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2019巻頭言

 長年に亘って書き溜めてきた郵趣エッセーを集大成して、ブログをスタートすることになりました。
 この十数年来、切手収集家の団体・日本郵趣協会 ( 2011年4月1日から公益財団法人 ) の札幌中央支部に所属して、毎月の会報 「 郵趣・赤れんが 」 に欠かさず原稿を寄せてきました。それらを過去に遡って一括掲載するとともに、新たな作品をその都度、追加・更新してまいります。
 それにしても、ずいぶんなボリュームになりました。
 職場の部内誌 ( 北海道林務部 「 林 」。1952~2001 ) に寄せていたエッセーや会報の郵趣エッセーをまとめて2003年に自費出版しましたが、三百余頁の約3分の2は郵趣関係の作品が占めました。その部内誌もやがて廃刊となり、以降、書く場は会報のみとなりました。
 その後の作品を続編として二冊目の本にまとめるつもりでいましたが、区切りが付かぬままに分量は膨らむ一方で、いつしか出版は難しく感じられるようになりました。それが、今回のブログという手段によって 「 二冊目の出版 」 を実現しました。これは随時、追加・更新もできるという、出版にまさる願ったり叶ったりの方法でした。
 マテリアル ( 題材 ) は広い分野に亘っています。まずは作品一覧に目を通していただき、これはというものから適宜お読みいただければ幸甚です。
 なお、お気づきの点についてはコメント欄でご教示いただければ幸いです。
                                                                         2012年2月

                                     江戸っ子だってねェ。
                                     おう、神田の生まれよォ。いや、じいさんが神田。おやじが浅草で・・・。
                                     こちとら、江戸っ子の筈が今じゃ 「 蝦夷っ子 」 というわけでして。

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                              あの頃   昭和33年用年賀切手 「 犬はりこ 」 ( 東京の玩具 ) の渡辺版初日カバー。
                                     浅草局の初日風景印。 ( 昭和32年12月20日 )


利用に当たって

1 一覧表で見たい作品をクリックすると、その作品がすぐに表示されます。
  また、「 カテゴリー 」 を選択して国別に関連の作品を見ることもできます。
  なお、時に原稿のページに歪み ( 縦方向が詰まる ) が出ることがありますが、
  一旦他の月の原稿を開くなりすると、歪みが直ります。
  左上の矢印 (←) で一旦送り、(→) で戻すのが手軽な方法です。

2 画面を拡大すると文章が読みやすくなります。
  ツールバーの「表示」で倍率を選択。原稿は200%が読みやすい。
  これでリーフは実物とほぼ同じ大きさになります。
  ただし、原稿以外の部分は拡大すると段ズレを生じます。
  拡大した画面でクリックすると、二段階でさらに拡大されます。

3 面倒ですが印刷はページ単位で行います。
  印刷したいページにカーソルを合わせて左クリックすると、画像が一旦左側に寄って小さくなります。
  そこで 「 ファイル 」 から 「 印刷 」 をかけると、そのページが印刷されます。
  トップページの部分を印刷する場合には 「 印刷方向 」 を 「 横 」 にする必要があります。
  なお、印刷に便利なCD版 ( 文章は打ち出しで読みやすく、作品単位で連続印刷ができる ) を用意していますので、コメント欄からお申し込み下さい。

4 各ページの右下にある 「 Pagetop 」 でその月のトップページに戻ります。
  また、各月の一番後ろにある 《 前のページ ホーム 次のページ 》 を利用して、
  次の作品または前の作品を見ることができます。
  また、「 ホーム 」 でサイトのトップページに戻ります。

5 リンクは、関係項目をクリックするだけでリンク先のページが表示されます。

6 「 日本語の面白さ、日本語再発見 」 は字が小さいので、ブロックコピーして印刷いただくと読みやすいと思います。




札幌中央支部会報 「郵趣・赤れんが」掲載郵趣エッセー 2019年分 ー覧表

                         ※ タイトルをクリックするとその関連頁が開きます。
2019年 号数 タイトル
12月          
11月         
10月          
 9月         
 8月          
 7月         
 6月          
 5月         
 4月          
 3月         
 2月 258  ラブアン島の切手 ( 世界から消えた50のデッドカントリー )   4頁
 1月 258  最初期の風景印 「 熱海局 」  2頁
 *  二見郵便局の風景印  1頁


                              ※ 2018年分以前 ( ~2000年 ) の郵趣エッセー一覧は、「 写真日記 」 の次にあります。



1 コレクション コーナー

下の切手をクリックすると、それぞれのコンテンツが表示されます。

                        (1) コレクション・リーフ                (2) 新作リーフ

ハワイ数字_0001                ハワイ数字_0002
                             1859年                       1864年
                         ハワイ数字切手 1c               ハワイ数字切手 2c



2 千 島 関 係 資 料

下の地図をクリックすると、それぞれのコンテンツが表示されます。

                               千島郵便史                その他の千島リーフ

kunashiri1000.png             etorofu1000.png
                                   国後島                  択捉島





2(2) 台 湾 特 集

下の台湾地図をクリックすると、それぞれのコンテンツが表示されます。


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2(3) 全国郵趣大会2016in盛岡

下の大会資料をクリックすると、関係資料が表示されます。


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3(1) 北海道漢字同好会会報 「 ?啄 」 原稿

漢字の世界は奥深い。
漢字をいろいろな角度から眺めてみると、計り知れない奥深さが見えてくる。

下の “ 北海道漢字同好会の四つ葉のマーク ” をクリックするとコンテンツが表示されます。

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3(2) 「日本語の面白さ、日本語再発見」
(外国人のための日本語学習支援ボランティアの活動から)

下の“辞書”をクリックするとコンテンツが表示されます。

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4 過去の写真日記

(5) 2018年4月~

下の “ Diary ” をクリックすると最近の写真日記の月別一覧表が表示されます。


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(4) 2017年4月~2018年3月

下の “ Diary ” をクリックすると最近の写真日記の月別一覧表が表示されます。


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(3) 2016年4月~2017年3月

下の“ Diary ”のアイコンをクリックすると最近の写真日記の月別一覧表が表示されます。


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(2) 2015年5月~2016年3月

下の“ストック・ブック ”をクリックすると最近の写真日記の月別一覧表が表示されます。


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(1) 2015年4月~2012年4月

下の“日記帳”をクリックすると過去の写真日記の月別一覧表が表示されます。

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5 豊かな日々のつれづれに
第一部 随筆集
第二部 郵趣エッセー集

下のアイコンをクリックすると目次が表示されます。

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                                                                   (画像はクリックすると拡大します)

写 真 日 記
                                ( 画面を125%に拡大してお読みください )

 2月16日(土)
 韓国映画 「 いつか家族に 」 での売血からの連想で 「 血液 」 とくれば、切手は何でもござれ。
 2000年にオーストリアで 「 血液型発見100年 」 を記念して発行された切手がある。
 注射針の先でプッと玉になった血液がモチーフに使われていて ( A, B, O, ABや100のゼロや 「 entdeckung der blutgruppen ( 血液群の発見 )」 のスペルのoやa, g, d, b, p などの丸い部分 )、色調といい、発想・構成といい、デザインが素晴らしい。

 「 ABO式血液型 」 は最も初期に発見された血液型分類で、1900年にオーストリア・ハンガリーのウィーン大学で病理学教室の助手をしていたカール・ラントシュタイナー( 1868年 - 1943年 ) の発見による。
 いわゆる血液型は、この最も一般的な 「 ABO式血液型 」 の他、「 Rh式血液型 」 などを含め、対象となる抗原によってその後多くの型が認められている。

 血液のことに関しては、血液製剤にかかわる 「 薬害エイズ事件 」 や集団予防接種における注射針や注射筒の使い回しによる 「 B型肝炎集団感染訴訟 」( 今日の 「 給付金等の支給 」 に尾を引いている ) が思い起こされる。
 過去の 「 不作為 」( 行政がやるべきことを怠った罪 ) や、今回の 「 勤労統計の不正問題 」 など、企業寄りの姿勢に終始し、国民の生活・健康を守るという最大の使命に毅然たる態度を示せない厚生省 ( 2001年から厚生労働省 ) の体質を変える覚悟が必要であり、業務の重要性からしても決して 「 二流官庁 」 であってはならない。

 政財官の腐れ縁 ( 財 ( 政治資金 ) > 政 ( 人事権の濫用。とくに内閣人事局による官邸の各省庁の幹部人事への介入、「 忖度 」 の誘発 ) > 官 ( 許認可権限 ) > 財、という三すくみの連環 ) を断つにはやはり要になる政治が清廉であることが何よりで、いまおかしな事が次々と起こっている元凶がお粗末で劣悪な政治にあることは間違いない。
 それはまたこんな悪循環 ( 家庭 ( 虐待 ) < 教育 ( 劣化 ) < 政治 ( 貧困 ) < 家庭 ( 民度の劣化 ) ) にも繋がっているようにも思える。


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2000年にオーストリアで発行された 「 血液型発見100年記念 」 の切手。



 2月15日(金)
 韓国映画 『 いつか家族に 』 を見てきた。
 事前にはっきりしたイメージは持たずに出かけたものだが、シリアスな、あるいはサスペンス作品の多い韓国映画としては珍しいタイプの映画との印象であった。
 原作は 『 中国の大ベストセラー作家、余華原作の 「 血を売る男 」』 で 『 待望の映画化 』 とあるが、中国の余華という作家は初耳だった。
 そういえば、中国の映画も目立った動きがなく、このところすっかりご無沙汰している。

 「 なぜ 」 と考えさせる意図で筋立てされたものとも思えず、単に観客にそういう疑問が生じるであろうことへの配慮を欠いたとしか思えない作りが随所で気になった。
 いちいち指摘する気にもなれないので具体には触れないが、その杜撰さは原作が悪いのか、それとも中国と韓国の習慣や社会背景の違いを踏まえて原作の意図をうまく生かせなかったシナリオのまずさに原因があったのか。
 原作は曲がりなりにも世界的に翻訳・出版されるという大きな反響があったものというから、原因は韓国に舞台を移し損なった後者にあるのだろう。
 周囲ですすり泣きの声も聞こえたが、そんなに感動する場面とも思えなかった。

 原作にあり、映画でもテーマとして登場する売血 ( ばいけつ=金を手に入れる手段として自らの血液を有償で採血させる行為 ) がかって日本でもあったことは実際に身近なこととして承知していた。
 確認すれば、日本では1950年代から1960年代半ばまで輸血用血液の大部分を民間血液銀行が供給していたが、その原料は売血で賄われていたのだという。売血を繰り返す者の不健康な血液を 「 黄色い血 」 という表現も耳にしていた。

 原作に対する読者の書評を多く載せているサイトがあってそれらの書評を覗いてみたがどれも浮ついた書きぶりのものが多く、それらから受ける印象で原作を読みたいとも思えない。
 あとでの確認、あるいは資料としてパンフレットを買うことが多いのだが、最終日で売り切れであったためか、異例で用意がなかったのか、珍しく売られていなかった。あってもパスだったろう。

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韓国映画 『 いつか家族に 』 のチラシ。



 2月11日(月) 建国記念の日
 2月2日の 「 穿孔切手 」 の続き。
 図の 「 YSB 」 と 「 正 」 はともに横浜正金銀行使用のもの。
 支店を含めて多くのタイプがある。

 株式会社横浜正金銀行 ( よこはましょうきんぎんこう、英称:Yokohama Specie Bank, Ltd.)は、かつて存在した日本の特殊銀行。通称・「 正金 」、「 YSB 」。
 1880年国立銀行条例 (1872年) に基づいて設立された貿易金融の専門銀行。
 外国為替システムが未確立だった当時、日本の不利益を軽減するよう現金 ( 正金 ) で貿易決済を行なうことを主な業務としていた。

 戦前は中国に進出、満州開発の中枢金融機関として活躍した。第2次世界大戦中は南方占領地域へ進出して業務を拡大したが、戦後在外資産の喪失、外国為替業務停止などのため46年 「 東京銀行 」 を設立して普通銀行として再発足。横浜正金銀行は閉鎖機関として 47年に業務清算。

 この間、銀行の再編はめまぐるしかった。
 1971年第一銀行と日本勧業銀行が合併し第一勧業銀行 ( 現、みずほ銀行、みずほコーポレート銀行 ) を設立したのをはじめとして、1990年 (平成2) 太陽神戸銀行と三井銀行が合併し太陽神戸三井銀行 ( のちに、さくら銀行と改称。現、三井住友銀行 )、1991年協和銀行と埼玉銀行が合併し協和埼玉銀行 ( のちに、あさひ銀行と改称。現、りそな銀行、埼玉りそな銀行 )、1996年には三菱銀行と東京銀行が合併し東京三菱銀行 ( のちに、三菱東京UFJ銀行となり、2018年三菱UFJ銀行と改称 ) となった。

 旧横浜正金銀行本店の建物は現在の神奈川県立歴史博物館の旧館部分で、1904 (明治37) 年7月に横浜正金銀行本店として建設され、国指定重要文化財・史跡に指定されている。
 外壁に石材を使用した煉瓦造りで地上3階地下1階建ての建物は、コリント式の重厚な石造彫刻の柱頭飾りをもつ大オーダーと、正面に据えられた巨大なドームが特徴で、ネオ・バロック様式とされる威厳ある外観を構成している。

 1923 (大正12) 年9月1日の関東大震災では、1階から3階までの内装と屋上のドームを焼失したが、震災後に復旧工事が行われ、戦後まで銀行として使用されていた。
 1967 (昭和42) 年に建物のシンボルであるドームを復元して神奈川県立博物館となり、1995 (平成7) 年からは神奈川県立歴史博物館にリニューアルして保存活用されている。

横浜正金銀行
横浜正金銀行の穿孔切手。
穿孔切手は本来は表側から穿孔されていて、裏側から見ると左右が反転するが、
右から二番目の 「 正 」 の字は珍しく裏側から穿孔されていて逆に裏側から普通に読み取れる。

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旧横浜正金銀行本店 ( 現・神奈川県立歴史博物館 )



 2月8日(金)
 映画 「 ナチス第三の男 」 でナチスの悪行とチェコの悲劇を見た。
 ハイドリッヒという恐ろしい男が生まれた以上に、ワイマール憲法下でヒトラーが合法的に政権を得たという事実ほど恐ろしいことはない。煽る人間の罪と、その尻馬に乗る大衆の無責任。
 狂気の男を崇め持ち上げた当時のドイツ国民の罪は重いが、愚かな政権担当者のやりたい放題に目覚めないどこかの国もまた目出度い。

 ところで、ドイツ・ソ連の両大国に挟まれたポーランドほど国土を蹂躙されてきた国はない。
 18世紀のポーランド・リトアニア共和国の領土が三度に亘って 周囲の3大国、ロシア帝国、プロイセン王国、ハプスブルク帝国 ( オーストリア ) に蚕食された、いわゆる 「 ポーランド分割 」 に加えて、1815年にはウィーン会議によるワルシャワ公国の解体があった ( 「 第四次ポーランド分割 」 )。
 第一次世界大戦後の1919年に独立を回復したものの、1939年の第二次世界大戦勃発時にナチス・ドイツとソビエト連邦による独ソ不可侵条約 ( 1939年8月 ) の秘密協定に基づく国家の消滅の悲劇 ( 「 第五次ポーランド分割 」 ) に見舞われている。

 そのポーランドに関わって、長らく書きかけたままに店ざらしになっているものに 『 在イタリア、ポーランド第二軍団のマテリアル 』 がある。
 完成度の追求は諦めて、もうそろそろ妥協してまとめたほうがよかろう。
 その前に関係のリーフを整理して、コレクションリーフに張り付ける作業をしようか。 そうすればまとめる意欲が高まるかも知れない。

 独ソ不可侵条約を破ったドイツの侵攻で独ソ戦がはじまるとソ連はポーランド亡命政府を承認し、ポーランド人捕虜を釈放してイランのイギリス軍に引き渡したため、亡命政府はこれを指揮下に収め、国外でポーランド第二軍団が結成される。
 亡命政府下のポーランド軍は英米軍と共にアフリカ戦線、ヨーロッパ西部戦線で戦った。

 ポーランド亡命政府が亡命先のロンドンで発行した切手については、2006年2月の第103号に 「 ワルシャワ蜂起とポーランド亡命政権 」 としてまとめている。
 この他に国外で発行されたものとして、ポーランド第二軍団によってイタリアで発行されたものがあり、そのうちの一つのリーフを掲げる。
 ポーランド軍の目覚ましい活躍で有名なイタリア戦線最大の激戦地、モンテ・カシーノの戦い ( 山上の修道院に立て籠もるドイツ軍との死闘 ) をはじめ、ポーランド第二軍団ゆかりの戦場が取り上げられ、何より第二軍団を率いたアンデルス将軍が描かれている。

・ モンテ・カッシーノ。1944年1月17日から5月19日 ( 最後の激戦5月11-18日 )
・ アンコーナの戦い。1944年6月16日から7月18日
・ ボローニャの戦い。1945年4月9日から21日
そして、アンツィオの戦い ( 1944年1月22日 - 6月5日 ) があった。

 アンツィオ上陸作戦からは、ダークダックスが歌った 「 アンジェリータ 」 が思い出される。
 記憶の断片にある歌詞、
 『 アンジェリータ 今も呼ぶよアンジェリータ
 アンジェリータ アンジェリータ
 われらつわものが敵前上陸
 われらが見たのは 血にまみれた子ども
 貝がらを握りしめて 泣いている女の子
 アンジェリータ 今も呼ぶよアンジェリータ
 アンジェリータ 』 は、改めて確認すると二三番の歌詞が混じり合っていた。

 連合軍がローマに近いアンツィオに敵前上陸をした時に、親とはぐれた少女を保護した。その子は部隊のマスコットとして可愛がられたのだが、数日後、兵士とともに敵の砲弾の犠牲になったという。この話が歌にされた。
 辛い実話であり、胸の詰まる歌詞だ。

 原曲はイタリアのロス・マルチェロスというボーカルグループが歌った 「 アンツィオのアンジェリータ 」。
 第15回NHK紅白歌合戦 ( 1964年12月31日 ) でダーク・ダックスが披露し、翌1965年 ( 昭和40年 ) の発売で大ヒットしたというが、そのあたりの記憶はない。

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ポーランド在イタリア第二軍団の1リーフ。 ( 75% )
イタリア戦線激戦地顕彰切手 4種と小型シート。

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イタリア戦線関係地図



 2月7日(木)
 先取りして日記を書いていると日記ではなくなり、肝心なその日の出来事が出番を逸する。
 2月3日が節分、翌4日は立春と暦の上では春の訪れを聞く。
 北海道は冬真っ盛りで、4日からさっぽろ雪まつりが始まった。
 追って日を選んで出かけてみよう。

 さて、4日の日にもまた映画に行ってきた。
 「 ナチス第三の男 」。
 前半では、そのラインハルト・ハイドリッヒという、チェコ人にとって、ユダヤ人にとって、いや人類にとって許し難い男が組織の中で権力を握ってのし上がる過程 ( このようなおぞましい人間が出来上がった環境とその過程 ) を描き、後半は、イギリス政府およびチェコスロバキア亡命政府が送りこんだチェコ人部隊とチェコ国内のレジスタンスの連携で暗殺を達成する ( と言っても彼等も犠牲になるのだが ) までの二つの主題を描いている。

 ラインハルト・ハイドリッヒという存在はこれまで知らなかったが、ヒトラー、ヒムラーに次ぐナチス第三の男として、ドイツの政治警察権力を一手に掌握し、ハインリヒ・ヒムラーに次ぐ親衛隊の実力者となり、ユダヤ人問題の最終的解決計画 ( ホロコースト=大量虐殺 ) の実質的な推進者となった血も凍る、冷酷無比な怪物として欧米ではその名を馳せた。
 ドイツによるチェコスロバキア占領の後、ハイドリッヒが西半分のチェコ地域の事実上のチェコ総督に任ぜられて以降のプラハでの統治、抵抗者への徹底した弾圧は現代チェコ史の再暗黒次期として記憶される。

 この男の暗殺の後、ヒトラーの命によって行われた報復の犠牲になったリディツェ村の虐殺 ( 成人男性200人は全員殺され、女性や子供は強制収容所へ送られ、住民のいなくなった村は更地にされた。このほか報復の犠牲者は 1,300人にも及んだ ) はナチズムへの敵愾心の象徴となった。

   なお、チェコスロバキア共和国亡命政府が発行した小型シートを載せておく。
 1940年、第二次世界大戦勃発にともない、ロンドンにベネシュを首班とするチェコスロバキア共和国亡命政府が成立した。
 その亡命政府が1943年にロンドンで開催したチェコスロバキア切手展を記念して発行した小型シート。
 1943年11月、チェコスロバキアの独立25周年を記念したチェコスロバキア切手展が亡命政権の後援により、グロブナープレイスで多くの政府関係者が出席して開催された。
 一番上の切手には、第一次世界大戦のときにチェコスロバキアの独立のために戦った、 ( 左から ) エドヴァルド・ベネシュ、トマーシュ・マサリクとステファニク将軍の三人が描かれている。マサリクは共和国の最初の大統領 ( 在任:1918年 - 1935年 ) となった。

