される筈 ) となっていたが、ここからが長かった。なかなか次の表示が表れない。

 「 発送 」 から一週間も経った頃、売り手に遅れている状況を伝えると、もう少し様子を見て欲しい旨の連絡があり、了解の旨を伝えると 「 辛抱を感謝 」 された。
 31日になってようやく日本側の国際交換局である 「 川崎東郵便局に到着 」 の表示が出て、「 通関手続き 」 を経て翌2月1日に 「 国際交換局から発送 」、2日に地元・「 丘珠郵便局に到着 」 となって、翌3日の配達となったもの。

 トータル20日ほど掛かっている。これは通常の1週間から10日に比べると掛かりすぎで、やはりウクライナ国内での6日、おまけにウクライナの発送から日本到着までが9日も掛かっている。どこでどうして遊んでいたものやら。

 時間が掛かったにしろ結果的には届いたから目出たしではあったものの、久しぶりに気を揉まされた一件であった。

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ウクライナから届いた書留郵便。現行の紋章の通常切手がたくさん貼ってある。( 原寸 )
切手の下、住所ラベルの上に 「 ℓnouiℓ 」 と見えるのは 「 ヤポニヤ 」 で日本。



 2月3日(日)
 過去と現在を絡めて ( というより、演出効果としてでもあるのだろう 「 錯綜させて 」) 進行させるこうした手法に名付けられた専門用語があるのだろうか。
 見たあとで、複雑に絡んだストーリーをうまく語れない映画がある。
 演出効果の上から、意図的に巧妙に、暗示や間接的な方法で敢えて分かりづらくしている映画がある。
 そんな映画の典型的なもの。

 いつものドキュメンタリーや、鑑賞後に爽やかな、晴れやかな、暖かな印象が残る、あるいは新たな示唆や知見を得る有益な映画と違って、珍しく恐い物見たさか、「 赤い雪 」 という、タイトルからして不気味な映画を見てきた。

 論語の 「 子は怪力乱神を語らず 」( 孔子先生は、非現実的なことや暴力的なこと、道理にそむき世を乱すこと、ありもしない神秘的なまやかしなど、理性では説明のつかないようなこの4つの言葉は口にしなかった ) ではないが、敢えてストーリーを語ることもしたくないが。(ウソとはぐらかしと詭弁だらけの答弁が空回りする最近の国会中継を見る気にならないのは、同様に思わせられるためだろう )

 ただ、この映画を通じて印象づけられた、虐待を受けた子どもに残る傷の深さと、嘘をつき、殻に閉じこもる子どもの自己防衛が、昨今の風潮とも重なって余りにも悲しい。
 子役に演技とはいえそんな辛い役を演じさせることすら惨く、見るに忍びがたく堪えがたい。
 このほど女児の虐待死亡事件では、野田市役所と児童相談所の思慮に欠けた間抜けな対応があったらしいが、子どもを救う使命を帯びた重大な最前線が、覇気も侠気も熱意もない職員の吹きだまりの職場になっているのではたまらない。
 平然と言い訳がましく会見に臨んだ幹部の様子を見れば、上下一丸となった協力体制もない情けない組織になっているものと想像される。

 ウソとはぐらかしと詭弁だらけの連中が、嘆かわしい現状をどれだけ心に止めているものやら。

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映画、「 赤い雪 」 のポスター。
主人公の二人 ( 子どもの頃に弟を失った兄と、犯罪者の母親に虐待されて育った娘 ) に共通するのは 「 口をつぐんだ罪 」。



 2月2日(土)
 郵趣の世界 ( フィラテリー ) は切手そのもの自体の他に、封書やはがきとして実際に使われたもの ( エンタイア ) を対象にしたり、消印に着目した収集 ( マルコフィリー )、また切手のデザインで分類して集める ( テーマチク ) など様々な切り口があって、いろいろに楽しみを見出すことができる。これが古銭収集などでは「即物的」で、その物だけというので幅がない。
 そして何より、切手は歴史や博物学に通ずる幅広い知識の源泉ともなっている。

