2017巻頭言

 長年に亘って書き溜めてきた郵趣エッセーを集大成して、ブログをスタートすることになりました。
 この十数年来、切手収集家の団体・日本郵趣協会(2011年4月1日から公益財団法人)の札幌中央支部に所属して、毎月の会報「郵趣・赤れんが」に欠かさず原稿を寄せてきました。それらを過去に遡って一括掲載するとともに、新たな作品をその都度、追加・更新してまいります。
 それにしても、ずいぶんなボリュームになりました。
 職場の部内誌(北海道林務部「林」。1952~2001)に寄せていたエッセーや会報の郵趣エッセーをまとめて2003年に自費出版しましたが、三百余頁の約3分の2は郵趣関係の作品が占めました。その部内誌もやがて廃刊となり、以降、書く場は会報のみとなりました。
 その後の作品を続編として二冊目の本にまとめるつもりでいましたが、区切りが付かぬままに分量は膨らむ一方で、いつしか出版は難しく感じられるようになりました。それが、今回のブログという手段によって「二冊目の出版」を実現しました。これは随時、追加・更新もできるという、出版にまさる願ったり叶ったりの方法でした。
 マテリアル(題材)は広い分野に亘っています。まずは作品一覧に目を通していただき、これはというものから適宜お読みいただければ幸甚です。
 なお、お気づきの点についてはコメント欄でご教示いただければ幸いです。
                                                                         2012年2月

                                     江戸っ子だってねェ。
                                     おう、神田の生まれよォ。いや、じいさんが神田。おやじが浅草で・・・。
                                     こちとら、江戸っ子の筈が今じゃ 「 蝦夷っ子 」 というわけでして。

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                              あの頃   昭和33年用年賀切手 「 犬はりこ 」 ( 東京の玩具 ) の渡辺版初日カバー。
                                     浅草局の初日風景印。 ( 昭和32年12月20日 )


利用に当たって

1 一覧表で見たい作品をクリックすると、その作品がすぐに表示されます。
  また、「 カテゴリー 」 を選択して国別に関連の作品を見ることもできます。
  なお、時に原稿のページに歪み ( 縦方向が詰まる ) が出ることがありますが、
  一旦他の月の原稿を開くなりすると、歪みが直ります。
  左上の矢印 (←) で一旦送り、(→) で戻すのが手軽な方法です。

2 画面を拡大すると文章が読みやすくなります。
  ツールバーの「表示」で倍率を選択。原稿は200%が読みやすい。
  これでリーフは実物とほぼ同じ大きさになります。
  ただし、原稿以外の部分は拡大すると段ズレを生じます。
  拡大した画面でクリックすると、二段階でさらに拡大されます。

3 面倒ですが印刷はページ単位で行います。
  印刷したいページにカーソルを合わせて左クリックすると、画像が一旦左側に寄って小さくなります。
  そこで 「 ファイル 」 から 「 印刷 」 をかけると、そのページが印刷されます。
  トップページの部分を印刷する場合には 「 印刷方向 」 を 「 横 」 にする必要があります。
  なお、印刷に便利なCD版 ( 文章は打ち出しで読みやすく、作品単位で連続印刷ができる ) を用意していますので、コメント欄からお申し込み下さい。

4 各ページの右下にある 「 Pagetop 」 でその月のトップページに戻ります。
  また、各月の一番後ろにある 《 前のページ ホーム 次のページ 》 を利用して、
  次の作品または前の作品を見ることができます。
  また、「 ホーム 」 でサイトのトップページに戻ります。

5 リンクは、関係項目をクリックするだけでリンク先のページが表示されます。

6 「 日本語の面白さ、日本語再発見 」 は字が小さいので、ブロックコピーして印刷いただくと読みやすいと思います。



札幌中央支部会報 「郵趣・赤れんが」 掲載郵趣エッセー 2017年分 ー覧表

   ※ タイトルをクリックするとその関連頁が開きます。
2017年 号数 タイトル
12月          
11月         
10月 244  日本の国技・相撲について(下)      4頁
 9月 243  日本の国技・相撲について(上)   4頁
 8月 241  終戦直前の旅順宛て封筒 ( 併せて 「 八紘一宇 」 について )     2頁
 7月 240  ハルビン・秋林公司本社からドイツ宛のカバー  3頁
 6月 239  家紋の話 ( 下 )      5頁
 5月 238  家紋の話 ( 上 )   5頁
 4月 237  対馬の話  3頁
 3月 236  戦前の台湾の絵封筒  2頁
 2月 235   ニュージーランド海軍巡洋艦ガンビアに係わるニセカバー   2頁
 1月 234  世界の高層建築物の歴史  5頁


                              ※ 2016年分以前 ( ~2000年 ) の郵趣エッセー一覧は、「 写真日記 」 の次にあります。



1 コレクション コーナー

下の切手をクリックすると、それぞれのコンテンツが表示されます。

                        (1) コレクション・リーフ                (2) 新作リーフ

ハワイ数字_0001                ハワイ数字_0002
                             1859年                       1864年
                         ハワイ数字切手 1c               ハワイ数字切手 2c



2 千 島 関 係 資 料

下の地図をクリックすると、それぞれのコンテンツが表示されます。

                               千島郵便史                その他の千島リーフ

kunashiri1000.png             etorofu1000.png
                                   国後島                  択捉島





2(2) 台 湾 特 集

下の台湾地図をクリックすると、それぞれのコンテンツが表示されます。


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2(3) 全国郵趣大会2016in盛岡

下の大会資料をクリックすると、関係資料が表示されます。


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3 「日本語の面白さ、日本語再発見」
(外国人のための日本語学習支援ボランティアの活動から)

下の“辞書”をクリックするとコンテンツが表示されます。

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4 過去の写真日記

(4) 2017年4月~

下の “ Diary ” をクリックすると最近の写真日記の月別一覧表が表示されます。


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(3) 2016年4月~2017年3月

下の“ Diary ”のアイコンをクリックすると最近の写真日記の月別一覧表が表示されます。


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(2) 2015年5月~2016年3月

下の“ストック・ブック ”をクリックすると最近の写真日記の月別一覧表が表示されます。


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(1) 2015年4月~2012年4月

下の“日記帳”をクリックすると過去の写真日記の月別一覧表が表示されます。

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5 豊かな日々のつれづれに
第一部 随筆集
第二部 郵趣エッセー集

下のアイコンをクリックすると目次が表示されます。

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                                                                   (画像はクリックすると拡大します)

写 真 日 記
                                ( 画面を125%に拡大してお読みください )

 10月17日(火)
 13日に今年の国際文通週間切手を紹介した。日本郵政はこの歌川広重作の5種を 「 平木浮世絵美術館 」 の所蔵としているが、これは以下の事由により 「 平木浮世絵財団 」 所蔵とすべきではなかったか。

 平木浮世絵美術館について ( Wikipedia )
 昭和47年に銀座で 「 リッカー美術館 」 の名前で開館、その後、横浜そごう内に 「 平木浮世絵美術館 」 と名称を変更して移転、2006年には新たに江東区豊洲 ( ショッピングセンター・アーバンドック ららぽーと豊洲内 ) でオープンしたが、2013年に休館、その後閉館した。
 リッカーミシン創業者である平木信二の浮世絵コレクションを収集、展示する目的で設立された、日本初の浮世絵専門の美術館であった。
 常設の展示施設としては廃止されたが、設置母体の平木浮世絵財団は存続しており、所蔵品は各地の美術館等の展覧会に出品する形で公開されている

 このコレクションは、日本の三大浮世絵コレクションとして知られていた 「 松方コレクション 」、「 三原コレクション 」 ( 日本郵船の重役・三原繁吉が収集 )、「 斎藤コレクション 」 ( 京都の画商・松木善右衛門から、実業家・神田鐳蔵の手を経て、仙台の斎藤報恩会が所蔵 ) のうちの 「 三原コレクション 」、「 斎藤コレクション 」 を引き継ぎ、更にその後の収集品を加えたものである。
 この二つのコレクションは、戦中は大阪の木村貞造が一時保有し大阪市立美術館に保管されていたという。そして戦後の混乱期に散逸や海外流出の危機にさらされたが、これを食い止めようとする人々の尽力を経て、平木信二の所有となった。

 なお、上記の項目で 「 日本の三大浮世絵コレクション 」 の記述があるが、どう位置づけるかは別としても、原宿にある浮世絵専門の私設美術館 「 浮世絵 太田記念美術館 」 ( 東京都渋谷区神宮前一丁目10番10号 ) の存在にも触れておく必要があろう。
 「 浮世絵 太田記念美術館 」 ( Wikipedia ) は、東邦生命保険相互会社会長などの重職を歴任し、実業界の大立者であった5代目太田清蔵 ( 1893 -1977年 ) のコレクションを基礎に、1980年 ( 昭和55年 ) に開館した。内訳は肉筆浮世絵約500点、浮世絵版画約1万点、浮世絵関係の版本及び骨董品約200点、旧鴻池コレクションの扇面画約900点 ( 内、浮世絵派の作品約60点 )、さらに浮世絵研究家の長瀬武郎から寄贈された肉筆画と版画約650点で、総計1万2千点を超える大規模なコレクションは、その後も毎年新収蔵品を加えている。
 また、昨年2016年11月に葛飾北斎を単独テーマとした常設美術館として北斎ゆかりの地にオープンした 「 すみだ北斎美術館 」 ( 東京都墨田区亀沢二丁目七番 ) も、浮世絵に関する重要な美術館として触れておきたい。

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今年の国際文通週間切手の説明書。



 10月16日(月)
 昨日は郵趣会の例会日。
 午前中の例会、そしていつもの昼食会の後、今日から一週間札幌中央郵便局のロビーを借り受けた切手展の設営を行ってきたところです。
 昨日はうっかりカメラを忘れたので、改めて会場を写してきました。

 このところ札幌もすっかり冷え込んで、札幌の西に見える手稲山の頂も白くなったというが ( 札幌管区気象台は5日、手稲山の初冠雪を観測。平年より11日早く、昨年よりも6日早い )、こちらはすぐに消えてしまった。
 街へ出るときにいつも通る道にあるヤチダモの大木が見事に黄葉している。
 帰りに北大薬学部前のイチョウ並木を覗いてみた。まだ少し早く緑を残している。
 立て看板に「北大金葉祭」10月28日(土)29日(日)とあり、模擬店がたくさん出るらしい。

 昨年見てきた神宮外苑のイチョウ並木の黄葉の最盛期は11月の中~下旬。
 大づかみに言えば、札幌の春と夏の到来はは東京より一ヶ月遅く、秋と冬は一ヶ月早い。
 そのうちにタイヤの履き替えもせねば。

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札幌中央郵便局のロビーを借り受けてのJPS札幌中央支部の切手展。
私の出品は以下の二点。
「国際返信切手券の歴史」
「1972年 札幌オリンピック冬季大会」

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街へ出るときにいつも通る道にあるヤチダモの大木の見事な黄葉。

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北大薬学部前のイチョウ並木の黄葉。まだ少し早い。



 10月15日(日)
 目下、今回の旅の記録を整理中。
 出張はいいが、億劫だった現役時代の復命書を思い出す。これを書かないと出張が完結しなかった。

 届いた 「 郵趣 」 10月号のシリーズ 「 10枚の愛蔵コレクション 」 は 「 刺繍・繊維の切手 」 で、その中に英領オルダニー島で2014年に発行された 「 高級糸・綿コーマ切手 」 として図の小型シートが紹介されている。

   「 コーマ糸(し) 」 は、原料の綿の短い繊維を除き、長い繊維だけを平行にそろえた細く丈夫な糸。
 小型シートには 『 この小型シートが167番手のコーマ糸に印刷されていることを証明する 』 として、製造した印刷会社の 「 真正性の証明書 」 が添付されている。

 描かれているのは 「 バイユーのタペストリー 」 で、1066年のノルマン・コンクエスト ( ノルマンディー公兼イングランド王ウィリアム1世によるイングランド征服 ) の物語の刺繍画である。長辺約70m(現存63.6m)、短辺約0.5mの亜麻(リネン)製の布に、毛糸で刺繍が施されており、ヘイスティングズの戦いのくだりまでが現存している。11世紀のフランスとイングランドにかかわる歴史的遺物であり、また当時の服装や武器、軍船、戦闘方法などを伝える貴重な史料でもある。
 フランス・ノルマンディー地方の都市バイユーにあるバイユー大聖堂に長く保管されていたが、近代の戦火による混乱の中を転々とした後、旧に復され、現在ではバイユー・タペストリー美術館に保管・展示されている。

 イギリス海峡のフランス寄り ( ノルマンジーのコタンタン半島の沖合 ) にあるチャンネル諸島の一番北に位置するオルダニー島 ( Alderney ) は、イギリスの王室属領であるガーンジー ( Bailiwick of Guernsey ) 代官管轄区に属するが、独自の法律やオルダニー島独自の自治権を持っており、ここで独自の切手が発行されるようになったのは1983年と比較的新しい。

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英領オルダニー島で2014年に発行された高級糸・綿コーマを使用した小型シート。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 10月13日(金)
 昨日、東京から戻りました。
 小雨の千歳空港に降り立てば、季節外れの暑さを経験した東京とは段違いの温度差を実感する。
 留守中の10月6日に、今年も国際文通週間の切手が発行された。

 国際文通週間 ( International Letter Writing Week ) は、1957年にカナダのオタワで開催された第14回万国郵便連大会議で 「 世界の人々が文通によって文化の交流に努め、世界平和に貢献しよう 」 という趣旨のキャンペーンの決議に基づくもので、万国郵便連合 ( UPU ) の結成日である10月9日を含む1週間に設定されている。
 日本では、その一環として、「 国際文通週間にちなむ郵便切手 」 が1958 ( 昭和33 ) 年以降、毎年発行されている。

 今年は歌川広重の原画を用いた以下の5種が発行された。
 世界各国宛てのはがきの航空郵便の一律料金である70円が 「 しだれ桜に小鳥 」 と 「 しだれ桜に小鳥 」 の2種。
 各地帯宛て定形の航空便封書料金の第1地帯 ( アジア ) の90円が東海道五拾三次の 「 府中宿 」 ( 東海道五十三次の19番目の宿場。現・静岡市葵区 )。
 第2地帯 ( 北米、中米 ) の110円が同 「 御油宿 」 ( ごゆ・ 東海道五十三次の35番目の宿場。現・愛知県豊川市御油町 )。
 第3地帯 ( ヨーロッパ、南米、アフリカ ) の130円が同 「 嶋田宿 」 ( 東海道五十三次の23番目の宿場。現・静岡県島田市 )。大井川の左岸 ( 江戸側 ) にあり、「 箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ 大井川 」 と詠われた東海道の難所の一つ。図案も大井川の川越えの図。

 歌川広重 ( 1797~1858年 ) は、江戸時代後期の浮世絵師で、葛飾北斎とともに風景画の大家として国内外にその名が知られる。
 「 東海道五拾三次 」 は広重の代表作で、江戸時代に整備された日本橋 ( 東京 ) から三条大橋 ( 京都 ) を結ぶ東海道の起点、終点と53の宿場を題材としている。
 第一回目の1958 ( 昭和33 ) 年には 「 京師 ( けいし ) = 京都 」 が、1962 ( 昭和37 ) 年には 「 日本橋 」 が取り上げられている。
 「 国際文通週間 」 切手には、これまで46の宿場が図案に取り上げられてきたが、今年は残る宿場の図の中から上記の3種が選定された。

 前述のように 「 世界の人々と文通する 」 キャンペーンであるため、発行される切手の額面は、国際郵便料金 ( はがき・定形封書 ) の航空扱いに対応している。また切手には 「 International Letter Writing Week 」の英文が入っているほか、発行した年号が西暦で入れられている。
 なお日本切手には元号法が制定された1979年以降は、切手発行年を西暦と元号が併記されているが、国際文通週間切手は現在も西暦のみで表記されている。

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はがきの国際航空便一律料金70円の 「 しだれ桜に小鳥 」 と 「 しだれ桜に小鳥 」 の2種。

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第1地帯 ( アジア ) 90円の東海道五拾三次の 「 府中 」。
第2地帯 ( 北米、中米 ) 110円の 「 御油 」。
第3地帯 ( ヨーロッパ、南米、アフリカ ) 130円の 「 嶋田 」

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第一回目の1958 ( 昭和33 ) 年の 「 京師 」 と、1962 ( 昭和37 ) 年の 「 日本橋 」。
( 画像をクリックすると拡大します )