 チェコスロバキアは、第一次世界大戦後の1918年に独立、第二次世界大戦後の1948年からは共産党の一党独裁制によるソ連型社会主義国となり、1960年から1989年まで、国名は 「 チェコスロバキア社会主義共和国 」。ソ連の崩壊により1992年に現在のチェコ共和国及びスロバキア共和国に分離した。

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映画 「 ナチス第三の男 」 のパンフレットの表紙。
「 HHhH 」 のモチーフは、原作となったローラン・ビネの小説 「 HHhH プラハ、1942年 」 による。
「 Himmlers Hirn heiβt Heydrich ( ヒムラーの頭脳はハイドリヒと呼ばれる )」 の頭文字をとったもの。

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チェコスロバキア共和国亡命政府が1943年にロンドンで開催したチェコスロバキア切手展を記念して発行した小型シート。 ( 90% )
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 2月5日(火)
 いろいろな物が出てくる。
 台湾・澎湖島消印の書状。
 日付は10年の8月9日で、田沢3銭は大正10年なのか昭和10年なのかが悩ましい。
 そこでC欄の時刻表示に着目する。
 「 前0-8 」 は内地のZ型と同じ時期のもので、昭和10年と判明する。

 それはともかく、裏面の差出人の記載に 「 大日本第三駆逐隊汐風 」 とある。
 乗組員の中身の文面から、第三駆逐隊の駆逐艦・汐風は澎湖島を基地に、対岸の中国方面のパトロールに当たっており、上陸することもあると書いている。
 夏の盛りで、澎湖島の暑さを 「 焦熱地獄 」 と表現している。

 ここに、旧海軍から海上自衛隊の艦艇まで、日本の軍艦全てを収録した貴重な資料となる本がある。「 聯合艦隊軍艦銘銘伝 」( 片桐大自著、光人社。昭和63年 ) 600余頁。
 「 全860余隻の栄光と悲劇 」 とあるとおり、艦名の由来、竣工から活躍、その最後 ( 多くが戦没 ) まで、各艦艇ごとにその来歴が印されている。

   著者略歴によれば、片桐大自は昭和2年長崎県生まれ。旧制五高理科に入学し造船将校を目指すも終戦。転じて東大文学部卒。出版社で国語教科書の編集に携わり、管理職を歴任ののちに独立。当時開催されていた漢字読み書き大会で一位を重ねた。著書多数。

 これによれば、駆逐艦・汐風は、峰風型の八番艦として大正10年に舞鶴工廠で竣工。
 太平洋戦争開戦時には空母の護衛に当たり、フィリピン、ジャワ、スマトラ、ビルマの攻略作戦に参加。
 昭和17年のアリューシャン作戦で、アッツ、キスカ方面にも出動。以降、長く南西方面艦隊で内地と台湾間の船団護衛に従事。
 終戦時まで生き残った数少ない艦の一つで、戦後は復員輸送に当たった。
 峰風型15隻のうちで戦没を免れたのは 「 沢風 」 と二隻だけであった。

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澎湖島郵便局の消印。昭和10年の8月9日。

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「 大日本第三駆逐隊汐風 」 乗組員の書状。
( 画像をクリックするとそれぞれに二段階で拡大します )

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「 聯合艦隊軍艦銘銘伝 」( 片桐大自著、光人社。昭和63年 )。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 2月4日(月)
 昨日ウクライナから落札品が届いた。
 ウクライナ北西部のルーツクから。

 国際郵便追跡サービスによれば、1月15日に地元郵便局で 「 引受 」 、21日に首都キエフの 「 国際交換局に到着 」。国内でまず6日を要している。翌22日には 「 国際交換局から発送 」( 次は日本に向けた航空機に搭載される筈 ) となっていたが、ここからが長かった。なかなか次の表示が表れない。

 「 発送 」 から一週間も経った頃、売り手に遅れている状況を伝えると、もう少し様子を見て欲しい旨の連絡があり、了解の旨を伝えると 「 辛抱を感謝 」 された。
 31日になってようやく日本側の国際交換局である 「 川崎東郵便局に到着 」 の表示が出て、「 通関手続き 」 を経て翌2月1日に 「 国際交換局から発送 」、2日に地元・「 丘珠郵便局に到着 」 となって、翌3日の配達となったもの。

 トータル20日ほど掛かっている。これは通常の1週間から10日に比べると掛かりすぎで、やはりウクライナ国内での6日、おまけにウクライナの発送から日本到着までが9日も掛かっている。どこでどうして遊んでいたものやら。

 時間が掛かったにしろ結果的には届いたから目出たしではあったものの、久しぶりに気を揉まされた一件であった。

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ウクライナから届いた書留郵便。現行の紋章の通常切手がたくさん貼ってある。( 原寸 )
切手の下、住所ラベルの上に 「 ℓnouiℓ 」 と見えるのは 「 ヤポニヤ 」 で日本。



 2月3日(日)
 過去と現在を絡めて ( というより、演出効果としてでもあるのだろう 「 錯綜させて 」) 進行させるこうした手法に名付けられた専門用語があるのだろうか。
 見たあとで、複雑に絡んだストーリーをうまく語れない映画がある。
 演出効果の上から、意図的に巧妙に、暗示や間接的な方法で敢えて分かりづらくしている映画がある。
 そんな映画の典型的なもの。

 いつものドキュメンタリーや、鑑賞後に爽やかな、晴れやかな、暖かな印象が残る、あるいは新たな示唆や知見を得る有益な映画と違って、珍しく恐い物見たさか、「 赤い雪 」 という、タイトルからして不気味な映画を見てきた。

 論語の 「 子は怪力乱神を語らず 」( 孔子先生は、非現実的なことや暴力的なこと、道理にそむき世を乱すこと、ありもしない神秘的なまやかしなど、理性では説明のつかないようなこの4つの言葉は口にしなかった ) ではないが、敢えてストーリーを語ることもしたくないが。(ウソとはぐらかしと詭弁だらけの答弁が空回りする最近の国会中継を見る気にならないのは、同様に思わせられるためだろう )

 ただ、この映画を通じて印象づけられた、虐待を受けた子どもに残る傷の深さと、嘘をつき、殻に閉じこもる子どもの自己防衛が、昨今の風潮とも重なって余りにも悲しい。
 子役に演技とはいえそんな辛い役を演じさせることすら惨く、見るに忍びがたく堪えがたい。
 このほど女児の虐待死亡事件では、野田市役所と児童相談所の思慮に欠けた間抜けな対応があったらしいが、子どもを救う使命を帯びた重大な最前線が、覇気も侠気も熱意もない職員の吹きだまりの職場になっているのではたまらない。
 平然と言い訳がましく会見に臨んだ幹部の様子を見れば、上下一丸となった協力体制もない情けない組織になっているものと想像される。

 ウソとはぐらかしと詭弁だらけの連中が、嘆かわしい現状をどれだけ心に止めているものやら。

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映画、「 赤い雪 」 のポスター。
主人公の二人 ( 子どもの頃に弟を失った兄と、犯罪者の母親に虐待されて育った娘 ) に共通するのは 「 口をつぐんだ罪 」。



 2月2日(土)
 郵趣の世界 ( フィラテリー ) は切手そのもの自体の他に、封書やはがきとして実際に使われたもの ( エンタイア ) を対象にしたり、消印に着目した収集 ( マルコフィリー )、また切手のデザインで分類して集める ( テーマチク ) など様々な切り口があって、いろいろに楽しみを見出すことができる。これが古銭収集などでは「即物的」で、その物だけというので幅がない。
 そして何より、切手は歴史や博物学に通ずる幅広い知識の源泉ともなっている。

   そのいろいろな切り口の一つに穿孔切手がある。  その貴重なガイドブックとしてのカタログに、鳴美から出されている 「 日本記号入切手カタログ」( 2010年 ) がある。
 「 記号入切手 」 の呼称は聞いたことがなかったが、郵趣協会発行の小冊子 『 最新もの知り切手用語集 』 には 「 記号入り切手 」 として説明があって、 「 官庁や会社で切手の盗難や私用を防ぐ為に、郵政当局の許可を得て、団体の略号やマークを穿孔、エンボス、押印などを施した切手。使用者管理記号入り切手ともいう 」 とある。
 「 穿孔切手 」 は 「 記号入切手 」 の一種であるという訳だ。

 「 日本記号入切手カタログ 」 には多くの種類が再録されているが、これらをよく集めたものと感心したが 「 郵政当局の許可を得て 」 とあるから使用のための登録申請があった筈で、関係資料 ( 登録簿 ) が確認できれば細大漏らさず採録できるという訳だ。  事実、それまで野放しで使用が先行していた穿孔切手に、明治41年 (1908年) の逓信省令で申請が義務づけられている。
 そして昭和36年 (1961年)、穿孔切手はメータースタンプにその役割を譲って51年8ヶ月の歴史を終えた。

 穿孔の図柄はローマ字からカタカナ、漢字、数字、商標などと多彩で、ざっと数えて掲載数は800種類に及ぶ。
 図の錨のマークが穿孔されたものは海軍関係の官庁で幅広く使用された。
 漢字一つ 「 光 」 は、日本橋の平井光三郎商店。
 「 まる一 」 の商標は日本橋坂本町の、副島延一商店のものと分かった。


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海軍関係の官庁で使用された錨マークの穿孔切手。
漢字一つ 「 光 」 は日本橋の平井光三郎商店。
「 まる一 」 の商標は日本橋坂本町の副島延一商店。

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「 日本記号入切手カタログ」( 鳴海、2010年 )



 2月1日(月)
 今日から2月。
 いつもながらに感じることだが、新しい年は明けてからが早い。

 二月の原稿は 「 ラブアン島の切手 」。
 かつてのオランダ領東インド、いわゆる蘭領東インドは今日のインドネシアの領域だが、そのカリマンタン ( ボルネオ島 ) の北部は英領北ボルネオのサバで、今日のマレーシア連邦サバ州。ラブアン島はその沖合い10キロ、ブルネイ湾の入口に浮かぶ伊豆大島より少し小さいくらいの島である。
 太平洋戦争で日本軍が南方各地に進駐する中、ここも開戦翌年の昭和17年に占領され、ボルネオ守備軍司令官だった陸軍中将・前田利為 ( としなり ) に因んで、島名も前田島に改称された。

 日本軍占領下のラブアン島でも現地の切手に加刷を施した暫定的な占領切手が発行されたようだが明確に認知されておらず、図には英領北ボルネオ時代の 「 LABUAN 」 と加刷した1897-90年発行の切手を取り上げた。
 ワンポイントにこれとは別の1899-1901の4枚組みのLABUAN加刷を掲げるとともに、作品の中に出てくる、目黒区立駒場公園内にある1929年(昭和4年)竣工の旧・前田侯爵邸の写真を貼り付けておく。

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英領北ボルネオ時代の1899-1901の4枚組みのLABUAN加刷切手。
( 画像をクリックするとそれぞれに拡大します )

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目黒区立駒場公園内にある1929年(昭和4年)竣工の旧・前田侯爵邸。 東京都指定有形文化財。



 1月30日(水)
 16日の本欄で、届いた郵趣雑誌の 「 スタンプマガジン 」 の2月号にルイス・カバーが取り上げられていたので、そのあとルイス・カバーを話題にした。

 今度は一昨日届いた 「 郵趣 」 の2月号から取材して。
   シリーズ 「 拝見!10枚の愛蔵コレクション 」 の今月は、「 郵便を届ける鉄道の切手 」 として、郵便列車がテーマに取り上げられている。
 筆頭に掲げられたのは、アメリカで1913年に発行された小包切手 ( Qナンバー ) 12種セットの中の一枚として発行された5セントの郵便小包専用切手。
 これは、2011年3月第164号の 『 Red Period(赤の時代)~ アメリカ 1926-32 』 の関連リーフで紹介した。

 ここでは郵便列車に限定されているので対象にならないが、単に機関車の切手となればその対象は厖大になる。
 機関車の切手の切手となれば1930年のスペインの名品、第11回国際鉄道会議記念の大セット ( 2図案13種と横長の特別配達用の一枚 ) と、1935年のドイツの鉄道百年を記念して発行された4枚セットを挙げたい。

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1913年のアメリカの小包切手12種セットの中の5セントの郵便小包専用切手。 ( 200% )

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1930年のスペインの第11回国際鉄道会議記念の大セット。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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1935年のドイツの鉄道百年記念の4枚セット。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 1月27日(日)
 穏やかな夜はキツネの天下。
 その活動ぶりが翌朝の雪の上に見て取れる。
 川に沿って積もった雪の斜面にいく筋もの足跡が付けられている。

 今日は午後から台湾の会へ出かけた。
 出席者は10人、うち台湾の人が3人。
 インフルエンザが流行っている。インフルエンザはまさに 「 流行感冒 」。
 最近は聞かなくなったがかつては日本でもインフルエンザというよりも 「 流行性感冒 」 が一般的で、略して 「 流感 」 という語もあった。
 鳥インフルエンザは 「 禽流感 」。こちらは 「 流感 」 を使っている。
 「 禽 」 は 「 家禽 」 の 「 禽 」 で、「 禽獣虫魚 」 の 「 禽 」。
 ワクチンは 「 疫苗 」。流行り病 ( 疫 ) の抗原 ( 苗 ) を植え付けるというイメージ。

 今話題のポリフェノールが抗酸化作用と免疫力を強化することで風邪の予防になるらしい。チョコレートが風邪の予防に効果的か。
 そのポリフェノールは 「 多酚 」。接頭辞 poly-は確かに 「 たくさんの 」 意味で意訳すれば 「 多 」。「 酚 」 は石炭酸でこちらも確かにフェノール。
 ミカンの皮 「 陳皮 ( ちんぴ )」 は漢方で風邪薬とされた。
 「 陳皮 」 は日本では七味唐辛子の原料の一つとしてのイメージが強い。
 さて、七味唐辛子。入りますものは、唐辛子に山椒、麻の実、黒胡麻、けしの実、青のり、陳皮とござい。

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上流側に二筋の足跡。二匹か、それとも往復のものか。

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上流側から橋の下を抜けて下流側の斜面に、そして対岸にもいく筋もの足跡が。



 1月26日(土)
 降りも降ったり、60cmを超える積雪量。それでも平年よりも少し少な目であると言うが。
 今年もそろそろ雪まつりの時期を迎える。
 大通会場は2月4日 (月) から2月11日 (月・祝) までの8日間。
 子どもたちが雪で遊べる丘珠空港近くの 「 つどーむ会場 」 は1月31日 (木) から2月11日 (月・祝) の12日間。
 すでに大通会場には郊外からの雪が搬入され、雪像制作が始まっている。

 今年の大雪像は例年の有名建築物とは異なり、種も尽きたか、漫画チックなのが気に入らないが、台北駐日経済文化代表処札幌分処主催の5丁目の台湾のコーナーの大氷像のテーマは 「 玉山と高雄駅 」 という。
 高雄駅は現在の近代的な高雄駅ではなく、日本統治時代の1940年に建設された旧駅舎で、台湾新幹線や地下鉄に伴い、2002年8月に台車に乗せて東南方向へ82.6m移動させる移築工事 ( 曳家 ) が行われたという。
 バックには玉山 ( 旧・新高山 ) が配されるという。

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雪景色。



 1月25日(金)
 ルイス・カバーのバーチャル・コレクションを 「 1コレクション・コーナー 」 の 「 (1) コレクション・リーフ 」 の 「 64 ルイス・カバーのバーチャル・コレクション 」 に張り付けました。
 こうしてみると、ルイス・カバーが外地 ( 台湾、樺太、朝鮮、南洋などの戦前の海外領土 ) に留まらず、外国にまで及んでいたことに改めて驚く。ティン・カン・メールまで含まれている。
 やはり全貌を知りたいという思い駆られる。

 なお、南洋の風景印カバーに関わって、2006年4月第105号の 「 南洋の話 」 をご覧ください。

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南洋・サイパンの風景印カバー。



 1月24日(木)
 先日、カール・ルイスのカバーについて触れた。
 ルイス・カバーについては、2015年7月の第216号と、9月の第218号に 『 ルイス・カバーについて 』 として(上)(下)二編にまとめ、それぞれに図版をいくつか添付している。
 ルイス・カバーは戦前横浜に住んだアメリカ人、カール・ルイスの工房で作成された、肉筆画をカシェに用いた日本趣味の手の込んだ一連のカバーで、主に外国人の蒐集家に販売され、その数およそ2万5千点に及ぶと推定されている。

 それらは、以下のように大別される。
1 初期のエンタイヤ : 肉筆画入りの初日カバーというルイス・カバーの定番が確立される前のもの。
2 初日カバー : 昭和9年の第15回赤十字国際会議記念の4完貼を嚆矢とし、昭和16年の二つの台湾国立公園切手を掉尾とする初日カバー。これらはそれぞれに惚れ惚れする肉筆画が描かれている。
3 風景印カバー : 国内および外地 ( 台湾、朝鮮、樺太、南洋 ) のものがあり、肉筆カシェのないものもあるが、素晴らしい肉筆カシェの描かれたものも多い。
4 船内印カバー : 日本郵船太平洋航路の氷川丸、秩父丸、浅間丸、平安丸、龍田丸、日枝丸の6船。肉筆カシェはなく、船内風印のみ押印。
5 富士山カバー : 富士山を愛したルイスが大量に制作した富士山山頂局の風景印を押したカバーで、2の初日カバー、3の風景印カバーとともにルイスカバーを代表するカバー。 6 記念カバー : ルイスが博覧会などを訪れた際、自分で特印を押して作成したもの。
7 米国船内印カバー : 横浜に米国船が入港・碇泊する度に、ルイス自身が船を訪れて作成したものとされる。

 これらの中で、ワンポイントに掲げるような良い物をいくつか持っていたが、その後処分してしまった。
 かつてルイス・カバーを多数掲載したサイトがあって、そこから珍しい多くをコピーしている。
 今回それらを整理してバーチャルコレクションとして、コレクション・コーナーにスライドショーとして張り付けておく。

 ルイス・カバーは、切手展では、例えば 「 富士山 」「 国立公園 」 などのテーマチックの中での関連材料として用いられることはあっても、ルイス・カバー自体を対象にした作品は余りにも単純すぎて作品にはしづらいのだろうが、ルイス・カバーのいろいろを網羅したコレクションを見てみたいものだ。
 ルイス・カバーのコレクターのどなたかが、賞は度外視して、例えば 「 ルイス・カバー1933-41 」( ルイスカバーの制作時期は1933年から41年 ) などとして披瀝していただけないものか、リクエストしたい。

 ルイス・カバーは今日ではどれも高額で収集には相当な負担を強いられる。  いっそこのようなバーチャルコレクションというのも、まさにルイス・カバーの肉筆画のカシェを純粋に美術的観点から楽しむという意味合いからすれば、意義あるものと言うべきだろう。
 バーチャルコレクション ( コピーを集める ) は、かつて千島に熱を上げたときに思いついたもので、それらは 「2 千島関係資料 」 のホルダーに収めている。

 同様の美術的観点という存在では、有名な川瀬巴水の木版画による渡辺版の美しいFDCがあり、これもバーチャルコレクションの対象にしたいところだ。
 渡辺版の初日カバーについては、2016年8月の第229号の 「 入札三題、初日カバーの話 」 で取り上げている。

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富士山カバー。 ( 原寸 )

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風景印カバー。鎌倉長谷。肉筆カシェのないもの。 ( 原寸 )

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外地風景印カバー。樺太、豊原。 ( 原寸 )



 1月21日(月)
 今日はシーズンに何回かの猛吹雪。
 千歳空港の空の便も欠航で大変だろう。

   昨日のお年玉年賀はがきの当選番号の発表で、お年玉切手シートの当選本数が今年は100本に2本から3本と当たり易くなっている。
 届いた年賀状の枚数からすれば3,4枚は当たってしかるべきところだが、結果は2枚でした。
 悔しい一番違いというのが5枚もあった。
 早速郵便局に行ったついでに貰ってきた。

 今年も何か仕掛けがあるのではないかと、裏を返すと今流行のレザーカットで「LUCKY HAPPY」と打ち抜いてある。
 平成最後の年でもあって、「平成31年」と目立たせている。
 左下の6つの小さいハートはカラーマークの代わりなのだろうか。

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今年のお年玉切手シート。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 1月20日(日)
 今日は郵趣会の例会日で、午前中の例会の後は札幌地下街のいつもの場所で昼食会、その足で、今日が最終日だというので、北海道立文学館で開催中の大本靖の版画展に寄ってきた。