   そのいろいろな切り口の一つに穿孔切手がある。  その貴重なガイドブックとしてのカタログに、鳴美から出されている 「 日本記号入切手カタログ」( 2010年 ) がある。
 「 記号入切手 」 の呼称は聞いたことがなかったが、郵趣協会発行の小冊子 『 最新もの知り切手用語集 』 には 「 記号入り切手 」 として説明があって、 「 官庁や会社で切手の盗難や私用を防ぐ為に、郵政当局の許可を得て、団体の略号やマークを穿孔、エンボス、押印などを施した切手。使用者管理記号入り切手ともいう 」 とある。
 「 穿孔切手 」 は 「 記号入切手 」 の一種であるという訳だ。

 「 日本記号入切手カタログ 」 には多くの種類が再録されているが、これらをよく集めたものと感心したが 「 郵政当局の許可を得て 」 とあるから使用のための登録申請があった筈で、関係資料 ( 登録簿 ) が確認できれば細大漏らさず採録できるという訳だ。  事実、それまで野放しで使用が先行していた穿孔切手に、明治41年 (1908年) の逓信省令で申請が義務づけられている。
 そして昭和36年 (1961年)、穿孔切手はメータースタンプにその役割を譲って51年8ヶ月の歴史を終えた。

 穿孔の図柄はローマ字からカタカナ、漢字、数字、商標などと多彩で、ざっと数えて掲載数は800種類に及ぶ。
 図の錨のマークが穿孔されたものは海軍関係の官庁で幅広く使用された。
 漢字一つ 「 光 」 は、日本橋の平井光三郎商店。
 「 まる一 」 の商標は日本橋坂本町の、副島延一商店のものと分かった。


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海軍関係の官庁で使用された錨マークの穿孔切手。
漢字一つ 「 光 」 は日本橋の平井光三郎商店。
「 まる一 」 の商標は日本橋坂本町の副島延一商店。

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「 日本記号入切手カタログ」( 鳴海、2010年 )



 2月1日(月)
 今日から2月。
 いつもながらに感じることだが、新しい年は明けてからが早い。

 二月の原稿は 「 ラブアン島の切手 」。
 かつてのオランダ領東インド、いわゆる蘭領東インドは今日のインドネシアの領域だが、そのカリマンタン ( ボルネオ島 ) の北部は英領北ボルネオのサバで、今日のマレーシア連邦サバ州。ラブアン島はその沖合い10キロ、ブルネイ湾の入口に浮かぶ伊豆大島より少し小さいくらいの島である。
 太平洋戦争で日本軍が南方各地に進駐する中、ここも開戦翌年の昭和17年に占領され、ボルネオ守備軍司令官だった陸軍中将・前田利為 ( としなり ) に因んで、島名も前田島に改称された。

 日本軍占領下のラブアン島でも現地の切手に加刷を施した暫定的な占領切手が発行されたようだが明確に認知されておらず、図には英領北ボルネオ時代の 「 LABUAN 」 と加刷した1897-90年発行の切手を取り上げた。
 ワンポイントにこれとは別の1899-1901の4枚組みのLABUAN加刷を掲げるとともに、作品の中に出てくる、目黒区立駒場公園内にある1929年(昭和4年)竣工の旧・前田侯爵邸の写真を貼り付けておく。

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英領北ボルネオ時代の1899-1901の4枚組みのLABUAN加刷切手。
( 画像をクリックするとそれぞれに拡大します )

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目黒区立駒場公園内にある1929年(昭和4年)竣工の旧・前田侯爵邸。 東京都指定有形文化財。