 10月1日(日)
 今日から10月。
 まずはお断りですが、明日から12日まで上京でしばらく留守にします。

 早速10月の原稿を張り付けました。
 先月に続く相撲の話題で、「 日本の国技・相撲について (下) 」
 自身の相撲にかかわる多くの疑問について適宜項目を立てて整理したもので、9月の上篇に続く、今回はその下篇です。

 何かワンポイントになるものはないか考えを巡らすと、そういえばと思い出しました。
 カナダの切手に大相撲を描いた赤い切手があったという記憶。
 珍しく、すぐに出てきました。
 1998年にカナダで発行された小型シートで、その名もズバリ 「 大相撲カナダ公演 」。

 大相撲は海外でも多く開催されており、「 海外巡業 」 ( 巡業とは勧進元 ( 興行主 ) が主催するイベント ) と 「 海外公演 」 ( 海外公演とは招待され、日本相撲協会が主催するイベント ) がある。
 海外巡業は1962年のハワイ巡業に始まり、2013年のインドネシア・ジャカルタ巡業 までこれまでに16回 ( アメリカでの多くの巡業の他に、スペイン・ドイツ、香港、台湾、モンゴル ) 行われており、一方、海外公演は1965年のソ連 ( 現ロシア ) モスクワ・ハバロフスクでの開催を始めとして、2005年のアメリカ・ラスベガス公演まで13回。順に中国、メキシコ、アメリカ、パリ、ブラジル、ロンドン、オーストリア・フランス、オーストラリア、カナダ、韓国、中国など世界各地で多彩に行われてきた。
 ただし、2009年に第14回のイギリス・ロンドン公演が中止になって以降、久しく行われていないのは何か事情でもあるのだろうか。

 このカナダで発行された二枚組みの切手だが、四つに組み合った力士はよいとして、もう一方は横綱の土俵入りかと思いきや弓取りの一場面で、この辺の取り上げ方は日本人の感覚とはズレるところ。
 そういえば、最近の相撲中継で最後の弓取りを映さなくなったのには不満がある。

 二種類の切手が10枚ずつの20面 ( それぞれの両サイドにタブ付き ) 構成のシートで発行された他に、この小型シートが発行された。
 切手の力士の部分は浮き出しのエンボス加工がされている。

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1998年にカナダで発行された 「 大相撲カナダ公演 」 記念の小型シート。( 原寸 )
上部の金魚に見えたものは、よく見れば日の丸とメープルの葉。 先ずもって分かりづらいのはよいデザインとはいえない。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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シート構成。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 9月30日(金)
 周辺のタマネギの収穫はすっかり終わって、今頃になると今度は通りに沿って農家直販の看板が並びます。

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いろいろなタマネギの直販の手作り看板や宅配便の幟。



 9月29日(金)
 昨日こちらでは大雪山・旭岳から初冠雪のたより。
 羊蹄山もうっすら白くなったとか。

 先日のテレビ、NHKドキュメンタリー 「 たけし誕生~オイラの師匠と浅草~ 」 で、どこかの劇場 ( NHKホールか ) の観客席に凭れてインタビューに答えて語るビートたけしの懐かしい浅草時代 ( こちらがまだ東京にいて浅草を間近にしていた時代と重なる ) の話が面白く、この多芸多彩な人の記憶力に舌を巻いた。
 併せて、師匠と仰いだ深見千三郎という人の存在も始めて知った。
 早速この時代を振り返った 「 浅草キッド 」 ( 新潮文庫。ただし 「 この作品は昭和63年に太田出版より刊行 」 とある ) を取り寄せて読んでみたが、この本はまさにテレビの話を裏付けるものであった。すっかり格落ちした昨今の芥川賞作品 ( ろくに読んでもいないのに言えた義理ではないが ) より、余程面白い。
 漫才時代の 「 ツービート 」 でコンビを組んだビートきよしに、「 もうひとつの浅草キッド 」 という本の存在があることも知った。

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「 浅草キッド 」 ( 新潮文庫。平成4年 )



 9月28日(木)
 今日、三度目の正直で北海道近代美術館で開催中のゴッホ展 ( 開館40周年の特別展 ) に行ってきた。
 先週思い立って出かけようとしたら祝日振替の休館日だったり、次に出かけたら選りにも選って土曜の特別ツアーの団体客でごった返していて入場せず、プロモーションビデオだけ見て帰ってきたりで ( 「 サンデー毎日の身 」 がわざわざ土日に出かけるものでもあるまいに )、三度目という訳。
 最近は、音声ガイドも借りることにしていて、今回も借りる。
 「 出品作品リスト 」 と照らしながら丹念に見ていく。
 展示の工夫やパネルの説明文に、学芸員の力量を知る。

 通常の特別展と違うことに気がついたのは、本人・ゴッホの作品だけでなく、彼が心酔し、制作に大きな影響を受けたジャポニズムの神髄である多くの浮世絵をはじめ、その他の関連展示 ( ゴッホ以外の絵画作品、書籍、草稿、写真、手紙など ) が多く含まれていたことであった。
 彼の死後しばらく置いて、今度は日本の画家達がゴッホ ( 1853 - 1890年 ) の遺徳を慕ってフランスに渡ることになる。

 多くの浮世絵が並ぶ中に、思わぬところで切手ゆかりの写楽の海老蔵 ( 36×22 mmで意外に小さい印象 ) や国際文通週間ゆかりの広重の 「 蒲原 」 や 「 庄野 」 などの現物に巡り会うことになった。
 また、晩年 ( といっても年齢的には若いのだが ) 木々や花や虫などの対象に目を向け、自然の中へ回帰した作品の中に見た 「 ヤママユガ 」 ( 1889年 ) は、モナコで発行されたファーブルの切手に描かれたヤママユガを想起させた。

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北海道近代美術館・ゴッホ展の入場券。

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国際文通週間ゆかりの広重の 「 蒲原 」 ( 1960年 ) と 「 庄野 」 ( 2002年 )。

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モナコで1973年に発行されたファーブルの切手の背景に描かれたヤママユガ。



 9月26日(火)
 昨日の 「 埔里 」 の材料から、今日は 「 埔里社 」。
 現在の台湾南投県埔里鎮 ( ほりちん ) は、戦前の日本統治時代には埔里社。

 図の絵はがきは、裕仁立太子礼記念の1銭5厘貼りに同初日の埔里社の特印押しで、大正5年11月3日のFDC。
 宛名書きの面には2セントのアメリカの切手が貼られ、ニューヨーク州ハミルトンの1918年6月の消印。
 コネチカット州のニューヘイブン宛て。

 ちょっと理解に戸惑うが、文面にあるとおり、台湾総督府の学務部長・隈本氏 ( 台湾総督府民政部学務部長・隈本繁吉 1911年10月- 1919年6月在任 ) が米国視察中に、携えてきたこの蝶の絵はがきを、ニューヨーク州のハミルトンからコネチカット州在住のラッド先生とその夫人宛てに差し立てたもの。

 絵はがきは、木の葉に擬態したコノハチョウの裏面を鱗粉転写 ( 卵白を塗った紙に蝶の羽を押し当てて模様を写し取る方法 ) したもの。
 下段に右書きで書かれた 「 コノハチョウ 」 の一部、「 コノ 」 が見える。
 台湾中部の埔里社は蝶の宝庫、台湾の中でも蝶のメッカ。
 昆虫学者の松村松年 ( 1872 - 1960年。札幌農学校~北海道帝国大学農科大学教授 ) は、「 埔里は蝶々村 」 と呼んだ。
 かつては美麗な蝶の羽が土産物に多く利用された。

 絵はがきは頭を下にして止まるこの蝶の特性に基づいているが、切手を逆に貼って逆印になったのは、一般の感覚からして即断的に頭を上にしたためであろう。

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コノハチョウの絵はがきに裕仁立太子礼記念1銭5厘切手を貼り、埔里社の特印を押した、大正5 年11月3日のFDC。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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宛名書きの面には2セントのアメリカの切手が貼られ、ニューヨーク州ハミルトンの1918年 6月( )日の消印。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 9月25日(月)
 1958年の台湾のカバー。
 何はさておき、宛名書きの字が素朴で何とも味わいがあっていい。
 こんな字が書けたらと思う。一念発起してこの書体の習字を始めてみるか。

 「 大陸復光 」 ( 復光=解放 ) と書かれた 「 中国地図切手 」 に押された消印は 「 軍郵 」 とあり軍事郵便。宛名は南投県の埔里中学の 「 全体師生 」 とある。
 思うに、警備に当たっている埔里中学出身の兵士から、母校の教師生徒全員に宛てたものと考えるがどうだろうか。
 1958年は台湾海峡に緊張が走った年。後述する。
 裏面には台北の10月27日の中継印と、28日の埔里の到着印が押されている。

 一口に 「 金門・馬祖 」 という。台湾に属しながら台湾海峡を夾んで中国大陸に近接した特殊な地域。
 馬祖島 ( ばそとう ) は、福建省福州市の沖合にある諸島、馬祖列島。名は媽祖 ( 航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神 ) に由来する。
 一方、金門島は同じ福建省の南部の厦門と向き合う島。
 どちらも、戦後の国共内戦最終時期に戦闘があったが、とくに金門島では1949年10月25-27日、古寧頭戦役 ( こねいとうせんえき ) といわれる激しい戦闘が交わされ、双方に多大な犠牲者を出したが、根本博中将を始めとする旧大日本帝国陸軍軍人による軍事顧問団の作戦指導により国民党が勝利し、引き続き国民党が支配することになり、中国共産党は台湾を奪取し全土を統一する機会を逃した。
 その意味でこの戦闘は現在の中国大陸と台湾の状況たらしめた重大な 「 天王山 」 であった。

 さらに、このカバーの年、金門島では金門砲戦といわれる大陸からの砲撃が行われている。
 1958年8月23日から10月5日にかけて、中華民国福建省金門島に対し、中華人民共和国の中国人民解放軍が同島に侵攻すべく砲撃を行った。中華民国では 「 八二三砲戦 」 と呼び、「 第2次台湾海峡危機 」 と称される緊張が走った。
 実質的な戦闘行為は1958年10月5日に終わったが、人民解放軍による砲撃は1979年1月1日までの約21年間にわたって定期的に続けられた。1979年の砲撃停止以降、人民解放軍と中華民国国軍との武力衝突は発生しておらず、第二次国共内戦最後の戦闘行為となった。

 なお、「 大陸復光 」 と書かれたこの 「 中国地図切手 」 については 「 台湾特集 」 のホルダーの7 「 1957年、第一次中国地図郵票のFDC 」 に書いていますので、併せてご覧ください。

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「 大陸復光 」 と書かれた 「 中国地図切手 」 を貼った 「 軍郵 」 ( 軍事郵便 )。
宛名は南投県の埔里中学の 「 全体師生 」 とある。



 9月21日(木)
 前から知りたいと思っていたことがある。
 おそらく、満州切手にかかわりを持った人の大方は、満州国郵政のマークが 「 一又 」 であることを承知している。
 ただ、その 「 一又 」 が何に由来するものであるかについては別だ。
 有益なサイトの一つに 『 元 熊元の風景印蒐集社 』 という不思議な名前の郵趣関連サイトがある。そこに、知りたかったその由来が書かれている。
 ここから要約して引用させてもらうと、『 満州国が接収した中華郵政 ( 中華民国郵政 ) は 「 嘉禾章 」 ( 注: 麦の穂のマーク ) という徽章を使っており、接収と同時に廃止されたが、今度はこれに代わる新しい郵政の徽章が必要となってきた。
 そこで大同2年 ( 昭和8年 = 1933年 ) に新聞広告による 「 郵政マーク図案募集 」 の企画が始まり、全部で1,234点の応募の中から大同3年2月7日に入賞者が決まった。
 しかし、 この入賞図案は使われず、2年6ヵ月後の康徳2年 ( 1935年 ) 9月15日なってようやく制定された。( 図1。「 郵政徽章制定記念 」 記念特印 )
 それが 「 一又 」 のマークで、「 郵 」 の発音 「 you 」 の注音字母 ( 発音記号 ) による表記が 「 一又 」 であることから、「 一又 」 を図案化したこのマークが郵政徽章として制定された。 』 というもの。

 余談ながら、満州国郵政のシンボルマークの 「 一又 」 だが、これを見る度に、昔あった 「 金商又一 」 という変わった名前の会社を連想してしまう。
 「 金商又一 」 は終戦直後に財閥解体に伴い解散した旧三菱商事の非鉄金属部門を継承する 「 金属商事株式会社 」 として設立され、1960年 ( 昭和35年 ) に、又一株式会社を吸収合併して社名を 「 金商又一株式会社 」 に変更した。その後、三菱商事の子会社となり、2013年に三菱商事の金属資源トレーディング事業を吸収分割により移管、社名を 「 三菱商事RtMジャパン株式会社 」 に変更している。

 ついでながら、我が国の郵政マーク 「 〒 」 の由来について。
 明治4年に日本の郵便事業が始まったが、当初は特に定められた徽章はなく、明治10年 ( 1877年 ) 頃からの、大きな赤丸 ( 「日の丸」 ) に太い横線を重ねた赤い 「 丸に一引き 」 のマークを経て、明治20年 ( 1887年 ) に 「 〒 」 が逓信省の徽章として定められた。
 ただし、始めは 「 T 」 とされ、すぐに 「 〒 」 に変更されたのは、逓信省のローマ字の頭文字 「 T 」 を第一案、「 テイシンショウ 」 の片仮名の 「 テ 」 を図案化した 「 〒 」 を第二案としていたところ、第二案の 「 〒 」 が採用されながら、告示の時に誤って 「 T 」 とし、すぐに訂正したという。
 それとは別に、「 T 」 が国際郵便の取扱いでは、郵便料金不足の印 ( TAX のT ) として万国共通に使用されていたため、これを避ける必要があったという話もある。

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満州国郵政のシンボルマーク 「 一又 」 の入った記念特印。
(1) 郵政徽章制定記念 奉天:康徳2年 ( 1935年 ) 9月15日
(2) 郵政五周年記念  奉天:康徳4年 ( 1937年 ) 7月26日
( それぞれの画像をクリックすると拡大します )

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中国語の発音表記 ( 関係部分抜粋 )
ローマ字によるウェード式と現在の中国で使用されているピンイン、台湾で使用されている注音字母。



 9月20日(水)
 気がつくと、庭のコルチカムがいつの間にか咲きはじめていた。
 今年もコルチカムの季節が巡ってきた。
 コルチカム、ピンクの優しい花。
 夏に大きく茂っていた葉が枯れてなくなった頃に、花が出てきて、花だけを見る。

 チューリップのようで、チューリップより二回りほど大きい歪な球根を机の上に放置しておいても花を咲かせる。
 不思議な花です。

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庭のコルチカムがいつの間にか咲きはじめている。



 9月19日(火)
 1951年に発行されたポルトガルのコモン・デザイン ( 共通デザイン ) による植民地切手を収めた Holy Year の小型シート。
 Holy Year ( 聖年=せいねん ) はカトリック教会において、「 ローマ巡礼者に特別の赦しを与える 」 とした年である。なお、ミレニアムの節目に当たる2000年は大聖年であった。
 教皇ボニファティウス8世が1300年を聖年と定めたのが始まりで、2回目はクレメンス6世の1350年、3回目はボニファティウス9世の1390年、4回目は1400年と続き、以降はおおよそ25年ごとに聖年とされ、この切手にかかわるピウス12世の1950年は24回目の聖年であった。
 さらに1975年はパウロ6世、2000年はヨハネ・パウロ2世による26回目の聖年に当たった。

 中国のものを除けば諸外国の切手は処分の足が遅くて往生しているが、これも何回目かの出品で売れて、筋で母国のポルトガルの人に引き取られた。
 住所はポルトガル北部のポートワインで有名な、またポルトガルの国名の由来となったドウロ川河口の伝統の商都ポルトから、30キロほど東にあるロウサダのシルヴァレス。
 見も知らぬポルトガルの遠い町に郵便を送る。ロマンだなと思う。

 この Holy Year の小型シートは、ポルトガルの海外植民地、チモール、カーボ・ベルデ、ギニア、サントメ・プリンシペ、アンゴラ、モザンビーク、インド ( ポルトガル領インド=ポルトガルはインド西岸にゴアを始めとする飛び地を点々と所有していた )、マカオの世界各地で発行された切手を収めている。
 デザインは 「 教会のベルと鳩 」 と 「 天使が捧げ持つ燭台 」 の二種で、各地で二種がセットで発行された。