 今月の原稿 『 最初期の風景印 「 熱海局 」』 で話題にした封書に貼られたのが額面1銭5厘の国内はがき用料金の年賀切手だけで、米国宛の国際料金にそぐわないという指摘を受けたのは全く迂闊であった。
 昭和12年の正月段階の国際書状料金は10銭であり、これでは届かない。それにしても、記念品として意味合いで作成したというには、ずいぶんと手の込んだシロモノであった。
 まあ、熱海の風景印をきっかけに、風景印の歴史を紐解くことになったのはせめても良い機会になった。  それはともあれ、今日の例会の話題の一つに、今日が当選発表日のお年玉付き年賀はがきの年賀切手のシートの話があった。帰って早速当選番号を確認したが、これまで100枚に二本であったお年玉切手シートが、今年は3本になっていたのが意外であった。  明日になれば現物を手にする事ができるのだが、日本郵便の関係サイトから今年のお年玉切手シートの予定デザインを載せておく。  今年お年玉切手シートも、すでに販売されているイノシシをデザインした年賀切手とは異なる、招き猫の図案になっている。

 それとともに、今年は二度のチャンスがあって、4月20日の郵政記念日にダブルチャンス賞の賞品としての 「 特別お年玉切手シート 」 の抽選番号が発表されるのだという。  その当選本数は1万本だそうで、当選確率は如何に。
 2003年の発行 ( 平成16年用 ) 44億6千万枚をピークに減り続けているお年玉付き年賀はがきの今年2019年分の発行枚数は24億枚と言うから、当選確率は単純計算で24万分の一となり、100万枚につきたった4枚。このことからすれば、総桁6桁のクジ番号が4つ発表されることになるのか。
 その 「 特別お年玉切手シート 」 にはシリアル・ナンバーが振られるそうで、当選確率による希少性からしてどのくらいのプレミアムが付くことになるものやら、発表後のヤフオクの動向を野次馬的に注目したい。

 ただ、年賀切手のシートと同様、この年賀切手特別シートも当選賞品の他にシリアル・ナンバーのないものが販売されるということだが、こちらも当選本数と同数の1万シートと少なく焼け石に水で、ヒートアップしそうな情勢だ。
 「 特別お年玉切手シート 」 のデザインなどの詳細が、すでに日本郵便のプレス・リリースとして公表されており、額面500円の切手を二枚収めたものとなっている。

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4月のダブルチャンス賞の賞品として予定されている 「 特別お年玉切手シート 」
( 日本郵便のプレス・リリース )。

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今年のお年玉切手シート ( 日本郵便の関係サイトから )。
「 発行される切手シートと色等が異なる場合がある 」 と断りが入っている。



 1月16日(水)
 もう一月も半分が過ぎた。
 「 日記 」 といっても、そう私的な話題を取り上げる訳にもゆかず、話題に窮することもある。そこは郵便趣味のブログだから、切手に関する題材が基本にある。
 昨日、定期購読の郵便趣味の雑誌 「 スタンプマガジン 」 が届いた。
 2月号の記事の一つに 「 カール・ルイスってご存じでしょうか? 」 として、昭和の初期、横浜で浮世絵風の日本画を肉筆でカシェに描いた初日カバーなどを主に外国向けに販売してその素晴らしいカバーを多く残した、戦前に横浜に住んだアメリカ人・カール・ルイスのことを取り上げた記事が目を引いた。
 カール・ルイスのことは、2015年7月の第216号と9月の第218号に 『 ルイス・カバーについて 』 として(上)(下)に亘って書いている。( 明日の話題に )

 それはともかく、面白い存在を知らされた。
 オーストリアの珍奇な切手。発行国と額面だけが 「 迷路のような文字 」 で暗号のように印された、「 デザインに凝りすぎて発行国も分からない迷惑な切手 」。
 謎解きの答が 「 ÖSTERREICH62CENT 」。
 イーベイの出品の中に探そうと思ったが、手がかりが国名だけでは範囲が広すぎる。
    そこで、ダメ元で 「 AUSTRIA 62 」 で検索してみると、意外にこれですぐに見つかった。  初日カバーのように見えるが、出品のタイトルに 「 2015, Österreich, MK 」 とあり、マキシマム・カードと知れる。手短かに言えばマキシマム・カードは初日カバーのハガキ版。
 初日の記念印によれば、発行日は2015年の1月21日。
 「 迷路のような謎の文字 」 を観察するには打って付けのカシェになっている。

 余談になるが、16文字、実質は14のアルファベットのうち、Tが3個、Eが3個、Cが2個、Rが2個と複数使われている文字の多いこともこの謎の文字を発想するきっかけになったのではないか、などと思える。

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オーストリアで2015年に発行された、発行国と額面だけが 「 迷路のような文字 」 で
暗号のように印された切手 ( 左下 ) のマキシマム・カード。 ( イーベイからの借用画像 )。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 1月14日(月) 成人の日。
 今朝、道内でなうての寒冷の地、旭川市の江丹別 ( えたんべつ ) でマイナス29.8度を記録したとのこと。冷え込んだ。
 江丹別も 「 エ・タンネ・ベツ ( 頭・長い・川 )」「 エタンプ・ベツ ( 漂う・川 = 船が転覆して漂った )」 などいくつかの解釈がある。

 快晴の朝の光が眩しい雪原に、キツネが縦横無尽に歩き回った足跡が残されている。
 キツネの足跡は淑やかに一直線になる。雄ギツネもしゃなりしゃなりと歩くのか。

 昨日は、この日の 「 教育 」( 今日行く ) で、美術展の三本立てで出かけてきた。
 一つは知り合いが所属する日本画教室の作品展。沢山の好ましい作品が並ぶ中で、装飾的で平面的で印影を付けないという日本画の特性というものに改めて気づかされた。

 二つ目は、先日もと同僚との偶然の出会いで知った 「 小原道城書道美術館 」。
 それまで知らなかった場所で、道内を代表する書家の一人、小原道城氏の作品とともに、小原氏が長年かかって収集した拓本や、大家の作品、水墨画、文房四宝 ( 筆・墨・硯・紙 ) や関係書籍のコレクションを展示している。
 年に数回特別展も企画されており、現在は第17期の小原氏の師にあたる 「 書家・青沼秀鳳の偉業展 」 を開催中で、昨年の第16期は 「 松浦武四郎と幕末・明治 北海道ゆかりの人の書展 」 のあったことを知った。開設から5年になるというから、特別展が年3回ほど開催されていることになる。

 三つ目は、サッポロファクトリー ( 日本初のビール生産が行われた 「 開拓使麦酒醸造所 」 以来のサッポロビールの 「 札幌第一工場 」 エリアの再開発による複合商業施設 ) のイベント会場で開催中の 「 山本二三展 」。
 山本二三 ( やまもと にぞう ) はジブリ作品をはじめとするアニメ作品のリアルな背景画や絵本など幅広く多くの作品を手がけてきた人で、その原画展。どれも幅30~40 cmほどの作品だが、アクリル絵の具を使ったその絵の精密さ、見事さに感服した。

 曰く、仄暗い青灰色の夜の帳に包まれて灯る明かり、窓から漏れる明かり、室内のさまざまな調度品、月明かりに照らされた静謐な街の屋根、落ち着いた町並み、陽光と木漏れ日、みずみずしい照葉樹の照り映える緑、葉の上に光る露、夕焼けに染まる雲、大木の枝張りと絡んだ根、金属の光沢、光るレール、木の木目、岩や木の質感・重量感、水の透明感、霧の情景、降り積もった雪、燃えさかる炎。
 それらが写真以上の、いや写真では表せない現実感。その克明さ、立体感、その俯瞰の見事さ。こんな絵が描ける人がいたということに、ただただ驚く。

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雪原に縦横無尽のキツネの足跡。

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「 第24回 みなもの会新春展 」 会場風景。

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「 小原道城書道美術館 」 の入館券。

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「 山本二三展 」 の入館券。



 1月13日(日)
 先週のアイヌ文化の勉強会「 アイヌ文化を読む会 」で使われているバチェラーの 「 アイヌの炉辺物語 」で、今回は 「 巫術 ( ふじゅつ )」 の話だった。
 科学 ( とくに医学 ) とかけ離れた世界に共通して、アイヌの社会でもシャーマン ( 巫師・祈祷師 ) は欠かせない存在であった。
 アイヌ語でトゥス・クル、樺太アイヌ語でサマン・クル ( シャーマン )。神との仲立ちのできる人で、神のご託宣を伝える役目を担う。
 いわゆる 「 呪い ( まじない )」 であるが、「 呪い 」 は 「 のろい 」 とも読む。これは表裏一体の言葉で、一方で相手に掛けた 「 呪い ( のろい )」 を、一方で 「 呪い ( まじない )」 によってこれを防ぎ、これを解く役割を果たす。
 先生の話はいつもながらに淀みなく限りない。

 アホウドリとキツネの頭骨は薬として削り取った粉をお湯に入れて飲んだこと。
 かれらの世界にも呪術的な裁判法 ( 神判 ) である 「 盟神探湯 ( くがたち )」( 熱湯の中に手を入れさせ、正しい者は火傷せず、罪のある者は大火傷を負うとされる。 ) があったことなど。
 テキストに、カピウ ( かもめ ) のことが出てきた。その名は鳴き声からきているとのこと。あとで、カモメは「増毛の語源となった 「 マシ 」 があるが」と問うたところ、それもあるが 「 カピウ 」 が一般的とのこと。「 マシ 」 の例では摩周湖 (「 マシ・ウン・トー 」 = カモメのいる沼 ) の例を示してくれた。摩周にはその他に多説があるが。
 「 イショ・カピウ 」( 獲物を連れてくるカモメ ) というのは、海が荒れてカモメが高く飛んで騒いが翌日は、浜に魚や海藻などが打ち上げられて、思わぬ収穫に与るから。

 ところで、私のアイヌを意識した始めは教科書に載っていた 「 島になったおばあさん 」 の話だった。摩周湖の中央にポツンとある不思議な小さな島のいわれを解く因縁話だが。
 マキリという名のアイヌの小刀を指す単語も、その頃に知った。

 はるか2003年に、摩周湖がふるさと切手の北海道版で切手に取り上げられている。
 北海道遺産 ( 行政の音頭で始まり、推進母体の 「 北海道遺産構想推進協議会 」 に引き継がれた ) の第1回選定分 ( 2001年10月22日25件公表 ) で選定された 「 アイヌ文様 」 とのペアの連刷で発行されたもの。
 北海道遺産は第2回選定分 ( 2004年10月22日27件公表 ) 以降、長くなりを潜めていたが、何がきっかけとなったのか、昨年突然に第3回選定分15件 ( 2018年11月2日公表 ) が追加登録された。

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北海道遺産選定を記念して、ふるさと切手の北海道版として2003年に発行された
摩周湖を描いた切手。
同時に選定された 「 アイヌ文様 」 と、ペアの連刷で発行された。



 1月12日(土)
 昨日偶然にNHK 『 北海道スペシャル 』( NHK札幌放送局制作のNHK総合テレビによる地域情報番組で道内に限られたが ) で、よい番組に巡り会った。しっかり番組表に目を通しておかないとせっかくの番組を見損なう。
 「 シャーロットの北海道紀行!~イザベラ・バードの道~ 」。

 『 マッサン 』( 2014年9月~2015年3月まで放送されたNHK大阪放送局制作の連続テレビ小説 ) で、ヒロインの亀山エリー役 ( ニッカウヰスキーの創業者・竹鶴政孝の妻、竹鶴リタがモデル ) を演じたシャーロット・ケイト・フォックス( アメリカ合衆国の女優 ) を案内役として、北海道上陸の函館から大沼、室蘭、白老などを経由して、目的地の日高管内・平取町まで、イサベラバードの道内での足跡を辿る番組だった。

 イサベラバード ( 1831 - 1904年。当時の大英帝国の旅行家、探検家、紀行作家、写真家。23歳の時に北米を旅行したことを皮切りに、その生涯にわたって世界中を旅した ) は、女性の身でありながら明治初期の未開の北海道を通訳を一人伴っただけの旅で訪れている。
 バードはこのとき、1878年 (明治11年)6月から9月にかけて、通訳兼従者として雇った伊藤という青年を伴い、東京を起点に日光から新潟へ抜け、日本海側を辿り北海道に至る北日本に足跡を印し、また10月から神戸、京都、伊勢、大阪を訪ね、これらの体験を、1880年 (明治13年)、"Unbeaten Tracks in Japan ( 日本での人跡未踏の足跡 )" 2巻にまとめた。第1巻は北日本旅行記、第2巻は関西方面の記録である。

 このうち、東京から北海道 ( 蝦夷地 ) までの旅行の記録は 『 日本奥地紀行 』 として翻訳され、明治維新当時の日本の地方の住居、服装、風俗、自然を細かく書き留めてあり、アイヌに関する事柄も豊富に記述されている。
 バードは最終目的地の平取のアイヌコタンを尋ね、ここのアイヌの長老ペンリウク( アイヌの遺骨返還で係争中。研究資料として北大に保管 ) に会って世話になったのは、イギリス人の聖公会の宣教師でアイヌの研究家にして、アイヌの父と呼ばれたジョン・バチェラーがここを訪れる前年のことだった。

 『 日本奥地紀行 』 については、民俗学者・宮本常一の 「 イザベラ・バードの 『 日本奥地紀行 』 を読む 」 という本を通じて読んだ。
 また、明治期のアイヌの本にサベージ・ランドーの 『 エゾ地一周ひとり旅 ( 思い出のアイヌ・カントリー )』 こちらも興味深く面白く読んだ。
 大英帝国の当時25才の若き冒険家ランドーは、1890年 (明治23年)6月に函館を出発し海岸線に沿って北海道を完全に一周し、色丹島にも渡り、さらに十勝川、石狩川を遡る全行程146日間に及ぶ一人旅で見聞した記録を印した“Alone with the hairy Ainu, or, 3, 800 miles on a pack saddle in Yezo and a cruise to the Kurile Islands” の全訳。
 日本人でさえ困難であった当時の北海道に外国人が一人分け入って、北海道一周を成し遂げたことに驚嘆する。
また、バードやランドーのみならず、幕末から明治期に外国人によって書かれた見聞録の多いことにも驚く。

 なお、この本に巡り会ったのは20年も前の根室時代で、この本のことについては 「 5 豊かな日々のつれづれに 」 の 『 4 「 根室よ 」』 の中で触れています。

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「 イザベラ・バードの 『 日本奥地紀行 』 を読む 」( 宮本常一。平凡社ライブラリー )

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『 エゾ地一周ひとり旅 ( 思い出のアイヌ・カントリー )』 ( サベージ・ランドー、1985年未来社 )



 1月11日(金)
 昨日、さる勉強会で例会に先んじて今月の原稿 『 最初期の風景印 「 熱海局 」』 と 『 二見浦郵便局の風景印 』 にかかわる風景印の話をしてきた。
 風景印をテーマにしたサイトがたくさんある。それだけ人気の収集対象といえる。
 その中に、本家とも言える日本郵便株式会社が風景印の案内サイトを設けているのを知った。

 都道府県別に風景印を備えた郵便局が整理されており、それぞれの印影が示されている。
 おそらく現行の風景印が網羅されているだろう。( 「 風景印 - 日本郵便 」 で検索 )
 ただし、『 ※ 本ページは2004年以降の風景印の新着情報・廃止情報を掲載しています。 こちらに掲載していない郵便局での風景印の取扱いについては、各郵便局にお問い合わせください。 』 と注書きされているが、「 掲載していない郵便局での風景印 」 とはどんな例なのだろうか。

 今月の原稿で取り上げたように、古い風景印には引かれるものがあって折に触れて入手してきた ( とくに、戦前の樺太と台湾の風景印については意識的に収集した )。
 樺太については掲載する機会が無かったが、その一端は当欄12月24日(月)で豊原の風景印の押されたエンタイアで 「 樺太神社と土地柄のスキージャンパーの姿 」 が描かれた豊原の風景印について触れた。

 改めて確認すると樺太の風景印は、台湾の32局 ( 「2(2)台湾特集 」 の 「 40 日本統治時代の台湾風景印 」 に掲載 ) に比べて、13局と意外に少なかった。  「 戦前の風景スタンプ集 」 から樺太の頁を掲載しておく。
 この数なら完集もそう難しくないが、こちらは意外に意識することが無く、樺太は記念印の方に力を注いでいた。
 樺太の記念印 ( 記念特殊通信日付印 ) は、山下精一氏の 「 樺太の郵便 」 には53種が掲載されているが、ここでは特徴的な二つを取り上げておく。

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樺太の風景印13種。「 戦前の風景スタンプ集 」 から樺太の頁。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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敷香の風景印。

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樺太の記念印 ( 記念特殊通信日付印 ) の例。
( 上 ) 「 豊真線鉄道全通記念 」 は変形印。
( 下 ) 「 樺太庁始政二十四周年記念 」。樺太のシンボル、トナカイが描かれている。
 因みに、トナカイは樺太アイヌ語。



 1月10日(木)
 まことに有難い本を入手した。
 『 日本の古典名著総解説 』( 自由国民社 )。
 同社の 「 総解説シリーズ 」 で、『 中国の古典名著総解説 』 は出版と同時の1976年に入手して、以来長く手許にあるが、これを追うように同じ形式で1983年に出版されたこちらの方は、意識しながらこれまで手にすることがなかった。
 それが、このほど思い立っていつものアマゾンで入手したもの。

 この分野の碩学46氏による分担執筆という贅沢なもので、執筆者のご苦労もさることながら、これを企画した者こそ讃えられるべき。
 本からそのまま借りれば、まさに 「 日本古典の解題・集大成! 」 であり、『 わが国の文化的遺産として、“記紀・万葉”の昔から今日にまで受けつがれている古典名著の数々の中から、マスコミにしばしば引用される各時代・各分野を代表する作品400編を選び出し・・・ 』 とあり、400編もの古典作品を要約で承知できるとは有難い。

 活字の大きさが何ポイントになるのか分からないが、A5判460頁の各頁が三段組みの細かい字でびっしり埋まっているから、そのボリュームたるや計り知れない。
 こんな大変な知の集積を、僅かな代価で入手できるというのは有難いとともに、申し訳ないくらいだ。

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『 日本の古典名著総解説 』( 自由国民社 ) の表裏をカバーで。



 1月9日(水)
 ルイ・ヴィトンの「 モノグラム・キャンバス 」 柄が制作・発表されたのが1896年で、この模様は、当時のジャポニズムの影響を強く受けた中で、日本の家紋をモチーフにして作られたと書いた。
 19世紀中頃の万国博覧会 ( 国際博覧会 ) への日本製品の出品などをきっかけに、ヨーロッパ、とくにフランスで、ジャポニズムと呼ばれる日本ブームが到来した。

 様々な物品を集めて展示する博覧会 ( 国内博覧会 ) は1798年、フランス革命の時期のパリで初めて開催され、1849年までにパリで11回開催されたが徐々に規模が大きくなり、同様の博覧会がベルギー、オランダなど各国でも開催されるようになると1849年、フランスの首相が国際博覧会を提唱し1851年に第1回国際博覧会がロンドンで開催された。

 以降開催は不定期で、クリスタル・パレス ( 水晶宮 ) が造られたロンドン万国博覧会 ( 第1回、1851年 ) やエッフェル塔が建設されたパリ万国博覧会 ( 第4回、1889年 ) などが有名だが、戦前に18回開催されている。
 その内訳は、英 ( ロンドン ) 2回、仏 ( パリ ) 6回、米8回 ( ニューヨーク、フィラデルフィア、シカゴで各2回の他に、セントルイスとサンフランシスコ ) それに、オーストリア ( ウィーン ) とベルギー ( ブリュッセル ) の都合18回。

 そこに、紀元2600年、すなわち昭和15年に開催が予定されながら中止になった幻の日本万国博覧会があった。
 図はその日本万博の前売り入場券の綴りで、売価10円。中には 「 大人用一回入場券 」 が12枚綴られている。
 宝くじのような抽選券 ( 表紙の赤の数字 ) が付いている。
 この幻の日本万国博覧会 「 紀元2600年記念日本万国博覧会 」 は、『 1940年 (皇紀2600年) は、神武天皇が紀元前660年に初代の天皇に即位して2600周年の節目の年であるとして、紀元2600年を祝賀する行事のほか、様々な国際的イベントも招致された。オリンピックも夏季が東京市 ( 現・東京都区部 ) で、冬季が札幌市で開催されることが決定しており、万国博覧会も東京市の月島の4号埋立地 ( 現在の晴海 ) をメイン会場として開催されることが決定していた。 』 (Wikipedia)

 『 開催期間は3月15日から8月31日までの170日間を予定しており、総動員4500万人を見込むなど、国家的イベントになるはずであった。勝鬨橋は博覧会開催のための整備の一環で造られた。しかし日中戦争が激化したため、軍部の反対および参加国の減少が確実になったことなどで、1938年に中止が決定して幻となった。 』

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昭和15年に開催が予定されながら中止になった幻の日本万国博覧会の前売り入場券綴り。 ( 原寸 )