2018年一覧表



札幌中央支部会報 「郵趣・赤れんが」掲載郵趣エッセー 2018年分 ー覧表

2018年 号数 タイトル
12月 257  郵便消印に見るアイヌ語地名(下)      5頁
11月 256  郵便消印に見るアイヌ語地名(上)   4頁
 10月 255  続・日本統治時代の台湾消印   5頁
 号外  ペニーの略号「d」やポンドの記号「£」などについて  2頁
 9月 254  金門島関係二題   4頁
 8月 253  終戦を挟んで ( 第二次昭和切手・大東亜共栄圏地図切手貼りのエンタイア )      4頁
 7月 252  台湾の捕虜収容所から米宛て捕虜郵便はがき  3頁
 6月 6月23日  アイヌ語地名研究大会講演 「 郵便消印に見るアイヌ語地名 」  11頁
251  東京・神田 万世橋のこと    3頁
 5月 250  金瓜石と金包里( 日本統治時代の台湾消印 )   4頁
 4月 249  北海道誕生150 年  4頁
 *  台湾国立故宮博物院南院開館記念切手の小型シート  2頁
 3月 248  第五方面軍司令官・樋口季一郎宛てのエンタイア  3頁
 *  有名なトルコの八角形切手のフルシート 2頁
 2月 247  札幌大通公園にまつわる話     5頁
 1月 246  愛国切手誕生の背景  4頁


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東京駅付近の高架鉄道 『 東京・神田 万世橋のこと ( 2018年6月第251号 ) 』

2017年一覧表



札幌中央支部会報 「郵趣・赤れんが」掲載郵趣エッセー 2017年分 ー覧表

2017年 号数 タイトル
12月 246  北戴河から 「 香港九龍沙田禾輋邨 」 宛てのカバー     2頁
11月 245  明治の外信絵はがき 「 東京府下北豊島郡滝野川 」  3頁
10月 244  日本の国技・相撲について(下)      4頁
 9月 243  日本の国技・相撲について(上)   4頁
 8月 241  終戦直前の旅順宛て封筒 ( 併せて 「 八紘一宇 」 について )     2頁
 7月 240  ハルビン・秋林公司本社からドイツ宛のカバー  3頁
 6月 239  家紋の話 ( 下 )      5頁
 5月 238  家紋の話 ( 上 )   5頁
 4月 237  対馬の話  3頁
 3月 236  戦前の台湾の絵封筒  2頁
 2月 235   ニュージーランド海軍巡洋艦ガンビアに係わるニセカバー   2頁
 1月 234  世界の高層建築物の歴史  5頁


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 北戴河から 「 香港九龍沙田禾輋邨 」 宛てのカバー ( 2017年12月第246号 )  