 ポルトガルの植民地はブラジル ( 1822年と早くに独立した )、アンゴラ、モザンビークを除けば、チモールやゴア、マカオなど各地に点々と築いたポルトガルの植民地は、植民地というより貿易拠点と言うべき存在ではなかったろうか。
 それは、インドネシアにおけるオランダ、ベトナムにおけるフランス、イギリスのインド支配など、奪い取るだけの阿漕な欧米植民地主義の悪逆非道なやり口に比べると、ポルトガルの植民地経営には何か別のものがあったような気がするのだが。

ポルトガル
1951年に発行されたポルトガルのコモン・デザイン植民地切手を収めたHoly Yearの小型シート。 ( 原寸 )
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 9月18日(追加) 敬老の日
 今日は予定ではアイヌ語地名研究会の現地探訪バスツアーで積丹半島方面に出かけることになっていたのだが、折からの台風18号の襲来で残念ながら中止になってしまった。
 札幌は午前中に雨こそそれなりに降ったものの風は大したことはなく、決行しても不可能ではなかったように口惜しく思われたが、向こうは海沿いで札幌からは想像も付かない風が吹いていたかも知れない。

 朝日新聞を取っているのだが、今日の朝刊に唐突に 「 台湾 念願の土俵復活 」 の記事が載っていた。  台湾北部の桃園市 ( 台湾の空の玄関、桃園空港がある ) の大渓区の公園に、戦前の日本統治時代に作られていて、戦後撤去されて久しい相撲の土俵が、台湾の相撲愛好家の団体 「 台湾相撲協会 」 の発案に日本企業が支援に応えて、このほど本格的な土俵が完成したというニュースだ。

 大渓と聞けば戦前の台湾の 「 大渓 」 の風景印を思い出し、この地の旧名 「 大嵙崁 」 ( だいかかん ) の郵便局の消印を思い出す。
 1930年の霧社事件を描いた映画 「 セデック・バレ 」 の撮影スタッフは、この大渓の奧にある桃園県復興郷にシンボルとなる吊り橋のあるロケ地を見つけたのだった。
 なお、「 大嵙崁 」 については、2013年11月第196号 『 日本統治時代の台湾消印 』 を参照ください。  

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朝日新聞朝刊、「 台湾 念願の土俵復活 」 の記事。
別にこだわる積もりもないが、「 植民地時代に 」 の表現は 「 日本統治時代に 」 と客観的な
表現にするくらいの智恵があってもいいと思うが。

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戦前の 「 大渓 」 の風景印と、この地の旧名 「 大嵙崁 」 の消印。
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 9月18日(月)
 あまり見かけない台湾の国際返信切手券。
 1960年7月8日の高雄の消印が押されている。
 第二様式のもので、額面は4圓 ( 新台湾ドル=新台幣肆圓 )。

 国際返信切手券は加盟各国からの発注を受けて万国郵便連合=UPUが発行する。
 万国郵便連合は1874年に万国郵便条約によって設立され、中国は中華民国の時代の1914年に加盟している。
 UPUは国際連合の設立後、1948年に国際連合の専門機関の一つとなっており、中華民国政府 ( 台湾 ) は1971年の国連脱退を受けて、1972年、国際機関からの脱退の一環として万国郵便連合からも脱退した。
 このことから、台湾での国際返信切手券の発行は1966年からの第三様式に止まる。

 台湾で国際返信切手券が発行されなくなった背景に、国連の中国代表権の交代劇があった。
 国際連合は、第二次世界大戦を防ぐことができなかった国際連盟 ( 1919- 46年 ) の反省を踏まえ、戦後間もなくの1945年10月に、第二次世界大戦の戦勝国、アメリカ合衆国・イギリス・フランス・ソビエト連邦 ( 現・ロシア連邦 )・中華民国 ( 以上の5カ国は安保理常任理事国となった ) などが中心となって設立された。
 国連の中国代表権は設立時の当初、中華民国政府 ( 台湾=国民政府 ) が有していたが、1949年、中華人民共和国が成立すると、わずかに台湾だけを支配するにすぎなくなった中華民国政府が安全保障理事会の常任理事国という重要な地位に着いているという変則的な事態になったため、国連の中国代表権が問題となり始めた。

 ソ連は中国代表権をただちに新政権に変更すべきであると安保理で主張、それに対してアメリカは強硬に台湾支持を続けた。ソ連は安保理をボイコットする戦術をとったがその間に朝鮮戦争が勃発した。1953年の停戦後もソ連は代表権変更、台湾追放を主張、50年代の東西冷戦の深刻化した中で、中国代表権問題が激しい対立点となった。

 1960年代に新たに独立したアフリカ諸国などの加盟により、アメリカ・日本は少数派に転落、カナダなどの諸国の中国承認が続き、1971年10月の国連総会で、アルバニアが提案した中華人民共和国の中国代表権を認め、中華民国政府 ( 台湾 ) を追放する決議が採択され、これによって中華人民共和国が国連の中国代表権を得ると同時に、中華民国政府に代わる国連の常任理事国となった。

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台湾の国際返信切手券 ( 第二様式 )。1960年7月8日の高雄の消印。
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 9月14日(木)
 昨日、俳優・黒柳徹子さんの自伝的物語 「 窓ぎわのトットちゃん 」 の本について書いた。
 そして、思い出した。
 今回、この本を手にするきっかけとなったのは、この本の中国語版を手に入れようとしたことだった。

 中国語版 「 窓辺的小豆豆 」 は2003年に発行され、中国の出版社が販売を手掛け、学校の推薦図書となった6~7年ほど前から人気に火がついて、中国での発行部数がこの春(2017年)1千万部を超えた。2015年には日本での発行部数800万部を抜き、その後も年100万部のペースで伸びているという。
 小学1年生で退学になった活発な少女トットちゃんが自主性を尊重する 「 トモエ学園 」 ( かつて、1928 -1963年に東京都目黒区自由が丘にあった私立幼稚園・小学校 ( 旧制 )。) に転入し、生き生きと学園生活を送る。第2次大戦中が舞台の物語だ。
 1981年に講談社から刊行されて、35カ国以上で出版された。

 ところが中国語版が意外に高かったので、取り敢えず英語版を買ってみたのだった。
 しかし私の英語力では楽しむまで及ばず、それで対訳の意味で後から日本語版を手にいれたという次第。
 ものの順序としては、やはり当然ながら原本 ( 日本語 ) を踏まえてとなるところだろう。

 邪気のない、賢い子どもがいて、それでいて微笑ましい失敗談を繰り返す。世間一般では問題児とされるようなこの子を理解し温かく見守った、両親や学校の先生がいた。
 ときに突拍子もなくて、ユーモアを感じて、目を見張る話が散りばめられていて、そんな憎めない子ども 「 トットちゃん 」 の話が、人類に共通するものとして受け入れられない訳がない。
 世界で35カ国語にも翻訳されて、ベストセラーにもなる訳だ。
 なお、「 トットちゃん 」 の名は、母親の呼ぶ 「 徹子 ( テッコ ) ちゃん 」 が本人には 「 トットちゃん 」 に聞こえたことに由来するという。

 60数篇の短篇で構成されている。
 その中から固よりの日本語での面白い話、興味深い話など、また、英語訳への面白さなどから題材として拾っていくと、当分材料は尽きない。
 『 たくさんの兵隊さんが死に、たべものが無くなり、みんなが恐ろしい気持ちでくらしていた 』 頃、夏休みの鎌倉から帰ってきたらいなくなっていた愛犬ロッキーのこと ( 昭和18年 )。詳しくは明かされていないが恐らく犬の戦時供出が絡んでいる ( 生きた軍用犬として、また防寒用の毛皮として。ロッキーはシェパードだった )。そんな話も入っていて。

 「 落語 」 という題の話が載っている。英語版には 「 Radio Comedians 」。
 トットちゃんは、昨日、とてもガッカリした。
 「 もう、ラジオで落語を聞いてはいけない 」 と言われたからだった。
 トットちゃんは、ラジオで落語を聞くのが好きだった。( 8歳の女の子 )
 昨日はパパのオーケストラの仲間の人たちが来ていて、一人がバナナのお土産を持ってきた。トットちゃんは丁寧にお辞儀をしてからバナナを受け取ると大喜びの余りこういったのだった。『 おっ母あ、こいつは、御の字だぜ 』。
 それ以来、落語を聞くのは親のいないときに秘密でということになったが、もし誰か大人が、ラジオの落語を聞いて大声で笑い転げる子どもの様子を見たら、「 よくこんな小さい子が、この難しい話で笑うものだ 」 と思ったかも知れない。
 そして、『 実際の話、子どもはどんなに幼く見えても、本当に面白いものは、絶対にわかるのだった。 』 として、話はここで終わっているのだが、こちらとしては、このとき8歳くらいのトットちゃんがラジオで聞いていた、昭和10年代半ば頃の落語の、誰の何の話の何処が面白かったのか、ついでに教えて欲しかった。
 まず、柳家金語楼 ( 明治34年生まれだから40歳前後 ) がいただろう。そして次の志ん生、文楽、圓生もいた筈だ。、

 落語というと、平成11年にシート版で 「 笑門来福落語切手 」 が発行されている。往時の名人、志ん生、文楽、圓生、小さんと上方落語の米朝の五人が山藤章二の見事な似顔絵で描かれている。


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平成11年にシート版で発行された 「 笑門来福落語切手 」。 ( 70% )
古今亭志ん生 ( 五代目 ) 1890(明治23年)-1973「火焔太鼓」
桂文楽 ( 八代目 ) 1892(明治25年)-1971 「船徳」 
三遊亭圓生 ( 六代目 ) 1900(明治33年)-1979 「小言幸兵衛」
柳家小さん ( 五代目 ) 1915(大正4年)-2002 「時そば」
上方落語の桂米朝 ( 三代目 ) 1925(大正14年)-2015 「百年目」
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 9月13日(水)
 体調が悪いと何事にも気合いが入らない。お陰で間が空きました。
 4、5日前から右膝の内側に痛みが出ている。
 昨日の年に一度の定期健診のバリウム検査では、指示で身体の向きを変えるのに足の踏ん張りが利かずに往生した。

 ぶつけた憶えはなく、場所からして膝の内側の筋 ( 「 腱 」 という ) の部分と睨んでいたとおり、診断もふくらはぎから伸びて膝元に繋がる筋肉末端の腱の部分で、痛み止めのブロック注射で驚くほど良くなった。
 筋肉はそれぞれの末端が細って硬い腱となり骨にくっついているが、有名なアキレス腱はふくらはぎの筋肉の下の部分の筋肉が腱になって踵の骨に繋がっている部分で、人体で最長・最大の腱であるという。
 今回の痛みで思い当たるのは、急激に足の伸縮を行って膝の部分に負担を掛けたことがあって、おそらくそれが原因になったのだろう。

 話は変わるが、遅まきながら黒柳徹子の大ベストセラー 『 窓ぎわのトットちゃん 』 を英訳本と比較しながら読み始めた。
 幼小の頃の 「 奇行 」 がエピソードとして多く語られている。文体が特有で、独特な印象を持つ。その雰囲気を他の言語で ( 35カ国語に翻訳されているという ) で伝えるのは難しい。英語訳でも苦労の跡は見えてもその特有の文体は伝えようがない。

 ただ、こちらとして面白いのは文化の異なる言語間の翻訳という難しさ ( 脚注という補助的な手段もあるが ) にどう対応しているかを見ることで、これはどう訳されているかと気になるとこがあると、関係部分に当たるのが楽しみになっている。
  「 等々力渓谷飯盒炊爨 」 ( 等々力渓谷は東京世田谷区等々力にある都内23区内にある唯一の渓谷。黒柳徹子幼少のみぎり、昭和15, 6年頃の情景 ) の話。
 トットちゃんが学校で聞いた遠足の話を忘れないように帰り道、呪文のように唱えてきたのが帰るなり、玄関先で 「 トドロキケイコクハンゴウスイサン 」 と凄い声で叫んだという場面。
 それに対する 『 一瞬ママは、四十七士の討ち入りか、道場破りの真似かと思った。 』 という部分。
  「 四十七士の討ち入り 」 は 「 四十七士の勝どきの声 」 とされ、「 道場破り 」 は単に 「 柔道のかけ声 」 に化けている。ついでに、「 四十七士 」 は 「 Forty-seven Ronin ( 「 浪人 」 は英単語になっている ) 」 と訳され、「 等々力渓谷 」 は 「 Thunder canyon 」 と意訳されている。
 因みに、『 七人の侍 』 は 「 The Seven Samurai 」 だった。

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『 窓ぎわのトットちゃん 』 ( 講談社文庫 )と、英語版 「 トットちゃん 」 ( 講談社英語文庫。ドロシー・ブリトン訳 )。



 9月9日(土)
 今日は重陽の菊の節句。五節句のうちでは日本では一番馴染みの薄い行事だが。

 モクゲンジの実 ( 袋状で、中に黒い実が3、4粒ほど入っている ) がどんな様子か見に行ってきた。
 遅いかと心配したが ( もう盛んに落ちていて、へたをすると寺に掃き払われてはいまいか )、袋状の実はまだ緑みどりしていて、落ちた実を拾うにはまだしばらくかかりそうだ。
 それを確かめてからついでに寄り道をして、広々としたタマネギ畑の向こうから札幌の中心部を遙かに眺めた ( JRタワーやテレビ塔といったランドマークが望まれる )。
 百合が原公園にも立ち寄ってみたがコスモスが満開でした。
 木々も色づきはじめて秋の色。

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モクゲンジの実 ( 袋状で、中に黒い実が3、4粒ほど入っている ) はまだ緑みどりしていて、
落ちた実を拾うにはしばらくかかりそうだ。

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広々としたタマネギ畑の向こうに、遙かに札幌の中心部を眺める。
正面左に、JRタワーやテレビ塔といったランドマークが望まれる。

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百合が原公園のコスモスが満開。



 9月7日(木)
 昨日、札幌市の市民活動支援センター 「 札幌エルプラザ 」 ( 「 札幌市男女共同参画センター 」。いつも支部の例会で馴染みの場所 ) で、映画と講演会があった。
 映画は 『 積極的平和国家のつくり方 コスタリカの奇蹟 』。
 講演は、フリーランスのコスタリカ研究家、足立力也氏。コスタリカの紹介と絡めてこの映画のポイントを語ってくれた。
 映画①-講演-映画②という構成であったが、「講演-映画」の順で講演を聴いて予備知識を付けてから映画を見たのは正解であった。
 軍隊を持たない国 ( お陰で軍事予算は福祉と教育の充実に充てることができた。国防は外交手段、集団安全保障と国際法を頼みとする )、中米のコスタリカが大国の介入をはねのけ、国内に独裁の台頭を許さず、いかにして今日の平和国家・民主国家を実現したのか。偉大なリーダーとこれを支えた人々について、その歴史的経過を辿っている。
 ただし、グローバル経済とアメリカの巧妙な介入を背景に、1990年代以降は麻薬の横行により治安の悪化と社会の不安定化が進行している。
 書きたいこと、書くべきことがありすぎて、にわかにまとめきれない。
 そこで取り敢えず先に、コスタリカのもう一つの話。

 コスタリカには 「 ディキスの石球のある先コロンブス期首長制集落群 」 として、2014年にUNESCOの世界遺産リストに登録された世界遺産があるが、そこに 「 ディキスの石球 」 という不思議な存在がある。
 「 ディキスの石球 」 とは、1930年代の初めにコスタリカの密林で発見された石の球体で、現在までに200個以上が発見されており、石球のほとんどはタラマンカ山地の麓に産する花崗閃緑岩が原料であるが、貝殻石灰岩製のものも少数存在する。大きさは直径2センチの小さなものから、直径2メートルを超える大きなものまで様々で、最大級の石球は約25トンもの重量がある。
 石球の正確な製作年代やその目的は不明であるが、発見時に周囲に存在していた遺構の年代より推定して、西暦300~800年にこの地で栄えたディキス石器文化が有力視されている。  切手は世界を写す鏡で、世界遺産登録を背景に早速 「 ディキスの石球 」 の切手が発行されているので載せておきます。
また、「 ディキスの石球 」 のイメージを捉えるためにWikipedia の画像を借用しておきます。