 1月8日(火)
 「 いだてん 」 の三脚巴紋の話を書いたら、日本の家紋にこれに類するものはないかと尋ねられた。
 以前、家紋について書いたことがあった。
 2017年5月の第238号と6月の第239号に 「 家紋の話 」( 上 )( 下 )。

 マン島の三本足 「 トリスケリオン 」 にしても、三本足に人面のシチリアの「 トリナクリア 」 にしても、花鳥風月、雪月花の日本人の感覚からすれば一種グロテスクではないか。
 その点、日本の家紋の題材は天地の森羅万象を相手に多様であり、植物、動物から天文、気象に及び、また生活に身近な器物紋 ( 扇、団扇、和ばさみ、糸巻き、徳利、釘抜き、分銅、御幣その他諸々 ) など幅広く、これらを単純化、デフォルメし、パターン化している。
 西洋に多く見かける魚は日本の家紋にはなく、動物紋は動物自体を直接描かず、鷹の羽紋、亀は甲羅 ( 亀甲紋 )、蛇は目 ( 有名な 「 蛇の目 」)、魚は鱗、鹿は角であるとか、象徴的な部分を図案化して取り上げている。
 驚くことに、日本最大の家紋辞典 「 日本家紋総鑑 」( 千鹿野茂。角川書店 ) には約2万種類が収録されている。

 西洋人はシンプルでかつ多様な日本の家紋の持つ優れた造形力に注目した。
 フランスのファッションブランド 「 ルイ・ヴィトン 」 の 「 モノグラム・キャンバス 」 柄は日本の家紋をモチーフにしているという。何やらそんな雰囲気を感じていたが、やはりそうであったのか。
 創業者・ルイヴィトンのイニシャル、LとVの組み合わせを取り巻いて、木瓜紋を思わせるものや、剣山を思わせるものやら、多くの種類が散りばめられていると思っていたが、改めて子細に眺めてみるとただの3パターンしかないのは意外であった。

 このヴィトンの 「 表看板 」 が制作・発表されたのが1896年。この模様は、当時パリの万国博覧会で、当時伝統工芸品や日本庭園などの日本の繊細で美しい文化に心を奪われ、大流行していたジャポニズムの影響を強く受けた中で、日本の家紋をモチーフにして作られたのだという。
 西洋の紋章は楯の周りを取り巻く飾りにいろいろな決まりがあって複雑なのだが、モチーフだけのシンプルな例として手近なベラルーシのものを掲げておく。

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ルイ・ヴィトンの表看板、「 モノグラム・キャンバス 」 柄。

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ベラルーシの紋章切手 ( 2003~2015年 )。



 1月7日(月)
 昨日から始まったNHKの大河ドラマ 「 いだてん ~東京オリムピック噺~ 」。
 しっかり意識しておらず昨日の初回を見逃した。再放送が毎週土曜日の13時5分からあるそうだから今度の土曜日、忘れないように見てみよう。

 ところで、このドラマのロゴが気になった。三本の足が回転するように描かれた文様。 確認すると 「 三脚巴 ( さんきゃくともえ )」紋、というのだそうだ。
 西洋の伝統的な文様のひとつで英名 「 トリスケリオン 」( triskelion、三本の曲がったものの意 )。
 膝を直角に曲げた足が3本、それぞれ120度の角度で、脚の付け根を中心に風車状に組み合わされている。

 Wikipediaによれば、三脚巴はフランス・ブルターニュのシンボル ( こちらは 「 トリスケリオン 」 と呼ぶケルトのシンボルの三つの渦巻き紋で、発想は同じでも三脚ではない ) でもあり、膝を曲げた三つの走る脚 「 三脚巴 」 のこととなれば、マン島とシチリアのシンボルになる。
 三脚巴紋は過去にも切手で取り上げられているものと思われるが、2017年のマン島のものを掲げておく。

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2017年のマン島の切手に描かれた三脚巴紋。( eBayからの借用画像 )

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マン島の旗に見られる 「 トリスケリオン 」

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不思議な三本足を持つ顔 「 トリナクリア 」 と呼ばれるシチリアのシンボル。シチリア自治州の紋章。

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ブルターニュのシンボル 「 トリスケル 」



 1月6日(日)
 毎日を、教育 ( 今日行くところがある ) と教養 ( 今日用がある ) の心掛け。
 今年の始動は今日の台湾の会だった。月二回ほどと少ないところに上京の日程が重なったりでこの二ヶ月ほどは欠席であった。
 ところが台湾の先生が来ない。突然の予期せぬ欠勤。インフルエンザでもなければよいが。次回に今日の真相を尋ねてみよう。
 まだ正月の延長か出席者も少なく、1時間半ばかりの雑談で情報交換して解散した。

 情報その1。「 SANYUAN JAPAN=三原台湾 」 と言うサイトについて。「 三原慧悟 」 という人が台湾で、YouTubeに台湾と日本の双方向の情報提供をして台湾では人気だそうだ。しばらく観察してみよう。
 もう一つ。語学留学したという高雄の文藻外語大学の存在を知る。「 文藻 」 とは聞き慣れないが、この漢語を久しぶりに思い出した。改めて確認すると、「 文章のあや 」 そして何より 「 詩文を作る才能。文才 」 の事であった。日本最古の漢詩集 『 懐風藻 』 の名にある詞 「 藻 」 集で、その由来は 「 先哲の遺風を忘れないために 「 懐風 」 と名づけた 」とある。  札幌の藻岩山の命名に「藻」の字を当てたのは、藻塩草の文学的発想、あるいはアイヌ語辞典 「 藻汐草 」 が命名者の念頭にあったのではないか。

   明日の予定の分もいま書いてしまおう。
 長くストックブックに仕舞い込まれた材料。
 この道では誰もが一度は関心を向ける材料。
 ご当地や縁故の土地に関する材料。

 東京の故郷の家のある現在の台東区竜泉の最寄りの郵便局は 「 台東竜泉 」 局で、その前身の 「 下谷竜泉寺町局 」 は、1904年(明治37年)3月15日に開局し、1945年(昭和20年)4月30日に廃局となり、「 台東竜泉寺局 」 が1958年 (昭和33年) 10月1日に開局し、1968年 (昭和43年) 5月1日に「現・台東竜泉」に改称されている。
 1945年 (昭和20年) 4月30日の下谷竜泉寺町局の廃局は、この辺一帯が3月10日の東京大空襲で灰燼に帰したことによるものだろう。


 開局年の明治37年は日露戦争 ( 1904年 (明治37年) 2月8日~1905年 (明治38年) 9月5日 ) 開戦の年。
 樋口一葉 (1872~1896年) の旧居がこの茶屋町通りの 「 下谷竜泉寺町局 」 の筋向かいにあるが、樋口一葉が住んだは開局の10年前で、郵便局には巡り会っていない。
 一葉は明治26年7月20日、本郷菊坂町からこの地・下谷竜泉寺町に移り住み、わずか9月を暮らしたのち、終焉の地となる本郷丸山福山町に移った。

 いずれ一作にまとめるとともに、リーフを作成して、今度の上京時に簡単な額装にして寄贈してこようと思う。

下谷竜泉寺町
( 左 ) 菊切手2銭。丸一型消印 ・ 明治42年9月。 ( 150% )
( 右 ) 昭和白紙7銭切手。櫛形為替消印 ( 為替貯金記号 「 いほほ 」 ) ・ 昭和14年4月4日。
( 画像をクリックすると拡大します )



 1月5日(土)
 別の探しものをしていたら 「 舌辛 (したから) 」 の風景印が偶然に見つかった。
 今月の原稿で風景印を取り上げたが、その中で触れたところだった。
 その時に使いたかったのだが、出てこなかった。
 遅れ馳せ、1月原稿 『 最初期の風景印「 熱海局 」 』 の追加画像として見てください。

 「 舌辛 」 は難読というより、珍奇な地名。
 阿寒局の旧名で、阿寒町の字名。
 この舌辛局の風景印は有名観光地を優先する風景印制度の趣旨から、昭和6年の制度発足からいち早く、翌昭和7年の3月16日に配置された。日付は残念ながら使用初日ではないが、三週間ばかり後の4月7日。
 意匠は 「 原始林と阿寒湖より雌阿寒岳の噴煙を望む 」。
 舌辛局の開局は早く明治37年。昭和14年に阿寒郵便局に改称。
 「 舌辛 」 の語源は諸説あって定めがたいが、シ・タッ・カラで 「 樺の皮を採る 」 ( 樺はアイヌにとって貴重な天然資材で、板状の形状を利用して屋根材や容器の材料とされ、またよく燃える燃料であった ) を挙げておく。
 また、「 阿寒 」 も、① アカム= 「 車輪 」( 雌雄の阿寒岳が両輪の如く並び聳える故 ) とか ② ラカン=ウグイ ( 魚 ) の産卵場、その他の説がある。

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舌辛局の風景印。 ( 150% )
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 1月4日(金)
 駅伝の話で駅伝の代わりに 「 継走 」 の語も見えた。
 リレーの訳語にはピッタリと思える。
 ひょっとして中国語の表現でもあるかと 「 駅伝 」 を調べてみたら 「 接力长跑 」 と意訳しているようで、「 力を継続する、受け繋ぐ長距離走 」 との気分だろう。

 まだ中国語を意識していない頃の高校の地理でカイロワン ( 開灤 ) 炭田だのフーニウ ( 伏牛 ) 山脈だのと、中国音を余り意識せずに丸ごと覚えたが、何かの拍子に威海衛のウェイハイウエイという音も知るところとなった。
 我々郵趣仲間であれば、台湾南端のガランピ灯台は切手からその名を覚え、カタログに 「 オーロワンピ灯台 」 とあるのに違和感を覚えた人も多かったろう。
 「 鵞鸞鼻 」 の日本語での音読み 「 ガランピ 」 と、中国語音 「 オーロワンピ 」 の違いという訳だが。

 岬を鼻と表現するのは、城ヶ島の 「 通り矢の鼻 」(「 端 」 かも知れない ) だとか、知床の 「 ペキンの鼻 」( 武田泰淳の小説 『 ひかりごけ 』 の舞台 ) で日本語的だが、日本統治時代の名残か。

 一昨日、「 ニュースペーパー・ラッパー 」の話が出たついでに中国の19世紀末の山東半島の芝罘 ( 烟台 ) 書信館郵便のニュースペーパー・ラッパーをお見せした。
 煙台は1858年の天津条約 ( アロー号事件の講和 ) により西洋諸国に開港され、漁港だった煙台はイギリスの条約港となり急速に都市化した。20世紀初頭には膠州湾租借地・青島を拠点に山東半島全域でドイツ帝国の力が増すと煙台もドイツに支配されたが、第一次世界大戦で日本軍は膠州湾租借を占領したが、その後、日本は中国政府に膠州湾を返還した。

   その煙台と隣り合わせに威海衛がある。
 煙台はドイツだが、こちらはイギリス。
 イギリスは香港とともに、山東半島の威海衛に租借地を設けていた。
 その昔、明の時代に倭寇に備えた要塞が築かれ、清代末期には北洋艦隊の基地となり、日清戦争で日本軍に攻撃されて北洋艦隊は降伏した。
 威海衛をイギリスが租借したのは1898年のことで、独・仏・ロによる日清戦争後の三国干渉の後、ケチを付けておきながら大連・旅順の関東州を租借したロシアに対する牽制を理由に、清朝政府や日本・ドイツなどの利害関係国の了解を取り付けて、渤海海峡を挟んで関東州と向き合う格好の位置にある威海衛をイギリス東洋艦隊の根拠地として租借した。

 関東州はその後日露戦争の結果、1905年にロシアから日本の手に移り、イギリスが威海衛を租借する根拠はなくなった。また、威海衛はイギリスの目論みに反して軍港としても商港としても芳しくなく、威海衛の処分の機会を窺っていたところに、国際環境の変化に便乗して、第一次世界大戦後の1922年の主要国によるワシントン会議の決定に沿って、日本の膠州湾返還と共同歩調で手に余していた威海衛返還の好機を掴んだ。

 威海衛の関連マテリアルとして、(1) 威海衛の消印 ( 欧文印と中国語印 ) と、(2) 威海衛書信館 ( 民間地方郵政 ) のトランプのダイアを思わせる単純でユニークな二種の数字切手と、これに先立つ赤い暫定切手 ( ただしレプリカ ) を掲げておく。

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(1) 威海衛の消印 ( 欧文印と中国語印 ) ( 原寸 )
左二枚の欧文印 ( WEIHAIWEI ) は1926年、右端の二分 「 郵政40年記念 」
の発行は1936年で、ともに返還後の中華民国郵政時代のもの。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

威海衛
(2) 威海衛書信館 ( 民間地方郵政 ) の数字切手と、これに先立つ赤い暫定切手。 ( 原寸 )
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 1月3日(木)
 今日は昨日から始まった箱根駅伝の復路。
 箱根駅伝は正式には 『 東京箱根間往復大学駅伝競走 』 という。
 毎年、1月2日と翌3日の2日間にわたって行われる大学対抗駅伝で、関東学生陸上競技連盟が主催し読売新聞社が共催している。
 所属大学が関東学連加盟校であることが出場条件の地方大会である。
 全国大会では 「 全日本実業団対抗駅伝大会 」( ニューイヤー駅伝。7区間100km、開催地 群馬県)、「 全日本大学駅伝対校選手権大会 」( 全日本大学駅伝。8区間106.8 km、開催地 愛知県・三重県 ) 等がある。

 以下、関係サイトからの摘み食い。
 1920年 (大正9年) 2月14-15日に開催された第1回目から数えて今年で95回目の大会になる。
 計算が合わないのは太平洋戦争を挟んだ1941年 (昭和16年) から46年 (昭和21年) が中止となっていたからで、ただし、驚くことに昭和18年だけは戦争最中にもかかわらず、戦意高揚のための 「 関東学徒鍛錬継走大会( 旧箱根駅伝競走 )」( 靖国神社-箱根神社間往復百五十哩=240km ) として開催されている。
 因みに、現在の東京都千代田区大手町・読売新聞東京本社ビル前 から箱根町・芦ノ湖までの距離は往路5区107.5 km、復路5区109.6 kmの計10区217.1 km。因みに、往路と復路で距離が若干異なるのは三ヵ所ほど迂回する部分があるためである。

 駅伝は1917年( 大正6 )に東京奠都50周年 ( 明治維新のとき江戸が東京とされ、都として定められて50年 ) 記念として京都三条大橋から東京・上野不忍池間508kmを23区間に分け、4月27日から3日間で走った東西対抗の 「 東海道駅伝徒歩競走 」 がその始まり。「 駅伝 」 の名は、大会主催者の読売新聞社の土岐善麿社会部長が東海道五十三次に因んでつけたといわれるが、当時の大日本体育協会副会長、神宮皇學館館長武田千代三郎による、「 駅伝制 」( 古代から近世までの日本に見られた使者や物資を馬で運ぶ交通制度 ) による命名との説もある。

 「 駅伝 」( 長距離コースをいくつかの区間に分け、各チームがたすきをリレーして走り所要時間を競う ) は陸上競技のロードレース種目の一つで,日本で始まり,その後、世界各地で行なわれるようになっている。
 各走者が走る距離、総距離、区間数、性別等の組み合わせは大会によって様々であるが、国際陸上競技連盟 ( 国際陸連 ) が定める国際レースの基準では男女別にフルマラソンと同じ42.195kmを6区間 ( 5 km、10 km、5 km、10 km、5 km、7.195 km ) で走る。

 国際陸上競技連盟では、駅伝の国際名称を" ロード・リレー "としているが、近年までは日本でしか行われていない競技であった為、" Ekiden "と呼んだり、説明的に" マラソン・リレー "と呼ばれることがある。ただし近年では海外でもハワイ ( ホノルル・レインボー駅伝 )、グアム ( グアム・ココ・ハーフマラソン・駅伝 )、ベルギー、ニュージーランド、オーストラリア、カナダ、シンガポールなどでも駅伝大会が行われている。

 と言うわけで、切手の世界であれば、1958年以来一貫として安藤広重の浮世絵 「 東海道五十三次 」 を図案とした国際文通週間の切手 ( 国際文通週間=10月9日を含む1週間の時期に発行 ) があり、その4回目、1961年の 「 箱根 」 を掲げておく。

 なお、この安藤広重の国際文通週間シリーズも、55作 ( 中継の53 宿に起点の江戸日本橋と終点の京都三条大橋を加えて ) の中から昨年ですでに52作が採用され、いよいよ残すところあと3作となった。今後は如何に。
( 当初の発行は1種、途中から地帯別料金に対応した複数発行。また一時期は他の浮世絵図案も採用 )

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38mm 1961年の国際文通週間切手 「 箱根 」。( 300% )

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起点の江戸日本橋 ( 5回目1962年 ) と、終点の京師 ( 京都三条大橋。1回目1958年 ) ( 220% )
( 画像をクリックすると拡大します )



 1月2日(水)
 新しい年が明けた。
 今年は本や書類の片付け、切手は専ら処分を促進する元年にしようと決意しているところだが、その一方ではまた興味を引かれるものとの新たな出会い、ワクワクした毎日を期待している。
 今日はとくに予定の材料もなかったが、少数と雖も 「 毎日見ている 」 という方がおられる以上、可能な限り日記は日記として日々に記していきたい。

 そんなとき、イーベイでネットサーフィンしていると、こんなものを見つけた。
 イギリスからの出品で、タイトルを 「 Japan 1930's cover or newspaper wrapper ? 」 としている。
 一昔前の一般的な、いわゆる茶封筒 ( 茶色い封筒。クラフト紙以前の薄手のもの ) で、宛先の 「 大紋染工場 」 の 「 場 」 の字が異体字の 「 塲 」( 「 傷 」 の旁に同じ )、それも 「 ハシゴ高 (髙) 」 のような書きぶりをしている。
 それは寄り道として、差出人の封筒に 「 茂原町警防団 」 と印刷されている。
 茂原から東金宛てのエンタイア。因みに、茂原と東金は近接。
 警防団は、Wikipediaに 『 第二次世界大戦勃発直前の1939年 (昭和14年) に 「 警防団令 」 を根拠として、主に 空襲 或いは 災害 から市民を守る ために作られた団体である。警察および消防の補助組織としての任務が課されていた。日本の敗戦に伴って存在意義が薄くなったため1947年(昭和22年)に廃止され、消防団に改組移行された。 』 と要約されている。

 イーベイの出品タイトルは 「 1930年代のカバーかニュースペーパー・ラッパー 」 となっているが、まず外国人によくあることだが昭和年号の櫛形消印の日付を読み間違えている ( 研究している人は承知しているのだが )。
 「 昭和15年7月30日 」 を彼等の習いで日、月、年の順位に 「 193()年7月15日 」 と読み、またその形状 ( 色、形 ) から彼等に身近な 「 ニュースペーパー・ラッパー 」 かも知れないと想像している。

 「 ニュースペーパー・ラッパー 」 は新聞を郵送するための筒状の郵便包装で、かつて新聞の個配は郵便で行われており、外国では専用の切手付き封筒なども発行されていた ( 日本では各自で帯封が使われていた )。
 例として、取り敢えずのものだが、中国の19世紀末の山東半島の芝罘 ( 烟台 ) 書信館郵便 ( 民間郵便 ) ニュースペーパー・ラッパーを掲げておく。

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「 茂原町警防団 」 の茶封筒を使ったエンタイア。

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消印部分 ( 昭和15年7月3( )日 )

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芝罘書信館発行のニュースペーパー・ラッパー ( 1890年代 )。 ( 50% )
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 1月1日(月)
 新年明けましておめでとうございます。
 年賀状で今年最初のブログを飾ります。
 年賀状は新春に相応しい漢詩を選び、これにオリジナルの訳詞を添えるというこのスタイルに落ち着いて以来、かれこれ30年これを踏襲してきました。

 このことに関連して、コレクションリーフ (1) に下記の二篇を収めています。
 遙か昔のことで今更、面はゆい思いではありますが。
 43 「 漢詩を添えた年賀状 」 ( 2003年。「 豊かな日々のつれづれに 」 所収 )。年賀状追加掲載。
 42 「 心に染みる年賀状 」 ( 同、1990年3月 )。

 1月の原稿もアップしておきます。
 『 最初期の風景印 「 熱海局 」』 。
 併せて『 二見浦郵便局の風景印 』 を関連の原稿として追加しました。
 昨年11月に伊勢方面を旅行したときに二見浦を訪れ、この時に二見局に寄って入手してきた風景印です。台紙には、ちょうど発売中の今年の年賀状を使って押印してきましたが、新年の原稿にちょうど相応しいものになりました。

現在、全国約2万4千の郵便局のうち、ほぼ半分の約1万1千局に配備されている風景印のそもそもは、昭和6年に逓信省告示で制度が創設されて使用が始まり、戦前は多い時期で国内の1152局に設置されていた。