2016年~一覧表

       
2016年 号数 タイトル
12月 233  南洋群島トラック島碇泊、神戸高等商船学校練習船進徳丸乗組員宛て封  3頁
11月 232  戦後日本人引き揚げ者に対する大連電話局の通信事務封緘  2頁
10月 231   関連マテリアルから知る満蒙開拓団の悲劇 ~ 映画 「 望郷の鐘 」 と重ねて ~    5頁
09月 230(1)  胆振・壯渓珠(ソーケシュ)局の消印   1頁
230(2)  手彫り切手のオーソリティ、市田左右一氏ゆかりのカバー 2頁
08月 229  入札三題、初日カバーの話 4頁
07月 228  中華郵政史 5頁
06月 227  エベレスト、第三次イギリス遠征隊にかかわるシール 3頁
05月 226  臨時北部南西諸島政庁の設置から奄美群島復帰まで 5頁
04月 225  サザーランド切手について 6頁
03月 224  東京商船学校練習船月島丸  2頁
02月 223  テレジン収容所の小包切手    2頁
01月 222  カール・ルイスの新商売    4頁
2015年 号数 タイトル
12月 221  再び 「 日本統治時代の台湾消印 」 について (下)   6頁
11月 220  再び 「 日本統治時代の台湾消印 」 について (上)  6頁
10月 号外  港区赤坂のアメリカ大使館と横浜にあった総領事館  3頁
09月 218  ルイス・カバーについて(下)  7頁
08月 号外  台北駅の変遷  2頁
07月 216  ルイス・カバーについて(上)  8頁
06月 215  北海道消印・アイヌ語由来の地名  4頁
05月 214  清国宛てエンタイヤ3通  5頁
04月 213  洋画家・金子博信の絵はがき  3頁
03月 212  (続)有名人の関連アイテム ~ 横山大観 ~  5頁
02月 211  伊豆の南端、石廊崎の長津呂にまつわる話 ~ 特攻兵器「震洋」の基地があったところ ~  4頁
01月 210  大学関連マテリアル 8頁
2014年 号数 タイトル
12月 209  戦前の台湾の風景印 8頁
11月 208  有名人の関連アイテム  6頁
10月 207  紙ものコレクション( 印紙類 )   7頁
09月 206  砲艦ツツイラ号関係カバー二点  6頁
08月 205   誌上「なんでも鑑定団」  6頁
07月 204  佐久間ダム関係マテリアル(映画「東京原発」とからめて)   5頁
06月 203  1936年、白十字会クリスマス・シール帳の完本  4頁
05月 202  船内局印(SEA POST)/ 船旅の黄金時代(その3)  7頁
200号記念誌  200号記念誌に寄せて ( 100号から200号までの時間 ) 9頁
04月 201  船内局印(SEA POST)/ 船旅の黄金時代(その2)  7頁
03月 200  船内局印(SEA POST)/ 船旅の黄金時代(その1)  5頁
02月 199  1929年中国、パリ~東京間特別飛行の航空カバー(広州~上海)   4頁
01月 198  「北海道後志支庁忍路郡塩谷村」宛ての外信絵はがき二点   4頁
2013年 号数 タイトル
12月 197  水原明窓ゆかりの二点 5頁
11月 196  日本統治時代の台湾消印 10頁
10月 195  航空機の切手(特徴ある二機種について) 4頁
09月 194  富士山、よくぞ世界遺産に 6頁
08月 193  東京・わが心の故郷、ゆかりの二点  +「東京、わが街」(8頁) 5頁
07月 192  北朝鮮の出品にまつわるエピソード 6頁
06月 191  北杜夫とファーブルと 6頁
05月 190  明治の絵はがき「駅弁売り」の図 3頁
 逓信総合博物館の閉館 3頁
別冊  台北紀行(下) 15頁
04月 189  文革関係マテリアル三題 4頁
03月 188  燕京大学関連マテリアル 4頁
別冊  台北紀行(上)( 郵政博物館と?嶺街の切手商 ) 10頁
02月 187  切手に見られる言語と文字について(下) 4頁
01月 186  ミント・未使用・使用済み、その落差  6頁
2012年 号数 タイトル
12月 185  切手に見られる言語と文字について(中) 5頁
11月 184  中国の郵票冊、二点 4頁
10月 183  切手に見られる言語と文字について(上)  5頁
09月 182  三井物産のカバー二点 4頁
08月 181  ジャーマン・ステーツ(領邦国家郵政)とプリバート・ポスト(ドイツ民間郵便) 8頁
07月 180  1968年・北朝鮮「朝鮮民主主義人民共和国20周年記念」8種連刷 3頁
06月 179  関連マテリアルから偲ぶ「郵便友の会」(6頁)+「郵趣の楽しみ」(7頁) 13頁
05月 178  フライング・タイガース(飛虎隊)関連マテリアル 17頁