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2016 年にコスタリカで発行された 「 ディキスの石球 」 を描いた切手の小型シート。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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「 ディキスの石球 」 : コスタリカ国立博物館 ( 首都サンホセ ) における展示。



 9月5日(火)
 今日の写真三枚。
 その1) 昨日から近くの丘珠郵便局のロビーの一角を借用してミニ切手展を始めました。
 9リーフ1フレームのささやかな展示ではありますが。
 「 国際返信切手券の歴史 」。
 この一日から第九様式になる国際返信切手券の発売が開始されたのに因んで、明治40年の第一様式以来の9種を展示しています。
 今年は丘珠郵便局が、平成9年9月29日の開局以来20周年を迎えることから、月の後半にはその記念の展示も控えているとのことで、当方の展示期間は2週間。

 その2) 今年も丘珠神社の例大祭の幟が立ち始めました。近隣では札幌村神社や苗穂神社の幟も見られます。
 その3) 庭のナナカマドがほんのり色づき初めました。

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丘珠郵便局のロビーのミニ切手展 「 国際返信切手券の歴史 」。

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今年も丘珠神社の例大祭の幟が立ち始めた。
正面奥が丘珠神社の森。右手に鳥居。

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庭のナナカマドがほんのり色づき初めた。



 9月5日(火)
 捜し物をしていると、いろんなものが出てくる。
 清洲橋を写した戦前の絵はがき。
 本郷から米フィラデルフィアに宛てられたもの。
 標語印とセットの機械日付印で、日付は昭和10年2月25日。
 標語印には、「 千里も一飛 航空郵便 」 とある。

 「 都江の偉観 」 と題して、「 『 チヨツキでさつさ 』 の昔も夢の如く、隅田川の清流に架る清洲橋は自吊式の頗ぶるモダンな風姿、大東京橋梁中の一大圧巻だ。その工費も三百万円という素晴らしいもの。 」と書かれている。
 『 チヨツキでさつさ 』 は吉原通いの猪牙舟 ( ちょきぶね )。船足が早く、サッサは颯爽の 「 颯颯 」。
 昔の隅田川の風物だった曳舟とダルマ船 ( 自走できない ) のスケッチが入れられている。

 清洲橋はドイツのケルン市にあったヒンデンブルグ橋をモデルにしており、隅田川に戦前から架けられていた12の橋 ( それぞれに独特のデザインを持つ ) の中でもひときわ目を引くユニークなデザイン ( 自定式吊鋼橋 ) で、関東大震災後の震災復興事業として昭和3年に完成している。
 また、「 清洲橋 」 は 「 永代橋 」 「 勝鬨橋 」 とともに、平成19年に都道府県の道路橋として初めて国の重要文化財 ( 建造物 ) に指定され、残りの新大橋を除く7橋も東京都選定の歴史的建造物に指定されている。

 戦争で橋は重要な攻撃目標とされたが、あの戦災で隅田川に架けられた橋が揃って被害を免れたのを不思議に思う。

 現在隅田川には18の橋が架けられているが、戦前に架けられた12の橋を整理しておく。
千住大橋 昭和2年 ブレーストリブ・タイドアーチ橋 初代は文禄3年 ( 1594年 )
白髭橋 昭和6年 アーチ橋 初代は大正3年に木橋
言問橋  昭和3年 ゲルバー式鋼板桁橋
吾妻橋 昭和6年 上路式三連アーチ桁橋 初代は安永3年 ( 1774年 )
駒形橋  昭和2年 鋼アーチ橋桁橋
厩 橋  昭和4年 三径間下路式アーチ橋 初代は明治7年
蔵前橋 昭和2年 三径間アーチ桁橋
両国橋 昭和7年 三径間ゲルバー型鋼板桁橋 初代は万治2年 ( 1659年 )
新大橋 昭和53年 鋼斜張橋 旧新大橋は大正元年完成 初代は元禄6年 ( 1693年 )
清洲橋 昭和3年 自定式吊鋼橋
永代橋 大正15年 バランスド・アーチ橋 初代は元禄11年 ( 1698年 )
勝鬨橋 昭和15年 可動式鋼アーチ橋
 こうして並べてみると、隅田川最初の橋である千住大橋が架けられたのは、徳川家康が江戸に入府して間もない文禄3年 ( 1594年 ) 11月のことで、次が両国橋、その次が元禄年間の新大橋と永代橋。次の安永3年の吾妻橋を加えて、江戸時代に架けられたものは5橋であった。
 明治に新たに架橋されたのは厩橋のみであるが、明治36年には、これとは別に隅田川の分流である隅田川派川 ( すみだがわはせん。永代橋の下流で分岐して、相生橋の下流で晴海運河に注ぐ ) に相生橋が架けられている。

 なお細かいことを言えば、戦前の隅田川に架かっていた橋としてはこの他にも、言問橋と吾妻橋の間に東武鉄道伊勢崎線の鉄橋 ( 昭和6年 ) が、蔵前橋と両国橋の間にJR総武線の隅田川橋梁 ( 昭和7年 ) がある。

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清洲橋を写した戦前の絵はがき。
本郷 ( 昭和10年2月25日 ) から米フィラデルフィア宛て。
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 9月3日(日)
 なかなか目にすることのない国際返信切手券第一様式の日本版。
 「 大日本帝国 」 の表示。
 額面12銭 ( 右肩に 「 拾貳銭 」 )、裏面に4カ国語 ( 独、英、西、伊 ) の説明文があり、独文4行の計13行は最初期のタイプ。
 消印は当地ゆかりの 「 札幌 」 の大正10年12月7日。

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国際返信切手券第一様式の日本版。 ( 原寸 )
裏面に4カ国語 ( 独、英、西、伊 ) の説明文。上段の独文4行の計13行は最初期のタイプ。
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 9月2日(土)
 世界遺産の勉強をしていると、いろいろな切手のこととも巡り会う。
 それだけ世界と向き合った切手は幅広い。
 懐かしいシンド切手を思い出した。
 2011年2月第163号の 『 インドの一番切手・シンド州切手とインド藩王国の切手 』 で取り上げている。

 世界遺産は、今はパキスタン領になっているシンド地方の 「 タッタ・マクリの歴史的建造物群 」。
 パキスタン南部のタッタ ( カラチの東方100Km ) は、14~18世紀にかけてインダス川の港湾都市として栄えたが、ここにはシンド地方を支配した三王朝、サンマー朝、アルグン朝、タルハーン朝の首都が置かれた。
 シンド地方の名は、インダス川の古名シンドゥに由来する。
 ムガール帝国第5代のシャー・ジャハーン帝の命により建設され、1658年に完成した青を基調とした壮大なジャミー・マスジド ( 金曜モスク ) があり、また、近郊のマクリの丘にはイスラム世界最大の墓地がある。

 インドの一番切手は、1852年にシンド州 ( 現在はパキスタン南部の州。カラチを含む 一帯 ) で発行されたものとされている。
 その三種の切手 ( Scott ♯A1~3 ) のうち赤のものは、紙ではなく封蝋 ( 手紙や文書の封印に使われるシーリング・ワックス ) で作られた珍しい材質によるもので、世界最初の変形切手 ( 円形の切手 ) 並びに特殊材質の切手である。

 封蝋を材質にした赤の切手は壊れやすく、しかも封筒に貼るとデコボコするために評判が悪く、その後は白紙にエンボス加工した切手に変わった。しかし、白紙の切手では白い封筒に貼ると見えにくいという欠点があったため、さらに青紙に変えられた。

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世界最初の円形の切手、シンド切手の三種の参考品。 ( 180% )
直径約1.7cmの小さな切手。
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 9月1日(追加)
 今日9月1日、4年ぶりで第九様式としての国際返信切手券が発売された。
 国際返信切手券 ( Iternational Reply Coupon= IRC ) には二つの押印欄が設けられており、販売局では左側の枠に欧文日付印が押され、右側の枠はIRCを受け取った相手方が、現地の郵便局で切手と交換する際に現地の郵便局で日付印が押される。
 今日の丘珠局の2017年9月1日 ( 1.IX.17 ) の初日欧文印だ。

 国際返信切手券。余り人気のない、場合によっては存在さえも意識されない対象ではあるが。 詳しい資料に鳴海で発行された 『 国際返信切手券カタログ 』 がある。
 改めてこれを見返して気がついたのだが、第一号様式の 「 地球と太陽の女神 」 にはその後、地球の経緯線の省略された、いわば第二様式と言うべき存在があったが、このタイプのものは日本では発行されなかったので、『 日本切手百科事典 』 の今回の第九様式 ( UPUの様式としては十番目 ) に繋がる区分は 「 日本で発行された国際返信切手券 」 という条件に沿ったものであったのだ。

 今回の第九様式の発行についてはUPU ( 万国郵便連合 ) が4月15日からその受注開始を発表していたものだが、日本郵便のその後のUPUとの遣り取りの経過はどんなものであったろうか。
 国際返信切手券は、万国郵便連合国際局が印刷発行する切手交換券で、万国郵便条約に基づき各国の郵便切手と引き換えできる国際的な金券 ( クーポン ) として、国際郵便で返信を求める際に受取人に金銭的負担をかけないようにするために使われる。
 ただし今日、海外ともパソコンのメールで遣り取りする時代、物を送る場合はさておいて、国際返信切手券の出番は少ない。海外からの留学生の申し込み書類に国際返信切手券の同封が謳われているのが目を引くくらいか。
 売り上げ枚数の数字があったら知りたいものだ。

 国際返信切手券については、2010年7月第156号 『 新・国際返信切手券(第七様式)について 』 および、2005年12月第101号 『 国際返信切手券 』 がありますので、併せてご覧ください。

 なお、第九様式の発行を機会に、地元の丘珠郵便局で4日から4週間、国際返信切手券発行の歴史を紹介するミニ切手展を開催することにしています。
丘珠郵便局は今月29日でちょうど開局20年を迎える。

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このほど発売された第九様式の国際返信切手券。 ( 75% )
表面にはフランス語で、「万国郵便連合に加入する国では海外宛通常航空郵便の第1種便
または封書便の基本料金の切手と交換できる」旨の記載。
裏面に同様の趣旨の文章がドイツ語、英語、アラビア語、中国語、スペイン語、
ロシア語で記載されている。
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 9月1日(金)
 今日から9月。
 早速9月の原稿を張り付けました。
 「 日本の国技・相撲について(上) 」
 以前から相撲にかかわる疑問が多くありました。
 その自身の疑問に答えるべく項目を挙げてまとめていくと一回では収まらない分量になりましたので、9月10月の上下二篇にまとめることにして、今回はその上篇です。
 これらをほぼ書き上げたところで、関連の本に巡り会いました。
 『 大相撲 行司さんのちょっといい話 』 ( 三十六代木村庄之助。双葉文庫 )。ワンポイントに張り付けておきます。
 序列の厳しい番付社会の相撲界では、行司にあっても厳格な格付けがあり、さすがにその道の最高位、横綱に匹敵する立行司を極めた人だけあって、文章からその高潔な人柄が伝わってくる。
 また、その記憶の良さに驚く。

 行司の最高位、結びの一番のみを裁く立行司・木村庄之助は相撲番付でいう東の正横綱に当たり、その地位は立行司で木村庄之助に次ぐ二番目の地位にある式守伊之助 ( 相撲番付の西の正横綱に当たる ) を経て、先代の庄之助が引退して空位になった場合に襲名することになっている。
 ただし、2015年3月場所限りで37代目が引退したあとは、襲名者不在が続いている。

 もう一つ、以前から思っていたことがそのままタイトルになった 『 外国人力士はなぜ日本語がうまいのか』 という本に出会って期待したものの、こちらは肝心な部分が肩すかしでガッカリでした。

 今回も5月6月号の 『 家紋の話(上・下) 』 同様、先ずテーマありきで、郵趣材料が後付になるケースでしたが、相撲の切手には月並みな材料ながら幸いにも、1978年から翌年にかけて3種 ( 2連+1種 ) ずつ5集に亘って発行された相撲絵シリーズの15種がありました。

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『 大相撲 行司さんのちょっといい話 』 ( 三十六代木村庄之助。双葉文庫 ) 表紙。



 8月31日(木)
 満州国時代のカバー。
 消印の日付、満州国年号の康徳5年は1938年 ( 昭和13年 )。
 有名なハワイの宣教師切手のドーソン・カバー以来、各国各地でのキリスト教の布教活動に伴う郵便物は、郵趣の世界に貴重なマテリアルを提供している。
 ドーソン・カバーについては、3月25日の当写真日記に書いています。

 満州国間島省延吉市 ( 現・中国吉林省延辺朝鮮族自治州 ) は北朝鮮と国境を接し、ロシア沿海州のウラジオストクに近い。朝鮮族が人口の過半を占め、韓国との合弁企業も多い。

 そこのキリスト教会 ( 天主堂 ) からイギリスに宛てられたカバー。
 右側にハルビン、日本経由を表示するゴム印が押されている。
 宛先のシャンクリンはイギリス最南部、イギリス海峡を臨むワイト島にある街。

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満州国間島省延吉市 からイギリス宛の1938年のカバー。



 8月27日(日)
 今年は田中訪中、日中国交正常化45周年に当たり、 昨日はその記念講演会があって出かけていった。
 思えば、その前年、文革最中の中国に行っている。ニクソンや田中訪中の前年のことだ。あれから46年が経つ。

 北海道日中友好協会主宰の講演会での元中国大使の丹羽宇一郎氏の講演。
 目の覚めるような話で、聴きっぱなしでは勿体ないのでいくつか書き出してみる。
 丹羽氏は民主党政権時代に伊藤忠商事の会長から起用された初の民間大使。型どおりの発言で大過なく過ごす外務省プロパーの役人大使と違って、歯に衣着せぬ大胆な現役時代の発言を 「 中国寄り 」 と見る、中国を快く思わない勢力からは反感を買っていた。

 来賓の在札幌中国総領事を前に、「 習近平は独裁体制を固めた 」 ( どきっとするが、「 人事・軍事を掌握し自らの体制を強固なものとした 」 という客観的な事実を単純に言ったまでなのだが ) などというところが、この人らしい。今話題の王岐山については、意外にさらっと触れただけであった。

 余談が先になったが、人口爆発、気候変動などから世界はこの先大丈夫か。グローバリゼーションからの食糧問題、フェイク・ニュースの危険性などについて、僅か1時間余りの講演の中で気づかされることが多々あった。

 世界人口は長く緩やかな増加を続けてきたが、19世紀末からはグラフで見るのも恐ろしいほどの人口爆発が始まっている。
 この間の人口の推移は、17世紀初頭、1600年に3億であったのが、1700年に6億、1800年に9億であった自然増加は食料生産力の増大、医療衛生の進歩がもたらしたものとしてまだしも、20世紀の初頭1900年には12億の筈が16億、20世紀の半ば、1950年には25億人になり、以降は10数年刻みで10億人ずつ増加しており、2011年には70億人を突破し、現在は75億ほどと推計されている。
 マルサスが人口論 ( 人口の増大は幾何級数的だが、生活資源の増加は算術級数的であり、生活資源=食料は必ず不足する ) を発表したのが1798年。思えば、世界人口がまだ9億人の段階での警鐘であった。

 余談ながら、江戸が世界最大の100万都市であった頃、日本は世界人口の20分の1を占め、日本の歴史上最も勢いのある時期であったという。

 TPPを前にしたご都合主義で、あれほど農水省が自己宣伝のために利用していた食糧自給率という言葉も聞かなくなった。食料安全保障を絡めて声高に言っていたその重要性は変わらない筈なのだが。
 あれほど重要だと言っていた食糧自給率の数値目標を、しゃあしゃあといとも簡単に現状の39%から27%へと下げた。
 フェイク・ニュース=虚偽のニュースの危険性については、先の米大統領選挙で 「 ローマ法王がトランプ氏を支持した 」 とのインターネット上の虚偽のニュースが大統領選の投票行動に影響を与えたとの指摘もある。
 これとともに、トランプが盗っ人猛々しくも言った 「 オルタナティブ・ファクト 」 ( 「 もう一つの真実 」 として、自らのウソを正当化する根拠のない自己弁護 ) は、どこかの国の国会で呆れ返るほどの日常茶飯劇として繰り返されている。

 こうした風潮とともに期せずして世界で蔓延している政治のポピュリズム。先導する立場にある者が、支持を得たいがために選挙民の受けを狙って大衆に阿り、迎合し、すり寄ってどうする。
 そのまた一方で、「 主役 」 とされながらその役割を演じきれない大衆=選挙民の良識が問われている。