 その趣旨、「 名勝史跡等に因メル図案ヲ挿入シタル通信日附印 」 のとおり、風景印の初めは全国主要局の他、日光や箱根、鎌倉、上高地などの有名観光地であり、熱海も二見浦も全国屈指の観光地として、早くから使用された ( 同年8月1日使用開始 )。
 北海道では、大沼、洞爺温泉、登別、定山渓などが含まれ、何より全国での第一号は同年7月10日の富士山郵便局 ( 現・富士山頂郵便局 ) と富士山北郵便局であった。

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今年の年賀状。

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戦前の熱海局の風景印。昭和12年1月1日の年賀状に押印。 ( 150% )

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二見局の現行風景印。 ( 150% )



 12月31日(月)
 以前、『 3(1) 北海道漢字同好会会報 「 啐啄 」 原稿 』 に 「12 平成30年3月台湾は漢字の宝庫 」 という題で書いた中に、面白いブログがあるとして、「 ウェブロギスティック雑記 ( 日本語と漢字 )」( http://blog.livedoor.jp/itomata/archives/3883328.html )という奇妙な名前のブログを紹介した。
 ふと思い立って、久しぶりにこのブログを覗いてみた。
 すると、「 新しいブログの紹介 」 として、いつの間にか 「 砂礫混淆記 ( 軽石記事から力石記事まで )」(http://blog.livedoor.jp/itomata-kokugo/ )という、もう一本のブログが立ち上げられていたことを知る。題名からして振るっている。
 自らのこととて、「 玉石混淆 」 ではなく、奥ゆかしく控えめに 「 砂礫混淆 」 と言っている。
 こちらも覗いてみる。早速 『「鰎 」 は 「 にしん 」』 として、こんな字 「鰎 」( 魚偏に建 ) のことが話題になっていたりする。
 そんなに面妖な字でもないのだが、探してみると 「 漢字源 」( 親字収録数、常用漢字及びJIS第一~第四水準など、約12,600字 ) にない。新華字典にもない。
  「 鰎 」 はユニコードのU+9C0Eとのことで、ネット検索すると 「 画数: 20。日本語ではあまり使用されない漢字です 」 とあるが、「 あまり 」 どころか 「 全く 」 だ ろう。
 字義は 「 魚の名前 干し魚 」 とある。
 ご本人は、『 若狭鰎鮓 ( わかさにしんずし )』 を例に、「 国訓と思われる。」 と書いている。
 ユニコードの漢字は 『 Unicode CJK統合漢字-全漢字一覧- CyberLibrarian 』 で一覧できるが、現在の unicodeの収録文字数は11万字あるという。漢字のバイブル、中国の清時代の 「 康煕字典 」 で約5万。諸橋大漢和も5万だから、俄に信じがたい驚異的な数字で、単純には比較できない事情が何かありそうだ。

 話題に事欠いて、大晦日だというのにくどい話になりました。
 今年一年の 「 ご愛顧 」 に感謝いたしますとともに、引き続き当ブログを 「 ご贔屓 」 に願います。

魚建



 12月30日(日)
 小学一年生の孫が漢字に興味を持っている様子で、いたずら書きに絵だけでなく漢字をよく書いている。
 玄関に出たついでに、マンションの掲示板の張り紙を読ませてみた。
 『 最近ゴミを出す曜日を間違えたり前日から出したりしている方がいます。カラスのいたずらでゴミステーションが汚れているのでゴミを出す時は皆さんで気を付けましょう 』。
 「 前日 」 のところでちょっと支えた ( 音読みがとっざに出てこなかったが、それでも 「 ぜんじつ 」 と読んだ ) 以外、スラスラと読んだのに感心した。
 「 汚 」 の字など、何年生で習うことになっているのか。そもそも教育漢字 ( 現在1026字。平成元年の改定以来の1006字に、都道府県名として使われている20字が昨年の改定で新たに加えられた ) に含まれていたか。
 こんなとき 「 かくなび 」(「 書くナビゲーション 」 によるのだろう ) という便利なツールがある。
 「 かくなび 汚 」 で検索すると、「 汚 」 の字は 「 漢検4級、常用漢字 」 で、漢検4級レベルは 「 中学校在学程度 ( 1322字 )」( 小学校での教育漢字に300字ほどが加わった ) に該当している。
 単漢字ではないが 「 間違え 」 あたりも、難しそうに思えたのだが。
 こんど試しに、事務局に頼んで 「 漢字おもしろ出前塾 」 で使った 「 過去問 」 を提供して貰おうかと思う。

 話は変わって、近年本を読むときに鉛筆で傍線や書き込みを入れるのがクセなって、本を汚している。その汚れが酷いほど、感じ入る部分の多い、何度も読み返した価値ある本ということになる。その酷く汚された本の中の一冊。
 『 漢字かな混じり文の精神 』( 村島定行、風詠社 )。
 文字を持たなかった日本語に漢字が伝えられ、日本語の助詞、活用語尾の必要性から表音文字のカタカナ、ひらがなが作られ、漢字には日本語訳としての訓読も用いて ( 不足であれば日本製の漢字 「 国字 } まで作って )、日本語表現に相応しい 「 漢字かな混じり文 」 が漢式和文や万葉仮名を経て生み出された。
 その、表意文字の漢字と二種の表音文字を合わせて用いる、今日の世界に例を見ない、読みやすく、意味を取りやすい 「 漢字かな混じり文 」 の効用と特性を多方面から論じている。

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『 漢字かな混じり文の精神 』( 村島定行、風詠社 )。



 12月29日(土)
 切手趣味の雑誌で日本郵趣協会の機関誌でもある 「 郵趣 」 の1月号が届いた。
 国際切手展の2021年の日本での開催決定を伝えている。
 日本での国際切手展は1971年、1981年、1991年、2001年、2011年と10年おきに開催されてきた。
 1991年は晴海の東京国際見本市会場。
 2001年は有明の東京ビッグサイト。
 2011年は横浜国際平和会議場(パシフィコ横浜)での開催に、それぞれ出かけている。
 ファイルに当時の入場券があったので掲げておく。( 2001年のものは見当たらない )


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日本国際切手展1991の入場券。

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日本国際切手展2011の入場券。



 12月28日(金)
 埼玉のさる方から突然にお手紙を頂戴した。
 切手仲間を通じたアイヌ語に関する問い合わせであった。
 ある郵趣会に所属して、入手した有名人の手紙からその人物や来歴などをまとめていて、アイヌ語にも関心を向けているという。
 その後の手紙で、「 幾寅 」 局消印のエンタイアをお持ちだという。エンタイアは一品ものだからどんなものか見てみたい。
 「 幾寅 」 は南富良野にあるJR根室本線の駅で、2016年の台風10号の水害以来、東鹿越~( 幾寅 )~新得駅間は未だ運休 ( 区間バス代行輸送 ) が続いている。

 「 幾寅 」 はやはりアイヌ語由来で、ユク・トラシ・ベツ (「 鹿が川に沿って上る川 」 の意 )。狩猟民族アイヌにとって、川のサケとともに、ユク=鹿は貴重な山の食料資源で、ユクの付く地名も目につく。
 勇駒別 ( ゆこまんべつ。上川・東川。ユク・オマン・ベツ 「 鹿が山の方へ行く川 」)、幾栄 ( 十勝・浦幌。ユク・ウン・ベツ 「 鹿がいる川 」)、幾千世 ( 日高・門別。ユク・チセ 「 鹿の家 」)、生田 ( 胆振。鵡川。ユク・ベツ 「 鹿がいる川 」)・・・。  6月のアイヌ語地名研究大会での 「 北海道の動物アイヌ語地名 」 の講演資料から、「 ユック地名の分布図 」 を掲げておく。

 そこで「幾寅」局の風景印はどんなものかと鳴美の 『 風景印’95 』 を調べてみたが、まさかよもや載っていない。
 ヤフオクの出品はないかと覗いてみたら 「 幾寅 」 局の初日の風景印が出ていた。  様子から平成9年であるらしい。だから 「 風景印’95 」 には当然まだ載っていない。  そこで、 日本郵趣出版の 『 新版 風景スタンプ集 北海道・東北編 』( 2002年 ) を調べると載っていた。「 新規使用 」 となっており、この局の風景印の歴史は新しいようだ。
 図案の説明には 「 かなやま湖畔のカラマツ林、ログハウス、イトウ 」 とある。

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幾寅局の初日風景印。 ( 150% )
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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「 ユック地名の分布図 」(「 北海道の動物アイヌ語地名 」 の講演資料から )。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 12月27日(木)
 昨日、年賀状を書き終えて郵便局に出しに行ってきた。去年より二日早いよい心がけ。
 あとは年末の部屋の大掃除に取りかかるとするか。  

 昨日取り上げた漢文の参考書から遡って、この方面のバイブルと言ってよい本があった。
 『 漢文法基礎 ( 本当にわかる漢文入門 )』( 加地伸行、講談社学術文庫2018 )。
 第一部・基礎編、第二部・助字編、第三部・構文編の三部構成の600頁になんなんとするボリュームのもので、よくもよくも徹底して書いている。
 少し斜に構えたジジむさい文章に仕立てているが、著者の巻頭の日付によればこの初版本が出されたのが1977年、この人の生まれは1936年とあるから、40そこそこでこれを書いている。どの分野でもその道の碩学というものは大したものだ。
 この人だいぶお年を召したが、いまだに頑固一徹、ある種の発言で気を吐いているようだ。
 ついでながら、先ごろある本を探して神田の古書街で何軒かを覗いてみたが、この講談社学術文庫が圧倒的な量で一角を占めて、この文庫の重要さを改めて思い知らされた。

 も一つ。漢文の勉強で重宝したのが 『( 基礎からのジャンプアップノート ) 漢文句法 』( 東進ハイスクール講師・三羽邦美、旺文社 ) で、エッセンスを要約した解説と問題がセットになった実践的なもので、大学受験生には最適とみる。
 著者は超有名人・林修先生と同じ東進ハイスクールの講師で、出版社も旺文社ときている。

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『 漢文法基礎 ( 本当にわかる漢文入門 )』( 加地伸行、講談社学術文庫2018 )

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『( 基礎からのジャンプアップノート ) 漢文句法 』( 東進ハイスクール講師・三羽邦美、旺文社 )。面白い表紙。



 12月26日(水)
 11月の湯島の聖堂での漢文検定の折、玄関の斯文会の受付の前に置いてある平積みの本の中に見つけた大修館書店の 「 漢詩漢文小百科 」。
 最近は専ら居ながらにして求められる簡単便利なアマゾンでの注文が殆どで、本屋の店頭で実際に手にとって買う機会がめっきり少なくなった。
 ネットでの購入は、実際に中を見ていないだけに届いてから裏切られる事もある。
 久しぶりに実際に手にとって確かめることの大切さを実感した。

 コンパクトでありながら内容は実に豊富。4人の編集・執筆陣の連携プレーが見事に結実している。
 故事成語、人物、書名、用語解説などの前半の本文編 ( 百科事典の部分 ) に加え、後半の資料編の年表、歴史地図、「 漢文の特殊用語一覧 」、「 漢文の基本句形 」「 漢文の主要助字 」 などがよく整理されており、まことに重宝で価値のある本。改めて頷かされることも多い。

 付け焼き刃の英語教育が持て囃される一方で高校の漢文教育が蔑ろにされている。
 パソコンも英語も出来ないと胸を張っていた軽薄な御仁がいたが、この人に必要であったのはパソコンでも英語でもなく、それ以前に人格を陶冶する漢文に学ぶ諸知識であったろう。
 本家中国の昨今の風潮を見ていると、かつての礼の国の 「 漢文に学ぶ諸知識 」 もこれまた相当に危うい。

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「 漢詩漢文小百科 」( 大修館書店 )。



 12月25日(火)
 年賀状を半分書きかけて中断して、また切手を弄くったりしている。
 世間は暮れの忙しい最中だというのに、我ながら極楽蜻蛉です。
 本来ならば、積み上げた本だの資料だの、隅っこに溜まった埃などを掻き出す大掃除の時期だというのに。
 年賀状が終わったらそうしよう。
 流石に畳を持ち出して叩くまではしなかったが、子どもの頃の障子の張り替えを思い出す。

 傍らに小さな缶がらがあって、何が入っているのか分かっている。いつ手に入れたものやら、南モルッカ共和国の各種のセットが袋に分けて入っている。
 今さらどうしようもないものだが、我らの世代には懐かしく、訳ありの切手にしては立派な出来映えだ。

 南モルッカ共和国については、2010年10月の第159号に 『 有名なシンデレラ、南モルッカ共和国の切手 』 として書いている。
 そこでは頭出しに各セットの一部だけ取り出して紹介しているが、各セットとも大セットで、 よく知られるマッカーサーとインドネシアの島嶼地図の9種を始め、蝶の三角切手の10種、鳥の14種、熱帯魚三角切手が16種、花切手の24種、そして、今日の話題で取り上げようとする動物の18種などがあり、これらは別途 「 1 コレクションコーナー 」 の 「 (1) コレクション・リーフ 」 の 「 14 南モルッカ共和国 」 に収めている。

 今さらながら、小さな缶がらの南モルッカ共和国の各種のセットを見ていて、動物のセットに同額面の色違いのものがあることに気がついた。
 これは新発見 ( 所詮は正規の切手とは見なされないシンデレラものなのだが ) と思ったが、よく見ると本来の18種のセットのものには右肩に 「 POS POSTAGE 」( 郵便料金 ) とあるのに対して、色違いのものには 「 RESMI 」 とあって、こちらは 「 公用切手 」( 8種セット ) を装ったものであった。
 スコットに掲載されないこれら南モルッカ共和国の切手については 『 Indonesia South Moluccas | Philately | Postal System 』 というインターネットサイトのカタログがあって有難い。

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右肩に 「 POS POSTAGE 」 と記された本来の18種セットの動物切手。
1953年、南モルッカ共和国。。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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右肩に 「 RESMI 」 ( 公用 ) と記された、色違いの公用切手8種セット。( 原寸 )



 12月24日(月)
 このほど市場に戻した、樺太の豊原から京都に宛てられたエンタイア。
 豊原の風景印が押してあるのが珍しい。
 豊原は樺太第一の町、というよりも豊原市 ( とよはらし ) は、日本の領有下において樺太 ( 南樺太 ) に存在した唯一の市で、ここには樺太の総鎮守・総氏神とされた官幣大社・樺太神社が置かれ、豊原局の風景印にも樺太神社が描かれるとともに、土地柄のスキージャンパーの姿も入れられている。

 風景印は1931年 (昭和6年)7月7日の逓信省告示での 「 名勝史跡等に因メル図案ヲ挿入シタル通信日附印 」 という制度創設の趣旨から、昭和6年7月10日の使用開始時には、全国主要局とともに日光、箱根、鎌倉、上高地などの有名観光地での使用が優先的に開始されており、樺太での使用は翌年1932年 (昭和7年)7月1日の大泊、豊原、真岡の三局から始まっている。
 なお、風景印についてはちょうど1月の原稿で取り上げることにしています。

 そのこともさることながら、宛先が田中昌太郎閣下となっている。閣下となればただ者ではない。
 昭和11年6月5日の風景印の日付と樺太豊原 「 裁判所官舎 」 から ( 札幌控訴院検事長時代に縁のあった人物? ) 京都市宛てという時期と場所、下記の経歴から、この「田中 昌太郎」は立命館大学元学長の 「 たなか まさたろう(1872 - 1964年)検察官、弁護士。立命館大学元学長 」 氏ではないかと思われる。  1933年(昭和8年) 札幌控訴院検事長。
 1935年(昭和10年) 定年退官。
 1940年(昭和15年) 立命館大学学長

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樺太豊原 「 裁判所官舎 」 から京都市宛てのエンタイアの表裏。( 70% )

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昭和11年6月5日付けの豊原局の風景印。
( 画像をクリックすると拡大します )



 12月23日(日)天皇誕生日
 未整理のカバーのファイルの中に今上天皇の立太子礼記念の初日カバーを見つけた。
 立太子礼は公式に皇太子(皇位継承者)と定める儀式。この時、皇太子満18歳。
 特に意識していた訳ではないが、ちょうど天皇誕生日で、偶然とはいえこの日に相応しい材料になった。

 テレビが時期の特集で、戦後しばらくの間、当時皇太子であった少年時代の明仁親王(今上天皇)の家庭教師を務めたヴァイニング夫人 (1902 - 99年) を取り上げ、その後も長く続いた皇太子(後に天皇)との交流の思い出、エピソードなどを語った。
 今上天皇の穏やかな温かい人柄については好印象を持つ。その平和への強い意志は、口にこそ出さないが、先帝と戦争の関わりへの贖罪意識が強く働いているように思える。

 天皇誕生日 ( 1933年12月23日 ) は、1989年 (平成元年) 1月7日の第125代今上天皇の践祚 ( せんそ )・即位に伴い、それまでの昭和天皇の誕生日であった4月29日から、現在の 12月23日 に期日変更された。
 そして、平成31年の2019年4月30日、皇太子徳仁親王への譲位により平成時代は終わりを告げ、第126代の天皇の践祚・即位に伴い、新天皇の誕生日2月23日が新たな天皇誕生日として、2020年から期日変更されることになる。

 今上天皇の立太子礼を記念する三種の切手が発行されたのが、昭和27年の11月10日。この初日カバーに皇太子時代の天皇の写真が取り上げられている。
 三種の切手のうち、24円の図柄は皇太子旗で、本来は赤の地に金の起句の紋章なのだが、この切手の色によくクレームが付かなかったものと思う。

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今上天皇の立太子礼記念の初日カバー。5円切手に記念印。( 原寸 )


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立太子礼を記念した三種の切手。5円と10円の図案は麒麟と菊花。24円は皇太子旗。( 原寸 )。
( 画像をクリックすると拡大します )



 12月22日(土)
 先だっての日曜日の郵趣会の会報に、メンバーの定番 「 世界の一番切手 」 のコーナーで、1912年のチベットの一番切手の紹介があった。
 無目打ちの5種で、その頁を掲げておく。
 ただし、この一次発行は高額の1s ( sang = 6 2/3 trangka ) を加えた6種セットの筈なのだが。

 チベットの切手はこの1912年の一次発行の6種に続き、1914年の二次発行の2種、1933年の三次発行の5種があり、さらに1945年の 「 公文切手 」 と称される公用切手5種が発行されているが、粗紙に印刷されたこれらにはニセモノが多い。
 イメージだけでもと、二次・三次・公用切手のレプリカを掲げておく。

 チベットは大戦後間もなく中共軍の侵攻で独立を奪われ、1959年のチベット動乱も鎮圧され、その後も漢人の進出による経済支配と民族的抑圧が続く。
 チベット動乱に対する中国政府の弾圧を逃れて亡命したダライ=ラマ14世は1959年インド北部に亡命政権を樹立したが、そのチベット亡命政権のプロパガンダ切手を掲げておく。

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1912年のチベットの一番切手。( 原寸 )
この一次発行は本来は高額の1s ( Sang = 6 2/3 Trangka )を加えた6種のセット。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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1914年の二次発行の2種と1933年の三次発行の5種のレプリカ。( 原寸 )
( 画像をそれぞれクリックすると二段階で拡大します ) tibet_0002.jpg
1945年の公用切手5種のうちの3種のレプリカ。
これらの5種は額面毎に大きさが異なっており、最高額面の1sは一辺が66 mmの大きな正方形である。
( 画像をそれぞれクリックすると二段階で拡大します )

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チベット亡命政権のプロパガンダ切手。( 55% )
1974年発行の4種の各ペア。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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チベット亡命政権のプロパガンダ切手。( 原寸 )
1985年発行の4種。。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 12月21日(金)
 珍しいものがヤフオクに出品されていた。だいぶ以前に同様のものが出品されていたのを見た記憶がある。
 6人から多くのビットが入って、予想した水準の然るべき値段が付いた。

 「 台湾 台北 据置貯金郵便切手貯金台紙 」 として出品されていたもの。
 「 日本切手百科事典 」 の 「 Ⅸ.郵便切手貯金台紙 」 の 「 11.台湾総督府管内で使用した郵便切手貯金台紙 」 の項に掲載されている。
 据置貯金 ( 据え置き貯金 ) は今日の定額貯金に相当する制度で、台湾のみの制度であったらしい。
 1922年 (大正11年)の発行で、表紙には上部の〒マークの下に 「 据置貯金郵便切手貯金台紙 」 とあり、富士山と海の風景を描いて 「 塵も積もれば山となる 」「 大海の水も一滴より 」 のことわざが書かれている。

 台北北門町郵便局 ( 為替貯金記号 「 台はみ 」) の受入日の消印日付は大正11年12月3日。裏面の第2面に注意文と利殖表、また左の第3面は切手貼付欄で、2×5=10枚の切手張り付け用の桝目が入れられていて、ここでは右に田沢切手の5種の額面、左に当時の記念切手が貼られていて、いかにも郵趣家の仕業と考えられる。
 抹消印は独特の擬宝珠型の台湾逓信局の紫印。
 貼付切手の額面合計は46銭。利殖表によれば、下段の 「 一度百円預入 」 と同様の一括預け入れに相当し、この早見表ですぐに期待額が計算できる。
 金利は年5分2厘8毛 ( 複利5.28% ) で、46銭は3年後には約54銭、10年預ければ約1.7倍の77銭になる。
 このくらいの金利水準であれば将来の楽しみもあるが、現今のゼロ金利は異常であり、またフザケタ話だ。