04月 177  「切手」は各国語で何という 6頁
03月 176  「北方四島」のタブの付いたボーガス 3頁
02月 175  チャールトン・ヘストン宛のファンレター 4頁
01月 174  その後のイザワ・エイジ氏 3頁
別冊  郵便以前「アイヌの郵便」 3頁
2011年 号数 タイトル
12月 173 大英帝国の版図が描かれたカナダの切手について 3頁
11月 172 ジョージ6世とその時代(英領植民地の「地誌シリーズ」) 7頁
10月 171 在満州国日本領事館のマテリアル 6頁
札幌オリンピック冬季大会の扉 1頁
2011「北海道郵趣大会in旭川」を記念して 1頁
09月 170 リビア、二つの首都 3頁
08月 169 オールド上海の建築物(下) 8頁
07月 168 オールド上海の建築物(上) 10頁
06月 167 ウォルデンブルグ収容所郵便(ポーランド) 8頁
05月 166 Lagerpost Bando(板東収容所郵便)マテリアル 3頁
04月 165 沖縄暫定切手 丸検印 1947-48(参考品) 3頁
03月 164 Red Period(赤の時代)~ アメリカ 1926-32 ~ 10頁
02月 163 インドの一番切手・シンド州切手とインド藩王国の切手 7頁
01月 162 八十余年ぶりの邂逅 4頁
2010年 号数 タイトル
12月 161 「花柳」の世界 6頁
別冊 台湾鉄路一周の旅(13頁+11リーフ) 24頁
11月 160 エスペラント関係マテリアル 6頁
10月 159 有名なシンデレラ、南モルッカ共和国の切手 8頁
09月 158 インドネシア独立時期のウィーン版の切手について 6頁
08月 157 中国人民志願軍兵士差し立てカバー二通 5頁
07月 156 朝鮮近代郵便史 6頁
新・国際返信切手券(第七様式)について 3頁
06月 155 「中国占領地域」の時代 (Ⅱ蒙疆編) 8頁
朝鮮戦争ソウル占領北朝鮮二重丸印加刷 1頁
別冊 ミニ切手展「世界各国から届いた美しい郵便物」の開催 2頁
05月 154 「中国占領地域」の時代 (Ⅰ華北編) 6頁
04月 153 一枚の絵はがきから(屯田兵について) 5頁
03月 152 リーフ解説・オランダ領東インド 5頁
02月 151 カリカチュア(風刺画) 6頁
01月 150 「御料林」「北海道模範林・公有林」のマテリアル 7頁
2009年   号数 タ イ ト ル
12月 149 一枚の絵はがきから(東京日日新聞ニッポン号の世界一周飛行) 3頁
リーフ解説 マニラ大聖堂 2頁
別冊 私の1リーフ 中国解放区の布票 1頁
私の1リーフ 戦後満州のソビエト軍票 1頁
号外 セントローレンス運河中央逆刷エラー 2頁
11月 148 一枚のはがきから(白系ロシア人にまつわる話)
~ 東京・神田の白系ロシア人の業者から、中国・青島の切手商あてのはがき ~
5頁
10月 147 一枚のはがきから(郵便配達員の殉難)
~ 併せてアイヌの郵便逓送人・吉良平治郎のこと ~
5頁
09月 146 ミニ国家と切手発行 7頁
巻頭コラム 九月、初秋の候となりました 1頁
参考資料 三船殉難事件 3頁
08月 145 リーフ解説・モンテカルロ自動車ラリー 4頁
07月 144 TWA世界一周便の就航記念カバー 7頁
1932年・ニューファンドランドの民間航空切手 1頁
06月 143 映画の中に題材あり(「ショアー」と「ヒットラーの贋札」から) 5頁
別冊付録 北海道立文書館に眠るエンタイア 5頁
05月 142 浅草凌雲閣(十二階)の絵葉書 5頁
04月 141 民信局と僑批局について 5頁
03月 140 中国の公用便「公文封」について 4頁
02月 139 ロンドン王立郵趣協会主催切手展のスーベニア 3頁
01月 138 旧制中学入試問題集から 7頁
2008年   号数 タ イ ト ル
12月 137 クリスマスシール(複十字シール) 3頁
これでも届いた??? 2頁
別冊 eBayにまつわる話 5頁
11月 136 タロとジロ、奇跡の生還(第一次~三次南極観測隊) 4頁
付録 多彩な船歴を全うした「宗谷」 4頁
10月 135 万国郵便連合(UPU)にかかわるマテリアル 4頁
09月 134 反共フランス義勇軍 4頁
号外 「税済」消印にかかわる後日談 4頁
08月 133 開道140年(北海道庁関連マテリアル) 6頁
07月 132 地震の話~中国・四川大地震から~ 6頁
06月 131 私の1リーフ 「私の好きな小型シート(8)」
「ウルグアイ・モンテビデオ切手展開催記念小型シート」
2頁
05月 130 スエズ運河国有化宣言記念切手初日カバー 4頁
04月 129 中国の特異な速達切手、「快逓郵票」について 3頁
03月 128 二人のボース 6頁
別冊資料 二人のボース「関連資料」 11頁