 尖閣列島の問題にも丹羽さんは 「 棚上げにして 」、資源の共同開発や漁業協定など、今するべきことはたくさんあるという。
 尖閣問題は、いたずらにこれを煽った罪深い男に端を発している。また、それを真に受けて浅い思慮のもとに国有化に走った者たちもいた。
 いつのときも、一国のリーダーとして正義と信念を通せる人の存在が欲しい。

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日中国交正常化45周年記念講演会のプログラム。



 8月25日(金)
 昨日、映画 「 台湾万歳 」 を見てきた。
 酒井充子監督の 「 台湾人生 」 「 台湾アイデンティティ 」 に続く三部作完結編になる。
 「 台湾人生 」 では台湾が日本だった頃 ( 日本統治時代 ) に生まれた日本語世代の人たち台湾人5人のそれぞれのその後の人生、「 台湾アイデンティティ 」 で も戦後統治が変わってからの厳しい時代を生きてきた日本語世代6人の人生を追っている。

 そして、今回の 「 台湾万歳 」 では原住民族の多く住む台湾の東海岸、台東県の成功鎮に取材し、そこに住むアミ ( 阿美 ) 族、やブヌン ( 布農 ) 族の人々がそれぞれ歩んできた歴史と今の平穏な暮らしを、伝統のカジキの突きん棒漁 ( 小さな漁船の船首に立ち、モリを突き立てる。日本人が伝えた漁法 ) という伝統漁法や森の狩猟に絡めて紹介している。
 「 さしみ 」 を食べる習慣が生まれ、以来さしみと一体でワサビが生活の中に定着している ( 大きなチューブに入ったワサビをずいぶんと使う。原料のワサビはどこのものだろうか )。

 パンフレットに描かれた家々の背景にある夏雲のかかる山は比較的低い海岸山脈で、この向こうに玉山 ( 旧新高山 ) などの中央山脈が聳える。
 撮影地、成功鎮は旧名を 「 麻老漏 」 ( マラウラウ ) と称し、後に 「 新港 」 と改称、さらに戦後に 「 成功 」 と改名された。新港は日本統治時代に原住民の労役によって築かれ、花蓮港や台東に次ぐ新しい港として名付けられた。
 戦後初期、台湾国内で 「 新港 」 の名称を持つ郷鎮が3ヶ所存在し、混乱を避けるために改称を決定、成功鎮は新港の様子が 「 安平港 」 ( 鄭成功ゆかりの地 ) と類似し、また新港は北郊外の成広澳から発展したため、「 成広 」 と音が類似した 「 成功 」 を、鄭成功の顕彰を兼ねて地名とした。

 2015年12月第221号の 『 再び 「 日本統治時代の台湾消印 」 について (下) 』 で、「 新港 」 を嘉義県新港郷のこととして書いているが、あるいはこちらの方であったのかも知れない。
 併せて、1999年にシート型式で発行された 「 台湾原住民文化 」 の中から、アミ族の 「 豊年祭 」 とブヌン族の 「 八部合音 」 を抜き出しておく。

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映画「台湾万歳」のパンフレット。

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1999年発行の 「 台湾原住民文化 」 のシートから、アミ族の 「 豊年祭 」 やブヌン族の 「 八部合音 」。
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 8月24日(木)
   アメリカ最古の時計ブランド、ウォルサム・ウォッチ・カンパニー日本支店の封筒を使ったアメリカ・マサチューセッツの本社宛ての書留カバー。大正9年3月15日付けの東京中央の欧文印。裏面にはウォルサムのシールが貼られている。
 貼られた切手は田沢の3銭14枚と、1銭2枚で都合44銭。書留料金の10銭を差し引いた書状料金34銭は、20gまで10銭、超過20gごとに6銭だから、100gまでの5倍重量郵便。切手の大きさから推定B6版で、さくらカタログが入るくらいの大きさで、ちょっとした冊子でも入れていたものか。
   因みに同じ重量でのアメリカ宛ての現在の国際郵便料金は、航空便で100gまで400円、書留料金410円を加えて810円になる。

 ウォルサムは1850年にマサチューセッツ州ウォルサム ( 社名は地名に由来する ) に設立された懐中時計で有名なアメリカ最古の時計ブランドで、エイブラハム・リンカーンやジェームズ・ブキャナン、川端康成も愛用した。現在は日本の宝飾品メーカー、平和堂貿易の100パーセント子会社となっていたが、平和堂貿易は2016年10月に倒産した。
 平和堂貿易はスイス製高級腕時計 『 テクノス 』 の総代理店でもあったが、同様に 『 ラドー 』 の総代理店であった酒田時計貿易も2000年に倒産している。

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アメリカ時計メーカー・ウォルサムの日本支店からアメリカ・マサチューセッツの本社に宛てられた書留カバー。 ( 75% )
大正9年3月15日付けの東京中央の欧文印。ウォルサムの到着受付印の日付は4月7日。



 8月19日(土)
 捜し物をしていたら、思いがけず一昨日の 「 解放区切手発行60周年記念 」 のマキシマムカードが出てきました。 全く忘れていました。( 図1 )
 一番最初の解放区切手は故・水原明窗が発掘した 贑 ( かん= 江西省 ) 西南革命根拠地で1930年に発行されたもので、8分の切手に描かれているソビエトのシンボル 「 槌と鎌 」 のデザインのものはこの地区の二番切手で、水原明窗の発掘した限りなく貴重な 「 贑西南革命根拠地 」 の一番切手は60周年記念の 「 切手の切手 」 が発行された1990年の段階では中国ではその存在がまだ知られていなかったのではないだろうか。

 その最初の解放区切手が貼られたカバーを水原コレクションのリーフで示します。( 図2 )

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図1  「 解放区切手発行60周年記念 」 のマキシマムカード。 ( 60% )
8分には福建龍岩、20分には江西瑞金の初日印が押されている。
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図2 水原コレクションのリーフ。 ( 1994年4月郵趣臨時増刊号。故水原明窗理事長追悼号 )
最初の解放区切手とされる 「 贑西南革命根拠地 」 の一番切手の貼られたカバー。
「 勝利 」 と書かれた左は藍色の1分二枚貼りのカバー、右は3分の一枚貼り。
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 8月18日(金)
 今朝、峰光寺のその後のモクゲンジを見てきましたが、もう盛りを過ぎて花は枯れかけています。一週間前くらいがピークだったようです。
 それにしても、7年前にこの珍しい木を発見したときには遠目にも木全体が真っ黄色に染まっていたのが、樹勢が衰えてきたのか今回はピークの頃でも全体が黄色に染まることはなかった。確かに花の房が疎らになっている。

 もうコンテナに収穫されたタマネギを見るようになった。タマネギの収穫は例年は9月の声を聞いてからだが、今年はそれだけ生育が順調だったと言う訳か。

 空気が澄んで、遠くの 「 山の端 」 がくっきり見えるようになった。 秋です。

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 収穫間近のタマネギ畑。葉が倒伏して枯れ上がってきている。

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北丘珠にはまだ広大なタマネギ畑が見られる。
中央右に手稲山、左手に定山渓方面の山々。



 8月17日(木)
 何でしょうか、これは。図1。
 イーベイに出品されているものだが、説明は 「 1934 China Soviet Red Army 2 Cents Old Stamps 」。
 レプリカとも謳っていないが、スタートの値段からして本物ではないでしょう。
 それにしても、レプリカを作るにしても原版となる本物が、いや参考になる鮮明なカタログの存在があったのだろう。

 当然ながら、水原明窗のJPS中国切手図鑑のⅢ解放区にも載っている。
 1932年の発行の蘇維埃 ( ソビエト ) 郵政発行の(2)地方印制版とされている切手の二分の花図案のもので、「 びん浙 ( せつ ) かん区 」 と記載されている。
 「 ( びん= 門構えに虫 ) 浙 ( かん = 贑 ) 」 は省名の略称で、それぞれ 「 門構えに虫 」 ( びん )= 福建、浙 = 浙江、 ( かん = 贑 ) = 江西の各省を指し、これらの地方に島状に存在した革命根拠地で使用されたということだろう。  当時の 「 門構えに虫 」 と 「 贑 」 に跨る瑞金を中心にした地方は最大の革命根拠地。紅軍はここを脱出し、1934年から1936年にかけて1万2500kmの長征を経て、新たな革命根拠地・延安に辿り着く。

 1990年に解放区切手発行60周年記念として、この時期に発行された切手を描いた二種一組の 「 切手の切手 」 が発行されている。図2にその初日カバー。
 8分に描かれているのは最初期の1930年の 「 びん西革命根拠地 」 の切手で、「 びん西交通総局 」 「 赤色郵花 」 ( 「 郵花 」= 郵便証紙 ( 切手 ) ) の文字、ソビエトのシンボル 「 槌と鎌 」 が描かれ、額面は 「 4片 」 となっている。
 12分に描かれているのは1932年の 「 蘇維埃郵政 」 の切手で、戦士と旗が描かれた一分のもの。

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図1 1932年の発行の蘇維埃郵政発行の二分の花図案の切手。イーベイ出品のペアのレプリカ。

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図2 1990年に発行された 「 解放区切手発行60周年記念 」 の二種一組の 「 切手の切手 」 の初日カバー。( 原寸 )
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 8月16日(水)
 一日遅れになってしまったが。
 昨日は終戦から72年。戦争ほど愚かしいことはないのだが、人類は二度の世界大戦を経験し、その後も大小含めていくつもの戦争があり、懲りたはずの戦争が一向になくならない。それにはどこにも愚かな指導者がいて、己の使命を忘れて、ただ己の存在を誇示したいが為のパフォーマンスを演じているゆえである。
 また一方に歴史の教訓を読み取らず、これに煽られて熱狂する度し難い大衆の存在があるゆえである。

 一昨日、終戦特集の一貫で制作されたNHKスペシャルの 「 知られざる地上戦 」。終戦後の戦闘で民間人を中心に5,000人もの犠牲者 ( 真岡への艦砲射撃や真岡郵便局の電話交換手の集団自決などの悲劇 ) を出したのはなぜであったのか。
 大本営の停戦指令が、第五方面軍司令官によって樺太守備隊には 「 死守せよ 」 として伝えられたことによる。それを知って、アレと思った。第五方面軍司令官といえば7月19日に書いた、樋口季一郎中将ではないか。その時には 『 北部軍司令官在任中は ( 昭和17年8月~終戦 ) 、アッツ島玉砕を余儀なくされる一方でキスカ島の軌跡の撤退を指揮し、敗戦後も北千島・占守島、樺太での対ソビエト軍の戦闘を指揮し、占守島の戦いではソ連の千島侵攻部隊に痛撃を与えている。 』 として肯定的に書いている。翻れば、『 北千島・占守島、樺太での対ソビエト軍の戦闘を指揮し 』 としていたが、その裏で多くの民間人を巻き込んだ樺太の悲劇があり、終戦を迎えながら占守島の戦いがあった。
 停戦協定に応じていれば、少なくともこんなに多くの犠牲者を出さずに済んだ。
 物事には二面性があって、それが良かったのか、誤りであったのか。結果からの評価に左右されることもあって一概には言い切れず、改めて考えさせられることであった。
 また、向こうにも終戦にもかかわらず、スターリンの野望に憐れにも翻弄されたロシア兵たちがいた。

 そして、昨日の終戦記念日のNHKスペシャルは 「 戦慄のインパール 」 であったが、馬鹿な現地軍司令官の二人の無責任な作戦で多くの犠牲者を出した。この兵站を軽視した無謀極まりない愚かな戦いを無責任に強いたビルマ方面第15軍司令官・牟田口廉也やビルマ方面軍司令官・河辺正三は、これを認可した大本営ともども責任を追求されることもなく ( 国際軍事法廷で裁かれずとも、自国民に対する背任として裁かれて然るべき戦犯行為だ )、日本人の甘さがここにも現れている。

 昨日の新聞に戦没者の遺骨収集の実態に触れた記事があり、フィリピンの数字が際だっていたが、改めてその実態を確認すると、第二次世界大戦において海外で戦死した旧日本軍軍人・軍属・民間人約240万人のうち、日本に送還された遺体は約半数の約125万柱で、残りの約115万柱については、海没したとされる約30万柱を含め、現在もなお海外に残されたままであるという。

 日本は第二次世界大戦中に進出した東南アジア各地、インドネシア ( ジャワ、スマトラ、ボルネオ )、マライ、ビルマ、フィリピンなどで、いわゆる南方占領地切手を発行した。
 そんな中で、日本は第二次世界大戦中の占領下のフィリピンで民心を回復するために、1943年10月14日、ホセ・ラウレルを大統領とするフィリピン第二共和国の独立を認め、これを記念して1943年10月14日にフィリピン独立記念の切手3種が発行されたが、ここにかかげるのは、その無目打切手を288×139mmの大型封筒に田型で貼ったFDC。
 戦後間もなく主権を回復したフィリピンに第三共和国が成立し、1946年7月4日にはアメリカ合衆国からの独立が承認された。

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1943年10月14日に発行されたフィリピン独立記念3種の無目打切手の田型を、
288×139mmの大型封筒に貼ったFDC。 ( 60% )



 8月12日(土)
 昨日に続いて、二日連続で映画に行ってきた。
 昨年制作の韓国映画 『 ラスト・プリンセス-大韓帝国最後の皇女 』。
 日本統治時代の韓国にとっての悲劇の一つ、李氏朝鮮最後の国王、第26代の高宗の側室の娘・徳恵翁主=トッケオジュの悲運の生涯を描いたもの。
 この人の歴史上の存在を知らなかった。

 大韓帝国最後の皇太子、李垠 ( り ぎん=イ・ウン、1897 - 1970年。妃は梨本宮守正王第一女子方子 ) とは異母兄弟になる。余談になるが、戦後、在日韓国人となった李垠・方子夫妻は帰国を試みるが、日本と大韓民国の間の国交は樹立されておらず、その上王政復古を疑う李承晩大統領の妨害などもあり帰国できなかった。
 1963年 ( 昭和38年 ) に日韓国交正常化交渉が始まり、大統領・朴正煕の計らいで帰国が許されて同年、夫婦ともに韓国へ渡る。李垠亡きあとも韓国人として生涯を障害児の福祉事業に尽力した方子妃も立派だった。

 なお、「 大韓帝国 」 は、1897年から1910年までの間李氏朝鮮が使用していた国号。
 日清戦争による清国の敗戦により清の冊封体制 ( 宗属関係による間接支配 ) からの離脱により国号を変更した。

 映画祭の時などの特別の場合を除けば、二日連続は記憶にない。
 昨日の 『 ヒトラーへの285枚の葉書 』 のときに知ったのだが、アンテナを常に張っていないと良い映画を見逃す。昨日までのあと一日と聞いて、二日連続となるが出かけたのだった。

 こんな気持ちになったのも初めてのことだが、二日連続の経験で、昨日のドイツのヨーロッパに比べると日本人としてはアジアの韓国がやはり本能的に 「 肌に合う 」 というか、しっくりすることを感じる。
 そして、いつも思うのだが、時代を超えた映画には時代の再現にいつも感心する。
 時代考証を踏まえた服装や建物、調度品や器物がよく用意できるものだ。
 赤坂プリンスホテルの旧館 ( 李垠夫妻の日本での居所 ) の代わりに設定された建物はどこだろう 。 調べると、辰野金吾の設計で、1911年に建てられた国の重要指定文化財にも指定されている福岡県北九州市戸畑区にある旧松本邸であることが判った。明治専門学校(現九州工業大学)の創設者の1人、松本健次郎の邸宅であった。
 日本での後年に精神を病んだ徳恵翁主が収容されていた松沢病院 ( 日本の精神病院の草分け、東京都立松沢病院 ) の閉鎖病棟。はて、この撮影地は何処だったか。
 そして、これはCGの技法かも知れないが、1961年の羽田空港。
 こうした映画の中に登場する歴史的建築物にまつわる撮影地を知りたくなる。
 映画は、史実をベースにしながらも 「 劇化 」 のための大胆なフィクションを交えており、李垠の亡命劇はさすがに度を外した感があり、韓国でも批判があったと言うが、「 史実だけで映画を作り上げるには限界があった 」 ということは理解できる。