 なお、注意文の 「 一 此の台紙( )貼付の・・・ 」「 据置郵便貯金のみ( )預け入れられます 」 の( )は文脈から 「 に 」 と覚しいが、これはそのとおり 「 尓=爾 」( に ) の崩し字と知る。

 北門郵便局は現在の台北の中央郵便局ともいうべき台北郵便局で、北門のそばに建っているため、北門郵便局とも呼ばれる。この3月の台湾旅行で台北に着いたなり、用意してきた知人・友人あての記念の封書を投函した所だ。
日本統治時代の1929年 (昭和4年) に完成した現在の台北郵便局 ( 北門郵便局 ) の写真を載せておくが、この据置貯金通帳が作成された大正11年の時点では1898年に建てられた木造2階建ての局舎が1913年 (大正2年) に火災により消失し、同年に再建された木造の臨時局舎であった。

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台湾総督府発行の 「 据置貯金郵便切手貯金台紙 」
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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同、裏面。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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現在の台北郵便局 ( 北門郵便局 )。



 12月20日(木)
 アイヌ語地名研究会の年会報 「 アイヌ語地名研究 」 ができ上がり、先だっての日曜日に発送作業を行った。
 通算の第21号。入会してから5冊目になるか。
 6月の講演原稿に当日のアドリブを 「 補足 」 で補って調整した原稿を掲載して貰ったが ( 本欄11、12月原稿 「 郵便消印に見るアイヌ語地名(上・下)」)、いつもながらに主要メンバーの日々の研究の熱意にはつくづく感心する。

 150頁もあって、まだこれからだが、取り敢えずの 『「 羽帯 ( ポネオプ ) 村は 「 骨置村 」』( 「 ポネオプ 」 の末尾を 「 プ 」 と小さく書いているのはアイヌ語の閉音節=末尾の子音を表す ) は、今年3月に無人駅から廃駅になった十勝の清水町にあったJR北海道・根室本線の羽帯 ( はおび ) 駅の駅名に関する地名のこと。
 その昔、幾度となく乗った路線だが、その存在さえも気づかなかった。

 「 羽帯 」 は、もとのアイヌ語地名 「 ポネオプ 」 に対する当て字で ( 羽=はね・帯=おぶ ) 当初はこれで 「 ポネオプ 」 と読んでいたが、いつの間にか一般的な読み方の 「 はおび 」 になった。
 そもそも 「 ポネオプ 」 とは何か。「 ポニオプ 」 は 「 ポン・イ・オプ 」 の急言で 「 小さな蛇の多い処 」 とした説を排して、もとの音は 「 ポネオプ 」 で 「 骨が多くある処 」、すなわち狩猟民族のアイヌは骨 ( シカやクマ、ウサギなど ) の捨て場 ( 一ヵ所に集めた置き場 ) を持ったが、多くの文献からの考証で突き止める。

 「 ポネオプ 」 には当初 「 羽帯 」 の字が当てられたが、間もなく 「 骨置 」( 理に適った名称 ) とされたが、それが芳しくないとみえて短期間で再び 「 羽帯 」 戻されている。
 こうして、アイヌ語由来の地名は当初の発音を表記したカタカナから当て字による漢字への置き換えが行われたが、その当て字が不適当と見なされたものは後日訂正されている。
 何より清水町は昔、人舞 ( ひとまい: ニトゥ・オマ・プで 「 流木がある川 」 の意 ) であったし、千歳空港の千歳ももとは 「 シ・コツ 」( 「 大きな窪み 」 の意 ) であったが、その音が 「 死骨 」 に通ずると音自体が嫌われ、あやかり地名で 「 千歳 」 とされた。ただ 「 支笏湖 」 には字を変えて音として残った。

 なお、一旦漢字が当てられるとその後、漢字に引っ張られる例は多く、ツキサップ ( 多くの説 ) に 「 月寒 」 の字があてられ、やがて漢字に影響されて 「 つきさむ 」 となり、ピウカ ( 石の多い河床 ) の 「 美深 」 は 「 びふか 」 と呼ばれるようになった。

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「 アイヌ語地名研究 」 21号表紙。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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羽帯駅のあったところ。



 12月19日(水)
 漢字の仲間から頂戴したチケットで札幌コンサートホールKitaraのクラシックコンサートに行ってきた。札幌交響楽団の演奏。
 最寄りの地下鉄中島公園駅からは雪の夜道だが、会場に向かう人の行列が続いた。
 夏はボートで賑わった池も今は凍って、その上を白く雪に覆われている。

 Kitaraの手前に豊平館がある。豊平館は開拓使が1880年 (明治13年) に大通りのテレビ塔脇の札幌市民ホールの場所 ( 豊平館跡碑が残る ) に迎賓用の高級西洋ホテルとして建造した。最初の利用者は明治天皇で、以後要人の宿泊、祝賀会、各種大会に用いられた。
 後に公会堂となり、第二次世界大戦中に日本軍、戦後にアメリカ軍に接収されたのち、1958年 (昭和33年) に中島公園に移設され、以後は2012年 (平成24年) 3月まで市営の結婚式場として利用されていた。1964年に国の重要文化財に指定されている。

 会場のKitaraの2008席の客席を持つという大ホールは満員の盛況であった。
 1997年完成のこの大ホールは観客席が周囲に幾重にも迫り出したオペラハウスを思わせる凝った構造で、前部の中央にステージを置く斬新な構造で、建築の新境地を開くもの。
 正面にフランスのアルフレッド・ケルン社製パイプオルガンが設置されている。
 愛称の 「 Kitara ( キタラ ) 」 にはギリシャ神話の芸術の神・アポローンの楽器 「 キタラー 」 と北海道の 「 北 」 の意味が込められている。

 演目は8曲。最初は、懐かしいデュカの交響詩 「 魔法使いの弟子 」。未熟な弟子が箒に水くみを命じたもののコントロールできなくなった箒が暴走して水をくみ続ける滑稽なデズニーの映像を思い出す。
 メインになったのはチャイコフスキーの 「 クルミ割り人形 」。チャイコフスキーのメロディーは本当に多彩でどれも美しい。「 金平糖の踊り 」 で使われている楽器チェレスタを初めて見た。
 外見は小型のアップライト・ピアノのような鍵盤楽器で可愛らしい鉄琴の音を出す。

 馴染みの 「 マドンナの宝石 」 の他に、これまで耳にしたことのなかった曲をいくつか聴くことになった。最初は違和感を感じながら何回か聴くうちに忘れられないものとなるという曲があるが、果たしてこれらはどうだろうか。
 ワルツがいくつかあったが、どうせなら懐かしいイヴァノヴィチの 「 ドナウ河のさざ波 」 が聴きたかった。

 最後はエルガーの 「 威風堂々 」 だったが、この曲は出だしや曲調が突然に変わる部分が特異でいつもながらに型破りの印象を受ける。取り上げた有名な第1番の中間部の有名な旋律には歌詞が付けられていて、この部分に及ぶと 「 Land of hope and glory Mother of the free・・・ 」 の歌詞が頭に浮かぶ。

 最後はオマケに用意された軽快なクリスマスメロデーの 「 Sleigh Ride 」 で締めくくってフィナーレとなった。
 帰り道は雪も止んで、木々の枝が樹氷のように綺麗に雪を被って、これを見ただけでも来た甲斐があったというものだった。
 以下に公開画像を借用して紹介。

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雪の夜の豊平館。

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道の奧にKitaraが見えてくる。

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Kitaraの正面玄関。

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 会場のKitaraの2008席の客席を持つという大ホール。
 周囲に幾重にも迫り出した観客席がオペラハウスを思わせる。
 正面にパイプオルガンを設置し、前部の中央にステージを置く斬新な構造。



 12月18日(火)
 土曜日の漢字同好会の「おもしろ学習会」でのこと。
 予定時間の5時ありきで進めて、最後の 「 変形漢字オセロ 」 はまだ用意した問題があって時間さえ許せばまだまだ続けられたところだったが時間厳守でやむなく終了し、会場の後片付けを終えた。
 ところが懇親会は6時からで、まだ間がある。
 そこで、また席に戻って、時間つぶしに得意の漢字問題の出題があった。
 口 ( 口偏または国構え、その他の四角の部分を想定 ) に二画を加えた漢字を見つけるという他愛もない問題だが、30ほどあるという。
 書き出した結果がこれ。少し無理気味のものもあるがほぼ30が出そろった。 もう一つ。こちらは少し無理筋くさいが、左上に示された図形に添って筆を入れてできる漢字を探せという問題。こちらは、100もあるという。

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口 ( 口偏または国構え、その他の四角の部分を想定 ) に二画を加えた漢字を書き出す。

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左上に示された図形に添って筆を入れてできる漢字を探せという問題。



 12月17日(月)
 昨日は郵趣会の例会で、その後は年末恒例のホテルバイキングの昼食会でした。
 その例会で、仲間から懐かしい複十字シールの提供がありました。
 その昔、複十字シールにも関心を寄せていた時代があって、複十字シールについての作品もいくつか書きました。

 第203号 ( 2014年6月第203号『 1936年、白十字会クリスマス・シール帳の完本 』) では、結核予防会の複十字シールについてWikipediaの記事から次のように引用しています。
 公益財団法人結核予防会が寄付のために作っているシールは、『 1903年にデンマークで慈善募金運動のためにクリスマス・カードにシールを貼ったのが起源とされる。その当時、世界中で死亡原因上位とされていた結核を撲滅・予防するための募金手段として複十字シールが考案された。日本では1952年 (昭和27年) より結核予防会から発行されている。2008年の時点で複十字シールを発行している国は約80ヵ国以上である。 』。
 また、複十字シールに使われているマーク『 ‡ 』(ロレーヌ十字)については、『 十字軍が自軍の盾の紋章として使用していたことから平和のシンボルとされた。その後、幾多の変遷を経て世界共通の結核撲滅・予防運動のシンボルマークとなった。 』 と書いている。

 第137号(2008年12月 『 クリスマスシール(複十字シール)』 )では複十字シール発行の歴史に触れており、次のように書いています。
 『 日本でも1925年に自然療養社から日本で初めての複十字シールが発行され、26年には日本結核予防協会 ( 結核予防会の前身 ) が、翌27年には白十字会が複十字シールを発行している。戦時中には一時中断したが、1950年に白十字会が戦後初の複十字シールを発行、1952年には(財)結核予防会が日本における国際機関として第1回目の複十字シールを発行し、以来、結核予防週間(9月24日~30日)を中心に8月1日から12月31日にかけて全国的に募金活動を展開している。 』
   併せて沖縄での情況にも触れ、『 沖縄県では本土に復帰するまでの昭和27年から46年にかけて独自のシールが発行されていた。 』 としている。
 更に 『 結核予防会が発行するシールのデザインは、毎年テーマを定めて一般から広く募集し、その入選作を組み合わせて使用していたが、2002年以降は公募を中止し、画家の安野光雅氏のデザインが使われるようになり、この2002年度版は複十字シールコンテストで1位に輝いた。印刷は財務省印刷局で行われている。 』。

 久しぶりに出会った2018年版の複十字シールでも2002年度版以来の安野光雅氏のデザインが引き継がれている。

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安野光雅氏のデザインによる2018年版の複十字シール。( 原寸 )
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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1952年の戦後第一回発行の「こけし」他、複十字シールのリーフ。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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2001年の 「 複十字シール発行50年記念 」 のシートと、
安野光雅第一号デザインによる2002年版の複十字シールのリーフ。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )



 12月16日(日)
 昨日は漢字同好会年末恒例の 「 おもしろ学習 大望年会 」。もう24回目になる。
 忘年会の 「 忘 」 をいつも 「 望 」 としているところがミソ。
 この日ばかりはいつもの漢検のための勉強会とは違ってクイズで楽しむ 「 おもしろ学習会 」。二時間半に6種の問題に取り組むめまぐるしさで、進行役としては疲れました。
 「 漢字タイムショック 」 は漢字がらみの問題を読み上げて、全員がそれぞれに問題用紙に記入して答える型式のもの。
 例えば、「 山に上下で峠、では雨に下では?( 答え: 雫 )」 とか、「 浦ちゃん頭に草生えた。この漢字は?( 答え: 蒲 )」「 春の七草、すずしろ、普通に言えば何? ( 答え: 大根 )」「 十の効能があることから、十薬と書く植物は? ( 答え: どくだみ )」「 木と耳できくらげ、では木と瓜では? ( 答え: ぼけ )」「 漢 字で八百万 ( はっぴゃくまん )、訓読みすると? ( 答え: やおよろず )」「 永久欠番の永久。大和言葉で言うと? (答え: とこしえ )」「 漢字で 「 兎に角 」 と書くと出てくる動物は? ( 答え: うさぎ )「 もずく ( 水雲 ) とワンタン ( 雲? )、共通する漢字は? ( 答え: 雲 )」 とか・・・。

 「 熟語探し 」 が面白かった。図のようなひらがな16文字を書いた表を示して、この中にある文字を使って ( 同じ文字を何回使ってもよい ) 二字または三字の熟語を紅白対抗の2チームが相互に書き出してその数を競うもの。結局両者50以上を並べて決着は付かなかったが、途中で面白い答えの熟語 ( 思いつかない傑作。とくに難しい漢字を使ったものなど ) にはボーナス点を加点した。
 「 薔薇 」 や 「 齟齬 」 はもとより、案の定 「 鞦韆(しゅうせん。ブランコ)」 が出たのは流石に漢字同好会でした。
 最後に 「 降参 」 が出たところで、こちらから 『 「 万策 」 尽きましたか? 』 と締めた。

 事務局としては、他にボーナス用の 「 枸杞 (クコ)」、「 箜篌 (くご)」、「 附子 (ぶす)」、「 襤褸 (らんる)」、「 弥散 (ミサ)」、「 草蘇鉄 (こごみ)」、「 鬱金 (うこん)」、「 婆娑羅 (バサラ) 」、「 塵芥 (ごみ)」 なども予想し期待していたのだが。
 またこの乱数表のような出題は、五十音表に組み合えて考えると熟語が閃きやすいようだ。

 「 推理四字熟語 」 は偏旁冠脚に添える部分の画数を示した出題から四文字熟語を推理するもの。
 これについては百聞は一見に如かずで、自己採点用の解答を示しておきます。

 もう一つ、最後に盛り上がった 「 変形漢字オセロ 」 の二題を解答版で示しておきます。
 最終問題で配点を厚くし、一発逆転の可能性を持たせていましたが、終始有利に得点を重ねていた白チームがここでも紅チームを圧倒して白チームの優勝となりました。

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「熟語探し」の出題。  ここから数限りなく熟語が浮かび上がる。「 空港 」「 国語 」「 参考 」「 文豪 」「 和語 」・・・。 

ss-kanzi0002_convert_20181216065109.jpg 「 推理四字熟語 」 の問題 ( 左 ) と解答。

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「 変形漢字オセロ 」(1)解答版

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「 変形漢字オセロ 」(2)解答版



 12月15日(土)
 スイスで2000年に、世界初の刺繍の切手が発行されている。( 図1 )
 オーストリアとの国境に近く、リヒテンシュタインにも近い東スイスのサンクトガレン州の伝統的刺繍産業の 「 サンガラン刺繍 」 を機械的に処理して製造された。
 スイスでのその後続の実態は見取っていないが、近年隣のオーストリアでの刺繍切手の発行が目に付く。

 オーストリアでいつからこのような刺繍切手が発行されるようになったのか、その全貌は知らないが、イーベイの出品から拾ってみると、今年の帽子の切手から、2016年の民族衣装、2008年のリンドウがあって、2005年のエーデルワイスまで遡った。( 図2 )
 これからすれば、オーストリアの刺繍切手は2000年のスイスの刺繍切手第一号から程経ずして始まっているようだ。
 また、2015年にはスワロフスキーのクリスタルガラスの6個の粒を付けた合成皮革製の革製半ズボンを模した切手も発行されており、近年の珍しい素材を使った奇抜な切手の競い合いは際限を知らない。( 図3 )

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図1 スイスで2000年に発行された世界初の刺繍切手。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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図2 オーストリアの刺繍切手。
( 画像をクリックするとそれぞれが拡大します )

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図3 オーストリアで2015年に発行された、スワロフスキーのクリスタルガラスの6個の粒を付けた
合成皮革製の革製半ズボンを模した切手。( 200% )。
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 12月14日(追加)
 今朝は20センチばかりの新雪が積もった。
 キツネの足跡を探しに散歩に出た。
 雪雲の上に青空が広がって、ついこの間までのタマネギ畑は一面のまぶしい雪原だ。
 「 雪原 」 と聞くと、文革時代の革命京劇 “ 智取威虎山 ” の原作となった曲波の 『 林海雪原 』 をつい連想してしまう。

 キツネの足跡は意外に一つも見られなかった。
 古い足跡は新雪に隠されたし、獲物のネズミも出てこないこんな日はキツネも巣穴で朝寝を決め込んでいるのだろう。
 キツネにとっては胸まで浸かる雪だ。
 こちらも、バス通りの除雪のない歩道を他人の踏み跡を辿ってラッセルしたが、結構な運動を強いられた。

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タマネギ畑は一面の雪原。

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パークゴルフ場も雪の下。



 12月14日(金)
 コルクという珍しい素材を使った切手が出たところで、素材で言えば木製の小型シートの切手が1982年にガボンから初めて発行され ( 図1の独立22周年記念 )、ついで1984年にも同年のハンブルグ切手展記念の小型シート ( 図2 ) が発行されている。
 ガボンでは、これに先立つ1970年に金箔に印刷された便乗タイプの大阪万博記念の変わり種切手があり、鳥居と富士山と日本髪の女性というステレオタイプの強烈なデザインで印象深い。(図3)

 木製の切手は、その後ジブチやパラグアイからも発行され、さらに2004年にはスイス ( 図4 )、2007年にはイタリアからも木製の切手が発行されている。
 最近2017年のオーストリア初というシール切り抜き型の木製切手も発行されている。 ( 図5 )
 これらの切手は木製と言っても木片ではなく、スライサーで薄く剥いだ単板 ( 「 突き板 」 ) と呼ばれる薄いシート状の木材を使用したもので、同様の薄板は日本ではかつて経木として弁当箱や、更に薄くして主に食品の包装資材として盛んに使われた。

 経木は今では発泡スチロール製トレイやビニール袋にすっかり取って代わられてしまったが、天然素材の持つ通気性や殺菌性が注目され、環境に優しい経木が再び注目を集めている。原料にはスギやヒノキ、北海道ではエゾマツ・トドマツの針葉樹、また白く美しい広葉樹のシナノキも使われる。

 アフリカ西海岸に位置するガボンは15世紀末にポルトガル人が現れて奴隷貿易を行い、次いでオランダ、イギリス、フランスが進出して奴隷貿易と象牙の集散地として栄えた。  1885年にこの地域はフランスの支配下に入り、1910年以降のフランス領赤道アフリカの一部を経て、1960年にガボン共和国として独立した。
 なお、この地は20世紀のヒューマニストとして知られるシュヴァイツァー博士のゆかりの地で、30歳の時、医療と伝道に生きることを志し、ガボンのランバレネで当地の住民への医療などに生涯を捧げた。
 シュヴァイツァーの切手は幾度も発行されている。

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図1。 ガボン初の木製小型シート。 1982年の独立22周年記念。

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図2。 ガボンの木製小型シート。1984年のハンブルグ切手展記念。

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図3。 ガボンの金箔に印刷された1970年の大阪万博記念の変わり種切手

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図4。 2004年のスイスの木製切手。

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図5。 2017年のオーストリア初のシール切り抜き型の木製切手。



 12月13日(木)
 変わり種の切手を引き継いで、コルク製の切手の話。

 コルクは林産物で、ブナ科コナラ属の常緑高木、コルクガシから生産される。 ( 日本のブナ科=ドングリの木は、暖帯性のシイとカシ類の常緑広葉樹を除いて、殆どがブナ、ナラ、カシワ、クリ、クヌギなどの温帯性~亜寒帯の森林のもので落葉する )
 コルクガシの原産地はスペインを中心とする地中海沿岸地域で、スペイン、ポルトガル、フランス、イタリア、モロッコ、アルジェリア、チュニジアでコルクガシが栽培されており、その栽培面積は2万5千km2にも及ぶ。ポルトガルは世界最大のコルク生産国で、世界全体のコルク生産量の約半分を占め、原料となるコルクガシ林の面積も約7千km2と世界全体の3割を占める。
 日本でもコルクの採れる木があり、関東以南に分布するアベマキ ( ブナ科 ) からも僅かながらコルクが生産されている。