02月 127 フランスの香りパリの香り 4頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(7)」
「ソビエト切手発行25周年記念小型シート」
2頁
01月 126 ツール・ド・ポローニュ(ポーランドの自転車ロードレース) 3頁
私の1リーフ 「ワルシャワの人魚」 1頁
2007年   号数 タ イ ト ル
12月 125 米ソ合同探検隊のベーリング海峡横断 3頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(6)
「ベルギー、Orval修道院修復のための附加金付き小型シート」
1頁
11月 124 1970年・北朝鮮「朝鮮労働党第5回大会記念小型シート」を巡って ~ 4頁
10月 123 竹島問題(「 独島 」のマテリアルから) 4頁
09月 122 大きな大きな小型シート(ドイツ民主共和国誕生15周年記念小型シート) 3頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(5)」
「キプロスのボーイスカウト切手小型シート」
1頁
08月 121 古文書入門(挨拶状を材料として) 4頁
号外 二重丸印・利尻島局について 4頁
07月 120 1968年・北朝鮮「朝鮮人民軍創設20周年記念小型シート」(4P+資料1) 4頁+資料1
06月 119 書信往来 3頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(4)」
「ガボン、1970年航空切手のミニシート」
1頁
05月 118 私の1リーフ
「ウルグアイ/モンテビデオ~フロリダ間のFFC」
1頁
号外 あなたの誕生日は何曜日? 1頁
04月 117 ノー・モア・ヒロシマ ピース・フロム・ナガサキ 3頁
03月 116 硫黄島の戦い(Battle of Iwo Jima) 4頁+新聞2
別冊 ルーズベルトに与うる書 6頁
02月 115 私の1リーフ (エンタイヤを読む)
「満州国第二次航空切手39分一枚貼り」
1頁
01月 114 円形の切手 4頁
2006年   号数 タ イ ト ル
12月 113 私の1リーフ 「私の好きな小型シート(3)」
「キューバ・切手発行100年記念にAAMS大会加刷」
1頁
11月 112 遺愛女学校 3頁
私の1リーフ (2006年ビザなし交流から)
「北方領土択捉島からのカバー」
1頁
10月 111 (北海道会員大会展示記念)
私の1フレーム「中国解放区東北各区三題
3頁
09月 110 似ている(似通ったデザインの切手) 3頁
08月 109 バナナの話 3頁
07月 108 変形切手の原点、三角切手 4頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(2)」
(ルーマニアの正三角形シート)」
1頁
06月 107 ロングリレー/蒋介石誕生日記念印の押印20年 4頁
05月 106 記念印/東京アンソロジー 4頁
04月 105 南洋の話+資料 6頁
03月 104 私の1リーフ 「私の好きな小型シート」(ロシア十月革命40周年記念) 1頁
02月 103 ワルシャワ蜂起とポーランド亡命政権 4頁
01月 102 ウラジオストク反共政権発行「プリアムール加刷」記念貼りカバー 3頁
私の1リーフ 「ポツダム会談を伝える中国の宣伝ビラ」 1頁
2005年   号数 タ イ ト ル
12月 101 国際返信切手券 4頁
11月 100 ラトビアの地図切手について 4頁
100号記念誌 表紙+会報の名称「赤れんが」について 2頁
札幌ボタ印における手へんの「扎」について 1頁
私の1リーフ 「ロシア附加金付きミニチュア切手のフルシート」 2頁
10月 99 エルトゥールル号の遭難(日本とトルコ、友好交流の原点) 5頁
別冊資料 日本とトルコの関係史概説
山田寅次郎伝
エルトゥールル号事件のこと
6頁
09月 98 オーストラリア・シドニーとマダガスカル・ディエゴスアレスを結ぶもの(特殊潜航艇の話) 5頁
08月 97 北海道行政区画の変遷(「函館区」の時代について) 3頁
07月 96 1979年・ブルガリア「Philaserdica’79」 4頁
巻頭コラム いかに郵趣への理解を広げるか 1頁
06月 95 コロンビアの初期航空切手 3頁
05月 94 ロードス島異聞 3頁
04月 93 満州鉄道まぼろし旅行 5頁
03月 92 セラソップ・セトラックの謎 3頁
02月 91 タンヌツーバの切手 4頁
01月 90 一九七九年・香港中国切手展記念カード 6頁
2004年   号数 タ イ ト ル
12月 89 明治天皇の函館上陸記念碑 4頁
11月 88 ウラジオストク物語 4頁
「集郵」すなわち「益智」である 2頁