 徳恵翁主 ( 1912- 1989年 ) は、李氏朝鮮国王・大韓帝国皇帝高宗の王女。「 翁主 」 は、王 ( 皇帝 ) の側室所生の王女 ( 皇女 ) の称号。ただし、徳恵は日韓併合後の生まれである。
 いわば 「 人質 」 として強要されて1925年、13歳で来日、学習院入学。母の葬儀にも帰国が許されず、精神を病む。1931年、強いられて朝鮮とも縁の深かった旧対馬藩宗家の当主、宗武志と結婚。事情はありながらも、二人の仲は睦まじく、翌年には長女・正恵も誕生した。しかし一貫として母国への思いが彼女の精神を蝕んだ。その後離婚。
 戦後、李承晩の妨害などで帰国できなかった徳恵を、1950年に韓国人新聞記者金乙漢が李垠家に続いて松沢病院を訪問し、徳恵の現状を韓国に紹介し、帰国のための運動を始めた。韓国で朴正煕が実権を握ってから李王家の人物の韓国帰還運動に手を差し伸べたため、徳恵は李垠に先立つ1962年にようやく韓国に帰国した。
 この映画のクライマックスは、帰国した日のソウルの金浦空港で、帰国を知った年老いたかつての侍女達が待ち受け、名を叫び涙で地面にひれ伏して迎える光景は、思わず涙する感動の場面であった。彼女たちは長い年月を徳恵を忘れずに待ち続けていたのだった。
 徳恵の晩年は異母兄・李垠の妃だった李方子とともに昌徳宮内の楽善斎に住み、長らく病に伏したのち1989年に同所で死去した。
 そういえば、一昨日の 「 ヒトラーへの285枚の葉書 」 には涙する場面はなかった。
 涙を催す映画はアジアの映画に多く、西欧の映画には西洋の映画には少ないように思う。

 なお、大韓帝国の切手など初期の韓国切手について、2010年7月第156号 「 朝鮮近代郵便史 」 を併せてご覧ください。
 韓国朝鮮の郵便の歴史も数奇な歴史を辿っている。
 1884~1905年の国家郵政時代 ( 李氏朝鮮末期~大韓帝国時代 )、1905~1945年の日本帝国郵政時代 ( 1910年の日韓併合に先立つ、日韓通信業務合同。大韓帝国が運営していた通信業務の接収 )、1946~の南北分裂で、大韓民国郵政と朝鮮人民郵政が発足。

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映画 「 ラスト・プリンセス-大韓帝国最後の皇女 」 パンフレットの表紙。 

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大韓帝国時代の切手。( 原寸 )
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 8月11日(金)
 昨日、久しぶりで映画を見てきた。
 「 ヒトラーへの285枚の葉書 」。イギリス、フランス、ドイツの三カ国合作映画。
 主人公はドイツ人の夫婦なのだが、演じているのがイギリスの俳優とはいえ、英語であるのにはいささか違和感あった。

 原作の 「 ベルリンに一人死す 」 は、この映画のモデルとなった 「 ハンベル事件 」 に関するゲシュタポ ( 秘密警察 ) の記録文書をもとに、ハンス・ファラダという作家によって終戦の翌年に書き上げられた長編小説で、今回はそれから遙かな時を経ての映画化。
 1940年、フランス・パリ陥落に沸くベルリン。そんな中で、一人息子の戦死を知らされた夫婦が、「 総統は私の息子を殺した。あなたの息子も殺されるだろう 」 という一枚を初めに、「 ペンとカード 」 で、ナチスに積極的に協力し、あるいは盲目的に追随し、また考えもせず、あるいは諦めている多くの人々に訴える、ナチスへの抵抗運動を始める。

 ゲシュタポの必死の捜査にもかかわらず、「 ヒトラー政権では暴力が正義に勝つ。加担するな 」 「 この自由な報道を広めよう。人殺しヒトラーを止めろ 」 など、いろいろなナチス批判のメッセージを書き込んだカードをあちこちの建物の階段などに置いていく二人の命がけの行動は、二年余りも続いたが、ついに逮捕されるときがきた。
 息子を戦死で失っていることが当初から 「 犯人 」 の唯一の手がかりで捜査は行き詰まっていたのだが、職場で落としたカードが逮捕のきっかけになった。
 訊問の最後に担当警部が何枚置いたのかと問う。285枚と答えると、捜査資料として手許に集められたカードが267枚であることを明かし、残りはたった18枚だったことを告げる。いかに虚しい行為であったかをダメ押しした積もりであったのだろう。またそれは、密告社会の監視下で、人々がすっかり萎縮していたことの反映でもある。
 最後に刑の執行を暗示するギロチンに、この時代にまだギロチンによる死刑が行われていたことを知る。

 ナチス・ドイツの戦争犯罪を告発する映画は絶え間なく作られている。
 最近見たものでも 『 アイヒマンを追え 』 や 『 顔のないヒトラーたち 』 『 ヒトラー暗殺、13分の誤算 』 などがあったが、この映画を見てすぐに連想したのが十数年前の函館時代に見た 『 白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々 』 で、同様にミュンヘン大学の大学生、ゾフィー・ショルが、兄のハンスや友人のクリストフとともに反ナチス抵抗組織 「 白バラ 」 のメンバーとして、ナチスへの抵抗と戦争の早期終結を呼びかけるビラまきを続け、彼女もまた国家反逆罪により21歳でギロチンにより処刑されたのだった。

 併せて、ソ連時代のロシアで1935年に発行された近代戦の恐怖を描いた反戦プロパガンダの5枚組みの切手を掲げておく。
 上部に 「 1914-1934 」 とあるのは第一次世界大戦の開始から20年の記念の意であろう。
 下部に 「 反戦 」 とある。
 デザインは、近代戦の恐怖を象徴的に描いている。
 5コペイカの切手は、上空に垂れ込めた暗雲から雨の滴のように都市に爆弾が降り注いでいる。
 10kは、燃える町からの避難民。
 15kは、戦争の前と後として、勇ましく出征した兵士が傷痍軍人となって戻ってくる。
 20kは、剣に脅された耕作。
 35kは、戦争画策者を踏みつけての連帯。
    この頃のソ連は再びひた寄せる戦争の気配に警戒を高めていた。
 この心配はのちに第二次世界大戦中の独ソ戦として現実のものとなり、国土が蹂躙されたため多くの民間人が犠牲となり、ソ連は第二次世界大戦で最も大きい人的被害を被った。

 戦争による国別の犠牲者を記したあるサイトによれば、第一次世界大戦でのロシアの犠牲者は170万人で、ドイツの177万4千人とほぼ同様の大きな犠牲者を出している。
 第二次世界大戦での日本の死者数は軍人230万、民間人80万の合計310万人。
 ドイツの、軍人422万、民間人267万の合計689万人に対し、ソ連では軍人1,360万、民間人700万の合計2,600万人という桁外れの,数字になっている。  また、ポーランドを中心に、ユダヤ人の犠牲者が700万人以上にも上っている。

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映画 「 ヒトラーへの285枚の葉書 」 パンフレットの表紙。 判決を申し渡される法廷で顔を合わせた二人。

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ソ連時代のロシアで1935年に発行された近代戦の恐怖を描いた反戦プロパガンダの5枚組みの切手。
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 8月9日(水)
 一昨日、旅行に行く家内を朝早く札幌駅に送った帰り道、ちょうどラジオ体操の時間で、あちこちの町会のラジオ体操の会場の脇を通った。
 どこの会場も大人が中心で、それが一般的な最近のラジオ体操の風景だが、こちらのような子どもたち中心の会場は珍しい。
 今日は少なかったが、多い日には子どもたちだけでも百人近くが集まる。

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子どもたちが多く集まる当町会のラジオ体操の会場。

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 8月8日(火)
 先日道路端の緑地に出ていたネジバナ。
 勿体ないことにこのあとすぐの雑草刈りで刈られてしまった。

 今年はマイマイガの当たり年か。街路樹のニレの木が軒並み丸坊主にされている。  しかし、これだけの食害ならば相当な数の幼虫がいたはずなのだが、成虫が一向に見えないのが不思議だ。
 たった一匹を玄関で見かけたが。
 今は蛹で、これから大発生するものやら。

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 道路端の緑地に出ていたネジバナ。

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マイマイガの食害で軒並み丸坊主にされた街路樹のニレの木

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先日たった一匹を玄関で見かけたマイマイガの成虫。



 8月6日(追加)
 今年も北丘珠の曹洞峯光寺のモクゲンジがもうそろそろかと様子を見に行ったところ咲き始めている。
 あと一週間、十日もすれば満開になることでしょう。
 ただ、うっかりしていると盛りを外してしまう。
 咲きそろうと遠目にも目立つほどに木全体が黄色く染まる。

 モクゲンジはムクロジ科の中国原産の植物とのことだが、日本では本州から九州の日本海側の海岸に分布しており、自然分布か意見の分かれるところという。比較的珍しい樹木だが、山口県の牛島は島全体がこの木に覆われているという。
 本州での花期は6月中旬から7月初旬。
 英名の 「 Golden rain tree 」 は、花が咲ききったあとに金色の雨が降るようにはらはらと散るこの木の特徴を捉えている。
 葉がセンダンの葉に似るので 「 センダンボダイジュ 」 とも呼ばれる。
 本来の菩提樹とは全く別の植物だが、硬い種子は数珠に利用され ( 数珠にできるような大きさではないが )、寺院にも好んで植えられることから、菩提樹の名前がつけられたという。果実は3室の袋状で、各室に1、2個の種子ができる。

 庭のカサブランカも開き始めた。

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北丘珠の曹洞峯光寺のモクゲンジ。

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モクゲンジの花。黄色い中にオレンジがのぞく。

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庭のカサブランカ。



 8月6日(日)
 今日は広島に原爆が投下された日。72年が経つ。
 国連総会で先日7月7日、核兵器禁止条約が参加国の圧倒的な賛成で可決したが、信じがたいことに日本は今回も反対の立場から参加しなかった。

 これに先立つ昨年10月の 「 核兵器禁止条約に向けた交渉の開始を定める決議 」 の決定を受けて、3月に引き続き国連本部で開かれていた上記二回目の 「 核兵器禁止条約制定に向けた交渉会議 」 は最終日の7日、条約を賛成多数で採択した。
 「 核兵器のない世界 」 を目指し、核兵器の使用や開発、実験、生産、製造、保有などを禁止する内容で、核抑止力の根幹ともされる 「 使用するとの威嚇 」 も禁止する。
 1945年の日本への原爆投下以降、核兵器を違法とする条約が国連で採択されるのは初めてで、条約は9月20日に各国の署名が始まり、50カ国の批准を得て発効する。

 このとき、政府代表が空疎な屁理屈を並べる一方で、国連総会の場で条約の必要性、重要性を訴えた被爆者の声は議場の参加者に感動を呼び起こし、推進への大きな力となった。
 奢りと欺瞞に満ちた今の政権にはウンザリだが、このこと一つ取ってみても現政権の愚かさが見て取れる。

 今の時代にジャーナリズムの根本精神を忘れない貴重な硬骨の新聞、山口県下関市の 「 長周新聞 」 がある。
 今年の核兵器禁止条約に向けた交渉の開始を定める決議が、昨年の10月に国連本部で123カ国の賛成多数で採択されたが、米ロなどの核保有国が反対したのはまだしも、何とあるまじきことか、唯一の被爆国である日本が反対に回った。
 以下はそれに対する 「 世界に恥をさらした決議反対、唯一の被爆国が米国に同調 」 と題する長周新聞の論評。

   長周新聞は言う。『 核保有国がその軍事的な威力を振り回して他国を恫喝、支配してきたことへの国際的な批判の高まり、「 核なき世界 」 を掲げながら一向に具体的な動きを見せないどころか、新型核兵器の開発を進めるアメリカの欺瞞に対する国際世論の追撃といえる。そのなかで、世界で唯一核兵器の惨禍を経験した被爆国でありながら、孤立を深める原爆投下者の側に立って核兵器の禁止に反対する日本政府の動きは、被爆地をはじめ全国民的な世論と真っ向から対立し、世界的な潮流とも対立する恥ずべき姿として批判を集めている。 』 と。

 そして解説の後に、『 「 どこの国の政府か 」 被爆地の市民世論 』 として、市民の声を紹介している。
 少し長くなるが、事の核心を突く意見であり、以下に引用する。
 広島市内に住む90歳の男性被爆者の声。
 『 「 夜も眠れないくらいの怒りを感じている。核軍拡競争や新たな核開発は、核保有国が核を手放さないことが最大の原因だし、アメリカの二重基準を追及せずに核廃絶が進むわけがない。。
 アメリカは、広島、長崎に原爆を投下した後も、朝鮮、ベトナム、アフガン、イラクなどあらゆる国に侵攻し、枯れ葉剤などの化学兵器や小型核兵器まで使ってきた。
 四六時中、核攻撃のスイッチを持ち歩きながら “ 核なき世界 ” を説いて回る大統領の姿を見て、“ こんなものになんの期待もできない ” というのが世界の大多数の実感だろう。  日本政府は今年、オバマの広島訪問でお祭り騒ぎを演出したが、核廃絶に踏み込むどころか、逆に反対に回るという恥ずべき姿を世界に晒した。
 今後、いくら日本が “ 被爆国 ” の立場を主張しても、誰も聞く耳を持たなくなるだろう。唯一の被爆国でありながら、原爆を投げつけたアメリカの肩を持つようでは単なる属国でしかない。
 恥を恥とも思わない安倍首相は、どこの国の首相なのか 」 と怒りをにじませた 』 と伝えている。

 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式で、日ごろこれを愚弄しているような者がその場だけを取り繕うようなあいさつをするのは白々しい。
 慎しむべき神聖な場ではあるが、秋葉原の再来で帰れコールが巻き起こらないものか。

 今日のマテリアルは、原爆記念館と慰霊碑を写した絵はがき。
 1957年 ( 昭和32年 ) の消印。大阪から当時のユーゴスラビアの首都ベオグラードに送られたもの。「平和記念資料館 」 の記念スタンプ゚が押されている。

 なお、作品一覧に2007年4月117号 「 ノー・モア・ヒロシマ ピース・フロム・ナガサキ 」 ( 広島平和都市、長崎文化都市各2枚貼りの小倉謙氏宛て日本郵趣協会発の事務封筒 ) がありますので併せてご覧ください。

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原爆記念館と慰霊碑を写した1957年 ( 昭和32年 ) 消印の絵はがき。 ( 原寸 )
平和記念資料館の記念スタンプを押して、ユーゴスラビアの首都ベオグラードに宛てられたもの。
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 8月5日(追加)
 先ほど午後4時からのNHKスペシャルで 「 ドラマ東京裁判 」 ( 第1、2話連続放送。明日その続きがある ) を見た。
 実に見応えのあるドラマだが再放送で、その存在を知らなかった。
 『 ドラマ東京裁判 』 は日本放送協会 ( NHK ) の原案による日本、オランダ、カナダの合同制作のテレビドラマのシリーズで、東京裁判の判事たちの記録の手記等の資料をベースに制作され、日本で2016年12月12日~15日まで4回に渡って、『 NHKスペシャル 』 枠で放送された番組であったとのこと。

 企画段階では 『 東京裁判 ~人は戦争を裁けるか~ 』 と副題されていたというが、まさにその副題のとおり、関係国11人の判事による戦争犯罪を個人に問えるのか、それを裁く法はないというインドのパール判事主張と大方の 「 日本憎し 」 の感情が対立する。
 ナチスの戦争犯罪を追求したニュールンベルク裁判を覆すことは避けたいとするイギリス代表のパトリック判事が、代表判事のオーストラリアのウエッブ判事 ( 中立的立場を心掛けていた ) の姿勢に裁判の行方を懸念し、ニュージーランドとカナダの代表を抱き込んで、ウエッブ判事 の更迭工作が行われたことなど、知らなかったことが多かった。

 フィリピンの判事が意見を求められて、日本軍の残虐行為を見てきた者として証言が感情を交えないで話す自信がないとして意見を控えるとするなど、アジアの一員としての微妙な心情を反映したエピソードも折り込まれている。
 オランダのレーリンク判事が議論の過程でインドのパール判事 ( イギリス植民地主義に対する一抹の感情もあったろう ) の 「 公平さ 」 を訴える考え方に共感を覚えて考えを改めていく過程も描かれている。

 なお、NHKには見はぐった番組を見ることのできるNHKオンデマンド ( NHKで放送された番組の一部を、ブロードバンドインターネット接続されたパソコンやテレビで、いつでも視聴できる動画配信サービス ) という便利な手段がある。