 そのポルトガルで、2007年に世界初のコルク製の切手が発行されている。
 額面1ユーロの切手で、薄い板状にしたコルクに印刷されており、厚さはわずか0.35ミリ。丘の上に立つコルクガシの木が描かれている。

 かつてはコルク栓の需要を独占したコルク産業も、コルク栓が樹脂や金属製のふたに押され、業界は多角化を余儀なくされたが、軽さ、耐久性、弾力性といった天然素材の特性を生かし、被覆加工材、断熱材といった建築材料として、また宇宙航空産業などの最先端産業部門にと活路を見出している。
 また再生可能という環境に優しい素材としての価値も見直されている。

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ポルトガルで2007年に発行された、世界初のコルク製の切手。 ( 200% )
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )
コルクの質感とシール切手になっている様子が見られます。



 12月12日(水)
 昨日の国連切手の話を受けて。
 不思議に思うのは、このマカオの切手展を題材にした小型シートの三種の切手の印面に施されたレザーカッターによる剪り紙のような加工についてである。
 レザーカッターによる加工の様子は YouTubeの画像で見ることができる。
 本当に早い。これでは中国伝統の剪紙もタジタジだ。
 ただ重ねた紙を剪る画像はなく果たしてどうか。レーザー光は熱を持つだろうから紙の加工は注意が必要だろう。まさか今どき枚用紙で加工するとも思われないが。
 昨日の国連切手の小型シートの右肩には5桁のシリアルナンバーと覚しき数字が入っている。これだけなら10万枚。まさかそんなに少ない発行とも思えないが。
 毎分の加工枚数×時間×レザーカッターの台数などとヒマなことを考えたが、何のことはない、別のサイトの説明に数十枚重ねた加工も可能とある。ただし、熱への配慮は必要なようだ。

 そもそもレーザーカッターとは、レーザー光で様々な素材を切断、刻印できる工作機器で、紙は固より、皮や金属など様々な素材の加工・細工に使える。
 ソフトウェアなどで作成したデータを用いて自動で加工を行えるため、今まで手作業で加工していたものを短時間に大量に生産・加工することができる。
 10万円を下回る個人でも手が届く値段のものもあり、趣味の世界でも活用されているらしい。

 そういえば、日本の切手でもレザーカッターによる加工の事例は出ており、知るところでは平成29年のお年玉年賀切手小型シートの地模様に使われている。 

 切手は三角や円形などの変わった形状のものが目を引いた時代から、シール切手が自由な形状を可能にし、さらに形状にとどまらず、匂いの付いた切手や表面を盛り上げたものなど、材料や技術の進化によって様々な変わり種の切手が登場している。

 2009年にポルトガルから5種セットで発行された、五感 ( 視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚 ) で感じ取れると銘打った変わり種切手がある。
 コーヒーの切手はコーヒーの香り付きで嗅覚、アイスクリームの切手はなめるとバニラ味で味覚、 眼鏡の切手はホログラム加工で視覚、絵具の切手はエンボス加工で触覚、ヤスリの切手はザラザラで触れば音が出るということで聴覚を表している。  目打ちにも十字の飾り目打ちが付けられている。

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平成29年のお年玉年賀切手小型シートは、地模様にレザーカッターによる加工が施されている。( 原寸 )

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2009年にポルトガルから5種セットで発行された切手は、五感で感じ取るという変わり種切手。
コーヒーで香り・嗅覚、アイスクリームで味覚、眼鏡はホログラムで視覚、
絵具の切手はエンボス加工で触覚、ヤスリの切手はザラザラで触れれば音が出て聴覚を感じとることができる。



 12月11日(火)
 我ら日本郵趣協会の会報から始まって、今では会報 ( 関係情報の提供 )兼、商業ベースの切手販売雑誌となっている雑誌 「 郵趣 」 の今年最後の12月号。
 その表紙を飾っているマカオの小型シート。と思いきや、これが意外にも国連発行のものと聞いて驚く。

 「 国連切手 」 というものがある。国際連合の郵便組織である国際連合郵便が発行する公用切手で、そもそも 「 公用切手 」 とは官公庁の郵便料金の支払いのために国単位で発行されるものだが ( スコットカタログにはofficialのOのコードが与えられている。日本での発行はない )、国連切手は国際機関である国際連合郵便 ( 国連郵便 ) が発行した公用切手でも、一般人であっても国際連合の郵便局で差し出す郵便物に使える点が国単位で発行される一般の公用切手とは異なる。

 国連切手を販売しているのは、国連本部があるアメリカ合衆国のニューヨーク、スイスのジュネーヴ、オーストリアのウィーンにある国連管轄の郵便局だが、それが最近その三者による共同発行のパターンが出てきて、一瞬マカオの切手かと思わせるこの小型シートでそのことを知った。

 早速イーベイの出品を覗いてみると国別のマカオにも出品があるが、「 UN 2018 Macao 」 で検索すると沢山出品されている。
 その中から画像を拝借してこの美しい 「 国連発行の小型シート 」( なぜマカオが取り上げられたのかとの疑問は残るが ) を眺めてみたい。

 三種の切手が収められているが、デザインテーマの木蘭 ( 木蘭は中国の物語上の女性主人公。木蘭の姓は京劇では 「 花 」 で 「 花木蘭 」)、登場人物 「 包拯 」、「 関羽 」 、「花木蘭(ムーラン)」の化粧 ( 隈取 ) をレーザーカットで中国伝統の切り絵 「 剪紙(せんし)」 のように切り抜きする新しい試みの切手になっている。
 額面表示に注目すると左の 「 包拯 」 はドル表示で国連本部、中央の 「 関羽 」 はCHF ( スイスフラン ) でスイスのジュネーヴ事務局、右の 「 花木蘭 」 はユーロでオーストリアのウィーン事務局発行のものとなっている。

 木蘭の物語は、老病の父に代わり、娘の木蘭が男装して従軍、異民族 ( 主に突厥 ) を相手に各地を転戦し、自軍を勝利に導いて帰郷するというストーリーである。
 身代わりに従軍するという話からは杜甫の 「 石壕吏 」 が連想される。

 マカオは漢字で 「 澳門 」 と書き、アモイの 「 廈門 」 といつも戸惑う。
 「 澳門 」 は奥深い入り江に門のようにそびえ立つ二つの山の景観を表現しているというが、「 廈門 」 にも家 ( 廈 ) のように聳える地形があったのだろうか。

 タイトルに 「 澳門2018第35届亜州国際集郵展覧 」( マカオ2018第35回アジア国際切手展 ) とある。日本人にとって 「 届 」 は一義的には 「 届ける 」 だが、中国では会合を数える数詞として使われる。 「 届 」 の音を改めて問われると、さて何と読むのかと悩むが、「 カイ 」 で回数の意味では 「 回 」 の字と一致している。

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切手趣味の雑誌「郵趣」12月号の表紙。

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国連郵便三者共同発行のをマカオの切手展をテーマにした小型シート。
( 画像をクリックすると二段階で拡大します )

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裏面から見たレザーカットによる切手印面の切り抜きの様子。



 12月10日(月)
 片付けものをしていたらご褒美に気になっていたものが出てきた。
 赤二 ( 新小判2銭のニックネーム ) 一枚貼りの道内便。
 差し出しの鮮明な後志・岩内の消印の日付は明治22年11月2日。
 「 十一月 」 の 「 一 」 の位置が下にあって 「 二 」 の上が消えた12月とも思えるが、裏面の 「 能津登 」 の着印でも同じような 「 十一 」 の表示になっており、こんな活字を使っていたようだ。
 例によって、この時代はまだ徹底せず、裏面に切手が貼ってあり、標語印などで 「 切手は表の左肩に貼りましょう 」 などとまだ啓蒙していた時代。
 宛先は「磯谷郡島古丹村」。現在の寿都町の字名 「 島古丹 」 はもとは 「 シュマ・オ・コタン 」 で 「 石の多い村 」 の意。
 このエンタイアで注目されるのは表に押された小局 「 能津登 ( のつと )」 の着印。
 「 能津登 」 は寿都町の字名。「 能津登 」 のノッは岬、エツが尖った先で 「 岬の突端 」 の意。
 能津登は岩内から日本海の海岸沿いに南へ20キロほどのところで、翌日には届いている。

 間宮海峡発見の間宮林蔵が松田伝十郎 ( 松前奉行調下役 ) に同行し、東海岸と西海岸の二手に分かれて探査ののち、二人が合流した北樺太西岸の 「 ノテト 」 も 「 能津登 」 と同じ語源ではなかったろうか。

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道内便。岩内から島古丹あてのエンタイア。 ( 70% )
( 画像をクリックするとそれぞれ二段階で拡大します )

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表面の 「 能津登 」 局の到着印 「 後志・能津登明治22年11月3日 」 と、裏面の岩内の発印。



 12月8日(土)
 昨日、午後から今シーズン初の本格的な雪になった。吹雪もした。
 そんな中、漢字仲間の打合せに街に出かけた。ご苦労なことではある。
 寒いと朝の散歩も億劫になり、上京で毎日一万歩も二万歩も歩いたのと比べたら雲泥の差で、昨日は珍しく離れた駐車場に停めたお陰で一万歩を超えたが、そんなことでもなければ数千歩の日常になっている。

 散歩に出れば運動になるとともに季節の変化を感じ取ることができる。  隣の伏籠川にカモが集まっている。二十羽ほどの群れ。
 これらもシベリアから渡ってきたのだろうか。
 いや年中見かけたりもするので土着のものかも知れず、よく分からない。

 そういえば、今日は太平洋戦争開戦記念日。記念すべき日ということでもなく、単に開戦日と言った方が相応しいかもしれないが。
 日本大使館員の怠慢 ( こんな情勢の切迫した時期に送別会で大使館を空にしていて、大使からの打電の確認が遅れた。その後の関係者への処分の話は意外に聞かない ) が最後通牒の伝達を遅らせ、事実上奇襲攻撃となって、「 リメンバー・パールハーバー 」 の遺恨の扇情に繋がったとすれば、その罪は重い。

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隣の伏籠川に来ているカモ。



 12月7日(金)
 ある勉強会で切手の話をしたら、あとで中のお一人が 「 何枚くらいお持ちか 」 ときた。
 これだから素人さんには恐れ入る。必ずと言っていいほど巡り会う素朴な質問だ。
 話の中身に興味を持っていただけるならともかく、またかと素っ気なく10万枚と噛ました。
 フーテンの寅さんじゃあるまいし目方で量る話でもあるまいしと思いつつ、いくらなんでも10万は大きく出すぎで、「 ごまんとあります 」 とでも誤魔化しておくべきだったか。

 何かの時に入手した100枚束80個を入れたケースがある。
 現行の通常切手だが、孫の遊びの材料か、貼り絵の材料に提供するくらいの積もりで付き合ったものだが ( こういうものは、本来は消印を探すために作られている )、ただ数だけで言うならこれだけでも8千枚。
 まさに目方でいくらの世界で、それではあんまりだと真面目に考えてみると、それでも多そうな通常切手のストックアルバムは1冊で目安1,000枚以上はある。
 何より数を頼みとするなら、仲間から引き継いだ未整理の外国切手が数百リーフあって、1リーフあたり相当枚数が収められているから、これだけでも掴み数万の数になるだろう。
 改めて信じられないことだが、口を突いた出任せの10万も、あながちウソでもなさそうだ。

 数を競うものではなく、そうした重複は除いて、種類を競うとなれば、それでも数千、いや万を超えるかもしれない。真面目に考えれば、一品もののカバー類を含めて、「 おそらく、万に近いかと思います 」 とでも答えておけば、当たらずとも遠からずの真面目な答であったかも知れない。

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現行の通常切手100枚束80個を入れたケース。



 12月4日(火)
 先月の例会、といっても今回は会員が上京するJAPEXと重なる定例の第三日曜日を避けた第四日曜日でついこの間のことだが、メンバーの一人が見覚えのあるエクアドルのガラパゴスにかかわる切手をいつもの紹介欄に取り上げていた。
 懐かしさに帰ってから探してみたが、出てこない。
 いよいよとなればイーベイの出品画像を借用するかと思ったが、特別珍しいものでもないのに、意外にも出ていない。

   エクアドルで1936年に発行された、進化論、「 種の起源 」 で有名なチャールズ・ダーウインのガラパゴス訪問100年記念の切手。
 図のように6枚セットの切手なのだが、どうしたわけかメンバーの紹介でも低額の4枚、私もその4枚セットで記憶していた。見つけたこの借用画像も、そんな先入観があって 「 見るもの見えず 」 で見逃していた。

 改めて、ダーウインがガラパゴスを訪れたのは1835年の9月17日。
 その100周年を記念して1936年に発行された6種のセット。文字と絵のバランスが良い、落ち着いたデザインの名品で、日本で言えば昭和11年のものだが、垢抜けたデザインで時代を感じさせない。
 2センタボスはガラパゴス諸島の地図、5センタボスはガラパゴスの固有種の一つガラパゴスリクイグアナ、10センタボスも同様のガラパゴスゾウガメ、20センタボスは言わずと知れたダーウインの肖像。
 因みにガラパゴスとはスペイン語でゾウガメのことである。
 ガラパゴス諸島は1978年に最初の世界遺産12件の一つとして登録された。

 1スクレにはコロンブスの肖像が描かれ、2スクレは島の風景とある。
 ガラパゴス諸島の正式名称は南米を発見したコロンブスの名を取って 「 コロン諸島 」 と名づけられているが、コロンブスはガラパゴスには足跡を印していない。

 なお、エクアドルの通貨は1881年以降長く、100センターボ=1スクレとする貨幣単位が使用されていたが、インフレで通貨価値を維持できなくなり、2000年以降は米ドルを法定通貨としている。

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1936年にエクアドルで発行された、ダーウインのガラパゴス訪問100年記念の6種セットの切手。
ただし、この絵入りアルバムに整理されたロットには1Sのコロンブスの切手が欠落しており、
下に別の借用画像を載せておきます。
( 画像をクリックするとそれぞれ二段階で拡大します )



 12月3日(月)
 そういえば、すでに11月1日から平成31年用の年賀切手が発売されていました。
 来年の干支 ( えと ) はイノシシで、と言いかけて、正確に言えば干支は十干 ( 甲・乙・丙・丁・・・ ) と十二支の子 (ね)・丑 (うし)・寅 (とら)・卯 (う)・・・を組み合わせたもので、来年の十二支が亥 ( いのしし ) で、来年の干支と言ったら 「 乙亥 ( きのとい )」 ということになる。
 ついでながら、中国、台湾では 「 猪 (ぶた)」= 豚年になっている。

 それはともかく、今度の年賀切手がこれ。はがき用の62円と封書用の82円の二種に、それぞれの寄附金付きのものが合わせて4種。
 62円とこれに3円の寄附金を乗せた2種がのデザインは、郷土玩具の会津中湯川人形「 来らんしょ亥 」 というが、会津中湯川人形は伝統のものでなく、1982 (昭和57)年から制作されるようになった土人形という。年を重ねると題材も尽きてくる。

 82円とこれに3円の寄附金を乗せた2種のほうは、郷土玩具の 「 干支 亥 」 をデザインした八橋人形で、こちらは江戸時代中頃から秋田県秋田市に伝承されてきた土人形という。

 亥年の年賀切手は昭和46年用に初めて登場し、以降58年用、平成7年用、平成19年用と発行が続いてきた。それぞれを小型シートを載せておく。

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平成31年用の年賀切手4種。

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昭和46年用、58年用、平成7年用、平成19年用の各小型シート。



 12月2日(日)
 先月上京の時に神田の岩波ホールで上映中だったインド映画 『 ガンジスに還る 』 が札幌にも早々と巡ってきて、見てきた。ただし、映画には漠然たる期待感とのズレがあった。
 先日テレビで人身売買などインドの現代社会の負の側面を見ていただけに、一方でこうしたインド本来の宗教に依拠した静謐な精神生活があることに、その落差の甚だしさを感じた。
 さらに、ちょうど次回の上映予告で 『 ムトゥ 踊るマハラジャ 』( 1995年公開 ) を見せられると、それが羽目を外しすぎとはいえ、一方で未だにマハラジャ ( かつての藩主と言う名の封建地主、地方貴族、旧時代から続く特権階級といったところか ) の存在もあり、テレビで見せられた金で転ぶ汚職警官ばかりで治安もままならないインドという計り知れない混沌の社会を見る。
 かつて記憶の範囲で4億という人口も今や14億の中国を追い越す勢いの13億数千万。 産業、教育水準からして、前途多難な国とみる。

 映画の話。退屈に見えた 「 漠然たる期待とのズレ 」 は、そもそもこの映画がテーマとする生死感にかかわる彼我の違い、生活風習から世界観に至る違和感が大きく影響している。  そうしたものを呑み込んで理解・納得のできる基礎知識が備わっていないと先ずその違和感が先に立ってしまう。
 幸いこの映画のパンフレットは出来がよい。そうした基礎知識を養うのに充実した内容になっている。ヒンドゥー教最大の聖地・バラナシのこと、主人公の親子が宿泊する 「 解脱の家 」( 「 死を待つ人の家 」 ) とそこに暮らす滞在者のこと、ガンジス川のほとりにある火葬場のこと。また、それぞれの専門家による 「 映画に死への準備教育を学ぶ 」「 解脱を約束してくれる聖地 」「 最後の救いを託せる場所バラナシ 」「 私たちの身近になる解脱 」 など、これらの解説を踏まえた上でこの映画を改めて味わう必要を感じる。

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インド映画 『 ガンジスに還る 』 パンフレット。



 12月1日(土)
 いよいよ12月。一年が早いとは、毎度の決まり文句。
 旧暦月の異名で12月は師走 ( しわす )。
 「 死せる孔明、生ける仲達を走らす 」 ではないが、「 12月は師を走らす 」 か。
 師走とは坊主が忙しく東奔西走する月だなどと、いかにもという民間語源 ( 言語学的な根拠がないもの。俗解 ) があり、他にも諸説が伝えられるが、どれもこじつけがましい。
 晩には12月早々にアイヌ語地名研究会の気の早い忘年会が予定されている。

 原稿は11月の続きで、「 郵便消印に見るアイヌ語地名(下) 」 。
 4の 「 皇太子殿下北海道行啓紀念印付き絵はがき、下々方 」 は、北海道立文書館 ( 道庁赤れんが庁舎内にある北海道庁の付属施設 ) にこのときの北海道行啓日程の記録 「 奉迎記事 ( 記録 )」( 明治45年4月 ) を見つけたことから、とくに詳細になった。

 かねてより噂で聞いていたが、この北海道立文書館は来年、江別市文京台の道立図書館の敷地内に移転、新築される予定とのことだが、利用の不便になることだけは確かだ。

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北海道文書館の入っている道庁赤れんが庁舎。
明治21年建築のドームを載せたアメリカンネオバロック様式のれんが造りの北海道庁旧本庁舎は、
昭和44年に国の重要文化財に指定されており、「道庁赤れんが」の愛称で親しまれている。



2018年一覧表



札幌中央支部会報 「郵趣・赤れんが」掲載郵趣エッセー 2018年分 ー覧表

2018年 号数 タイトル
12月 257  郵便消印に見るアイヌ語地名(下)      5頁
11月 256  郵便消印に見るアイヌ語地名(上)   4頁
 10月 255  続・日本統治時代の台湾消印   5頁
 号外  ペニーの略号「d」やポンドの記号「£」などについて  2頁
 9月 254  金門島関係二題   4頁
 8月 253  終戦を挟んで ( 第二次昭和切手・大東亜共栄圏地図切手貼りのエンタイア )      4頁
 7月 252  台湾の捕虜収容所から米宛て捕虜郵便はがき  3頁
 6月 6月23日  アイヌ語地名研究大会講演 「 郵便消印に見るアイヌ語地名 」  11頁
251  東京・神田 万世橋のこと    3頁
 5月 250  金瓜石と金包里( 日本統治時代の台湾消印 )   4頁
 4月 249  北海道誕生150 年  4頁
 *  台湾国立故宮博物院南院開館記念切手の小型シート  2頁
 3月 248  第五方面軍司令官・樋口季一郎宛てのエンタイア  3頁
 *  有名なトルコの八角形切手のフルシート 2頁
 2月 247  札幌大通公園にまつわる話     5頁
 1月 246  愛国切手誕生の背景  4頁


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東京駅付近の高架鉄道 『 東京・神田 万世橋のこと ( 2018年6月第251号 ) 』

2017年一覧表



札幌中央支部会報 「郵趣・赤れんが」掲載郵趣エッセー 2017年分 ー覧表

2017年 号数 タイトル
12月 246  北戴河から 「 香港九龍沙田禾輋邨 」 宛てのカバー     2頁
11月 245  明治の外信絵はがき 「 東京府下北豊島郡滝野川 」  3頁
10月 244  日本の国技・相撲について(下)      4頁
 9月 243  日本の国技・相撲について(上)   4頁
 8月 241  終戦直前の旅順宛て封筒 ( 併せて 「 八紘一宇 」 について )     2頁
 7月 240  ハルビン・秋林公司本社からドイツ宛のカバー  3頁
 6月 239  家紋の話 ( 下 )      5頁
 5月 238  家紋の話 ( 上 )   5頁
 4月 237  対馬の話  3頁
 3月 236  戦前の台湾の絵封筒  2頁
 2月 235   ニュージーランド海軍巡洋艦ガンビアに係わるニセカバー   2頁
 1月 234  世界の高層建築物の歴史  5頁