10月 87 函館大火(千島・択捉島別飛から函館大火を見舞う) 3頁
09月 86 誕生日へのこだわり 2頁
明治から大正へのサドル便 1頁
オークションから(函館ロシア領事館差立てのカバー) 2頁
08月 85 日の目を見なかった第1次及び2次昭和切手の原画 3頁
07月 84 有名人にかかわるマテリアル 3頁
06月 83 久米島切手のシートを巡って 3頁
05月 82 昆虫館へようこそ(蝶に関するマテリアル) 5頁
私の1リーフ 「ホワイトロシア」 1頁
04月 81 TABROMIKのラベル(ポーランドの民間航空切手) 3頁
03月 80 男爵コルヴィザール 2頁
02月 79 謝文東のドクロ切手について 3頁
01月 78 樺太の日露国境境界標について 3頁
2003年   号数 タ イ ト ル
12月 77 ハングルの勧め(ハングル表付き) 4頁
11月 76 小さな同志への手紙
(昭和18年、東郷4銭貼第四種郵便について)
3頁
10月 75 雁の便り 3頁
09月 74 偽物百科 3頁
08月 73 札幌村郷土記念館に展示された思いがけないマテリアル 3頁
私の1リーフ「ポルトガル植民地」 1頁
07月 72 シンデレラを紹介します 3頁
以下は「豊かな日々のつれづれに」に掲載
06月 71 古書目録の中に見つけた「附加金付アイヌ紀念切手発行願」 2頁
05月 70 国旗をテーマに 3頁
04月 69 エピルスの切手について 3頁
03月 68 昭和11年、北海道陸軍大演習 4頁
02月 67 シベリア出兵にかかわるチェコ軍団の切手について 3頁
01月 66 オオカミの乳を飲む双子の兄弟の不思議な像を描いた切手 3頁
2002年   号数 タ イ ト ル
12月 65 極東選手権競技大会について 3頁
私の1リーフ「エンタイアの裏側に注目」 1頁
11月 64 一通のカバーから(中国の水害にまつわる話) 3頁
10月 63 何がどうということもないのだが、多数貼りの魅力
(ニューギニアとサモアのカバー二点)
3頁
09月 62 手に入れたばっかり!最近のトビキリの入手品
(東京帝国大学附属樺太演習林)
3頁
08月 61 モーリシャス・ポストオフィス切手の記事に応えて 2頁
07月 60 マテリアルを俎上に その5
「漁師の日」記念の初日カバー
3頁
06月 59 マテリアルを俎上に その4
ブラジル1843年、牛の目
3頁
05月 58 マテリアルを俎上に その3
皇太子殿下北海道行啓紀念、下々方44-9-11
3頁
04月 57 FFCは一対のものである
日本航空・東京~札幌線深夜割引夜行便オーロラ号就航
2頁
03月 56 手に入れたばっかり!最近のトビキリの入手品
(千島択捉島年萌局留置・単冠湾碇泊農林省海洋調査船)
2頁
02月 55 中国切手研究会「これはいくら?」のコーナーから
(旅順バイリンガル偽カバーと中華民国大型公用封筒)
3頁
01月 54 郵趣にまつわる年号の話と、その関連マテリアル その2
「紀元2600年記念貯金シール」「檀紀年号」
3頁
2001年   号数 タ イ ト ル
12月 53 郵趣にまつわる年号の話と、その関連マテリアル その1
「成紀年号」「主体年号」
3頁
11月 52 千島関係マテリアル二題 3頁
10月 51 マテリアルを俎上に その2  ツェッペリン号訪日記念絵はがき 3頁
私の1リーフ「北大VS小樽商大」 1頁
09月 50 切手の図案と配色について 4頁
08月 49 映画「阿片戦争」における一場面
ペニーブラック誕生にまつわる秘話
3頁
07月 48 マテリアルを俎上に その1
ASDA(米国切手商協会)切手展のスーベニア・シート
3頁
06月 47 第一次昭和切手厳島30銭凹版切手の無目打について 2頁
05月 46 みせびらかしで失礼します その4
ロンドン国際切手展のスーベニア・シートについて
3頁
04月 45 みせびらかしで失礼します その3
帝政ロシア時代の地方切手「ゼムストーボ切手」
3頁
補足資料 4頁
03月 44 みせびらかしで失礼します その2
中国解放区・旅大区の「郵票彙編」について
3頁
別冊 別冊 独断・郵趣川柳批評 3頁
02月 43 みせびらかしで失礼します その1の(2)
中国解放区・安東第二版切手の裏面について
3頁
01月 42 トピックス(「3シリングバンコ」について) 2頁
会員紹介 1頁
2000年   号数 タ イ ト ル
12月 41 みせびらかしで失礼します その1の(1)
中国解放区・安東第二版切手の裏面について
2頁
11月 40 一寸一言(ちょっとひとこと)「深川一已」地名の由来 1頁
10月 39 郵趣に関するエッセーについて 2頁
09月 38 樺太「九春古丹・野戦局」の消印について 2頁
08月 37 「北見・利矢古丹」の消印について 2頁