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東京裁判の判事の中で唯一被告人全員の無罪を主張したラダ・ビノード・パール判事。



 8月5日(土)
 時の重み。ペルーのリマから、チリのサンチャゴ宛ての150年前のカバー。
 初期の紋章切手が貼られ、1861年7月23日のリマの消印が押されている。
 1861年は日本の年号では文久元年。
 この年、「 皇女和宮、徳川家茂に降嫁 」、前年には 「 桜田門外の変 」 があり、翌年には 「 生麦事件 」 があった。

 ペルーとチリのこと。
 ちょうど先月の例会で、「 南米の太平洋戦争 」 という話題が提供された。
 実はこの両国は、このカバーの年の二十年後に交戦している。
 その戦争は、何と 「 太平洋戦争 」 ( 1879~84 ) と名付けられている。
 南アメリカ大陸の太平洋岸の資源地帯を巡る戦争であり、係争3カ国の主要鉱石が硝石であったことから 「 硝石戦争 」 とも呼ばれる。

 現在のチリの北部にある港湾都市アントファガスタは当時はボリビア領で、ボリビアとチリは国境を接していた。
 それが鉱物資源を巡る軋轢から、ボリビアとチリの間に戦争が始まり、ペルーは1873年にボリビアと相互防衛条約を交わしていたため、ボリビアとともにチリと戦うことになったが海軍力に勝るチリに圧倒され、ペルー・ボリビア連合は敗北した。
 この戦争によってボリビアはアタカマ砂漠にある鉱物資源とアントファガスタの海への出口を失って、今日の内陸国となった。

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ペルーのリマから、チリのサンチャゴ宛てられた 1861年のカバー。 ( 125% )
今日ペルーとチリは海岸線で国境を接しているが、当時は両国の間に
ボリビア領のアントファガスタ地方が割って入っていた。
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 8月4日(金)
 昨日はインターネット回線が繋がらなくなり往生しました。固定電話も同一の回線を使っているもので、こちらも使えなくなります。
 マンションの他の住人に確認して、他でも同様のトラブルが出ており個別の問題でないことを知りひとまず安心しましたが、通信会社に連絡して工事による復旧は今になりました。
 原因は近くの工事現場に出入りする車輌がユニックを上げたままケーブルを引っかけて破損したのだそうで、インターネットに多くを依存している生活は、こんなことになると全くお手上げになります。

 とうに夏休みで、ラジオ体操も始まっていたのだが、今年はうっかりしていて8月になってから行き始めた。この町内会は子どもたちが多く100人近くが集まってにぎやかだ。

 今朝ウメの実を収穫した。余り大きくない木だが、それでも今年はザルに一杯採れた。  黒い斑点が出てしまったものが多く、あまり選果を厳しくすると食べるものが少なくなってしまう。梅酒を作った年もあったが、今年は全部梅干しにするという。
 長いこと次々と花をつけていたナツツバキもいよいよ終わりになったようだ。

 さて、今日の一品。
 ウルグアイのシンボル、アオサギをデザインした双子の航空切手。
 それぞれに 「 MONTEVIDEO 」、「 FLORIDA 」 と記されている。
 ただし、フロリダはアメリカのフロリダではない。
 ウルグアイの首都・モンテビデオから北に60マイル ( 約100キロ ) にある街で、モンテビデオとこのフロリダの間で1925年8月25日、この日の 「 フロリダ議会創立100周年 」 を記念して、一回だけ往復の郵便飛行が試行され、それに搭載される郵便物にこの切手が使用された。
 この特別飛行用に用意された書留切手と言う説もある。

 この切手は窓口での販売はされず、代わりに郵便局員が郵便物に直接貼付し、消印した。
 そのため、存在しないはずの未使用の切手が後に ( リプリントされたものか ) 市場に出回った。

 ウルグアイの正式名称は英語表記でOriental Republic of Uruguay。「 ウルグアイ東方共和国 」 は、アルゼンチンとの西部国境を流れるウルグアイ川の東方を意味する。
 ウルグアイの名は、先住民のグアラニー語で 「 ウルという鳥の棲む川 」 を意味するウルグアイ川にちなんで命名されたほど鳥になじみが深い。
東部の湿地帯ではサギの仲間が多く見られるという。

 モンテビデオと聞くと、ドイツの戦艦グラーフ・シュペーを思い出す。
 第二次世界大戦中に、大西洋、インド洋で通商破壊を行っていたグラーフ・シュペーは1939年12月、プラタ川河口の沖合いでイギリスの巡洋艦3隻と交戦、損傷を受けて中立国ウルグアイのモンテビデオ港に逃げ込んだが、後に脱出困難とみて港外で自沈した。

 併せて、アホウドリを描いた1928年の12枚セットの航空切手も添付しておきます。
 また 「 カテゴリー 」 に、ウルグアイ関係の二篇がありますので併せてご覧ください。

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1925年8月25日の特別飛行に際して用意された 「 MONTEVIDEO 」 「 FLORIDA 」 と記された、
アオサギの描かれたスコットNos. ♯C7-8 の航空切手。書留切手と言う説もある。

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モンテビデオからフロリダに宛てられた往路のカバー。
同年4月に発行された 「 ウルグアイ共和国の33人の創立者の上陸100周年 」 3種と、
「 立法議会の落成式 」 記念の2種を貼り、「 MONTEVIDEO 」 のアオサギが貼られている。 ( 110% )

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アホウドリを描いた1928年の12枚セットの航空切手。



 8月3日(木)
 何の用意もなくて、取り敢えず今日の穴埋め。
 7月25日に取り上げた1950年のサラワク、ジョージ6世のピクトリアル15種セットのトリバネアゲハの1cのペアと、1952年に遅れて一枚だけ発行されたサワワクの地図を描いたオレンジの10cの切手を貼ったシンプルな好ましいカバー。

 消印の擦れが玉にキズだが。
 1953年10月7日のシブ局の消印。ニューヨーク宛て。
 サラワクは南のクチンから北へ、シブ、ビンツルと主要な都市が並ぶが、ビンツルは1970年代の南洋材の積出港で、関係者には懐かしい当時よく耳にした地名だ。。
 他にもボルネオのサンダカン、バリクパパンやパンジェルマシン。フィリピン・ミンダナオ島のザンボアンガ、カガヤン、ティブンコなどの懐かしい名前が思い浮かぶ。。

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サラワクのシブからニューヨーク宛ての1953年のカバー。
1950年のジョージ6世のピクトリアル15種セットのトリバネアゲハ1cのペアと、
1952年発行のサワワクの地図を描いたオレンジの10cの切手が貼られている。
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拡大した地図の中に、クチンもシブも、ビンツルも見える。



 8月2日(水)
 面白いカバーを見つけた。
 出品のタイトルは 「 1931 JAPAN REGISTERED COVER KOBE ADVERTISING SS PRESIDENT TAFT SHIP 2 CANAL ZONE 」 とあって、上部にある記載から、米国の商船会社・プレジデント・ラインの第二代のタフト大統領号に搭載されたものであり、パナマ運河を通過したものとアピールしている。また、ニューヨーク経由とも書かれている。

 差出人は神戸の 「 同生公司 」、宛名が 「 永興大公司技行 」 で、華僑のものと見られる。宛先住所に 「 New China 」 ( チャイナタウン=中華街 ) とある。
 消印から1931年 ( 昭和6年 ) のカバーで、切手には神戸の9月25日の欧文印。ニューヨーク経由の宛先は単にクリストバルと書かれているだけで、クリストバルとはどこか。
 裏面には10月10日のニューオリンズの中継印があると言うことは、ニューオリンズで船から下ろされたと言うことか。
 とすると、ニューヨークを中継する話と矛盾する。
 クリストバルの着印も10月31日と読めて、それからずいぶん日数がかかっている。
 米国内にクリストバルの地名は見当たらない。クリストバルの名からはスペイン語圏が対象となると思われるのだが。謎だ。

 ガラパゴス諸島にクリストバル島があるが、パナマ運河から大西洋に出てしまっては最早その可能性はない。

 クリストバルのことは諦めて、ここからは、ついでに意外なことを発見したガラパゴスのクリストバル島の話を。
 クリストバル島はガラパゴス諸島の東端にある島だ。

 ガラパゴスと聞けば、絶海の孤島で、ビーグル号の航海でダーウィンが上陸して以来、人とのかかわりの薄い島とのイメージをもっていたのだが。サン・クリストバル島 ( 面積第3の島。面積は558km2で淡路島にほぼ等しい ) は1835年にガラパゴスを訪れたチャールズ・ダーウィンが最初に上陸した島であり、群島の最も古い入植地でもある。島のエル・フンコ ( 標高およそ700mにある火口湖 ) と呼ばれる湖は、群島において唯一の淡水の供給源であり、淡水を利用できることがサンクリストバル島の早期入植につながった。1880年にはサン・クリストバル島にエクアドル本土からの流刑地が構築された。ガラパゴス諸島の中心地で県庁所在地の港湾都市プエルト・バケリソ・モレノは、砂糖、コーヒー、キャッサバ、ウシ、魚類、ライムなど島の産物の積出港となっている。
 そして何より、サン・クリストバル島は空港まで備えている。
 また、人口が最も多いのは第2の島サンタクルス島 ( 面積は1,007km2 ) で、約12,000人がその郡都プエルト・アヨラ ( アヨラ港 ) に集中している。

 なお、ガラパゴス諸島は19の主な島と小さな島や岩礁からなり、最も北のダーウィン島と南のエスパニョラ島は220キロメートル離れている ( 伊豆七島の御蔵島が東京都心の南約190キロメートル )。最大の島イサベラ島の面積は4,588km2で沖縄本島の4倍近くもあり、島内のウォルフ火山は海抜1,707メートルある。

 ガラパゴス諸島は赤道下にあるエクアドル領の諸島。その名称はスペイン語でゾウガメを意味するガラパゴスに由来している。正式名称はコロン諸島 ( 「 コロンブスの群島 」 を意味する ) で、行政面ではガラパゴス県にあり、全域で約2万5千人 ( 2010年統計 ) が居住する。
 また、ガラパゴス諸島は1978年に世界で最初に登録された12件の世界遺産の一つとして登録されている。

 1990年代以降の急速な観光地化、それにともなう人口の急増により、直接的な環境汚染や撹乱、外来生物の繁殖、横行する密漁など多くの問題が持ち上がっている。これらに対して有効な対策を講じられていないと判断され、2007年6月、危機遺産リストに登録されたが、その後のエクアドル当局の取り組みが評価され、2010年の第34回世界遺産委員会で危機遺産リストから除去された。

 ひょなことからガラパゴスの意外な事実を知ることになりました。

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神戸から謎のクリストバル宛ての1931年のカバー。
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 8月1日(木)
 今日から8月。
 早速8月の原稿を張り付けました。
 「終戦直前の旅順宛て封筒 ( 併せて 「 八紘一宇」について ) 」
 終戦間近に差し立てられた旅順宛て、目黒・昭和20年7月24日消印の封筒。
 送達困難として差出人に戻されている。
 すでにこの段階では日本の周辺海域はアメリカ海軍の潜水艦部隊によって海上封鎖され、対馬海峡を渡るのさえ困難な状況になっていた。

 貼られた切手に二次昭和切手の八紘基柱の4銭があり、本文でその由来に触れている。
 八紘基柱は当時の十銭紙幣 ( 1944年 ( 昭和19年 ) 11月1日発行開始 ) のデザインにも取り上げられているので、オープン切手展よろしくワンポイントに掲げておく。
 なおこの紙幣は、意外なことに小額通貨の整理 ( 額面一円未満 ) により通用を停止する1953年 ( 昭和28年 ) 12月31日まで流通しており、軍国日本のシンボル的存在とされていただけに、戦後の使用には違和感があったろう。

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八紘一宇塔が描かれた十銭紙幣。
1944年 ( 昭和19年 ) 11月1日発行開始。
小額通貨の整理 ( 額面一円未満の日本銀行券・政府紙幣・貨幣および一円黄銅貨を廃止 ) により
1953年 ( 昭和28年 ) 12月31日の通用停止まで、戦後もしばらく通用した。
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新2016



札幌中央支部会報 「郵趣・赤れんが」掲載郵趣エッセー 2016年分 ー覧表

2016年 号数 タイトル
12月 233  南洋群島トラック島碇泊、神戸高等商船学校練習船進徳丸乗組員宛て封  3頁
11月 232  戦後日本人引き揚げ者に対する大連電話局の通信事務封緘  2頁
10月 231   関連マテリアルから知る満蒙開拓団の悲劇 ~ 映画 「 望郷の鐘 」 と重ねて ~    5頁
09月 230(1)  胆振・壯渓珠(ソーケシュ)局の消印   1頁
230(2)  手彫り切手のオーソリティ、市田左右一氏ゆかりのカバー 2頁
08月 229  入札三題、初日カバーの話 4頁
07月 228  中華郵政史 5頁
06月 227  エベレスト、第三次イギリス遠征隊にかかわるシール 3頁
05月 226  臨時北部南西諸島政庁の設置から奄美群島復帰まで 5頁
04月 225  サザーランド切手について 6頁
03月 224  東京商船学校練習船月島丸  2頁
02月 223  テレジン収容所の小包切手    2頁
01月 222  カール・ルイスの新商売    4頁


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1957年イヤーセット・ホルダーの表紙。

新 2015



札幌中央支部会報 「郵趣・赤れんが」掲載郵趣エッセー 2015年分 ー覧表

   
2015年 号数 タイトル
12月 221  再び 「 日本統治時代の台湾消印 」 について (下)   6頁
11月 220  再び 「 日本統治時代の台湾消印 」 について (上)  6頁
10月 号外  港区赤坂のアメリカ大使館と横浜にあった総領事館  3頁
09月 218  ルイス・カバーについて(下)  7頁
08月 号外  台北駅の変遷  2頁
07月 216  ルイス・カバーについて(上)  8頁
06月 215  北海道消印・アイヌ語由来の地名  4頁
05月 214  清国宛てエンタイヤ3通  5頁
04月 213  洋画家・金子博信の絵はがき  3頁
03月 212  (続)有名人の関連アイテム ~ 横山大観 ~  5頁
02月 211  伊豆の南端、石廊崎の長津呂にまつわる話 ~ 特攻兵器「震洋」の基地があったところ ~  4頁
01月 210  大学関連マテリアル 8頁