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 北戴河から 「 香港九龍沙田禾輋邨 」 宛てのカバー ( 2017年12月第246号 )  

2016年~一覧表

       
2016年 号数 タイトル
12月 233  南洋群島トラック島碇泊、神戸高等商船学校練習船進徳丸乗組員宛て封  3頁
11月 232  戦後日本人引き揚げ者に対する大連電話局の通信事務封緘  2頁
10月 231   関連マテリアルから知る満蒙開拓団の悲劇 ~ 映画 「 望郷の鐘 」 と重ねて ~    5頁
09月 230(1)  胆振・壯渓珠(ソーケシュ)局の消印   1頁
230(2)  手彫り切手のオーソリティ、市田左右一氏ゆかりのカバー 2頁
08月 229  入札三題、初日カバーの話 4頁
07月 228  中華郵政史 5頁
06月 227  エベレスト、第三次イギリス遠征隊にかかわるシール 3頁
05月 226  臨時北部南西諸島政庁の設置から奄美群島復帰まで 5頁
04月 225  サザーランド切手について 6頁
03月 224  東京商船学校練習船月島丸  2頁
02月 223  テレジン収容所の小包切手    2頁
01月 222  カール・ルイスの新商売    4頁
2015年 号数 タイトル
12月 221  再び 「 日本統治時代の台湾消印 」 について (下)   6頁
11月 220  再び 「 日本統治時代の台湾消印 」 について (上)  6頁
10月 号外  港区赤坂のアメリカ大使館と横浜にあった総領事館  3頁
09月 218  ルイス・カバーについて(下)  7頁
08月 号外  台北駅の変遷  2頁
07月 216  ルイス・カバーについて(上)  8頁
06月 215  北海道消印・アイヌ語由来の地名  4頁
05月 214  清国宛てエンタイヤ3通  5頁
04月 213  洋画家・金子博信の絵はがき  3頁
03月 212  (続)有名人の関連アイテム ~ 横山大観 ~  5頁
02月 211  伊豆の南端、石廊崎の長津呂にまつわる話 ~ 特攻兵器「震洋」の基地があったところ ~  4頁
01月 210  大学関連マテリアル 8頁
2014年 号数 タイトル
12月 209  戦前の台湾の風景印 8頁
11月 208  有名人の関連アイテム  6頁
10月 207  紙ものコレクション( 印紙類 )   7頁
09月 206  砲艦ツツイラ号関係カバー二点  6頁
08月 205   誌上「なんでも鑑定団」  6頁
07月 204  佐久間ダム関係マテリアル(映画「東京原発」とからめて)   5頁
06月 203  1936年、白十字会クリスマス・シール帳の完本  4頁
05月 202  船内局印(SEA POST)/ 船旅の黄金時代(その3)  7頁
200号記念誌  200号記念誌に寄せて ( 100号から200号までの時間 ) 9頁
04月 201  船内局印(SEA POST)/ 船旅の黄金時代(その2)  7頁
03月 200  船内局印(SEA POST)/ 船旅の黄金時代(その1)  5頁
02月 199  1929年中国、パリ~東京間特別飛行の航空カバー(広州~上海)   4頁
01月 198  「北海道後志支庁忍路郡塩谷村」宛ての外信絵はがき二点   4頁
2013年 号数 タイトル
12月 197  水原明窓ゆかりの二点 5頁
11月 196  日本統治時代の台湾消印 10頁
10月 195  航空機の切手(特徴ある二機種について) 4頁
09月 194  富士山、よくぞ世界遺産に 6頁
08月 193  東京・わが心の故郷、ゆかりの二点  +「東京、わが街」(8頁) 5頁
07月 192  北朝鮮の出品にまつわるエピソード 6頁
06月 191  北杜夫とファーブルと 6頁
05月 190  明治の絵はがき「駅弁売り」の図 3頁
 逓信総合博物館の閉館 3頁
別冊  台北紀行(下) 15頁
04月 189  文革関係マテリアル三題 4頁
03月 188  燕京大学関連マテリアル 4頁
別冊  台北紀行(上)( 郵政博物館と?嶺街の切手商 ) 10頁
02月 187  切手に見られる言語と文字について(下) 4頁
01月 186  ミント・未使用・使用済み、その落差  6頁
2012年 号数 タイトル
12月 185  切手に見られる言語と文字について(中) 5頁
11月 184  中国の郵票冊、二点 4頁
10月 183  切手に見られる言語と文字について(上)  5頁
09月 182  三井物産のカバー二点 4頁
08月 181  ジャーマン・ステーツ(領邦国家郵政)とプリバート・ポスト(ドイツ民間郵便) 8頁
07月 180  1968年・北朝鮮「朝鮮民主主義人民共和国20周年記念」8種連刷 3頁
06月 179  関連マテリアルから偲ぶ「郵便友の会」(6頁)+「郵趣の楽しみ」(7頁) 13頁
05月 178  フライング・タイガース(飛虎隊)関連マテリアル 17頁
04月 177  「切手」は各国語で何という 6頁
03月 176  「北方四島」のタブの付いたボーガス 3頁
02月 175  チャールトン・ヘストン宛のファンレター 4頁
01月 174  その後のイザワ・エイジ氏 3頁
別冊  郵便以前「アイヌの郵便」 3頁
2011年 号数 タイトル
12月 173 大英帝国の版図が描かれたカナダの切手について 3頁
11月 172 ジョージ6世とその時代(英領植民地の「地誌シリーズ」) 7頁
10月 171 在満州国日本領事館のマテリアル 6頁
札幌オリンピック冬季大会の扉 1頁
2011「北海道郵趣大会in旭川」を記念して 1頁
09月 170 リビア、二つの首都 3頁
08月 169 オールド上海の建築物(下) 8頁
07月 168 オールド上海の建築物(上) 10頁
06月 167 ウォルデンブルグ収容所郵便(ポーランド) 8頁
05月 166 Lagerpost Bando(板東収容所郵便)マテリアル 3頁
04月 165 沖縄暫定切手 丸検印 1947-48(参考品) 3頁
03月 164 Red Period(赤の時代)~ アメリカ 1926-32 ~ 10頁
02月 163 インドの一番切手・シンド州切手とインド藩王国の切手 7頁
01月 162 八十余年ぶりの邂逅 4頁
2010年 号数 タイトル
12月 161 「花柳」の世界 6頁
別冊 台湾鉄路一周の旅(13頁+11リーフ) 24頁
11月 160 エスペラント関係マテリアル 6頁
10月 159 有名なシンデレラ、南モルッカ共和国の切手 8頁
09月 158 インドネシア独立時期のウィーン版の切手について 6頁
08月 157 中国人民志願軍兵士差し立てカバー二通 5頁
07月 156 朝鮮近代郵便史 6頁
新・国際返信切手券(第七様式)について 3頁
06月 155 「中国占領地域」の時代 (Ⅱ蒙疆編) 8頁
朝鮮戦争ソウル占領北朝鮮二重丸印加刷 1頁
別冊 ミニ切手展「世界各国から届いた美しい郵便物」の開催 2頁
05月 154 「中国占領地域」の時代 (Ⅰ華北編) 6頁
04月 153 一枚の絵はがきから(屯田兵について) 5頁
03月 152 リーフ解説・オランダ領東インド 5頁
02月 151 カリカチュア(風刺画) 6頁
01月 150 「御料林」「北海道模範林・公有林」のマテリアル 7頁
2009年   号数 タ イ ト ル
12月 149 一枚の絵はがきから(東京日日新聞ニッポン号の世界一周飛行) 3頁
リーフ解説 マニラ大聖堂 2頁
別冊 私の1リーフ 中国解放区の布票 1頁
私の1リーフ 戦後満州のソビエト軍票 1頁
号外 セントローレンス運河中央逆刷エラー 2頁
11月 148 一枚のはがきから(白系ロシア人にまつわる話)
~ 東京・神田の白系ロシア人の業者から、中国・青島の切手商あてのはがき ~
5頁
10月 147 一枚のはがきから(郵便配達員の殉難)
~ 併せてアイヌの郵便逓送人・吉良平治郎のこと ~
5頁
09月 146 ミニ国家と切手発行 7頁
巻頭コラム 九月、初秋の候となりました 1頁
参考資料 三船殉難事件 3頁
08月 145 リーフ解説・モンテカルロ自動車ラリー 4頁
07月 144 TWA世界一周便の就航記念カバー 7頁
1932年・ニューファンドランドの民間航空切手 1頁
06月 143 映画の中に題材あり(「ショアー」と「ヒットラーの贋札」から) 5頁
別冊付録 北海道立文書館に眠るエンタイア 5頁
05月 142 浅草凌雲閣(十二階)の絵葉書 5頁
04月 141 民信局と僑批局について 5頁
03月 140 中国の公用便「公文封」について 4頁
02月 139 ロンドン王立郵趣協会主催切手展のスーベニア 3頁
01月 138 旧制中学入試問題集から 7頁
2008年   号数 タ イ ト ル
12月 137 クリスマスシール(複十字シール) 3頁
これでも届いた??? 2頁
別冊 eBayにまつわる話 5頁
11月 136 タロとジロ、奇跡の生還(第一次~三次南極観測隊) 4頁
付録 多彩な船歴を全うした「宗谷」 4頁
10月 135 万国郵便連合(UPU)にかかわるマテリアル 4頁
09月 134 反共フランス義勇軍 4頁
号外 「税済」消印にかかわる後日談 4頁
08月 133 開道140年(北海道庁関連マテリアル) 6頁
07月 132 地震の話~中国・四川大地震から~ 6頁
06月 131 私の1リーフ 「私の好きな小型シート(8)」
「ウルグアイ・モンテビデオ切手展開催記念小型シート」
2頁
05月 130 スエズ運河国有化宣言記念切手初日カバー 4頁
04月 129 中国の特異な速達切手、「快逓郵票」について 3頁
03月 128 二人のボース 6頁
別冊資料 二人のボース「関連資料」 11頁
02月 127 フランスの香りパリの香り 4頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(7)」
「ソビエト切手発行25周年記念小型シート」
2頁
01月 126 ツール・ド・ポローニュ(ポーランドの自転車ロードレース) 3頁
私の1リーフ 「ワルシャワの人魚」 1頁
2007年   号数 タ イ ト ル
12月 125 米ソ合同探検隊のベーリング海峡横断 3頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(6)
「ベルギー、Orval修道院修復のための附加金付き小型シート」
1頁
11月 124 1970年・北朝鮮「朝鮮労働党第5回大会記念小型シート」を巡って ~ 4頁
10月 123 竹島問題(「 独島 」のマテリアルから) 4頁
09月 122 大きな大きな小型シート(ドイツ民主共和国誕生15周年記念小型シート) 3頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(5)」
「キプロスのボーイスカウト切手小型シート」
1頁
08月 121 古文書入門(挨拶状を材料として) 4頁
号外 二重丸印・利尻島局について 4頁
07月 120 1968年・北朝鮮「朝鮮人民軍創設20周年記念小型シート」(4P+資料1) 4頁+資料1
06月 119 書信往来 3頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(4)」
「ガボン、1970年航空切手のミニシート」
1頁
05月 118 私の1リーフ
「ウルグアイ/モンテビデオ~フロリダ間のFFC」
1頁
号外 あなたの誕生日は何曜日? 1頁
04月 117 ノー・モア・ヒロシマ ピース・フロム・ナガサキ 3頁
03月 116 硫黄島の戦い(Battle of Iwo Jima) 4頁+新聞2
別冊 ルーズベルトに与うる書 6頁
02月 115 私の1リーフ (エンタイヤを読む)
「満州国第二次航空切手39分一枚貼り」
1頁
01月 114 円形の切手 4頁
2006年   号数 タ イ ト ル
12月 113 私の1リーフ 「私の好きな小型シート(3)」
「キューバ・切手発行100年記念にAAMS大会加刷」
1頁
11月 112 遺愛女学校 3頁
私の1リーフ (2006年ビザなし交流から)
「北方領土択捉島からのカバー」
1頁
10月 111 (北海道会員大会展示記念)
私の1フレーム「中国解放区東北各区三題
3頁
09月 110 似ている(似通ったデザインの切手) 3頁
08月 109 バナナの話 3頁
07月 108 変形切手の原点、三角切手 4頁
私の1リーフ 「私の好きな小型シート(2)」
(ルーマニアの正三角形シート)」
1頁
06月 107 ロングリレー/蒋介石誕生日記念印の押印20年 4頁
05月 106 記念印/東京アンソロジー 4頁
04月 105 南洋の話+資料 6頁
03月 104 私の1リーフ 「私の好きな小型シート」(ロシア十月革命40周年記念) 1頁
02月 103 ワルシャワ蜂起とポーランド亡命政権 4頁
01月 102 ウラジオストク反共政権発行「プリアムール加刷」記念貼りカバー 3頁
私の1リーフ 「ポツダム会談を伝える中国の宣伝ビラ」 1頁
2005年   号数 タ イ ト ル
12月 101 国際返信切手券 4頁
11月 100 ラトビアの地図切手について 4頁
100号記念誌 表紙+会報の名称「赤れんが」について 2頁
札幌ボタ印における手へんの「扎」について 1頁
私の1リーフ 「ロシア附加金付きミニチュア切手のフルシート」 2頁
10月 99 エルトゥールル号の遭難(日本とトルコ、友好交流の原点) 5頁
別冊資料 日本とトルコの関係史概説
山田寅次郎伝
エルトゥールル号事件のこと
6頁
09月 98 オーストラリア・シドニーとマダガスカル・ディエゴスアレスを結ぶもの(特殊潜航艇の話) 5頁
08月 97 北海道行政区画の変遷(「函館区」の時代について) 3頁
07月 96 1979年・ブルガリア「Philaserdica’79」 4頁
巻頭コラム いかに郵趣への理解を広げるか 1頁
06月 95 コロンビアの初期航空切手 3頁
05月 94 ロードス島異聞 3頁
04月 93 満州鉄道まぼろし旅行 5頁
03月 92 セラソップ・セトラックの謎 3頁
02月 91 タンヌツーバの切手 4頁
01月 90 一九七九年・香港中国切手展記念カード 6頁
2004年   号数 タ イ ト ル
12月 89 明治天皇の函館上陸記念碑 4頁
11月 88 ウラジオストク物語 4頁
「集郵」すなわち「益智」である 2頁
10月 87 函館大火(千島・択捉島別飛から函館大火を見舞う) 3頁
09月 86 誕生日へのこだわり 2頁
明治から大正へのサドル便 1頁
オークションから(函館ロシア領事館差立てのカバー) 2頁
08月 85 日の目を見なかった第1次及び2次昭和切手の原画 3頁
07月 84 有名人にかかわるマテリアル 3頁
06月 83 久米島切手のシートを巡って 3頁
05月 82 昆虫館へようこそ(蝶に関するマテリアル) 5頁
私の1リーフ 「ホワイトロシア」 1頁
04月 81 TABROMIKのラベル(ポーランドの民間航空切手) 3頁
03月 80 男爵コルヴィザール 2頁
02月 79 謝文東のドクロ切手について 3頁
01月 78 樺太の日露国境境界標について 3頁
2003年   号数 タ イ ト ル
12月 77 ハングルの勧め(ハングル表付き) 4頁
11月 76 小さな同志への手紙
(昭和18年、東郷4銭貼第四種郵便について)
3頁
10月 75 雁の便り 3頁
09月 74 偽物百科 3頁
08月 73 札幌村郷土記念館に展示された思いがけないマテリアル 3頁
私の1リーフ「ポルトガル植民地」 1頁
07月 72 シンデレラを紹介します 3頁
以下は「豊かな日々のつれづれに」に掲載
06月 71 古書目録の中に見つけた「附加金付アイヌ紀念切手発行願」 2頁
05月 70 国旗をテーマに 3頁
04月 69 エピルスの切手について 3頁
03月 68 昭和11年、北海道陸軍大演習 4頁
02月 67 シベリア出兵にかかわるチェコ軍団の切手について 3頁
01月 66 オオカミの乳を飲む双子の兄弟の不思議な像を描いた切手 3頁
2002年   号数 タ イ ト ル
12月 65 極東選手権競技大会について 3頁
私の1リーフ「エンタイアの裏側に注目」 1頁
11月 64 一通のカバーから(中国の水害にまつわる話) 3頁
10月 63 何がどうということもないのだが、多数貼りの魅力
(ニューギニアとサモアのカバー二点)
3頁
09月 62 手に入れたばっかり!最近のトビキリの入手品
(東京帝国大学附属樺太演習林)
3頁
08月 61 モーリシャス・ポストオフィス切手の記事に応えて 2頁
07月 60 マテリアルを俎上に その5
「漁師の日」記念の初日カバー
3頁
06月 59 マテリアルを俎上に その4
ブラジル1843年、牛の目
3頁
05月 58 マテリアルを俎上に その3
皇太子殿下北海道行啓紀念、下々方44-9-11
3頁
04月 57 FFCは一対のものである
日本航空・東京~札幌線深夜割引夜行便オーロラ号就航
2頁
03月 56 手に入れたばっかり!最近のトビキリの入手品
(千島択捉島年萌局留置・単冠湾碇泊農林省海洋調査船)
2頁
02月 55 中国切手研究会「これはいくら?」のコーナーから
(旅順バイリンガル偽カバーと中華民国大型公用封筒)
3頁
01月 54 郵趣にまつわる年号の話と、その関連マテリアル その2
「紀元2600年記念貯金シール」「檀紀年号」
3頁
2001年   号数 タ イ ト ル
12月 53 郵趣にまつわる年号の話と、その関連マテリアル その1
「成紀年号」「主体年号」
3頁
11月 52 千島関係マテリアル二題 3頁
10月 51 マテリアルを俎上に その2  ツェッペリン号訪日記念絵はがき 3頁
私の1リーフ「北大VS小樽商大」 1頁
09月 50 切手の図案と配色について 4頁
08月 49 映画「阿片戦争」における一場面
ペニーブラック誕生にまつわる秘話
3頁
07月 48 マテリアルを俎上に その1
ASDA(米国切手商協会)切手展のスーベニア・シート
3頁
06月 47 第一次昭和切手厳島30銭凹版切手の無目打について 2頁
05月 46 みせびらかしで失礼します その4
ロンドン国際切手展のスーベニア・シートについて
3頁
04月 45 みせびらかしで失礼します その3
帝政ロシア時代の地方切手「ゼムストーボ切手」
3頁
補足資料 4頁
03月 44 みせびらかしで失礼します その2
中国解放区・旅大区の「郵票彙編」について
3頁
別冊 別冊 独断・郵趣川柳批評 3頁
02月 43 みせびらかしで失礼します その1の(2)
中国解放区・安東第二版切手の裏面について
3頁
01月 42 トピックス(「3シリングバンコ」について) 2頁
会員紹介 1頁
2000年   号数 タ イ ト ル
12月 41 みせびらかしで失礼します その1の(1)
中国解放区・安東第二版切手の裏面について
2頁
11月 40 一寸一言(ちょっとひとこと)「深川一已」地名の由来 1頁
10月 39 郵趣に関するエッセーについて 2頁
09月 38 樺太「九春古丹・野戦局」の消印について 2頁
08月 37 「北見・利矢古丹」の消印について 2頁

城郭建築の雄・名古屋城

2019年3月第260号

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来場者数
プロフィール

 木村博海 (きむらひろみ)

Author: 木村博海 (きむらひろみ)


 1949年、東京都台東区生まれ。谷中三崎町で育ち、1956年竜泉寺町に移る。
 都立白鴎高等学校、宇都宮大学農学部林学科卒業。
 小学二年生の頃から切手収集を始める。初めて郵便局で買った思い出の一枚は「関門トンネル開通記念」。大学受験を控えて収集を中断。約20年の長いブランクを経て、1987年頃から収集を再開。
 深川木場(~晴海)の木材会社に2年勤務の後、昭和50年度東京大学農学部林政学教室研究生。
 1976年北海道庁入庁とともに渡道。主に林業畑を歩み、34年間勤務。うち地方では網走、帯広、根室、函館に各三年勤務。
 2010年3月、定年退職。この間、職場の部内誌に郵趣エッセーを含め、さまざまなエッセーを投稿。
 退職後は、外国人のための日本語学習支援ボランティア活動、郵趣活動。
 JPS札幌中央支部会員。北海道漢字同好会会員。アイヌ語地名研究会会員。
収集対象: ゼネラル。特に中国、ロシア、旧東欧など。
著書(自費出版): 「豊かな日々のつれづれに」(2003年4月)

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