樋口一葉のこと

2019年3月第261号-2



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来場者数
プロフィール

 木村博海 (きむらひろみ)

Author: 木村博海 (きむらひろみ)


 1949年、東京都台東区生まれ。谷中三崎町で育ち、1956年竜泉寺町に移る。
 都立白鴎高等学校、宇都宮大学農学部林学科卒業。
 小学二年生の頃から切手収集を始める。初めて郵便局で買った思い出の一枚は「関門トンネル開通記念」。大学受験を控えて収集を中断。約20年の長いブランクを経て、1987年頃から収集を再開。
 深川木場(~晴海)の木材会社に2年勤務の後、昭和50年度東京大学農学部林政学教室研究生。
 1976年北海道庁入庁とともに渡道。主に林業畑を歩み、34年間勤務。うち地方では網走、帯広、根室、函館に各三年勤務。
 2010年3月、定年退職。この間、職場の部内誌に郵趣エッセーを含め、さまざまなエッセーを投稿。
 退職後は、外国人のための日本語学習支援ボランティア活動、郵趣活動。
 JPS札幌中央支部会員。北海道漢字同好会会員。アイヌ語地名研究会会員。
収集対象: ゼネラル。特に中国、ロシア、旧東欧など。
著書(自費出版): 「豊かな日々のつれづれに」(2003年4月)

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