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昭和35年の網走国定公園切手発行記念FDC。

2014~

   
2014年 号数 タイトル
12月 209  戦前の台湾の風景印 8頁
11月 208  有名人の関連アイテム  6頁
10月 207  紙ものコレクション( 印紙類 )   7頁
09月 206  砲艦ツツイラ号関係カバー二点  6頁
08月 205   誌上「なんでも鑑定団」  6頁
07月 204  佐久間ダム関係マテリアル(映画「東京原発」とからめて)   5頁
06月 203  1936年、白十字会クリスマス・シール帳の完本  4頁
05月 202  船内局印(SEA POST)/ 船旅の黄金時代(その3)  7頁
200号記念誌  200号記念誌に寄せて ( 100号から200号までの時間 ) 9頁
04月 201  船内局印(SEA POST)/ 船旅の黄金時代(その2)  7頁
03月 200  船内局印(SEA POST)/ 船旅の黄金時代(その1)  5頁
02月 199  1929年中国、パリ~東京間特別飛行の航空カバー(広州~上海)   4頁
01月 198  「北海道後志支庁忍路郡塩谷村」宛ての外信絵はがき二点   4頁
2013年 号数 タイトル
12月 197  水原明窓ゆかりの二点 5頁
11月 196  日本統治時代の台湾消印 10頁
10月 195  航空機の切手(特徴ある二機種について) 4頁
09月 194  富士山、よくぞ世界遺産に 6頁
08月 193  東京・わが心の故郷、ゆかりの二点  +「東京、わが街」(8頁) 5頁
07月 192  北朝鮮の出品にまつわるエピソード 6頁
06月 191  北杜夫とファーブルと 6頁
05月 190  明治の絵はがき「駅弁売り」の図 3頁
 逓信総合博物館の閉館 3頁
別冊  台北紀行(下) 15頁
04月 189  文革関係マテリアル三題 4頁
03月 188  燕京大学関連マテリアル 4頁
別冊  台北紀行(上)( 郵政博物館と牯嶺街の切手商 ) 10頁
02月 187  切手に見られる言語と文字について(下) 4頁
01月 186  ミント・未使用・使用済み、その落差  6頁
2012年 号数 タイトル
12月 185  切手に見られる言語と文字について(中) 5頁
11月 184  中国の郵票冊、二点 4頁
10月 183  切手に見られる言語と文字について(上)  5頁
09月 182  三井物産のカバー二点 4頁
08月 181  ジャーマン・ステーツ(領邦国家郵政)とプリバート・ポスト(ドイツ民間郵便) 8頁
07月 180  1968年・北朝鮮「朝鮮民主主義人民共和国20周年記念」8種連刷 3頁
06月 179  関連マテリアルから偲ぶ「郵便友の会」(6頁)+「郵趣の楽しみ」(7頁) 13頁
05月 178  フライング・タイガース(飛虎隊)関連マテリアル 17頁
04月 177  「切手」は各国語で何という 6頁
03月 176  「北方四島」のタブの付いたボーガス 3頁
02月 175  チャールトン・ヘストン宛のファンレター 4頁
01月 174  その後のイザワ・エイジ氏 3頁
別冊  郵便以前「アイヌの郵便」 3頁
2011年 号数 タイトル
12月 173 大英帝国の版図が描かれたカナダの切手について 3頁
11月 172 ジョージ6世とその時代(英領植民地の「地誌シリーズ」) 7頁
10月 171 在満州国日本領事館のマテリアル 6頁
札幌オリンピック冬季大会の扉 1頁
2011「北海道郵趣大会in旭川」を記念して 1頁
09月 170 リビア、二つの首都 3頁
08月 169 オールド上海の建築物(下) 8頁
07月 168 オールド上海の建築物(上) 10頁
06月 167 ウォルデンブルグ収容所郵便(ポーランド) 8頁
05月 166 Lagerpost Bando(板東収容所郵便)マテリアル 3頁
04月 165 沖縄暫定切手 丸検印 1947-48(参考品) 3頁
03月 164 Red Period(赤の時代)~ アメリカ 1926-32 ~ 10頁
02月 163 インドの一番切手・シンド州切手とインド藩王国の切手 7頁
01月 162 八十余年ぶりの邂逅 4頁
2010年 号数 タイトル
12月 161 「花柳」の世界 6頁
別冊 台湾鉄路一周の旅(13頁+11リーフ) 24頁
11月 160 エスペラント関係マテリアル 6頁
10月 159 有名なシンデレラ、南モルッカ共和国の切手 8頁
09月 158 インドネシア独立時期のウィーン版の切手について 6頁
08月 157 中国人民志願軍兵士差し立てカバー二通 5頁
07月 156 朝鮮近代郵便史 6頁
新・国際返信切手券(第七様式)について 3頁
06月 155 「中国占領地域」の時代 (Ⅱ蒙疆編) 8頁
朝鮮戦争ソウル占領北朝鮮二重丸印加刷 1頁
別冊 ミニ切手展「世界各国から届いた美しい郵便物」の開催 2頁
05月 154 「中国占領地域」の時代 (Ⅰ華北編) 6頁
04月 153 一枚の絵はがきから(屯田兵について) 5頁
03月 152 リーフ解説・オランダ領東インド 5頁
02月 151 カリカチュア(風刺画) 6頁
01月 150 「御料林」「北海道模範林・公有林」のマテリアル 7頁
2009年   号数 タ イ ト ル
12月 149 一枚の絵はがきから(東京日日新聞ニッポン号の世界一周飛行) 3頁
リーフ解説 マニラ大聖堂 2頁
別冊 私の1リーフ 中国解放区の布票 1頁
私の1リーフ 戦後満州のソビエト軍票 1頁
号外 セントローレンス運河中央逆刷エラー 2頁
11月 148 一枚のはがきから(白系ロシア人にまつわる話)
~ 東京・神田の白系ロシア人の業者から、中国・青島の切手商あてのはがき ~
5頁
10月 147 一枚のはがきから(郵便配達員の殉難)
~ 併せてアイヌの郵便逓送人・吉良平治郎のこと ~
5頁
09月 146 ミニ国家と切手発行 7頁
巻頭コラム 九月、初秋の候となりました 1頁
参考資料 三船殉難事件 3頁
08月 145 リーフ解説・モンテカルロ自動車ラリー 4頁
07月 144 TWA世界一周便の就航記念カバー 7頁
1932年・ニューファンドランドの民間航空切手 1頁
06月 143 映画の中に題材あり(「ショアー」と「ヒットラーの贋札」から) 5頁
別冊付録 北海道立文書館に眠るエンタイア 5頁
05月 142 浅草凌雲閣(十二階)の絵葉書 5頁
04月 141 民信局と僑批局について 5頁
03月 140 中国の公用便「公文封」について 4頁
02月 139 ロンドン王立郵趣協会主催切手展のスーベニア 3頁
01月 138 旧制中学入試問題集から 7頁
2008年   号数 タ イ ト ル
12月 137 クリスマスシール(複十字シール) 3頁
これでも届いた??? 2頁
別冊 eBayにまつわる話 5頁
11月 136 タロとジロ、奇跡の生還(第一次~三次南極観測隊) 4頁
付録 多彩な船歴を全うした「宗谷」 4頁
10月 135 万国郵便連合(UPU)にかかわるマテリアル 4頁
09月 134 反共フランス義勇軍 4頁
号外 「税済」消印にかかわる後日談 4頁
08月 133 開道140年(北海道庁関連マテリアル) 6頁
07月 132 地震の話~中国・四川大地震から~ 6頁
06月 131 私の1リーフ 「私の好きな小型シート(8)」
「ウルグアイ・モンテビデオ切手展開催記念小型シート」
2頁
05月 130 スエズ運河国有化宣言記念切手初日カバー 4頁
04月 129 中国の特異な速達切手、「快逓郵票」について 3頁
03月 128 二人のボース 6頁
別冊資料 二人のボース「関連資料」 11頁
02月 127 フランスの香りパリの香り 4頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(7)」
「ソビエト切手発行25周年記念小型シート」
2頁
01月 126 ツール・ド・ポローニュ(ポーランドの自転車ロードレース) 3頁
私の1リーフ 「ワルシャワの人魚」 1頁
2007年   号数 タ イ ト ル
12月 125 米ソ合同探検隊のベーリング海峡横断 3頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(6)
「ベルギー、Orval修道院修復のための附加金付き小型シート」
1頁
11月 124 1970年・北朝鮮「朝鮮労働党第5回大会記念小型シート」を巡って ~ 4頁
10月 123 竹島問題(「 独島 」のマテリアルから) 4頁
09月 122 大きな大きな小型シート(ドイツ民主共和国誕生15周年記念小型シート) 3頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(5)」
「キプロスのボーイスカウト切手小型シート」
1頁
08月 121 古文書入門(挨拶状を材料として) 4頁
号外 二重丸印・利尻島局について 4頁
07月 120 1968年・北朝鮮「朝鮮人民軍創設20周年記念小型シート」(4P+資料1) 4頁+資料1
06月 119 書信往来 3頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(4)」
「ガボン、1970年航空切手のミニシート」
1頁
05月 118 私の1リーフ
「ウルグアイ/モンテビデオ~フロリダ間のFFC」
1頁
号外 あなたの誕生日は何曜日? 1頁
04月 117 ノー・モア・ヒロシマ ピース・フロム・ナガサキ 3頁
03月 116 硫黄島の戦い(Battle of Iwo Jima) 4頁+新聞2
別冊 ルーズベルトに与うる書 6頁
02月 115 私の1リーフ (エンタイヤを読む)
「満州国第二次航空切手39分一枚貼り」
1頁
01月 114 円形の切手 4頁
2006年   号数 タ イ ト ル
12月 113 私の1リーフ 「私の好きな小型シート(3)」
「キューバ・切手発行100年記念にAAMS大会加刷」
1頁
11月 112 遺愛女学校 3頁
私の1リーフ (2006年ビザなし交流から)
「北方領土択捉島からのカバー」
1頁
10月 111 (北海道会員大会展示記念)
私の1フレーム「中国解放区東北各区三題
3頁
09月 110 似ている(似通ったデザインの切手) 3頁
08月 109 バナナの話 3頁
07月 108 変形切手の原点、三角切手 4頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(2)」
(ルーマニアの正三角形シート)」
1頁
06月 107 ロングリレー/蒋介石誕生日記念印の押印20年 4頁
05月 106 記念印/東京アンソロジー 4頁
04月 105 南洋の話+資料 6頁
03月 104 私の1リーフ 「私の好きな小型シート」(ロシア十月革命40周年記念) 1頁
02月 103 ワルシャワ蜂起とポーランド亡命政権 4頁
01月 102 ウラジオストク反共政権発行「プリアムール加刷」記念貼りカバー 3頁
私の1リーフ 「ポツダム会談を伝える中国の宣伝ビラ」 1頁
2005年   号数 タ イ ト ル
12月 101 国際返信切手券 4頁
11月 100 ラトビアの地図切手について 4頁
100号記念誌 表紙+会報の名称「赤れんが」について 2頁
札幌ボタ印における手へんの「扎」について 1頁
私の1リーフ 「ロシア附加金付きミニチュア切手のフルシート」 2頁
10月 99 エルトゥールル号の遭難(日本とトルコ、友好交流の原点) 5頁
別冊資料 日本とトルコの関係史概説
山田寅次郎伝
エルトゥールル号事件のこと
6頁
09月 98 オーストラリア・シドニーとマダガスカル・ディエゴスアレスを結ぶもの(特殊潜航艇の話) 5頁
08月 97 北海道行政区画の変遷(「函館区」の時代について) 3頁
07月 96 1979年・ブルガリア「Philaserdica’79」 4頁
巻頭コラム いかに郵趣への理解を広げるか 1頁
06月 95 コロンビアの初期航空切手 3頁
05月 94 ロードス島異聞 3頁
04月 93 満州鉄道まぼろし旅行 5頁
03月 92 セラソップ・セトラックの謎 3頁
02月 91 タンヌツーバの切手 4頁
01月 90 一九七九年・香港中国切手展記念カード 6頁
2004年   号数 タ イ ト ル
12月 89 明治天皇の函館上陸記念碑 4頁
11月 88 ウラジオストク物語 4頁
「集郵」すなわち「益智」である 2頁
10月 87 函館大火(千島・択捉島別飛から函館大火を見舞う) 3頁
09月 86 誕生日へのこだわり 2頁
明治から大正へのサドル便 1頁
オークションから(函館ロシア領事館差立てのカバー) 2頁
08月 85 日の目を見なかった第1次及び2次昭和切手の原画 3頁
07月 84 有名人にかかわるマテリアル 3頁
06月 83 久米島切手のシートを巡って 3頁
05月 82 昆虫館へようこそ(蝶に関するマテリアル) 5頁
私の1リーフ 「ホワイトロシア」 1頁
04月 81 TABROMIKのラベル(ポーランドの民間航空切手) 3頁
03月 80 男爵コルヴィザール 2頁
02月 79 謝文東のドクロ切手について 3頁
01月 78 樺太の日露国境境界標について 3頁
2003年   号数 タ イ ト ル
12月 77 ハングルの勧め(ハングル表付き) 4頁
11月 76 小さな同志への手紙
(昭和18年、東郷4銭貼第四種郵便について)
3頁
10月 75 雁の便り 3頁
09月 74 偽物百科 3頁
08月 73 札幌村郷土記念館に展示された思いがけないマテリアル 3頁
私の1リーフ「ポルトガル植民地」 1頁
07月 72 シンデレラを紹介します 3頁
以下は「豊かな日々のつれづれに」に掲載
06月 71 古書目録の中に見つけた「附加金付アイヌ紀念切手発行願」 2頁
05月 70 国旗をテーマに 3頁
04月 69 エピルスの切手について 3頁
03月 68 昭和11年、北海道陸軍大演習 4頁
02月 67 シベリア出兵にかかわるチェコ軍団の切手について 3頁
01月 66 オオカミの乳を飲む双子の兄弟の不思議な像を描いた切手 3頁
2002年   号数 タ イ ト ル
12月 65 極東選手権競技大会について 3頁
私の1リーフ「エンタイアの裏側に注目」 1頁
11月 64 一通のカバーから(中国の水害にまつわる話) 3頁
10月 63 何がどうということもないのだが、多数貼りの魅力
(ニューギニアとサモアのカバー二点)
3頁
09月 62 手に入れたばっかり!最近のトビキリの入手品
(東京帝国大学附属樺太演習林)
3頁
08月 61 モーリシャス・ポストオフィス切手の記事に応えて 2頁
07月 60 マテリアルを俎上に その5
「漁師の日」記念の初日カバー
3頁
06月 59 マテリアルを俎上に その4
ブラジル1843年、牛の目
3頁
05月 58 マテリアルを俎上に その3
皇太子殿下北海道行啓紀念、下々方44-9-11
3頁
04月 57 FFCは一対のものである
日本航空・東京~札幌線深夜割引夜行便オーロラ号就航
2頁
03月 56 手に入れたばっかり!最近のトビキリの入手品
(千島択捉島年萌局留置・単冠湾碇泊農林省海洋調査船)
2頁
02月 55 中国切手研究会「これはいくら?」のコーナーから
(旅順バイリンガル偽カバーと中華民国大型公用封筒)
3頁
01月 54 郵趣にまつわる年号の話と、その関連マテリアル その2
「紀元2600年記念貯金シール」「檀紀年号」
3頁
2001年   号数 タ イ ト ル
12月 53 郵趣にまつわる年号の話と、その関連マテリアル その1
「成紀年号」「主体年号」
3頁
11月 52 千島関係マテリアル二題 3頁
10月 51 マテリアルを俎上に その2  ツェッペリン号訪日記念絵はがき 3頁
私の1リーフ「北大VS小樽商大」 1頁
09月 50 切手の図案と配色について 4頁
08月 49 映画「阿片戦争」における一場面
ペニーブラック誕生にまつわる秘話
3頁
07月 48 マテリアルを俎上に その1
ASDA(米国切手商協会)切手展のスーベニア・シート
3頁
06月 47 第一次昭和切手厳島30銭凹版切手の無目打について 2頁
05月 46 みせびらかしで失礼します その4
ロンドン国際切手展のスーベニア・シートについて
3頁
04月 45 みせびらかしで失礼します その3
帝政ロシア時代の地方切手「ゼムストーボ切手」
3頁
補足資料 4頁
03月 44 みせびらかしで失礼します その2
中国解放区・旅大区の「郵票彙編」について
3頁
別冊 別冊 独断・郵趣川柳批評 3頁
02月 43 みせびらかしで失礼します その1の(2)
中国解放区・安東第二版切手の裏面について
3頁
01月 42 トピックス(「3シリングバンコ」について) 2頁
会員紹介 1頁
2000年   号数 タ イ ト ル
12月 41 みせびらかしで失礼します その1の(1)
中国解放区・安東第二版切手の裏面について
2頁
11月 40 一寸一言(ちょっとひとこと)「深川一已」地名の由来 1頁
10月 39 郵趣に関するエッセーについて 2頁
09月 38 樺太「九春古丹・野戦局」の消印について 2頁
08月 37 「北見・利矢古丹」の消印について 2頁

日本の国技・相撲について(下)

2017年10月第243号

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来場者数
プロフィール

 木村博海 (きむらひろみ)

Author: 木村博海 (きむらひろみ)


 1949年、東京都台東区生まれ。谷中三崎町で育ち、1956年竜泉寺町に移る。
 都立白鴎高等学校、宇都宮大学農学部林学科卒業。
 小学二年生の頃から切手収集を始める。初めて郵便局で買った思い出の一枚は「関門トンネル開通記念」。大学受験を控えて収集を中断。約20年の長いブランクを経て、1987年頃から収集を再開。
 深川木場(~晴海)の木材会社に2年勤務の後、昭和50年度東京大学農学部林政学教室研究生。
 1976年北海道庁入庁とともに渡道。主に林業畑を歩み、34年間勤務。うち地方では網走、帯広、根室、函館に各三年勤務。
 2010年3月、定年退職。この間、職場の部内誌に郵趣エッセーを含め、さまざまなエッセーを投稿。
 退職後は、外国人のための日本語学習支援ボランティア活動、郵趣活動。
 JPS札幌中央支部会員。北海道漢字同好会会員。アイヌ語地名研究会会員。
収集対象: ゼネラル。特に中国、ロシア、旧東欧など。
著書(自費出版): 「豊かな日々のつれづれに」(2003年4月)

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